倫理学

【メタ倫理学とは】問題背景・基本概念・論争や対立をわかりやすく解説

メタ倫理学とは

メタ倫理学(metaethics)とは、

「~べき」といった規範的な議論ではなく、倫理学で使われる用語、概念がそもそも何を意味するのか、どのように定義すべきかといった本質的・抽象的な議論をする倫理学の一分野のことです。

おそらく、倫理学と言うと「どのように生きるべきか」「道徳的に正しい行為とは何か」といった議論がイメージされることが多いと思いますが、これは規範倫理学の領域です。

メタ倫理学は、規範倫理学を含む倫理学の各領域をさらに一つ上の次元から眺める学問です。

抽象的ではありますが、倫理学に関心があれば大づかみにでも押さえておくべき領域です。

そこでこの記事では、

  • メタ倫理学とはそもそもどのような学問なのか
  • メタ倫理学の課題や論点
  • メタ倫理学と規範倫理学の違い
  • メタ倫理学におけるさまざまな議論、対立、説

について詳しく説明します。

ぜひ関心があるところから読んでみてください。

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1章:メタ倫理学とは

メタ倫理学について知るためには、規範倫理学などの他の倫理学の領域との区別や、メタ倫理学が何を課題としている学問なのか知ることが近道です。

※ちなみに、1章の内容は「認知主義」の記事とも被るところが多いため、読み飛ばして2章から読んでいただいても構いません。

1-1:メタ倫理学と規範倫理学の違い

まず、倫理学の全体の構成から理解しましょう。

倫理学には、大きく以下の3つの分野があります。

  • 規範倫理学:行為の正・不正や価値のある行為(善)について検討する
  • 記述倫理学:倫理の実態を記述する歴史的、科学的研究
  • メタ倫理学:倫理学における概念、用語そのものを分析する
倫理学の分類

特に区別すべきなのが「規範倫理学」と「メタ倫理学」です。

規範倫理学は、「正しい行為とはどのようなものか?」「善いこととはどのようなものか?(何に価値があるのか?)」という問いに対して答えようとする学問で、功利主義や義務論、徳倫理学などの立場があります。

それに対し、メタ倫理学は「正しさ」「善いこと」などについて直接論じません。メタ倫理学とは、「そもそも価値とは何か?」「そもそも義務とは何か」といった、より本質的な議論を行う学問です。

そのため、抽象的な議論が多くいきなり細かい議論から学ぼうとすると難しいです。

しかし、「メタ倫理学は何を解決したいのか」という「課題」を頭の片隅に置いておくと、これから説明する理論が理解しやすいです。

1-2:メタ倫理学の課題・論点

メタ倫理学が課題とするのは、私たちが日常的に行う道徳的議論や道徳的判断について、メタ倫理学的な視点から考えると矛盾があるのではないか?ということです。

この矛盾については少し説明が必要ですので、順を追って解説します。

あなたは、どのような人が「善い人」だと思いますか?

また、もっと具体的な状況を考えると、終業後に友人と仕事に行く約束をしているときに、どうしても終わらせなければならない仕事を頼まれた場合、どっちを優先しますか?

こうした問いに対して、「何が正しい選択なのか?」を考え、行動するのが、私たちが行う道徳的な営みです。

こうした問いについて「これが正しいはず」という選択を思いついたかもしれませんが、その選択はどうすれば正しいことを証明できるでしょうか?

こうした道徳的議論や日常的な実践には、実は暗黙のうちに前提とされている考えがあります。それが以下の2つです。

1-2-1:道徳の客観性

道徳の「客観性」とは、道徳的・倫理的なテーマについて議論するときに、そのテーマに「客観的な答えがある」と考えられているということです。

たとえば「どんな人が『善い人』ですか?」という問いについて議論するとき、議論する人たちは議論を通して何らかの答えにたどり着けるはずだ、道徳的判断の基準となるものがあるはずだ、と考えます。

このような道徳的規準の客観性が説明できることが、道徳の客観性ということです。

1-2-2:道徳の規範性

道徳の「規範性」とは、道徳的な判断が「行為の理由」になるはずだ、という考えのことです。

つまり、「善い人とは○○という性格を持つ人である」という道徳的判断があれば、「○○という性格の人間になりたい」という行為の理由になるとか、「家族には優しくすべきだ」という道徳的判断をする人がいるなら、それが「家族に優しくする」という行為の理由になる、ということです。

道徳的判断は、行為の理由を提供するものだとも言えます。



1-2-3:客観性と規範性の矛盾(ヒューム的人間観の矛盾)

日常的な道徳的営みでは、当然のように客観性と規範性が前提と考えられています。

つまり、道徳的議論には客観的な答えがあると考えられているし、道徳的判断は行為の理由となる、と考えられています。

しかし、この客観性と規範性は、実は同時には成り立たないのではないか。これがメタ倫理学の最大の論点であり、この問いに答えるためにさまざまな立場が生まれました。

「客観性と規範性の何が矛盾しているの?」

と疑問に思われるかもしれませんが、これを理解するためには「ヒューム的人間観」について知っておく必要があります。

■ヒューム的人間観とは

メタ倫理学は、人間の行動についてヒューム的人間観を前提としています。

ヒューム的人間観とは、哲学者デヴィッド・ヒューム(David Hume)が提唱した人間観のことで、

  • 人間は、「信念」と「欲望」の両方の心理を持った時に行動するのであり、どちらか一方の心理だけでは行動しない
  • 「信念」とは、世界はこうのようになっているはずだという事実を信じる心理のこと。
    例:蛇口をひねれば水が出るはずだ
  • 「欲望」とは、世界はこうあってほしい、という心理。
    例:水が飲みたい

「水が飲みたい(欲望)」だけでは「蛇口をひねる」という行動は起きませんし、「蛇口をひねれば水が出る(信念)」という事実だけでも、「蛇口をひねる」という行動は起きません。2つがそろうから行動が起きるのだ、というのがヒューム的人間観です。

■客観性と規範性の矛盾

ここまでをまとめると、道徳的判断の「客観性」「規範性」は、「ヒューム的人間観」を前提にすると成り立たないということです。

これらがなぜ矛盾してしまうのか、整理すると以下のようになります。

  • 客観性について:道徳的判断が客観的なものであるためには、道徳的判断は何が正しくて何が間違っているのか(真偽)を明確に示せる「信念」である必要がある
  • 規範性について:道徳的判断が行為の理由になるためには、道徳的判断の「信念」が行為の理由(動機)と関連している必要がある
  • しかし、ヒューム的な人間観を前提にすると、「信念」と行為の理由になる「欲望」は別のもので、異なる役割を持つものであるため、信念は動機(欲望)と結びつかない

こういった前提があるため、メタ倫理学はこれら3つをいかに矛盾なく説明するか?ということを軸にさまざまな立場を生み出しました。

1-3:メタ倫理学における立場の違い

メタ倫理学における立場の違いを整理すると、以下のようになります。

  • 認知主義・実在論
    道徳的判断の基準となるもの(道徳的事実)は、私たちの心の中(主体)ではなく世界の側(客体)に存在し、それを私たちは認知することで「何が正しいのか」「何に価値があるのか」を知り、正しい道徳的判断をなすことができる。
  • 非認知主義・反実在論
    認知主義・実在論の立場を否定し、客観的な「道徳的事実」は存在しない。道徳的判断とは、私たちが「世界はこうあって欲しい」という欲望・態度を示すものにすぎず、道徳的判断は主観的・相対的なものである。

さらに、認知主義・実在論の立場は「自然主義」と「非自然主義」の立場に分けられます。

  • 自然主義
    道徳的判断の基準となる「道徳的事実」は、道徳以外の言葉・経験的な用語を用いて説明したり、定義することが可能である。
  • 非自然主義
    「道徳的事実」は、道徳以外の言葉で定義することはできない非自然的なものである。そのため、道徳的事実は「直感」によって直接的に認識することしかできない。

