科学哲学の道具主義(instrumentalism)とは、科学理論は現象の計算や予測に便利な道具に過ぎないとする考え方です1小林傳司「道具主義」『岩波 哲学・思想事典』廣松渉ほか(編)岩波書店, 1159頁。
科学哲学の道具主義は、プラグマティズムのそれと意味が異なるため注意が必要です。両者の違いを理解することで、現代社会の科学に関して哲学的な理解が深まるはずです。
そこで、この記事では、
- 科学哲学とプラグマティズムの道具主義
- 道具主義への批判・将来的な展望
についてそれぞれ解説していきます。
好きな箇所から読み進めてください。
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1章:道具主義とは
1章で科学哲学とプラグマティズムにおける道具主義を説明します。2章以降はより学術的な議論を紹介しますので、関心にあわせて読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:科学哲学における道具主義
科学史の中で道具主義という考え方が生まれた歴史的背景をたどると、以下の問題を避けて通ることはできません。
- 近代以降における自然哲学と科学の分離、科学と科学でないものの区別(=「線引き問題(demarcation problem)」)
- 科学的実在論論争における科学的真理や観察不可能な対象の実在
※科学的実在論論争とは、科学的真理や観察不可能な対象が実在するかどうかについて、科学哲学という学問が確立された当初から展開されてきた論争です。科学哲学についてはこちらの記事→【科学哲学とは】歴史・分類から扱われる諸問題までわかりやすく解説
以下では、科学史・科学哲学史を参照しつつ、道具主義という考え方が生まれた経緯について述べます。
1-1-1:古典的道具主義
近代以前のヨーロッパでは、トマス・アクィナス(1225頃-1274)が確立したスコラ哲学のもとで「信仰」の真理と「哲学」の真理は区別されました。そして、信仰に基づく神学とアリストテレスの目的論的自然観との調和が図られました。
目的論的自然観とは、アリストテレスが生物の有機体全体ないし部分の働きや発生から生長のプロセスの観察を通じて、その説明の妥当性と有効性を確信した、目的因が真性な自然的原因であるという自然観のことです3千葉惠「アリストテレスの目的論的自然観 I」『北海道大學文學部紀要』第42巻2号, 149頁, 1994年。
その結果、「哲学は神学の侍女(羅:philosophia ancilla theologiae)」、すなわち哲学は専ら神学を説明する手段として考えられ、その教義が自然哲学にも応用されていました。
たとえば、ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)の主著『天球回転論』の印刷監督を務めたルター派の神学者アンドレアス・オジアンダー(1498-1552)は、無記名で加筆したその序文において以下のように述べています4ニコラウス・コペルニクス『完訳 天球回転論』(みすず書房、2017年)11頁。
それらの仮説が真である必要はなく、また本当らしいということさえなく、むしろ観測に合う計算をもたらすかどうかという一事で十分だからである。
これは地動説[太陽中心説]という真理が実在すると主張するコペルニクスとは反対に、地動説を含めた天文学理論一般の道具としての妥当性を述べたものであるといえます5コペルニクス 同書 403頁。
そして、その背景には地動説と聖書との整合性の問題がありました。つまり、オジアンダーは天文学の仮説に実在性を与えず、それを単なる数学的虚構であると示すことにより6コペルニクス 同書 653頁、当時の教会の教義との衝突を避けようとしたと考えられます。
また、近代科学の父と称されるアイザック・ニュートン(1642-1727)は主著『自然哲学の数学的原理』の一般注で、諸現象から重力の原因を発見することはできなかったとして、「私は仮説をつくらない(羅:hypotheses non fingo)」という有名な言葉を残しています。
