東洋哲学・東洋思想

【孟子とは】孔子との関係・思想の特徴・名言をわかりやすく解説

孟子とは

孟子(Mencius)は古代中国の戦国時代に活躍した儒家の内の一人で、孔子の教えを発展させ諸国を遊説してまわりました。仁と孝悌の重視し、性善説に基づく王道政治を説く一方で、富国強兵は覇道として批判しました。

孟子の逸話や問答を記した書物は『孟子』と呼ばれており、後の新儒学の正典となるなど後世に大きな影響を与えました。

今回はそんな孟子の、

  • 孟子の生涯と『孟子』
  • 孟子の思想の特徴
  • 孟子にまつわる名言

について解説をしていきます。

ご興味のある方はお好きなところから読んでください。

このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。

ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら

Sponsored Link

1章:孟子とは

まず、冒頭でも触れた通り、孟子とは古代中国の戦国時代に活躍した思想家の一人で、儒家に分類されます。孟子は仁による統治を重視し武力による統治に反対する一方で、易姓革命の概念を成立させるなど、過激さも持ち合わせていました。

1章では、孟子の生涯について解説をすると同時に、他の儒家(孔子・荀子)との違いについて解説していきます。

1-1:孟子の一生

まずは、孟子の一生を振り返りましょう。

簡潔にいえば、孟子とは、

  • 名を軻(か)、字(あざな)は子輿(しよ)といい、現在の山東省に位置する鄒(すう)国の人である
  • 生没年は紀元前372年頃~紀元前289年とされており、孔子の没後百年ほど後の人物である
  • 若い頃に魯国に遊学し、孔子の孫である孔伋(こうきゅう)の門人から儒学を学んだ

といった経歴があります。

孟子は「孔子の正当な継承者」と自負しており、自尊心が高い性格と言われています。そのため、君主に対しては非常にドライな態度で接し、諸国に遊説に向かう際には馬車数十台、従者数百人という大所帯で向かいました。

孟子が教えを説いてまわった君主は、梁の恵王、斉の宣王、鄒の穆公、滕の文公などがいますが、彼の教えは本格的に採用されることはありませんでした。

その晩年については、目立った活躍はなく、もっぱら弟子の育成に努め、生涯を終えました。

1-1-1: 孟子の幼少期の逸話

ここでは、幼少期の逸話をみてみましょう。

孟母三遷(もうぼさんせん)

最初、孟子の母親は孟子と墓地の傍に住んでいましたが、孟子が葬式の真似事を始めたため、市場の傍に引っ越しました。次に孟子が商人の真似事を始めると、今度は学問所の近くに引っ越しました。

すると孟子は学問にはげむようになり、母親は引っ越すのをやめたといいます。これを「孟母三遷」といい、周囲の環境が子供に与える影響の大きさについて述べています。

孟母断機(もうぼだんき)

ある時、孟子の母が孟子に「学問はどこまで進んだか」と進捗を聞きました。孟子が「少しも進んでおりません」と答えると、母親がおもむろに刀剣で織り途中の織物を切断してしまいました。

そして、「学問を途中で止めてしまうという事は、織り途中の織物を途中で切断してしまうのと同じだ」と説きました。孟子は以後反省して学問に打ち込み、立派な儒学者になりました。



1-2:孟子と孔伋(子思)

孟子は母親の元を離れると、孔子の孫である孔伋(子思)の門人に学んだと言われています。孔伋は当時有力な儒者だったため、彼を中心とする学派を形成するに至ります。

記録によると、その思想は二十三篇からなる『子思子』にまとめられているとされていますが、ほぼ全て散逸している状態です。ただ『礼記』に残る「中庸」「表記」「坊記」「緇衣(しい)」の四篇は『子思子』の残存とされています。

特に、「中庸」は宋代に至り朱熹(しゅき)によって四書の一つにされるなど、後世の儒学者に尊重されました。孔伋自身も孔子の教えを正当に伝えた人物として唐代の韓愈などに高く評価されています。