これを基本的な対立として、さらにさまざまな議論がなされています。

※メタ倫理学における議論抽象的かつ複雑で、詳しく理解するためには書籍にあたることをおすすめします。以下の本は分かりやすいので入門書としてオススメです。

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詳しくは2章で説明していきますので、まずはここまでをまとめます。

1章のまとめ
  • メタ倫理学とは、倫理学で使われる用語や概念について、「メタ(より高い次元)」から「そもそも」を論じる学問。
  • メタ倫理学の課題は、道徳的判断の「客観性」「規範性」「ヒューム的人間観」の3つを矛盾なく説明しようとする学問
  • 「客観性」「規範性」「ヒューム的人間観」を説明する立場として、自然主義的実在論、非自然主義的実在論、反実在論がある
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2章:認知主義・実在論の議論

それではこれから、メタ倫理学で行われてきた議論を紹介します。

大きくは、

  • 認知主義・実在論による主張
  • 認知主義・実在論への反実在論による批判
  • 認知主義・実在論からの反論

という流れで議論があったと覚えておけば、議論の全体像がつかめます。

認知主義・実在論の主張から説明します。

もう一度確認しましょう。認知主義・実在論とは、

  • 道徳的判断の基準となるもの(道徳的事実)は、私たちの心の中(主体)ではなく世界の側(客体)に存在する(実在論)
  • それを私たちは認知することで「何が正しいのか」「何に価値があるのか」を知り、正しい道徳的判断をなすことができる(認知主義)。

という立場のことです。

認知主義と実在論は表裏一体の理論です。

たとえば、「あの人は『善い人』だ」という道徳的判断をするときに、その判断基準となるもの(道徳的事実/道徳的実在)が客観的に存在し、その基準と照らし合わせることで判断の「正解」「不正解」が分かるということです。

そして、認知主義・実在論の立場はさらに自然主義と非自然主義の立場に分かれます。

※認知主義・実在論や非自然主義・反実在論について詳しくは以下の記事にも書いていますので、ここでは要点のみをまとめ、その後の現代の議論に繋げたいと思います。

【認知主義・実在論とは】メタ倫理学における立場の違いをわかりやすく解説

2-1:自然主義・実在論の主張

自然主義とは、道徳的判断の基準となる「道徳的事実/道徳的実在」は、道徳以外の用語によって定義、説明できるという立場です。

道徳以外の用語とは、自然科学や社会科学で使われるような言葉のことです。

  • 功利主義は、「幸福を増大させる行為が正しい」と主張する
  • これは「正しさ」という道徳的価値を経験的事実(幸福を経験したこと)から定義している

2-2:自然主義的誤謬・直感主義(非自然主義)

こういった自然主義的実在論を、哲学者ムーア(Moore,GE)は「自然主義的誤謬」と批判しました。

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自然主義的誤謬とは、

  • そもそも道徳的価値は定義できないものである
  • 道徳的価値は「非自然的」なものであるため、自然的なもの(経験など)によって定義することはできない

というものです。自然的に、つまり経験などの道徳以外の用語を使って道徳的価値を定義することはできないのに、それを「できる」としていることが誤謬であるという批判です。

では、私たちは道徳的事実(実在)をどのようにして認知しているのでしょうか?

ムーアは、私たちは「直感」によって何が道徳的価値で、何が道徳的に正しい行為なのか知覚することができると主張しました(直感主義)。



2-3:認知主義・実在論の問題点

こうした認知主義・実在論は、その後非認知主義・反実在論の立場の哲学者たちから批判されました。

それは、認知主義・実在論の立場では、ヒューム的人間観を前提にすると、「客観性」を説明できても「規範性」を説明できないという批判です。

  • 認知主義の立場では、客観的に存在する「道徳的事実」から道徳的判断の正しさを評価する。つまり、「道徳的事実」に対する「信念」から判断の正しさを導き出す。
  • しかし、人間は「信念」だけでは行動できない(「欲求」もなければならない)ため、道徳的判断が行為の理由にならない

