西洋哲学

【新カント学派とは】自然科学と歴史主義から哲学を守ろうとした者たちをわかりやすく解説

新カント学派とは

新カント学派(Neukantianismus; Neo-kantianism)とは、20世紀末において飛躍的な進歩を遂げつつあった自然科学と歴史資料の充実によって生まれた歴史主義とから「哲学」の独自性を守ろうとした一派を指します。

カール・ヤスパース、マルティン・ハイデガー、マックス・シェーラー、マックス・ウェーバーといった超一流の学者たちの思索は新カント学派の哲学を批判するところから始まりました1試しに、彼らについて解説した概説書や入門書の「生い立ち」あたりをよく読んでみてください。ウィンデルバントやリッカートの名前などがそこにはあるはずです

とはいえ、新カント学派の全体像を分かりやすくまとめるのは至難の業です。それは新カント学派の研究者はほぼ全員高齢のため亡くなってしまっており、詳しく新カント学派を説明できる人がもういないからです。

この記事では、

  • 新カント学派が置かれた時代状況
  • 新カント学派の一派である西南学派の価値哲学

をそれぞれ解説していきます。

視野をある程度限定して新カント学派を説明しますので、関心のある箇所から読み進めてください。

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1章:新カント学派とは

1章では新カント学派に所属する哲学者たちと、新カント学派が置かれた時代状況とを解説します。2章からは新カント学派の一派である西南学派を具体的に説明しますので、用途に合わせて読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:新カント学派に所属する哲学者たち

新カント学派と一口に言っても、新カント学派はさらに二つの学派に分かれています3より細かいことを言うと、他にもオットー・リープマンやアロイス・リールなど新カント学派に属すると考えられる人たちは沢山いるのですが、ここでは割愛します

  • マールブルク学派・・・ヘルマン・コーエン、パウル・ナトルプ、エルンスト・カッシーラーが属する学派
  • 西南学派・・・ヴィルヘルム・ウィンデルバント、ハインリッヒ・リッカート、エミール・ラクスが属する学派

マールブルク学派も西南学派も両派とも新「カント」学派と呼ばれるぐらいですから、もちろんカントを重視しますが、その重視する仕方が両派では異なっています。

コーエンなどを代表とするマールブルク学派はカント哲学を自然科学に応用し、ウィンデルバントを代表とする西南学派はカント哲学を歴史学に応用しました。

20世紀前後において新カント学派の影響力は凄まじく、ドイツ哲学界は新カント学派が席巻していました。しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発すると転機を迎え、徐々に衰退していきます。

象徴的だったのは、以下のような出来事です。

  • 西南学派のリッカートに師事していたハイデガーが『存在と時間』によって、リッカートを徹底的に乗り越えてしまった
  • そして、ハイデガーはマールブルク学派の最後の生き残りであったカッシーラーとスイスのダヴォスで会談し(いわゆる「ダヴォス討論」)、カッシーラーを「圧倒」した4この討論の勝敗についてここで判断することは出来ません。しかし、当時の哲学者たちはハイデガーが勝利したと判断したことは述べておきます
  • こうして、ハイデガーは西南学派もマールブルク学派も、つまり新カント学派を完全に降し、哲学の主役の座へと躍り出ることになる

とはいえ、ハイデガーは新カント学派のすべてに反対したわけではありません。哲学には自然科学とは異なった特有の問いと方法がある、という新カント学派の発見にハイデガーは賛意を示します。

ハイデガーはこの新カント学派の発見に、フッサールから引き継いだ現象学とディルタイに由来する解釈学とを掛け合わせて『存在と時間』を書くに至るのですが、細かい点についてここではこれ以上述べることが出来ません。

ともかく、ハイデガーの思索の出発点となった新カント学派が、一体どのような時代に生まれたのかを次に見てみましょう。



1-2:新カント学派の思想的特徴

先ほども述べたように、新カント学派の最大の貢献は哲学には自然科学とは異なった特有の問いと方法があると発見したことにあります。では、なぜこの発見が新カント学派の最大の貢献と見なされるのでしょうか?

1-2-1:自然科学による猛攻

実は当時のドイツ哲学界は、自然科学による猛攻を前に危機に陥っていました。つまり、自然科学の圧倒的な発展を前に、旧来の哲学陣営は守勢に立たされていたのです。

そして、当時の自然科学者たちは、学問としての哲学は不要であると主張し始めました。

自然科学者による主張

  • 人間の精神は脳髄の神経細胞の微弱な電流によって決まっているのであって、真・善・美などを論じてきた今までの哲学の議論は無用の長物であった
  • 今までのようにプラトンを読んでイデア界を想起するよりも、実験によって人間の脳髄の秘密を解き明かす方が、真・善・美だと人間が考えるものにたどり着けると考えた