1-3:孟子と荀子・孔子

孔子の約百年後に登場する孟子ですが、その思想は孔子の教えを堅守していました。しかし、武力による君主交代を正当化した点は大きく異なる点です。

孔子が武力による支配を否定し、仁愛による統治を理想としたのに対し、孟子は徳のない君主であった場合、最悪武力行使による交代も止むを得ないと考えました。

『孟子』にはそれを象徴する次の言葉があります。

(書き下し)孟子曰く、民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す。

(原文)孟子曰、民為貴、社稷次之、君為軽。

(意訳)孟子は言った、民が(最も)貴いものであり、国家のことは(民)それに次ぐことであり、君主については重要ではない、と。

孟子は君主の存在意義を幸福にする政治を行うことと考えました。もしも君主がその使命を果たさなければ、それは最早「君主」ではなく、一人の匹夫になるため討伐しても問題はないとしたのです。

孟子は武力を否定した孔子とは違い、更に現実的な考えと理論を展開したと考えられています。仁愛によって世を統治するという理想主義的な孔子の側面を補うこの考えは、荀子に至って更に研ぎ澄まされます。

孟子とよく比較される荀子ですが、決定的な違いは人の性(本質)を善とみるか、悪とみるかでした。

つまり、

  • 孟子が「善(道徳的)」とみたのに対し、荀子は「悪(利己的)」とみて「礼」を重んじんだ
  • 「礼」とは、道徳心からくる行動規範を指す。人の本質は利己的なので、個人の利益に走らない様に外的な拘束力「礼」によって抑制し、社会を統治する必要があると考えた

のです。

荀子の思想は外的な力による統治を説き、この思想が後々の法家の思想にも大きな影響を与えます。法家として有名な韓非や李斯は荀子に学んだとも言われています。



1-4:『孟子』の構成

そして、孟子の思想は書物『孟子』にまとめられ、今に伝えられています。しかし、その著者についてははっきりと分かっていません。

たとえば、書物『孟子』の著者についての見解は以下のようにわかれています。

司馬遷 孟子とその弟子たち(公孫丑・萬章)との共作と主張
朱熹・趙岐 弟子は介入しておらず、孟子一人で書き上げたと主張
韓愈 公孫丑・萬章が記憶を元に編纂したと主張

成立当初は、儒教の経典として重んじられることはありませんでした。しかし、唐代に韓愈や柳宗元によって評価を受け、後漢(947年~950年)の趙岐(ちょうき)によって注釈が加えられました。この注釈によって、本来は七篇だった構成が、それぞれ上下篇に分けられ、全十四篇になっています。

『孟子』の構成は以下のようになっています。

梁惠王:諸侯と孟子との対話集

  • 章句上(7章句)
  • 章句下(16章句)

公孫丑:斉滞在時の弟子との問答

  • 章句上(9章句)
  • 章句下(14章句)

滕文公:文公や思想家との問答

  • 章句上(5章句)
  • 章句下(10章句)

離婁:孟子の言行を収録

  • 章句上(28章句)
  • 章句下(34章句)

万章:古の聖人君主に関するテーマ

  • 章句上(9章句)
  • 章句下(9章句)

告子:告子との人の本質に関する議論

  • 章句上(20章句)
  • 章句下(16章句)

尽心:孟子の教え

  • 章句上(46章句)
  • 章句下(38章句)

その後、『孟子』は朱子学の始祖である朱熹により、四書五経の「四書」の一つと位置づけられました。

朱子学は科挙の科目として採用され、国学になったため、連動して『孟子』も広く普及することとなりました。

1章のまとめ
  • 孟子は古代中国の戦国時代に活躍した儒家の内の一人で、孔子の教えを発展させ諸国を遊説した人物である
  • 孔子の孫である孔伋(子思)の門人に学んだといわれ、その思想は孔子の教えを堅守していた
  • しかし、武力による君主交代を正当化した点は大きく異なる点である
  • 孟子の思想は書物『孟子』にまとめられ、今に伝えられている
Sponsored Link