そこで、非認知主義・反実在論の立場から、これらの矛盾を解決する議論が巻き起こりました。

しかし、このような認知主義・実在論がどちらもともに間違っているのだと批判したのが反実在論の立場です。

認知主義・実在論のまとめ
  • 道徳的判断の基準となる道徳的事実(実在)は世界に存在し、それを私たちは認知することができる
  • ただし、それは自然的な用語(経験など)で説明できる(自然主義)か、そうではなく直感によって知覚するものなのだとするのか(非自然主義)という立場の違いがある
  • 認知主義・実在論の立場では、客観性を説明できても規範性を説明できない問題がある
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3章:非認知主義・反実在論による批判

認知主義・実在論の立場からは、ヒューム的人間観に立った上で道徳的事実の客観性、規範性を矛盾なく説明することができない。

そこで、

  • 道徳的判断の基準となる道徳的事実は、世界に客観的に存在するものではない
  • 道徳的判断は、「正しい道徳的判断とは○○である」と示す「信念(事実)」ではなく、世界が「こうあってほしい」という「欲求(態度、感情)」の表明にすぎない

というように考えたのが、非認知主義・反実在論という立場です。

「欲求」の表明であれば、道徳的判断が行為の理由になるため「規範性」について説明できます。

しかし、世界に客観的な道徳的規準がないとすれば、私たちの道徳的判断は主観的・相対的なものであり、何が正しいのか答えを出せないものになってしまいます。

つまり、今度は「客観性」について説明できなくなる。これについて答えようとしたのが、非認知主義・反実在論の議論です。

※エア、スティーブンソン、ヘアの主張はこちらのページでも解説していますので、ここではポイントをまとめます。

3-1:エアの主張

論理実証主義の代表的論者であるエア(Sir Alfred Jules Ayer)は、

  • 経験的に検証することができない問いは無意味である
  • 非自然主義は、道徳的事実(道徳的判断の基準)を直感で認知できるとしているが、これは検証不可能であるため問題がある
  • 自然主義も非自然主義も、道徳的判断について、「自分はこれが正しいと思う」という感情や態度を示しているに過ぎない

と主張しました。

道徳的判断は感情の表明であるため、行為の理由にはなりますが、道徳的事実の客観性を説明できません。

そこで次に、スティーブンソンがこれを発展させた「情動説」を主張します。

3-2:スティーブンソンの情動説

スティーブンソン(Charles Leslie Stevenson)は以下のように主張しました。

  • 言葉には、記述的意味(descriptive meaning/ただの事実の表明)と情動的意味(emotive meaning/言葉に込められた感情)という2つの意味がある
  • 道徳的判断は「情動的意味(言葉に込められた感情)」に本質があり、道徳的判断は態度の表明にすぎない
  • その道徳的態度の表明によって相手の態度に影響を与えようとするものである
  • また、道徳的議論における意見の食い違いには、「信念による食い違い」と「態度による食い違い」がある
  • 「信念による食い違い」は法理的に解決可能だが、「態度による食い違い」は信念レベルの食い違いに原因がある場合は解決できるが、そうでなければ解決不能

このように、スティーブンソンは「情動説」の立場に立ちつつ、「道徳的判断が感情の表明であれば、議論に答えを出せないのではないか」という問題に答えようとしました。

とはいえ、やはり道徳的判断の客観性については説明不足感が否めません。



3-3:ヘアの普遍的指令説

ヘア(Richard Mervyn Hare)は、非認知主義の立場から「規範性」とともに「客観性」についても論じようとしました。

それが「普遍的指令説」です。

  • 道徳的判断には記述的意味と、「指令的意味(prescriptive meaning)」がある
  • つまり、「~べき」というとある道徳的判断を受け入れた場合、「~べき」という指令を受け入れたことになる
  • 道徳的判断の規範性(行動の理由になること)は、この言葉の持つ指令的意味によって説明できる
  • さらに、道徳的判断はとある特徴(記述可能な特徴)に「付随」していると考えられる
  • つまり、記述的意味と指令的意味に付随性があるため、道徳的判断には「客観性」もあると言える

ヘアの普遍的指令説とはこのようなものです。

しかし、これでもまだ特に「客観性」について矛盾なく説明できているとは言えませんし、私たちが日常的に思っている「道徳的判断には基準がある」という前提を否定する非認知主義の立場は、私たちの直感に反します。

こういった議論からは、やはり日常的な道徳的営みと整合性がある認知主義・実在論の立場の方が説得力があるように思えてしまいます。

そこで、新たな理論を主張したのがマッキーです。

3-4:マッキーの錯誤理論・投影説

マッキー(Mackie, John L.)は反実在論という立場にとって重要な批判を行いました。

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マッキーの実在論への批判を要約すると以下のようになります。

  • 反実在論:そもそも、道徳的判断の基準となる道徳的事実(道徳的実在)は客観的に存在しない
  • 錯誤理論:私たちは、日常的に道徳的価値が客観的に存在するかのように議論したり、行動したりするが、それは錯覚である
  • 投影説:道徳的価値が実在するかのようにふるまってしまうのは、私たちが自分の「欲求」を客観的世界に投影しているからである

詳しく説明します。

3-4-1:マッキーの反実在論

マッキーはまず、そもそもこれまでの倫理学・哲学で前提とされてきた客観的な道徳的事実(実在)は存在しないと反実在論の立場から、以下の議論をしました。

  • 相対性に基づく議論
    私たちが日常的に行っている道徳的議論や行為について説明するために、客観的な道徳的事実(実在)が存在することを仮定する必要はない
  • 特異性に基づく議論
    道徳的事実(実在)について、それを特異な「直感」で知覚できるなどとするのは、非現実的

この議論は、後の反実在論の議論にもつながりますので頭の片隅に置いておいてください。

3-4-2:錯誤理論

では、道徳的判断の基準となる道徳的事実(実在)が客観的に存在しないのに、なぜ私たちは客観的な基準があるかのように議論するのでしょうか?

これに答えたのが、錯誤理論です。

錯誤理論とは、現実には客観的な道徳的事実は存在しないのに、さも存在するかのように錯誤してふるまってしまう、という意味です。

前述のエアは、道徳的事実は真偽が問えないから無意味だと主張しましたが、マッキーは、そもそも道徳的事実は存在しないため、道徳的判断は常に「偽」であると考えました。



3-4-3:投影説

さらに、私たちが道徳的事実が存在するかのようにふるまってしまうことについて、投影説からも説明しました。

投影説とは、存在するかのように思える道徳的事実は、実は私たちの欲求や感情を世界に投影したものにすぎないとする考え方のことです。

なぜこのような投影をするようになったのかというと、それは自らの欲望に「権威付け」するためだ、とマッキーは言います。

  • そもそも、道徳とは社会における人々の活動に一定の秩序を与えるために存在する
  • しかし、道徳はしばしば人々の欲求に反することを主張するため、人々を動かすための権威が必要
  • 権威付けするために、客観的に存在する法則、命令として道徳が生まれた

このように、マッキーは反実在論の立場から協力に認知主義・実在論の立場を批判したのですが、これでは結局「客観性」について十分な説明がなされていません。

ここで、マッキーを批判してさらに発展した議論を提示したのが、ブラックバーンです。

3-5:ブラックバーンの準実在論

ブラックバーン(Simon Blackburn)は、マッキーの投影説や反実在論の立場を踏襲しますが、マッキーの錯誤理論に問題を指摘しました。

それは、錯誤理論が正しいということは、私たちが日常的に行っている道徳的な営みが「偽」であることになるため、それならそのような日常的な営みを放棄しなければならなくなるのではないか?ということです。

3-5-1:非認知主義による日常的な道徳の説明

そこでブラックバーンは、非認知主義的な立場から「準実在論」を提唱しました。

準実在論を一言で言えば、非認知主義・反実在論の立場で考えても、私たちの日常的な道徳的営みの客観性や規範性を説明できる、ということです。

ブラックバーンの主張は以下のようなものです。

  • 私たちの日常的な道徳的営みは、態度を表明するものとして非認知主義的に理解することができる。
  • 非認知主義は、道徳的判断は態度や感情の表明にすぎないと主張するが、それでは複雑な文法構造を持つ道徳的判断が説明できない(ギーチ=フレーゲ問題)と批判される。しかしこれも、実は非認知主義の説明として理解が可能である

詳しくは書籍を参照して頂きたいですが、つまりは日常的な道徳的実践や、より複雑な道徳的判断の文法構造においても、それが非認知主義の立場で説明できることを明らかにしたのです。

3-5-2:投影説への批判への応答

これでも、やはり私たちの日常的な道徳的実践で感じられる、「客観的に道徳的判断の基準が存在する」という直感と投影説は、整合性が取れないように感じられます。

そこで、ブラックバーンは以下のように投影説を擁護します。

  • 私たちが道徳的価値について「客観的なもの」と感じてしまうのは、特定の生活様式の中で行為の正・不正を教え込まれ、内面化する中で、その環境で「不正」とされる行為に否定的感情を持つようになる。その感情が、道徳的価値がいかにも客観的に存在するように感じさせている。
  • 道徳的価値が単なる投影にすぎないなら、道徳的価値や義務を捨て去っても構わないことになると批判される。しかし、たとえばユーモアの滑稽さが私たちの内面の投影であるとしてもそのユーモアのセンスを捨てる理由にはならないのと同じことで、道徳的価値が単なる投影であっても、それを捨てる理由にはならない。

このように、ブラックバーンは非認知主義・反実在論の立場に立ちつつも、「道徳的事実が客観的に存在せず、単なる心の内面の投影にすぎないなら、それは捨てても良いものではないのか」という批判に答えようとしました。

反実在論の見解をまとめます。

3章のまとめ

非認知主義・反実在論のまとめ
  • エアは、道徳的判断は態度の表明にすぎないと主張
  • スティーブンソンは、道徳的判断が態度の表明であっても、日常的な議論では解決可能な場合もあると説明
  • ヘアは、道徳的判断には「指令的意味」が含まれており、指令が行為の理由になると説明
  • マッキーは、道徳的判断は心の内面を世界に投影しているに過ぎないと主張(投影説)
  • ブラックバーンは、日常的な道徳的営みが非認知主義の立場から理解可能であることを説明(準実在論)

4章:実在論からの反論

ここまで反実在論の立場からの認知主義や実在論への批判を見てきました。

実在論からも、自然主義、非自然主義のそれぞれの立場から批判や明らかな問題点をクリアするための議論が巻き起こりました。

4-1:自然主義的実在論からの応答(ブリンク)

自然主義的実在論は、

  1. ムーアによって指摘された、道徳的事実は自然的な性質によって定義することはできないはずだという「自然主義的誤謬」
  2. 客観性は説明できるが、規範性(道徳的判断が行為の理由になる)について説明できない

ということに答える必要がありました。

これに答えたのがブリンク(David O. Brink)です。ブリンクは、

  • ムーアは、自然主義の立場に立つなら、道徳的判断の基準となる道徳的事実が、自然的性質に還元できなければならないと考えた
  • しかし、道徳的事実が特定の自然的性質に「付随」する(依存する、関係する)ことが示せれば問題ない
  • この「付随」という関係について、マッキーは神秘的な性質で現実的でないと批判したが、これは物理的、化学的分野にもある関係性であり、特異で神秘的なものではない

と答えました。これが4-1の①に示した、ムーアの「自然主義的誤謬」への反論です。

次に、②の「規範性」の説明についてですが、これもブリンクが以下のように反論しています。

  • マッキーの特異性に基づく議論は、私たちが道徳的事実を認知するだけで特定の行為に動機づけられるという「内在主義的実在論」への批判である。
  • しかし、自然主義の立場でも必ずしも内在主義を受け入れる必要はない。道徳的事実を認知するだけではなく、それを受け入れる心理を持っているかという「外在主義」の立場を取れる。
  • 道徳的事実の認知が必然的に行為の理由にはならないことになるが、少なくとも行為の理由を与えるという点で「規範性」の説明ができるし、マッキーの批判もかわせる。

このように、自然主義でも外在主義の立場に立つことで、道徳的判断の客観性と規範性を共に説明できるはずだと主張したのです。

4-2:非自然主義実在論からの応答

非自然主義者たちは、実在論の立場に立ちつつも内在主義から「客観性」「規範性」の問題に答えようとしました。

非自然主義実在論が答えなければならないのは、

  • ヒューム的人間観に立つと、人間が行動する上では「信念」と「欲求」が共に必要で、どちらか1つだけで行為することはない
  • 内在主義は、「信念」だけで動機づけられる(行為する)という説明に繋がってしまうため、ヒューム的人間観と矛盾する

という問題です。

これに答えようとしたのがマクダウェルとダンシーです。

4-2-1:マクダウェル

マッキーやブラックバーンの、反実在論的な投影説自体を批判したのがマクダウェル(John Henry McDowell)です。

マクダウェルは、マッキーやブラックバーンの説では、道徳的事実が「二次性質(secondary quality)として存在することを考えていないと批判します。つまり、マクダウェルは実在論の立場です。

二次性質および感受性理論について、マクダウェルは以下のように説明します。

  • たとえば、「赤」という色はは物質が持つとある性質(一次性質)であり、それを「赤色」と感じるのは人間の視覚の働きであり、客観的に「赤色」という物質的性質が存在するわけではない
  • 投影説では、道徳的事実は人間の知覚、心理の働きによって性質を持つ「二次性質」であるのに、あたかも客観的に世界に存在する一次性質であるかのように考えられている点が間違っている
  • 人間が、とある性質を「道徳的事実」であると認知できるのは、世界の側に客観的に一次性質としての道徳的判断の基となるものが存在するからであり、その意味で道徳的事実は客観的なものであると言える
  • また、世界の側に一次性質としての道徳的事実があり、私たちの感受性はそれに反応することで道徳的判断をするのだが、その時、私たちは単に一次性質としての道徳的事実に反応しているだけではない。道徳的事実が、私たちに道徳的判断を行わせるのに値するものであると、判断していると考えられる。

投影説との違いが分かるでしょうか?違いを整理してみます。

投影説感受性理論
道徳的事実の存在道徳的事実は世界に存在するのではなく、心の内面が反映されているだけ。道徳的判断のもととなる一次性質は客観的に存在する。
道徳的判断道徳的判断とは、単なる感情の表明である。道徳的判断は、一次性質としての道徳的事実を認知し、それを判断することで行われる。
特徴道徳的判断を、単なる投影として考える。道徳的判断を、認知的判断を伴うものとして考える

マクダウェルはこのように説明し、私たちの日常的な道徳的営みとの整合性を取ろうとしたのです。

その上で、内在主義ではヒューム的人間観と矛盾するという問題に答えなければなりません。

そこでマクダウェルは以下のように答えます。

  • 「~すべし」という道徳的判断を受け入れる人は、その「~すべし」という行動に従わなければならない理由を理解していることが必要
  • とある人が道徳的判断を行うことを説明する場合、行為する上での「欲求」を持っているかどうかを論じる必要はない
  • その人にとって、その道徳的判断を行うことが望ましいということを示すだけで、道徳的判断の理由を説明することができるため、「欲求」を介在せず「信念」だけで行為の理由を説明可能

マクダウェルはこのようにして、自然主義実在論で外在主義の立場から、ヒューム的人間観を修正することで、「信念」だけで行為の理由が説明できるという「規範性」を説明したのです。

とはいえ、有徳ではない人物の場合は、そもそも行為すべき理由を理解できないため、道徳的事実を認知しても動機づけられないとも説明しています。

このように、マクダウェルの説明は、「信念」と「欲求」によって動機づけられる人(有徳でない人)と「信念」だけで動機づけられる人(有徳な人)の2つのパターンを前提としたことから、「混成理論」と呼ばれます。

