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西洋哲学

【フッサールの現象学とは】伝記的情報・特徴・概念をわかりやすく解説

フッサールの現象学とは

フッサールの現象学とは、ドイツの哲学者エドムント・フッサールによって創始された哲学理論で、私たちの意識に何かが現れてくるという事態が何を意味するのかを解明しようとしたものです。

現象学の創設者と知られるフッサールの議論は、哲学を専門とする学徒だけでなく、広く人文社会科学に関心ある方に取って重要です。

難解な議論として有名ですが、この記事では以下の内容をまとめます。

  • フッサールの伝記的情報
  • フッサールの現象学の特徴
  • フッサールの現象学の重要概念

好きな箇所だけでも構いませんので、ぜひ読んでみてください。

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1章:フッサールの現象学とは

1章では、フッサール現象学を「成立」「特徴」という項目から概説します。2章ではフッサール現象学の重要概念について説明しますので、好きな箇所から読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: フッサールの伝記的情報

まず、フッサール(Edmund Husserl)の伝記的な情報を簡潔にまとめます2『現象学事典』(弘文堂, 554-557頁)を参照

  • 1859年4月8日にオーストリア帝国のプロニッツ(現在のチェコ共和国プロスチェヨフ)の織物商を営むユダヤ系の旧家に誕生した
  • 1876年に高等中学を卒業した後に、ライプツィヒ大学やベルリン大学、ウィーン大学で学び、1883年『変文法論考』という数学論文で学士号を取得した
  • その後、1887年にハレ大学にて哲学の教授資格を取得し、1928年の大学退官までにゲッティンゲン大学、フライブルク大学にて教鞭を取った
  • そして、ナチスが台頭し、第二次世界大戦の足音が聞こえてきた1938年4月27日に79歳の生涯を閉じている

フッサールの伝記を編む上で、特筆すべき彼の性格を表す有名なエピソードがあります。少年フッサールは、ある日、人から貰ったナイフの切れ味があまり良くないので、それを研いでいました。

しかし、フッサール少年は、そのナイフ研ぎに熱中するあまり、刃金の部分がどんどん小さくなってしまい、ついには、とても何かを切れるような代物ではなくなってしまいました。このエピソードには、後のフッサールの哲学を表す「厳密さ」「鋭敏さ」がよく現れていると語り継がれています3たとえば、斎藤 慶典『フッサール起源への哲学』(講談社)など

さて、フッサールが哲学を志した時代は、時代の転換点ともいえる時期でした。ここでの転換とは、近代哲学から現代哲学への移行を指しています(さらに、歴史的には、フッサールの死後始まった第二次世界大戦も時代の転換点と言えるでしょう)。

  • 一般的に、近代哲学は、1600年代の前半に登場するデカルトによって始まると言われている
  • その哲学は有名な「コギト・エルゴ・スム(cogito ergo sum, 我思う、故に我あり)」という言葉に表れているように、「私」という主体が強調されたものだった
  • そのような近代哲学の末期に登場したフッサールの哲学は、それまでの近代哲学の成果を踏襲した上で、現代的な問題に取り組んでいくという、スタンスをとっていく

その際、重要なのは伝記的情報で説明したように、フッサールの学者人生が数学者から始まっていることです。それゆえ、哲学者としてのフッサールの研究も、数学の哲学的な「基礎づけ」というテーマから始まっているからです。

ここでの「基礎づけ」とは、ある学問を「根拠付ける」という程度の意味です。この数学の基礎づけから出発し、基礎づける対象が数学から私たちの認識へと移行していった時に成立するものが「現象学」と呼ばれるフッサール独自の哲学です。



1-2: フッサール現象学の特徴

前項の最後に、フッサールの現象学は、私たちの認識の基礎づけを目的とした哲学であると説明しました。そして、すでに述べたように「基礎づけ」とは、あるものを「根拠づける」という意味でした。

それでは、認識とは何でしょうか?認識という言葉でまず初めに思い浮かぶのは、何かを見るという経験でしょう。たとえば、「目の前にあるコップを認識する」というとき、それが意味しているのは「目の前にあるコップを見る」という経験です。

フッサールが構想した「現象学」は、このような「認識」がどのように成立しているのかを根拠づけようとしたものです。その際のポイントは、以下のとおりです。

  • フッサールの研究目的をよく表した「事象そのものへ」という有名な標語がある4ただし、この標語は、そのままフッサールの著作に登場しているわけではなく、弟子のハイデガーが主著『存在と時間』の中でフッサール現象学を特徴づけて記述している
  • ここでの「事象」とは、私たちが認識する対象のことだけを指しているわけではなく、対象を認識する働きも含めて指している
  • つまり、私たちがある対象を認識しているということがどのような事態なのかを解明せよ、という意味を指した言葉である

しかし、これだけでは、まだ具体的にフッサール現象学が何をしようとしているのかが見えにくいと思われます。そこで、ハイデガーの「解釈学的現象学」との違いからフッサールの「現象学」を解説していきます。

ちなみに、フッサール現象学を学ぶには谷徹『これが現象学だ』(講談社)が初学者にとって手を出しやすい書物になっています。

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ハイデガーとは、フッサールがフライブルク大学に在籍していた頃の弟子であり、1928年にフッサールが大学を退官した後に、その後任を引き継いでいます。1927年に出された『存在と時間』は、20世紀最大の哲学書と言われています。

1-2-1: フッサールとハイデガーの比較

フッサールとハイデガーを比較する際に、重要なのは「認識論」「存在論」の違いです。フッサールは、すでに述べたように「認識論」の側に立っており、ハイデガーは「存在論」の側に立っています。そして、それぞれの理論は、対象への関わり方に違いがあります。

  • 認識論(フッサールの立場)・・・私たちが対象を「どのように」捉えるのかについて考えるもの
  • 存在論(ハイデガーの立場)・・・私たちに対象が「どのように」存在しているのかについて考えるもの

ここからわかるように、認識論は対象を捉える私たちの側に力点が置かれているのに対して、存在論は存在しているものの側に力点が置かれています。

ハイデガーの「解釈的現象学」は、このように存在しているものをどのように理解するのかを解明しようとしたものです。つまり、ハイデガーの考えではすでに存在しているものがあるという前提があります。

しかし、フッサールの考え方は、存在しているという前提を認めるものではありませんでした。なぜならば、

  • 私たちが何らかの対象が存在すると言えるためには、その対象を認識によって捉える必要がある
  • それゆえ、何らかの対象が私たちの外部に存在していると言うためには、まずその対象を認識する必要がある

としたためです。

少々抽象的な説明になってしまったので、先程のコップを例にして具体的に考えてみましょう。

  • 私たちが日常的に使用しているコップが「ある」ということは、それが目の前にあるという経験から疑い得ない事実であるように思われる
  • しかし、そのコップが目の前にないときにも、コップは存在し続けているといえるのはなぜか?
  • たしかに、一度コップから目を離した後に、再びコップに目を移せば、そこには変わらず存在し続けているコップがある
  • このような経験から私たちは、ある対象が存在しているということを疑わずにいられる
  • しかし、同時に、この経験は、私たちがある対象が存在していると言えるためには、その対象を認識している必要があるという事実を表しています。
  • つまり、認識していないときに、その対象が存在し続けている証拠はないのです。

フッサールが認識論という立場をとっているのもこのような経験が生じているためです。すなわち、私たちがある対象が存在していると言えるのは、常にその対象を認識しているときであって、この点で、存在しているとは認識しているということと同義であると言えます。

それゆえ、フッサールの現象学は、私たちの認識を離れて存在しているもの(これをフッサールは、私たちを超えて存在しているものとして「超越」と呼んでいます)について考えることをやめ、そのような存在を根拠づけている認識を説明しようと試みたのです。

1章のまとめ
  • フッサールの現象学とは、ドイツの哲学者エドムント・フッサールによって創始された哲学理論である
  • フッサールが構想した「現象学」は、何らかの対象が私たちの外部に存在していると言うために「認識」がどのように成立しているのかを根拠づけようとしたもの

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2章:フッサールの現象学の概念

さて、1章の内容を深掘りするために、2章ではフッサール現象学の重要概念をそれぞれ解説していきます。

2-1: 本質主義(直観主義)

フッサールの現象学は、「本質主義」または「直観主義」と言われます。

本質という概念を捉えるためには、古代ギリシアのプラトン哲学を理解したほうがスムーズですので、まずプラトンの考えた「本質」を簡単にまとめておきましょう。

  • プラトンは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの弟子でソクラテスの思想を引き継いだ者として有名だが、プラトンが「本質」について考えるに至ったのも、師匠ソクラテスの問いを引き継いだ結果であった
  • その問いとは「人間とは何か」というもの。「人間とは何か」と問われた時、その答えとなるのは人間とは「~である」という定義である
  • しかし、人間には、さまざまな種類がある(たとえば、佐藤さんや、鈴木さん、五十嵐さんといった具合に)
  • これらの人たちに共通して定義できるものとして、プラトンはあらゆる個々のものに共通している存在を「イデア」と呼びんだ
  • そして、プラトンは「イデア」は現実世界を超えたイデア界という場所に存在していると考えた
  • この「イデア」が後に「本質」と呼ばれるものとなる

フッサールもこのプラトンの考え方を基本的には踏襲しています。すなわち、本質とは、ある個々の対象がどのようなものであるかを示す概念であるといえます。

たとえば、犬の本質を考えてみてください。

  • 犬の本質とは、あらゆる個々の犬に共通して存在する規定
  • すなわち、犬には、柴犬や土佐犬、プードルやチワワなどの個々多様な種類が、私たちはこの犬がそれぞれ多様な姿かたちで異なっているにもかかわらず、一つの「犬」という仕方で特徴づけることができる
  • それはあらゆる個々の違いにもかかわらず、それらに共通して、そのものを特徴づけているものが「本質」と呼ばれるものがあるからである

本質主義と呼ばれるフッサールの現象学は、この本質を捉えようとするものです。

その際、フッサールが用いた方法が「直観」であり、この方法に由来して、フッサールの現象学は「直観主義」とも呼ばれています。

簡潔にいえば、「直観」とは「直接的に観る」という意味です。(私たちが日常的に使うことがある「直感」とは異なることに注意する必要がある)

それでは、なぜ、本質を捉えるために「直観」という方法を使わなければならないのでしょうか?本質とは、あらゆる個々の存在者に共通してある規定であると先程説明しました。

しかし、この個々に存在しているものを眺めていても本質というものにはたどり着けません。なぜなら、この世に存在しているすべてのものに共通している特徴を理解するために、世界中のものを実際に見て特徴を分析することなど不可能だからです。

それゆえ、本質を捉えるためには、この個々のものを超えたところに本質が存在していると考える必要があります。この個々のものを超えたところが「意識」です。

つまり、フッサールは、この意識において、個々のものを介して間接的に本質を捉えるのではなく、直観することで本質を捉えることができると主張しています。このような仕方をフッサールは「本質直観」と呼んでいます。

次項では、この直観の具体的な方法としての「現象学的還元」について説明します。



2-2: 現象学的還元

フッサールが提唱している「還元」という方法には、「形相的還元」「超越論的還元」という2つの種類があります。

そして、通常では、この2つの還元を合わせて「現象学的還元」と呼びます。

2-2-1: 形相的還元

まず、「形相的還元」について説明します。「形相」とは、ギリシア語の「エイドス(eidos)」の邦訳であり、ここでは「本質」と同義と考えてください。

また前項で触れたようにフッサールは、「本質直観」のためには、個々のものから離れて、意識においてその本質を捉える必要があると考えました。

そのために行われるべき「形相的還元」の具体的な操作は、

  • 私たちの想像によって、個々のものを「自由変更」してみること
  • すなわち、私たちは「犬」を想像によって、自由に変化させることができること

を指します。

形相的還元によって、いろんな形態の犬を考えることができますが、この「自由変更」においても変わらないものをフッサールは「本質」であると考えました。

2-2-2: 超越論的還元

次に、「超越論的還元」についてです。しかし、この操作について説明する前に「自然的態度」というあり方について触れなければなりません。

自然的態度とは、

私たちが、通常、日常的に何かが私たちとは関係ないところでも存在し続けていると信じて生きている態度のこと

です。

そのため、現象学によって指摘されなければ、疑問にも思わないほど当たり前の「自然的な」態度となります5上述したように、フッサールは私たちの認識を離れて何かが存在していると考えることをやめ、この存在を根拠付けている認識を主題的に問おうとしている

それに対して「超越論的還元」は、

  • 存在がそれ自体で存在していると考える「自然的態度」を一旦保留する(これをフッサールは「エポケー(判断中止)」と呼んでいます)
  • そして、この存在が成り立つために働いている意識に目を向けようとする方法

です。

このような方法を経て、初めて私たちは、意識をメインテーマとして問い始めることができるのです。



2-3: 志向性(ノエマ/ノエシス)

さて、前項の「現象学的還元」によって、意識について考えることができるようになりました。フッサールは、この意識の働きを「志向性」であると考えています。

「志向性」とは、

  • 端的に述べると、「~についての」という働きを意味する
  • つまり、私たちの意識は、常に何かについての意識であり、この働きによって、何らかの対象を捉えることができること

を示すものです。

しかし、「現象学的還元」を経ているために、この「志向性」によって捉えられている対象は、私たちの外部にそれ自体として存在しているものではありません6ただし、私たちの外部に何も存在していないと考えているわけではないことは、注意しなければなりません