その上で、以下のように述べ、実際の現象から導き出されえないような説明原理一般としての「仮説」が実験哲学において占める位置はないと主張しています7アイザック・ニュートン『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第3編 世界体系』(中野猿人訳、講談社〔ブルーバックス〕、2019年)230頁。
そしてわれわれにとっては、重力がじっさいに存在し、かつわれわれがこれまでに説明してきた諸法則に従って作用し、かつ天体とわれわれの〔地球上の〕海のあらゆる運動を説明するのに大いに役立つならば、それで十分である。
このように、ニュートンは自然法則を実験で精確に決定し、証明することの不可能性を説いているのです。
このような議論の背景には、科学的真理の実在と記述可能な自然現象とを明確に区別しようとする姿勢をうかがうことができます。その立場はまさに道具主義の古典的形態を示しているといえるでしょう8小林傳司 前掲書 1159頁。
1-1-2:論理実証主義の登場
19世紀から20世紀にかけての数学基礎論や現代物理学といった学問分野の誕生による影響を受けて、1920年代後半に論理実証主義(logical positivism)の潮流が生まれました。
論理実証主義者は経験科学の理論を論理記号や数学的記号を用いて表すことができると考え、有意味で検証可能な文と無意味で検証不可能な文との区別を「線引き問題」の基準としました。
つまり、論理実証主義者は、科学において使われる言葉を、
- 直接観察可能な対象・出来事・性質を指す記号である観察言語(observation language)
- 直接的に観察不可能な対象・出来事・性質を指す記号である理論言語(theoretical language)
に区別することで、理論文を観察文に還元できると考えました9戸田山和久『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会、2015年)25-30頁。
そして、それぞれの理論語彙に操作的定義(connotative definition)を与えて観察語彙に翻訳することで、理論文の命題を観察文に還元できるとする「操作主義(operationalism)」を唱えました10森田邦久『理系人に役立つ科学哲学』(化学同人、2010年)82頁;戸田山 前掲書 30頁。
しかし、このような操作的定義による還元は、
- 測定方法の違いによって複数の概念が提示されうること
- 定義づけに使用される論理記号の解釈に問題が生じること
- すべての理論語彙に操作的定義を与えられないこと
などの欠陥が後に指摘されました。
そしてついに、論理実証主義を牽引したウィーン学団(独:Wiener Kreis)の中心的メンバーであり還元主義の旗振り役であったルドルフ・カルナップ(1891-1970)は、操作主義による検証が困難であることを認めるに至りました11戸田山 前掲書 31-34頁;ルドルフ・カルナップ「テスト可能性と意味」『カルナップ哲学論集』ルドルフ・カルナップ(永井成男・内田種臣編訳)、98-189頁、紀伊國屋書店、1997年。
1-1-3:論理実証主義の変遷
以上の困難を受け、カルナップは理論語彙から観察語彙への還元の際に明示的定義ではないものによって理論言語を観察可能な事象と結びつけようとする方針を採ることにしました。
この転向は、以前まで明確に線引きされていたため触れる必要がなかった観察不可能なものに対する言及も必要なのではないかという問いを論理実証主義者に投げかけることになりました。
これに対して、
- 還元主義を諦めて部分的に実在論を受け入れる立場
- 道具主義と実在論を両立させる立場(=「中立主義(neutralism)」)
- 理論言語を記述や推論のための道具とみなすことで理論言語から観察言語への還元不可能性と形而上学的な反実在論を両立させる立場
という3つの立場が登場しました12 戸田山 前掲書 34-39頁。
このうち第三の立場が「(消去的)道具主義(instrumentalism)」と呼ばれる主張であす。この議論については、2章で詳しく解説します。
1-2:プラグマティズムにおける道具主義
科学哲学で使われる場合とはやや異なる意味で、プラグマティズムでも「道具主義」という言葉が使用されるので注意が必要です。
たとえば、19世紀後半のアメリカで隆盛したプラグマティズムを代表する哲学者の一人であるジョン・デューイ(1859-1952)は、以下のような意味で「道具」という用語を使用しています13貫成人『図説・標準 哲学史』(新書館、2008年)141頁。
- 真理とは、探究によって到達される「保証された言明可能性(warranted assertibility)」にほかならない
- 観念や知識といったものを問題解決のための「道具」である
具体的には、知識と探究のあり方についてデューイはこう述べています14ジョン・デューイ「論理学:探究の理論」『パース ジェイムズ デューイ(世界の名著 48)』上山春平(責任編集)、398頁、中央公論社、1968年。
知識の個々の事例は、すべて個々の探究の結果として構成される以上、知識自体の概念は、探究の結果としてのもろもろの結論がもつ諸性質を一般化したものでしかありえない。[…]この関係を離れると、いかなる内容でも勝手に詰めこむことができるほど、知識の意味はまったく空虚となる。
デューイの道具主義の特徴は、理論と実践、思考と行動といった二分法的な考え方を否定したことにあります。つまり、思考とは行為を否定する精神のはたらきではなく、生物体の自然的反応という意味での行動そのものであると考えたところにあります15石倉恒之「道具主義」『哲学用語辞典』村治能就(編)、309-310頁、東京堂出版、1978年。
そして、それはちょうど問題解決に至るまでの探究プロセスにおける道具として使用するよう、生物が進化を通じてさまざまな器官や能力を変化させてきたかのようであるといいます。
このようなプラグマティズムにおけるデューイの道具主義は、真理を科学的真理のみに限定せず、また知識を道具として追求する目的も科学的説明や予測のためというより一般的な人間の営みである思考によって行われる問題解決を目指しています。
そのため、実際の問題解決プロセス全体を対象とする点で、科学哲学において論理実証主義が主張するところの、発見と正当化の文脈あるいは科学方法論と形式論理学を区別する道具主義と異なることに注意が必要です16小林傳司 前掲書 1160頁。
- 科学哲学の道具主義とは、科学理論は現象の計算や予測に便利な道具に過ぎないとする考え方である
- プラグマティズムを代表する哲学者の一人であるデューイは観念や知識といったものを問題解決のための「道具」として、道具主義を唱えた
2章:道具主義に関する学術的議論
さて、2章では道具主義の主張とは具体的にどのような内容なのか、それに対してどのような批判がなされているのかを紹介します。
2-1:道具主義の内容
科学で使われる言葉を「理論言語」と「観察言語」に類別した論理実証主義者は当初、以下のように理論文を観察文に還元できると考えていました。
- 2つの言語どうしを結びつける対応規則(rules of correspondence)を介して理論言語に部分的解釈を与える
- そして、理論文に含まれる理論語彙を観察語彙で明示的に定義することにより観察文に書き換える
これだけでは意味がわかりにくいので、以下の例を考えてみてください。
- たとえば、直接見たり触れたりすることができない「エネルギー」や「電圧」のような言葉は理論言語に含まれる語彙である
- 肉眼で(または器具を用いて)観察できる温度計の「目盛り」やオシロスコープの「波形」のような言葉は観察言語に含まれる語彙である
操作主義から道具主義に転向したときに理論言語から観察言語への還元の道は断たれてしまったため、もし理論文が意味や内容を持つとすれば、その理論文は観察的事実との結びつきを超えた内容を持つことになります。
しかし、理論文とは単なる記号の配列であり、そもそも意味や内容を持たないはずです。そのため、その理論的対象に言及する必要はありません17戸田山 前掲書 39頁。ここから、理論言語とは科学理論における道具に過ぎないという主張が生まれたのです。
2-2:道具主義への批判
しかしながら、道具主義に対しては以下のような厳しい批判があります。4点に別けて紹介していきます。
2-2-1: 第一の批判
第一に、科学理論において理論言語と観察言語を明確に区別することができないという点です。たとえば、次の例を考えてください。
- 肉眼では見えず器具を使用すれば観察できる物質は、観察言語に含まれるのか?
- もし含まれるとすれば、使用する器具によって分解能が異なると観察言語は同一の範囲を持つことができない
- 反対に肉眼でしか観察できないものを観察言語と定義したとしても、観察できる大きさの限界に個人差がある以上、やはり観察言語の範囲を特定することはできない
この点をアメリカの分析哲学者ヒラリー・パトナム(1926-2016)は、語彙を基準にして理論言語と観察言語の違いを設定することは不適切であるといいました。
そして、観察語彙が観察可能なものにのみ用いることができる語であるとすると、そもそも観察語彙なるものは存在しえないと指摘しました18Putnam, Hilary. What Theories are not. In Mathematics, Matter and Method., pp. 216-220, Cambridge University Press, 1962.。
加えて、次のような批判的考察もあります。
- また、フランスの物理学者ピエール・デュエム(1861-1916)は、物理学における命題が理論全体と有機的に連関しているため、個別的な経験事象を物理体系のある部分に1対1に対応させることは原理的に不可能であるとする全体論(holism)を主張
- さらに、アメリカの哲学者・論理学者ウィラード・ファン・オーマン・クワイン(1908-2000)がこの議論を援用して、全体論の適用範囲を物理理論以外のあらゆる体系的知識全体に拡張19小林道夫「物理学の哲学的諸問題」『科学と哲学』内井惣七・小林道夫(編)84頁、昭和堂、1988年;小林道夫『科学哲学(哲学教科書シリーズ)』(産業図書、1996年)105頁
- 理論的言明の検証は個別ではなく全体論的に行われるとするこの主張は「デュエム=クワイン・テーゼ(Duhem-Quine thesis)」と呼ばれる
- 並立する理論的立場から特定の理論を選択するには証拠が少ないため決定することができないとする「決定不全性テーゼ(underdetermination thesis)」としばしば同様の意味で用いられいる
2-2-2: 第二の批判
第二に、理論言語に部分的解釈を与えるときに介在する対応規則は、それ自体が道具主義的に考えられたものであり、理論から内在的かつ一義的に導出されたものではないという点です。
この場合、理論言語に含まれる理論語彙の変更を余儀なくされるような不都合な観察的事実が経験によって明らかになったとしても、対応規則に適宜修正を加えることによってつじつまを合わせることができてしまいます。その結果、理論言語は変わらずそのまま保持されることになります20小林道夫 1988年、84-85頁;小林道夫 1996年、106頁。
2-2-3: 第三の批判
第三に、理論言語が現象の計算や予測のための便利な道具に過ぎないとすると、なぜそのような科学理論が自然現象における因果関係や相互作用をよく説明できるのかがわからないという点です。
これは科学的実在論者が主張した「奇跡論法(miracle argument/ no miracle argument)」として知られています(しばしば、「科学の成功からの議論」とも呼ばれている)21小林道夫 1988年、85頁;戸田山 前掲書 55頁。
道具主義はこれに対して、実験は等しく整合的であるが論理的に異なる複数の理論仮説が存在する場合、いずれかの理論を実在に合致する真なる理論と定めることができないという「仮説の同等性(equivalence of hypotheses)」の問題を指摘します。
しかし、実在論はさらに、実在する科学的真理と対応する一つの理論仮説が未来において同等性を退けて成立していればよく、すべての理論仮説が科学的真理と逐一対応するかどうかをある時点で確定させる必要はないと反論します22小林道夫 1988年、86頁。
2-2-4: その他の批判
その他の議論として、バス・ファン・フラーセン(1941-)は、実在論的な解釈と道具主義的な認識論を組み合わせたある種の折衷案として「構成的経験主義(constructive empiricism)」を提唱し、科学的活動とは発見する活動ではなく構成する活動であると述べました。
そして、科学の目標は観察不可能なものについての真理を発見することではなく「経験的に十全な理論」を与えることであり、それは「現象を救う」場合に限られると主張しました23アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学:なぜ科学が哲学の問題になるのか』(東克明、森元良太、渡部鉄兵訳、春秋社、2011年)188-190頁;小林道夫 1988年、86-87頁。
ただ、フラーセンは科学的実在論論争において中立であるわけではなく、対象が観察可能であるかどうかの線引きができないことは反実在論を否定する理由にならないとして、あくまで反実在論の立場から実在論を批判しています24森田 前掲書 88-89頁。
- 科学哲学の道具主義とは、理論言語とは科学理論における道具に過ぎないと考えるものである
- 道具主義に対しては数々の厳しい批判がある