4-2-2:ダンシーの説明

マクダウェルの混成理論に対し、「いや、誰でも『信念』だけで動機づけられるのだ」という「純粋理論」を主張したのがダンシー(Jonathan Dancy)です。

ダンシーはマクダウェルよりもさらにヒューム的人間観に向かい合い、それを解体することで新たな議論をしています。

ダンシーはまず、

  • ヒュームは人間の行動には「信念」と「欲求」が必要と考えたが、人間が動機付けられるのは「信念」の存在によってのみである
  • 人間を動機づける「信念」とは、「世界のあるがままの状況(表象)」と「自分が行為した結果の状況(表象)」との間にあるギャップを認知、理解すること(信念)である

として、ヒューム的人間観を修正します。

さらに、ここから「純粋理論」を発展させます。

  • 人間が動機づけられる状態は以下のように2軸で分類できる
    1. 「必ず動機づけられる場合」「偶然動機づけられる場合」の区分
    2. 「動機付けだけで動機づけられる場合(他の心理状態に依存しない)」と「動機付けだけでは動機づけられない場合(他の心理状態に依存する)」の区分
  • 上記から、「偶然動機づけられ、かつその動機付けだけで動機づけられる」パターンが考えられる
  • つまり、人間は「信念」だけで動機づけられることが考えられるが、信念によって動機づけられるかどうかはその人のそのほかの心理状態などに依存する

ややこしいので2軸を整理すると以下のようになります。

必ず動機づける場合偶然動機づける場合

それだけで動機づける(他の心理状態に助けが不要)

ヒューム的「欲求」本来的に動機づける状態

それだけでは動機づけない(他の心理状態の助けが必要)

ヒューム的「信念」

※赤林他編『入門倫理学』(2018年,226頁)を参考に作成

このように、ダンシーは「信念」のみからも動機づけられる場合があるが、信念だけで動機づけられるかどうかはその他の条件に依存すると主張しました。

「他の条件に依存するなら、普遍的な理論として成り立たないのでは?」

と思われるかもしれませんが、実はその通りなのです。ダンシーの理論は「パティキュラリズム(particularism)」と言われ、普遍化不能な理論なのです。

実在論からの反論についてまとめます。

4章のまとめ
  • マクダウェルは、道徳的事実は一次性質として世界に存在し、それを認知し判断することで人間は道徳的判断をする。また、道徳的判断を受け入れ、実行すべき理由を理解していることが道徳的判断の説明になるため、「欲求」を介在せずに行為の理由を説明できると主張。
  • ダンシーは、ヒューム的人間観を解体し、人間は世界への現状と予測の認識のギャップへの「信念」だけで行動するが、その信念だけで行動するかどうかは他の心理状態などに依存すると考えた。

5章:メタ倫理学の学び方

メタ倫理学について理解を深めることはできたでしょうか?

メタ倫理学は倫理学の中でも最も抽象的で、哲学的領域です。そのため、詳しく理解するためには必ず書籍から学ぶ必要があります。

これから紹介する書籍をぜひ読んで、理解を深めてください。

オススメ書籍

オススメ度★★★赤林朗、児玉聡編『入門・倫理学』(勁草書房)

倫理学のテキストですが、メタ倫理学についても多くの紙幅が割かれています。ぜひ読んでみてください。

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オススメ度★★★佐藤岳詩『メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える』(勁草書房)

メタ倫理学の入門書として最高のものです。認知主義、実在論などについても詳しく書かれているため、より詳しく知りたい場合は必ず読んでみてください。

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まとめ

この記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • メタ倫理学とは、倫理学における用語や概念についての「そもそも」を本質的に論じる学問
  • メタ倫理学は、認知主義・実在論と非認知主義・反実在論の対立を軸に、複雑に議論されている
  • メタ倫理学は、ヒューム的人間観、道徳的議論の「客観性」と「規範性」という3つについて矛盾なく説明することを目指している

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