また、脳髄という物理的な器官だけではなく、心理学の発展によって今まで神秘とされてきた「心」という精神的な器官の秘密までもがあばかれようとしていました。

人間はどういう状況にどういう反応をするのかが自然科学的な実験の繰り返しによって明らかになり、哲学が考察する領域であった心までもが心理学という自然科学によって征服されるようになったのです。

1-2-2:歴史主義による脅威

加えて、哲学にとって脅威となったのは自然科学だけではありません。歴史主義と呼ばれる歴史学の潮流も哲学を脅かしつつありました。

歴史主義とは、

歴史学の発達によって出てきた概念で、各々の時代には各々の真理があると考える思考法

を意味します。

つまり、過去の歴史をつぶさに見ていくと、明らかに今とは違う習慣や真理観があります。たとえば、以下の例を考えてみてください。

歴史主義的な考え方

  • 古代ギリシャを研究すれば、古代ギリシャ人の慣習と彼らが抱いていた真理観がわかるが、それは中世ドイツの慣習と真理観とは異なっている
  • 古代ギリシャ人にとって神はゼウスを始めとして複数人いたが、中世ドイツにおいて神はイエス・キリスト一人である
  • こうして、それぞれの時代にはそれぞれの真理があると歴史学者は悟るに至る

真理はそれぞれの時代にある、つまり真理は複数あると考えることを「歴史相対主義」と呼びます。

しかし、歴史相対主義が正しいとすると哲学者は困ってしまいます。というのも、哲学では真理が一つでないと困るからです。

  • 哲学はプラトンの時代から真理というものを探る営みであるが、歴史相対主義はその営みを無謀で不可能なこととして否定する
  • 歴史的事実に訴えて歴史家は、真理が唯一であるということに反対する
  • つまり、歴史学においても、唯一の真理を追い求める哲学は無謀な野望を抱いた無用の長物と見なされた

つまり、自然科学と歴史学の攻勢に哲学がさらされていたこの時代状況において、新カント学派は哲学という学問を防衛しようとしたのです。

ちなみに、新カント学派研究者の大橋容一郎による、初学者に向けた書物として、『哲学の歴史』がとてもおすすめです。

その防衛戦の様相については2章で解説します。いったん、これまでをまとめます。

1章のまとめ
  • 新カント学派とは、20世紀末において飛躍的な進歩を遂げつつあった自然科学と歴史資料の充実によって生まれた歴史主義とから「哲学」の独自性を守ろうとした一派を指す
  • 自然科学と歴史学の攻勢に哲学がさらされていたこの時代状況において、新カント学派は哲学という学問を防衛しようとした
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2章:西南学派の価値哲学

さて、2章では新カント学派の一派である西南学派を取り上げて、時代を席巻していた自然科学と歴史主義とに新カント学派がどのように対決していったかを説明します。

2-1:ウィンデルバントの学問分類(法則定立的方法と個性記述的方法)

具体的に、ここではヴィルヘルム・ヴィンデルバントを取り上げて説明をします。

 ヴィルヘルム・ヴィンデルバントヴィルヘルム・ヴィンデルバント(Wilhelm Windelband 1848年 – 1915年)

ウィンデルバントの伝記的情報

  • ウィンデルバントは、ポツダムでプロイセン王国の官吏の息子として生まれた人物である
  • イェーナ大学では哲学史家として有名なクーノ・フィッシャーから、ゲッティンゲン大学ではヘルマン・ロッツェから哲学を学んだ
  • 1903年にはウィンデルバントはハイデルベルク大学でフィッシャーの後任教授となった5大橋容一郎「新カント学派」『哲学の歴史 第9巻』須藤訓任(編)415頁、中央公論新社
  • そして、ウィンデルバントの後任として彼の弟子であったリッカートが1916年に就任することで、ハイデルベルク大学は西南学派の牙城となる

1章で述べたように、当時の哲学界は勃興しつつあった自然科学と歴史主義とによって危機にひんしていました。そこでウィンデルバントは、以下のような考えから哲学をそれらから守ろうとします。

  • 自然科学と歴史学とを分離する方法論として哲学を位置づけることで、哲学の特権性を守ろうとした
  • 言い換えれば、自然科学と歴史学とを統べる諸学の王の座に哲学を座らせようとした

今の言葉でいえば、ウィンデルバントは理系と文系とを分ける方法を探求する学問として、哲学を蘇らせようとしたのです。

では、彼はどうやって理系(自然科学)と文系(歴史学)とを分けようとしたのでしょうか?結論からいえば、ウィンデルバントは、理系(自然科学)は恒常普遍な法則を考察する一方で、文系(歴史学)は一回的内容を考察する、と定式化しました。

これだけではわかりにくいですから、両者を例に出して説明しましょう。

自然科学

  • ニュートンは木から落ちるりんごを見て、引力の存在に気づいたとよく言われてる
  • そのときの発見は、自然からある一つの法則を取り出したと言える
  • つまり、ニュートンは、あらゆる物は高い所から落とせば地面に落ちていくという恒常普遍な法則を発見した

では、歴史学の場合はどうでしょうか?歴史学者は自然科学者のように普遍的な法則を見つけようとしているのでしょうか?ウィンデルバントの答えは否です。

歴史学

  • 我々は歴史を書くとき、普遍的な法則を見つけようと思って歴史を書くわけではなく、ある事件が重要だと思うから歴史を書くはずである
  • ナポレオンは二人存在しないし、ナポレオンに比する人も厳密に言えば存在しない
  • 水をH2Oという記号に置き換えるように、ナポレオンという人物を代替可能な記号に置き換えるのは不可能なのである
  • つまり、歴史は常に一回一回の特殊な出来事を記述するしかない

こうしてウィンデルバントは、自然科学の方法を「法則定立的」、歴史学の方法を「個性記述的」とまとめました。

そして彼にとって、哲学とはこうした学問の分類方法を指示してくれる学問の中の学問でした。彼は哲学に自然科学と歴史学を統括する役割を与えたのです。



2-1-1:天才という解決法

しかし、歴史学が個性記述的な方法によって営まれるということが分かったとしても、歴史家たちは、自然科学者たちと同じような統一した見解を持つことが出来るのでしょうか?

つまり、自然科学者たちは引力の法則という普遍的な法則に誰しもが同意できるにしても、ナポレオンの記述については歴史家の間でいつまで経っても論争が続くのではないでしょうか?

それどころか、ナポレオンという存在そのものが記述に値するのかどうかすら我々は疑うことが出来ます。

つまり、自然科学は普遍的な法則を追求するがゆえに、普遍的ではない法則を排除できる一方で、歴史学は一回一回の記述を追求するので、どの記述が正しいのかを判断できないのです。

自然科学には普遍的な法則という規準が存在しますが、歴史学にはそうした判断基準が存在しません。ウィンデルバントはこの難点の解決を、「天才」を導入することによって解決します。つまり、彼によれば、天才的な歴史家が正しい個性記述を達成するのです。

しかし、これでは実際に問題を解決したことにはなりません。それは以下の理由からです。

  • そもそも、職人芸に頼る学問は学問とは呼べない
  • 万人が同じ結論に達するような厳格な方法論がここでは求められているのであって、長年の勘や才能によって成功が左右されるような方法論は学問の名に値しない

そして、ウィンデルバントの問題関心を受け継ぎつつ、歴史学の厳格な方法論を生み出したのは、彼の弟子であるリッケルトでした。



2-2:リッカートの価値哲学

ハインリヒ・ヨーン・リッケルト(Heinrich John Rickert)は、ウィンデルバントの学問分類を哲学的に洗練させていきます。結論からいえば、ウィンデルバントが天才という職人技に頼っていた歴史学の方法論を洗練させて、リッカートは以下のような主張をします。

リッカートの主張

  • 歴史の論理学、つまり歴史叙述の方向性を指し示す指南書を構築する
  • この際、着目されたのが妥当する価値であった
  • つまり、我々は歴史を叙述するとき、妥当する価値に基づいてそれを行っている

これだけではわかりにくいと思いますので、さらに説明をしていきます。

振り返りですが、ウィンデルバントの方法論においては、天才が直感という頼りない規準に基づいて一回一回の特殊な歴史的事件を無数の選択肢の中から選んでいました。

しかし、リッカートは天才という直感に代えて、妥当する価値を選択の原理を採用したのです。ウィンデルバントの方法では天才しか歴史を叙述できませんでしたが、リッカートの方法では凡人でも価値という基準に従って歴史を叙述することができます。

しかし、妥当する価値は天才の直感と何が違うのでしょうか?今日の常識では、各々の価値観は異なっているはずです。しかし、リッカートはそれでもなお、我々は共通の妥当する価値を抱くことができると主張します。

リッカートは次のような例を持ち出します。

リッカートによる例

  • あらゆる物事を疑ってかかる一人の懐疑主義者が「真理は存在せず、それぞれ一人ひとりによって真理が異なっている」と述べる
  • しかし、よく考えればこの懐疑主義者の主張には欺瞞が含まれていることがわかる
  • つまり、懐疑主義者は「真理は存在せず、それぞれ一人ひとりによって真理が異なっている」という主張を万人に当てはまる「真理」であると主張している
  • 懐疑主義者の主張をそのまま受け取るならば真理が存在しないはずだから、懐疑主義者の主張も真理ではないはずである
  • ところが、懐疑主義者は自分の主張のみは真理であると言って自分の主張を押し通そうとしている