3章:現代科学への示唆
以上のように数々の問題点が指摘されている一方で、道具主義は科学的実在論の一つの代案として一部の科学者や哲学者を長らく魅了してきました。
3-1: 道具主義の影響
具体的には、以下のような例を考えてみてください。
- 物理学では歴史的に科学者の間で道具主義と実在論が盛衰を繰り返しており25ローゼンバーグ 前掲書 187頁、それらは時に宗教や政治的イデオロギーなどと融合して実に複雑な様相を呈している
- 実用志向の工学分野や技術分野は道具主義が受容されやすい傾向にある
1章で解説したように、厳密には科学哲学とプラグマティズムで使われる「道具主義」との意味合いは異なります。しかし、やはり同一語の概念であるため両者は互いに影響を及ぼしあってきたと考えられます。
- たとえば、クワインは論理実証主義者が還元主義というドグマから脱却するためプラグマティズムへの方向転換を迫られたことを指摘している
- また、プラグマティズムは社会一般における真理および知識と探究プロセスの関係を問題解決と結びつけたため、教育や政治など社会の中で多方面にわたって広く受け入れられた
3-2: 道具主義の将来
最後に、道具主義への偏重が将来的に科学にもたらしうる危険性を指摘しておきます。
マックス・ヴェーバー(1864-1920)による合理的な社会的行為の類型化の中で、
- 目的に対する行為の手段性に準拠する「目的合理的行為(独:Zweckrationales Handeln)」
- それ自体の価値に準拠する「価値合理的行為(独:Wertrationales Handeln)」
という概念を提示しました26中野敏男「合理化」『岩波 哲学・思想事典』廣松渉ほか(編)504-505頁、岩波書店、1998年。
科学の営みを合理的な社会的行為とみなして類型化を試みるならば、
- 道具主義は科学理論を計算や予測に役立つあるいは問題解決に導くための道具として扱うため「目的合理的行為」
- 科学的実在論は科学的真理や観察不可能な対象を実在するものとしてそれ自体を追求するため「価値合理的行為」
として扱っているといえるかもしれません。
ヴェーバーはまた、一定の価値前提から出発しつつも認識主体が自らの前提とする価値理念や価値判断から距離をとり、それらをも吟味の対象として、あらゆる価値からあるいは価値に対して自由であろうとすることを意味する「価値自由(独:Wertfreiheit)」という重要な概念を唱えています。
然るに科学技術をめぐる議論においては、このような態度に欠く主張が散見されます。たとえば、1995年11月に公布・施行された「科学技術基本法」の第一条には、以下のような記述があります27電子政府の総合窓口 イーガブ「科学技術基本法」(https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=407AC1000000130)、最終閲覧日2020年7月26日。
この法律は、科学技術(人文科学のみに係るものを除く。以下同じ。)の振興に関する施策の基本となる事項を定め、科学技術の振興に関する施策を総合的かつ計画的に推進することにより、我が国における科学技術の水準の向上を図り、もって我が国の経済社会の発展と国民の福祉の向上に寄与するとともに世界の科学技術の進歩と人類社会の持続的な発展に貢献することを目的とする。
※なお、2021年4月施行予定の「改正科学技術・イノベーション基本法」では、「人文科学のみに係る科学技術」が追加されます。
しかしながら、依然として科学技術に対しては「経済社会の発展」や「国民の福祉の向上」といった目的合理性が重視される一方で、科学技術そのものの価値に依拠した価値合理性の観点は欠けていると言わざるをえません。
これに関連して、2015年の夏に文部科学省が国立大学文系学部の廃止を検討しているというセンセーショナルな新聞報道がありました28吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社〔集英社新書〕、2016年)12-22頁。
その根本には、その学問が有用かどうか、すなわち科学を目的合理的行為とみなして学問の要不要を判断するという思想があったのではないでしょうか。
このように、道具主義は科学理論の真偽とは独立した目的でそれに対応した有用性の基準を設定してしまう可能性があるということに留意しなければなりません。良くも悪くも、道具主義は未来の科学のあるべき姿について私たちに問いかけてくれているようです。
4章:道具主義ついて学べるおすすめ本
道具主義に関して理解は深まりましたか?以下ではさらに理解を深めるための書籍を紹介します。
オススメ度★★★ 内井惣七『科学哲学入門―科学の方法・科学の目的』(世界思想社)
科学哲学の内容を幅広く扱った教科書です。第5章ではオジアンダーの道具主義的なコペルニクス解釈についての議論が展開されており、第8章では科学的実在論論争における道具主義者の立場が解説されています。
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オススメ度★★ ルドルフ・カルナップ『カルナップ哲学論集』(紀伊國屋書店)
論理実証主義を代表する論客として知られるカルナップの論理学についての主要な著作が邦訳され所収されている論文集です。帰納論理、確証可能性、還元など科学哲学の発展に大きな影響を与えた概念が提示されています。「理論的概念の方法論的性格」という論文で、理論言語と観察言語の定義について説明されています。
オススメ度★★ ジョン・デューイ「論理学:探究の理論」『パース ジェイムズ デューイ(世界の名著 48)』(中央公論社)
『民主主義と教育』、『学校と社会』など教育学をはじめ様々な分野に影響を与えた著作で知られるデューイですが、その根本には道具主義に基づいたプラグマティズムの思想がありました。晩年に書かれた本書は、デューイ自身の思想的発展を経て変化した概念が体系化された一冊であるといえるでしょう。
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※現在、東京大学出版会が『デューイ著作集』を刊行中。第II期に『論理学』を刊行予定(参照:http://www.utp.or.jp/book/b378081.html)。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 科学哲学の道具主義とは、科学理論は現象の計算や予測に便利な道具に過ぎないとする考え方である
- プラグマティズムを代表する哲学者の一人であるデューイは観念や知識といったものを問題解決のための「道具」として、道具主義を唱えた
- 道具主義に対しては数々の厳しい批判がある
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
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参考文献
- Putnam, Hilary. What Theories are not. In Mathematics, Matter and Method., pp. 215-227, Cambridge University Press, 1962.
- ルドルフ・カルナップ「テスト可能性と意味」『カルナップ哲学論集』ルドルフ・カルナップ(永井成男・内田種臣編訳)、98-189頁、紀伊國屋書店、1997年
- ジョン・デューイ「論理学:探究の理論」『パース ジェイムズ デューイ(世界の名著 48)』上山春平(責任編集)、389-546頁、中央公論社、1968年
- ニコラウス・コペルニクス『完訳 天球回転論』(高橋憲一訳・解説、みすず書房、2017年)
- アイザック・ニュートン『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第3編 世界体系』(中野猿人訳、講談社〔ブルーバックス〕、2019年)
- ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン『論理的観点から』(飯田隆訳、勁草書房、1992年)
- アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学:なぜ科学が哲学の問題になるのか』(東克明・森元良太・渡部鉄兵訳、春秋社、2011年)
- マックス・ヴェーバー『社会学の根本概念』(清水幾太郎訳、岩波書店〔岩波新書〕、1972年)
- 石倉恒之「道具主義」『哲学用語辞典』村治能就(編)、309-310頁、東京堂出版、1978年
- 大淵和夫「インストルーメンタリズム」『新版 哲学・論理用語辞典』思想の科学研究会(編)49-50頁、三一書房、1995年
- 小林傳司「道具主義」『岩波 哲学・思想事典』廣松渉ほか(編)1159-1160頁、岩波書店、1998年
- 小林道夫「物理学の哲学的諸問題」『科学と哲学』内井惣七・小林道夫(編)、昭和堂、1988年
- 小林道夫『科学哲学(哲学教科書シリーズ)』(産業図書、1996年)
- 千葉惠「アリストテレスの目的論的自然観 I」『北海道大學文學部紀要』第42巻2号、 149-170頁、1994年
- 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会、2015年)
- 中野敏男「合理化」『岩波 哲学・思想事典』廣松渉ほか(編)504-505頁、岩波書店、1998年
- 貫成人『図説・標準 哲学史』(新書館、2008年)
- 森田邦久『理系人に役立つ科学哲学』(化学同人、2010年)
- 吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社〔集英社新書〕、2016年)
- 電子政府の総合窓口 イーガブ「科学技術基本法」(https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=407AC1000000130)、最終閲覧日2020年7月26日