2章:孟子の思想の特徴

『孟子』は宋代に一級書としての地位を確立され、全国に普及していきます。また孟子の評価自体も「亜聖」と呼ばれるまでに上がり、儒教の正当な系譜を引くものとされました。

一方で武力の部分的な肯定など、孔子の儒教とは違う側面も持っていました。2章では、主に孟子の思想の詳細について解説をしながら、思想の特徴について解説していきます。

2-1:王道政治

まず、特徴的なものとして、孟子は政治のスタンスを二つに分けたことにあります。

  • 王道・・・王道とは天子の徳によって治める政治であり、民の心を得る方法
  • 覇道・・・民の心を得る徳の政治であるため、結果的に天下を得ることができると説いたもの

孟子の考えは天下を得るために民を得る必要があると考え、民を得るためには民の心を得ることが重要だと主張しました(王道)。

反対に、覇道は武力によってかりそめに仁政を行うものです。孟子はこれを王道に劣る政治と位置づけています。また春秋五覇や当時割拠していた戦国七雄等の諸侯を罪人と批判しました。



2-2:性善説

孟子の特徴的な思想に、人の性(本質)は善であることがあります。

(書き下し)人の性の善なるは、猶(なお)水の下(ひく)きに就くがごとし。

(原文)人性之善也、猶水之就下也。

(意訳)人間の本来の性質が善であるのは、ちょうど水が低い方へ流れるのと同じようなものだ。

つまり、孟子は人の性は、聖人から小人(つまらない人)に至るまで本来的に善であると考えたのです。また、不善を行う人がいるのは、外的な要因によってその状態になっていると考えました。

そのため、天子の徳による政治によって、豊かな生活をさせ人を善の方向へと導くことが大事だと説きます。また、本来あるべき性に至るための学問の重要性も主張しました。

2-3:易姓革命

孟子の思想的な特徴として、最も顕著なものが易姓革命を説いたことです。

易姓革命とは、王朝交代の際の手段のことで、禅譲と放伐の二種類があります。

  • 禅譲は徳のない君主から有徳の者に君主の地位を譲ること
  • 放伐は徳のない君主を、有徳の者が武力によって討伐してなり替わること

孔子の教えである儒教は、力による支配を否定する思想なので、放伐は本来行われないのが理想でした。しかし孟子は、状況により放伐も行う時もあると説きます。

それは民(天命)を満足させられない君主は、もはや君主ではなく一匹夫であり、討伐しても天命に逆らうことにはならないと考えたからです。

この「天命を革(あらた)める」という思想から、「革命」という言葉が生まれました。

易姓革命について、詳しくは以下の記事で解説しています。

→【易姓革命とは】天命、五行、讖緯思想とあわせてわかりやすく解説



2-4:四端

孟子は人が四つの感情(四瑞)を有していると考えました。四つの感情とは以下の4つで、この感情を育て上げることができれば、仁・義・礼・智の四徳になるとしました。

四瑞 四徳 概要
惻隠 他者を見ていたたまれなく思う心
羞悪 不正や悪を憎む心。恥を知る心
辞譲 譲ってへりくだる心
是非 善悪を判断する能力

この四つの徳に繋がる感情の芽生え四瑞を育てるために、人は努力して学ぶ必要があると考えたのです。

2-5:井田法

井田法とは、孟子が理想とした土地制度の一つです。

孟子が問題視したのは、前述した性善説に触れながらも、現状として不善が行われる理由を生活の不安定さです。つまり、一定の財産がなければ、民は一定不変の心を持つことができず、時によって不善を行うと考え、具体的な方策を考えます。

その民を安定させるための具体的な方策が井田法でした。井田法とは、

  • 土地を9等分の区画に分け8家に運用させる土地制度
  • 中央は公田として8家が交代で管理し、周囲は私田として割与えられた家の田畑としたもの
  • 租税は中央の公田から徴収した