それでは、この対象は、どのように捉えられるべきなのでしょうか?フッサールは、対象を意識によって、組み立てられたものであると考えています。具体的には、以下の過程があります。

  • 組み立てを行う働きを「ノエシス」「ノエマ」という言葉で表現する7「ノエシス」と「ノエマ」は、それぞれ「意識作用」と「意識対象(意味)」と言い換えることができる
  • 「ノエシス」・・・対象を捉える「知覚」のような働き
  • 「ノエマ」・・・私たちが捉えている対象の「意味」

フッサールによると「現象学的還元」によって、対象が存在するかどうかの判断を保留したとしても、私たちに何らかの対象が与えられているという事実は変化せず、ただ「意味」として与えられていると考えています。

この「ノエマ」については、かなり抽象的な議論なので、何度も登場しているコップで具体例を考えてみましょう。

  • これまでどおり、今、目の前に一つのマグカップがある
  • このマグカップに「現象学的還元」を施すと、そのコップが存在しているかどうかの判断が保留される
  • しかし、もしこのコップが存在していなくても、意識において目の前のマグカップを捉えているという事実は変わりない
  • そして、このマグカップは「何かを飲むためのもの」という意味で私に捉えられている。この意味が「ノエマ」と表現されているもの

以上のような仕方で、フッサールは、私たちの意識によって対象が捉えられている様を描き出しています。



2-4: 超越論的主観性

フッサールは、対象を組み立てている意識を「超越論的主観性」とも呼んでいます(この意識に相当するものは、時期によって「純粋意識」とも呼ばれます)。

「超越論的」とは、「超越論的還元」を説明する際にも使った言葉です。それゆえ、「超越論的主観性」は「自然的態度」に「現象学的還元」を施した後に残される領域であると言えます。

なぜ「主観性」と言われているかというと、それが「客観性」(=対象)を成り立たせているものだからです。つまり、

「主観性(subjektivität)」とは「下に(sub)置かれたもの(jectum)」に由来する言葉であり、あらゆる人にとって共通に捉えることができる対象としての「客観性」の基礎となるものと

考えられています。

そのため、「超越論的主観性」と呼ばれています。たとえば、谷徹が『これが現象学だ』(講談社現代新書)でその点を指摘しています。

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2-5: 静態的現象学/発生的現象学

「静態的現象学」とは、

『イデーン』期(1910年代)までのフッサールの現象学を表す表現

です。

『イデーン』期までの現象学は、これまで説明してきた「意識」ないし「超越論的主観性」において行われる対象存在の組み立てを中心に分析するものです。

しかし『イデーン』期を経たフッサールは、そのような「意識」や「超越論的主観性」がどのように成立してくるのかを問うようになっていきます。これが「発生的現象学」という後期フッサールの究極形態です(『縮刷版 現象学事典』(弘文堂)、p.387項目「発生的現象学」)。

発生的現象学では「自我」という意識領域における経験の主体がどのように発生、発達してくるのかを「時間性」や「受動性」というテーマのもとに考察されます。そして、この「自我」の発生を手がかりに、「歴史性」「身体性」「間主観性」といった主題が晩年まで取り組まれています。

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3章:フッサールの現象学を学ぶための本

フッサールの現象学を理解するきっかけを掴むことはできたでしょうか?

ここで紹介した内容はきっかけに過ぎませんので、ぜひ以下の本からあなたの学びを深めていってください。

おすすめ書籍

谷徹『これが現象学だ』(講談社)

フッサール現象学を分かりやすい言葉で説明している入門書です。新書で出されているため、初学者にとって手を出しやすいものになっています。

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E.フッサール『デカルト的省察』(岩波書店)

フッサールが1929年に行った「パリ講演」を元に出版されたものです。フッサールが自らの現象学を簡潔に記述している入門書として読むことができます。

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D.ザハヴィ『フッサール現象学』(晃洋書房)

学術的な内容も含まれているため、前述の書をある程度理解した上で読まれることをおすすめします。フッサール現象学を網羅的に説明しており、理解を深めることができます。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • フッサールの現象学とは、ドイツの哲学者エドムント・フッサールによって創始された哲学理論である
  • フッサールが構想した「現象学」は、何らかの対象が私たちの外部に存在していると言うために「認識」がどのように成立しているのかを根拠づけようとしたもの
  • フッサール現象学の重要概念として、「本質主義/直観主義」「現象学的還元」「超越論的主観性」「志向性(ノエマ/ノエシス)」「発生的現象学」がある

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