この例から、懐疑主義者ですら「真理」という価値を前提とせざるをおえないことがわかると思います。

リッカートがいう価値とは、このようにあらゆる議論の前提条件を意味しています。

  • 我々はある価値を前提としなければお互いにコミュニケーションが不可能となる
  • そして、歴史を叙述するときにも我々はこうした価値を前提としなければならないはずである
  • 歴史家は、この価値を準拠枠として用いることで、我々全員が納得できる歴史を叙述することが可能となる

しかも、この絶対普遍な価値という規準を歴史に持ち込むことで、各時代には各時代の真理があるという歴史相対主義は回避されます。

先に見たように、我々は時代を貫く「真理」という万人に妥当する価値を前提としなければ、お互いにコミュニケーションをとることが不可能になるからです。極端な例ですが、次のような考え方もできます。

  • たとえ、古代の人間がタイムスリップして現代にやってきたとしても、そして、古代人と現代人との間の価値観がどれだけ異なっていようとも、古代人と現代人はコミュニケーションを取ろうとする以上は「真理」を前提とする
  • だから、いつかお互いはわかり会えるはずなのである
  • つまり、唯一の真理を否定する歴史相対主義は誤りであり、真理は確かに存在するはずなのである



今までの議論をまとめましょう。新カント学派は哲学を解体しようとする自然科学と、真理の複数性を主張することで唯一の真理を追い求める哲学を否定する歴史相対主義とに対して、二段階の方法によって哲学を防衛しました。

  • 第一段階・・・自然科学と歴史学とを分離する方法論として哲学を定式化することで、自然科学に対する哲学の優位を主張した
  • 第二段階・・・歴史学に対して、唯一の真理を意味する妥当する価値という固有の方法論を主張することで、複数の真理を主張する歴史相対主義を否定した

方法論としての哲学を全面に打ち出すことで、新カント学派は自然科学と歴史主義とから哲学を防衛し、それはある程度の成功を収めました。

しかし、その成功を引き継いだのは、リッカートに反旗を翻した元弟子のハイデガーでした。

  • ハイデガーは自然科学(理系)と歴史学(文系)との区別という西南学派の遺産を最大限利用した
  • 『存在と時間』の中で、自然科学の方法論は日常世界のあり方を抽象化したものに過ぎないと主張する
  • ハイデガーにとって、本来の世界は今の我々を取り囲む歴史的な世界なのであって、自然科学的な世界ではない

自然科学的な世界に先行する生き生きとした歴史的な世界を現象学と解釈学とでハイデガーは解明しようとしましたが、まさしくこうした発想はハイデガーの師匠であるリッカートとよく似ていました。

このように、理系と文系とを区別する哲学は、西南学派を経てハイデガーによって完成させられたのです。

2章のまとめ
  • ウィンデルバントによれば、天才的な歴史家が正しい個性記述を達成する
  • リッカートの方法では、凡人でも価値という基準に従って歴史を叙述する
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3章:新カント学派を学ぶための本

新カント学派について理解することはできたでしょうか?新カント学派は難解ですが、今でも読む意義のある本です。時間をかけても挑戦してみることをおすすめします。

関連書と共に読んでみてください。

おすすめ書籍

須藤訓任編『哲学の歴史 第9巻 反哲学と世紀末』(中央公論新社)

数少ない新カント学派研究者の大橋容一郎による「新カント学派」の概括的な説明が含まれている。現在、新カント学派について学べるものとしては日本語では最も詳しく、最も初学者向け。なお、中央公論新社の『哲学の歴史』シリーズは哲学にある程度通じた人であれば楽しめる内容なので、哲学初級者から中級者におすすめしたいです。

九鬼一人『新カント学派の価値哲学』(弘文堂)

戦後に出版されたものとしては日本で唯一の西南学派についての研究書。中級者から上級者向け。価値哲学に興味が出てきた人は頑張って読み進めてほしいです。

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ハインリヒ・リッケルト『文化科学と自然科学』(岩波文庫)

リッカートの代表作。文系と理系との区別を日本人に植え付けた決定的な本と言って良いでしょう。1939年に出版されており、非常に読みづらいですが当時この本を読んだ日本人の息吹が感じられます。

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渡邉和典『最初期ハイデッガーの意味論』(晃洋書房)

西南学派とハイデガーの関係性を追った研究書。上級者向け。ハイデガー哲学を深く理解した上で西南学派との関係性を知りたいニッチな方にはおおすすめしたいです。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 新カント学派とは、自然科学と歴史主義とから哲学を防衛した者たちを指す
  • 新カント学派の一派である西南学派のウィンデルバントは、自然科学(理系)と歴史学(文系)とを分類する方法論としての哲学を打ち出した
  • 西南学派のリッカートは、妥当する価値という議論の前提条件によってウィンデルバントの自然科学と歴史学との分類を洗練させた
  • ヤスパース、ハイデガー、シェーラー、ウェーバーは西南学派から多大な影響を受けている

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