ものです。

孟子の考えた井田法は理想的な土地制度として後の儒学者にも認識されますが、実際に行われたかどうかは疑問視されており、実態は不明です。

井田のイメージ

私田 私田 私田
私田 公田 私田
私田 私田 私田
2章のまとめ
  • 特徴①政治のスタンスを二つに分けたこと
  • 特徴②人の性(本質)は善であること
  • 特徴③易姓革命を説いたこと
  • 特徴④人が四つの感情(四瑞)を有していると考えたこと
  • 特徴⑤土地制度の一つを構築したこと

Sponsored Link

3章:孟子の名言

孟子は今から2400年ほど昔の人ですが、彼の残した言葉は、今でもなお使われ続けています。日常会話でもよく耳にする言葉は、実は孟子が元ネタになっていたものがあります。

ここでは、3つほどご紹介していきましょう。

3-1:五十歩百歩

孟子が魏の恵王と対話した際に出たたとえ話として、五十歩逃げた兵士が百歩逃げた兵士の話を挙げました。孟子が逃亡した二人の兵士についてどう思うか聞くと、恵王はどちらも逃げた事には変わりなく差がない、と答えました。

孟子はこの逃亡した兵士の話を出して、今の世はこの兵士の様に皆武力による統治「覇道」を行っており大差がないと批判し、「王道」の政治の重要性を説きました。

3-2:余裕綽々

孟子が斉に滞在している中で、人々から「何もしていない」と批判されたことに対する回答の中に「余裕綽々」の語句が出てきます。孟子は人々に対し、「私は今斉の臣下ではないので、官職もないし諫言する責任もない。私は余裕綽々として自由だ」と反論しました。

3-3:往く者は追わず、来る者は拒まず

孟子は弟子を願い出る人は必ず受けれいていたそうです。そのため、中には不届き者もいたらしく、滕(とう)という国に宿泊していた際に窓際にあったわら靴が盗まれました。

宿泊先の者が「あなたの弟子は皆この様なことをするのですか」と問い詰めた際に、孟子は「往く者は追わず、来る者は拒まずの精神でやっているので、中にはそんな人も混じっているかもしれないが、弟子全てをその様に決めつけるのは止めていただきたい」と述べました。

4章:孟子が学べるおすすめ本

孟子について理解を深めることはできましたか?

中国の哲学や思想について関連するテーマをいくつも解説していますので、参考記事を以下のページから読んでみてください。

→中国哲学・思想についての関連記事

また、孟子について深く学ぶために以下の書物がおすすめです。

おすすめ書籍

オススメ度★★★『孟子』(岩波新書/1966年)

思想史に造詣の深い金谷治氏の孟子に関する専著です。孔子の思想をどう発展させたのか、荀子との比較と違い、法家への影響など様々な視点から孟子について書かれており、最初に読む入門書としてお勧めです。

created by Rinker
¥1,653
(2024/11/20 18:56:32時点 Amazon調べ-詳細)

オススメ度★★★『孟子』(講談社学術文庫/2004年)

東洋史の大家である貝塚茂樹氏の著作で、孟子の生まれた時代背景や人となり等について書かれています。最後に抄訳も掲載されているため、『孟子』の内容も読むことが可能です。思想に関する記述が物足りないと感じるかもしれないので、金谷氏の著作と併せて読み進めると良いでしょう。

created by Rinker
講談社
¥1,859
(2024/11/20 18:56:33時点 Amazon調べ-詳細)

学生・勉強好きにおすすめのサービス

一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。

最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。

Amazonオーディブル

また、書籍を電子版で読むこともオススメします。

Amazonプライムは、1ヶ月無料で利用することができますので非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。

Amazonスチューデント(学生向け)

Amazonプライム(一般向け) 

数百冊の書物に加えて、

  • 「映画見放題」
  • 「お急ぎ便の送料無料」
  • 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」

などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。

まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 孟子は古代中国の戦国時代に活躍した儒家の内の一人で、孔子の教えを発展させ諸国を遊説した人物である
  • 最も顕著な特徴は易姓革命を説いたこと
  • 孟子に由来する名言が多くある

このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。

ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら