ジェンダー論

【エコフェミニズムとは】特徴から具体的な運動までわかりやすく解説

エコフェミニズムとは

エコ(エコロジカル)フェミニズム(ecofeminism)とは、人間と自然、男性と女性という新しい関係を求める思想・運動です。

後述するエコフェミ論争では、現在につながる重要な論点がちりばめられています。そういった意味でも、エコフェミニズムは過去の思想・運動ではなく、現代に繋がる重要な考え方です。

そこで、この記事では、

  • エコフェミニズムの背景・特徴
  • エコフェミニズムの具体的な運動

をそれぞれ解説していきます。

好きな箇所から読み進めてください。

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1章:エコフェミニズムとは

1章ではエコフェミニズムを「背景」「特徴」から概説します。より具体的な運動・思想を知りたい場合は2章からお読みください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: エコフェミニズムの背景

エコフェミニズムは、1960年代に起こった「第二波フェミニズム」「エコロジー」のふたつの運動を背景に生まれました。

このようにみると、フェミニズムとエコロジーは、支配と搾取に基づいた世界観をオルタナティブな価値観に変えていくという点で共通しています。

しかし、異なる点もありました。大まかに、以下のとおりです。

フェミニズムとエコロジストの相違

  • エコロジストは人間による人間の支配を批判し、格差による分業化を批判しましたが、その根底にある性差別ついては無関心であった
  • 一方、フェミニズムは、リベラル・フェミニズムに代表されるように、個として男女平等を求める近代主義的な傾向があったために、環境問題に対して積極的な態度を示していかなかった(→ラディカル・フェミニズムに関してより詳しくはこちら

このようなお互いの欠点を補い合うように、1970年代半ば、ふたつの潮流が組み合わさって登場したのがエコフェミニズムです。

もともとはフランスのフェミニスト、フランソワーズ・ドゥボンヌが『フェミニズムか死か』(1974年)で用いたもので、世界各地で起こっていた女性たちによる環境運動と新しい環境倫理の追求を説明するための概念として登場しました。

具体的に、ドゥボンヌは、人間による自然の支配、そして男性による女性の支配には関係があるとして、女性支配と自然支配とのつながりを見ることこそがエコフェミニズムの理論的出発点としました。

エコフェミニズムはこのようにして、人間と自然、男性と女性という新しい関係を求める思想・運動として70年代から90年代にかけて欧米を中心に議論されていきます。

とくに、世界中で展開された、女性たちによる次のような具体的な実践活動も、エコフェミニズムの特徴のひとつだといえます。

  • 消費者運動
  • 環境保全運動
  • 反基地運動
  • 反原発運動
  • 反核・軍縮運動など



1-2: エコフェミニズムの特徴

エコフェミニズムの根本的なテーマは、「女性支配と自然支配」のつながりを読み解くことです。それは、マルクス主義フェミニズムが「家父長制と資本制」のつながりを読み解くことを重要な課題としたことと発想が似ています。(→マルクス主義フェミニズムに関してより詳しくはこちら

そして、この女性と自然の結びつきの解釈をめぐって、「カルチュラル・エコフェミニズム」「ソーシャル・エコフェミニズム」にひとまず分けられます2萩原なつ子 2007「エコフェミニズム」江原由美子・金井淑子編『ワードマップ フェミニズム』新曜社 298頁

1-2-1: カルチュラル・エコフェミニズム

カルチュラル・エコフェミニズムは、

近代科学によって破壊された環境を女性の文化の力で回復させること

を目指していました。

具体的には、歌、詩、魔術の集い、神話の交渉、パフォーマンスなどの表現によって、女性と自然の新たな関係を強調するスピリチュアリズムの傾向が強く、女性原理派と呼ばれています。

1-2-2: ソーシャル・エコフェミニズム

女性の価値を強調するカルチュラル・エコフェミニズムに対して、ソーシャル・エコフェミニズムは次のような批判をくわえます。

基本的に、ソーシャル・エコフェミニズムは、社会主義フェミニズムとソーシャル・エコロジーの考え方をとりいれ、家父長制的資本主義社会における支配/被支配関係を打倒することで、人間の解放と自然の解放の同時達成を求めます。

つまり、ソーシャル・エコフェミニズムは、

  • 個人や意識の側面よりも、社会的、政治的な側面を強調した
  • くわえて、女性こそが自然とよりよい関係をもつという本質主義を否定しながら、男にとっても女にとっても理性と感性は不可分のものであるという立場をとり、自然と文化との新しいつながり方を探った

のです3井上輝子ほか編 『岩波女性学事典』岩波書店 44−45頁

一方、日本においても、1980年代半ばにエコフェミニズムの提唱者の青木やよひと、上野千鶴子を主な論客として「エコフェミ論争」が巻き起こりました。そこでは青木の提唱する「女性原理」が母性主義とイコールで語られ、批判が続出しました。

その後の評価では青木の提唱するエコフェミニズムの敗北に終わったと見なされています。しかし、いまふり返れば、青木の主張には、ソーシャル・エコフェミニストが提起した第三世界フェミニズムや開発の視点などの重要な論点がふくまれています。

この点を、2章ではさらにくわしく見ていきます4日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編 1985 『フェミニズムはどこへゆく――女性原理とエコロジー』ウィメンズブックストア松香堂。その前に、いったん、これまでの内容をまとめます。

1章のまとめ
  • エコフェミニズムは、女性解放を求めるフェミニズムと、自然との共生を求めるエコロジーを統合し、1974年に生まれた
  • エコロジーとは、地球環境や自然と、人間や動物などの生態系との間の調和や共存を念頭に置いて、人間社会の持続可能な開発や経済発展を目指す考え方
  • 女性と自然の結びつきの解釈をめぐって、カルチュラル・エコフェミニズムとソーシャル・エコフェミニズムに分けられる
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2章:エコフェミニズムの具体的な運動と論争

この章ではエコフェミニズムについて、具体的な実践例を示しながら、より詳しく解説していきます。

2-1: 「安保関連法に反対するママの会」

やわらかいパステルカラーで彩られた横断幕を掲げる子連れの女性たちを覚えていますか?

「安保関連法に反対するママの会」(以下「ママの会」)は、2015年の安保関連法案の廃止を求めて、ひとりの母親の呼びかけによってFacebookからはじまった社会運動です。同年7月に渋谷で行われたはじめてのデモ行進では、つぎのようなコールが叫ばれました5「ママの会」ホームページより http://mothers-no-war.com/shibuya726/

せんそうさせない

こどもをまもる

せんそうさせない

おとなもまもる

ママはせんそうしないときめた

パパもせんそうしないときめた

みんなでせんそうしないときめた

70ねんかんきめてきた

せんそうのどうぐつくるのやめよう

せんそうのりゆうつくるのやめよう

だれのこどももころさせない

組織もなくゆるやかなネットワークでつながった「ママの会」はまたたく間に全国47都道府県、100グループ以上に広がりました。そして、「ママ」であることを足がかりに、安保法制に反対し「だれの子どももころさせない」と訴えました。

では、なぜ「ママ」なのでしょうか?この節では、環境や平和を求める社会運動に見られるジェンダーについて考えていきたいと思います。

萩原によると、地球環境問題に関するポスターや会議のキャッチフレーズには、「Love Your Mother」「Mother Earth」など<母>に関する見出しが使われることが多いといいます6萩原 同上 302頁

日本を含む先進国の女性たちが環境運動に取り組むきっかけとなったのが、

  • 1979年のスリーマイル島原発事故
  • 1986年のチェルノブイリ原発事故

といわれています。

そこでも「母」であり「子をもつ親」こそが平和や安全な社会を願う主体であることを強く打ち出したスローガンが叫ばれました7萩原 同上 303頁

多くのフェミニストは、このような運動を以下のように批判します。

  • 本質主義であり母性主義的な傾向であると切り捨て、運動における「女の本性はいのちを育み養育することにある」という考え方を批判する
  • つまり、母性主義の問題点とは、母親であることと女性であることが強く結びつき、普遍化されてしまっていることである

ということは、つまり、「せんそうさせない こどもをまもる」とコールし、「ママ」であることを足がかかりにした「ママの会」の行動も、母性主義という点で問題とされるべきなのでしょうか?

日本ではとくに戦時下で戦意高揚の旗を振った「銃後の女たち」への批判的まなざしが根強いです。

  • たとえば、ケアの担い手である母親たちの「母性」が愛国心に回収され、息子たちを戦場に追いやっていったことが反省的に語られてきた8加納美紀代 1995=2019『女たちの「銃後」』インパクト出版会
  • つまり、性差別解消というフェミニズムの目的からは、母性の強調は、性役割の固定化をうながすばかりか、ナショナリズムに容易に回収されてしまうとの批判が向けられてきた

しかし一方で、母性はエンパワメントや抵抗の拠点ともなりうるものです9元橋利恵 2018「ケアの倫理からみる日本における母親の反戦・平和運動―「日本母親大会」と「安保関連法に反対するママの会」における母性の役割に注目して―」『ソシオロジ』190 54頁

たとえば、チェルノブイリ原発事故においていち早く行動を起こしたのは、子育て中の母親たちでした。自分の子ども、自分の家族という「血」の次元をこえて、次の世代、未来の世代の環境をまもるための近代批判の拠点としての母性主義を、エコ母性主義といいます10萩原 同上 304頁

母性の利用については本質主義に陥らないために慎重になる必要があります。しかし、安全で平和な日々の暮らしをまもるために「だれの子どももころさせない」という「ママの会」の理念は、近代家族を超えた、新たな母性を足がかりにした抵抗運動であり環境運動であると見てとることもできます。

その意味で、「ママの会」はエコ母性主義の系譜に連なる運動であるということができるのではないでしょうか?



2-2:「エコフェミ論争」

日本のエコフェミニズムを語るうえで欠かせない出来事が、青木やよひと上野千鶴子による「エコフェミ論争」です。いったいどのような論争だったのでしょうか?

日本女性学研究会が1985年に開催したシンポジウム「フェミニズムはどこへゆく――女性原理とエコロジー」において基調講演を行った青木は、近代社会を批判し、女性原理を前面に打ち出したエコフェミニズムを展開しました。

これに対し、マルクス主義フェミニストの上野や落合恵美子、田中和子らをはじめとするパネリストによって反論がくわえられます。このシンポジウムの2年前から行われてきた、青木と上野による思想誌上におけるやりとりを含め、一連の論争を「エコフェミ論争」と呼びます。

その大きな争点は、

  1. 性差を極大化してとらえるか、最小限にとらえるか
  2. 近代化をどう評価するか

というものでした。

2-2-1: 青木やよひの主張

さっそく、青木の主張から見ていきましょう。彼女の主張において、キーとなるのは「女性原理」という概念です。

女性原理とは、

天なる父と母なる大地という「宇宙的雌雄性」の世界観において、近代化をうながす「男性原理」の一方にあって、人間が自然とどう共生していけるかを考えるための象徴的な文化概念

です。

青木自ら、ボーボワールの『第二の性』に登場する、人間の進歩をうながす精神、超越、技術、理性などを表す「男性原理」の対概念として提唱しました。

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とはいえ、青木も繰り返し強調しているように、生物学的な性別とは直結していない、あくまでも象徴的な区分けであるという点は重要です。

近代化の特徴である「文明化=自然の抑圧=身体性の疎外=性の蔑視=性差別」という図式をひっくりかえすために、この「女性原理」という考え方が必要になってくるのだと彼女は主張します11日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編 同上 43−44頁

人間関係及び自分と自然、自分の中の身体との関係というものをもう一回エコロジカルに問い直す。そのことによって今の社会のゆがみを女の側から見ていく。勿論、男も自分の中の感性、自分の身体性というものを復権させていくというか、自覚していく。それはとりもなおさず、自分の中の女性原理との出会いであろうかと思うんです(中略)オルタナティブな人間の生き方をさぐる哲学としてのエコロジカルな考え方と、フェミニズムの未来と同じ方向性の中で探求したいというのがいまの私の立場です

このように青木は、地球規模の環境的危機を前に、生物学的性差、すなわちセックスに基づかない人間自体のエコロジーの回復をエコフェミニズムに求めたのです。

2-2-2: 上野千鶴子による批判

では、上野はどのように批判したのでしょうか?上野は、「女性原理」がフェミニズムにもたらす光と影に着目し、「女性=産む性」を前提とした「女性原理」に疑いを挟みます。

上野は自らを性差極小化フェミニストであると認め、以下の点を批判しました。

  1. 青木のような性差極大化フェミニストは、男性原理がつくりあげた二分法を前提としている。「女性=自然、身体、感性」に閉じ込めなくとも、女性にも知性があるし,精神もある
  2. 反近代を美化しすぎている
  3. 母性原理への回収の危険
  4. 産む性の強調は、失うものの方が多い

そして、「この二項対立の図式をこえるところ、近代的な二分法の土俵に乗らないこと、この土俵をくずすところからしかフェミニズムの思想闘争ははじまらないのでは?」12日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編 同上 75頁と問いを立て直します。

そこで、女性が「女性=産む性=母性」という近代に押し付けられた二分法を否定するために、二つの方法があると述べます。

  • 近代が求める人間像に近づくため、女性から生殖を切り離し、性差を最小化する
  • 男に女なみに近づいてもらうことで、生殖を社会全体が担うべきものと問題を立て直し、男女の差を最小にする

当然、上野は後者の立場で「男だって産む性じゃないか」と男性も生殖に巻き込むことで、個人の差異を性に還元しない形で、差異との共存を目指すべきだと強調しました。

2-2-3: 争点

もう一度争点をふりかえると、

  1. 性差を極大化してとらえるか、最小限にとらえるか
  2. 近代化をどう評価するか

というものでした。

以上の議論を争点にそってまとめてみると、

①については、青木が性差を極大化して、上野が最小限にとらえていた、とつい述べたくなります。

しかし、上で述べたように、青木は「生物学的性差に基づかない『女性原理』」という点を繰り返し強調しています。よって、青木が性差を極大化してとらえていた、とは言い切れません。

つぎに、②については、青木は近代的価値を根底から疑ってかかっています。それに対して、上野は「私は何を隠そう近代主義者なんです」13日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編 同上 119頁と述べ、アンチモダンフェミニスト(反近代フェミニスト)ではなく、ポストモダンフェミニスト(脱近代フェミニスト)であると自称しています。

上野の主張はいったい何を意味するのでしょうか?上野の主張はこうです14日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編 同上 120頁

  • 個人というものは近代の観念であり、これを否定して、個人よりもカテゴリーが優先する前近代的価値に戻るわけにはいかない
  • とはいえ、個人という観念は、自立した、理性のある男を人間の基準にしているという限界がある
  • この前提のある限り、種として産む性をもつ女性はつねに二流の個人とならざるを得ない
  • それを解消するためには、種と個の存在の仕方が矛盾し合うような近代社会のあり方それ自体を相対化しなければならない
  • すなわち、社会が再生産をどうするのかという点を問うような形でしか、フェミニズムの問題は立たないのではないか

こうなってくると、青木の主張とそこまで変わらないことに気づく読者もいるかもしれません。

青木も、なにも前近代に戻って、個がカテゴリーに回収されるような封建社会こそが望ましいと述べているわけではありません15日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編 同上 111頁

女性が自分の属性を何らかの形でふりすてて、その中に入っていってモノセックスに参加するのは意味がないと思うんです。女性のありのままの自然というものは受け入れて、むしろ社会システムの方を男女両性が生きやすくなるようにつくり替える、そういうつくり替え方の方向性をもっていきたい

つまり、青木は男も女も全員が男になるのではなく、それぞれが生きたいように生きられる社会を構想しています。

「生まれて、産んで、死んでいく人間をありのまま受け入れられる社会システムにつくり替える必要がある」という青木の主張と上野の主張とは、それほど大きな隔たりがあるようには見えません。

以上のように、日本のエコフェミ論争は、性差をどうとらえるか、近代化をどう評価するかをめぐって争われましたが、違いはそこまで大きくありませんでした。

ところが、後の評価では、どういうわけか「エコフェミニズム=女性原理=母性主義」という公式が定まってしまっています。特に80年代、90年代にかけてエコフェミニズムが大いに発展した欧米と比較すると、日本のエコフェミニズムがこのシンポジウムを機に不幸にも失速したことは否めません16横山道史, 2007,「日本におけるフェミニズムとエコロジーの不幸な遭遇と離別」『技術マネジメント研究』6, 21-33.(https://ci.nii.ac.jp/naid/110009587508 2020年8月31日アクセス)

しかし、現在の地点からこの論争をふりかえれば、青木の主張には、現在につながる重要な論点がちりばめられています。

たとえば、

  • ソーシャル・エコフェミニズムが提起した植民地や第三世界に対する問題意識
  • ケアフェミニズムと呼ばれるケアの倫理や正義につながる問題

などです。

なぜ、青木の主張は完膚なきまでに退けられたのでしょうか?その理由を探るためには、時代的文脈を読み解く必要があるでしょう。

  • 論争があった1985年は、バブル景気の兆しの下、男女雇用機会均等法が制定され、女性に総合職の門戸がようやく開かれた時代であった
  • ”有能”であれば女性も近代社会の恩恵に預かる可能性が開かれた、まさに新自由主義が幕を開けた時代である(→新自由主義に関してはこちら
  • さらに80年代は、「大きな物語」に対して疑いの目が向けられたポストモダンの思想が日本に流入した頃であった(→大きな物語に関してはこちら

このように、知の運動が分散的・多元的になる状況下で、青木の打ち出す「女性原理」は時代に逆行するものであり、古臭く、錆びついて見えたといっても過言ではないでしょう。

フェニズムと新自由主義の関係性について、ひきつづき考えていきたいと思います。

2章のまとめ
  • 環境運動において母性を抵抗の拠点とするパターンが散見され、フェミニストからの批判が集まった
  • 「安保関連法に反対するママの会」も母性を足がかりにした社会運動である
  • 日本の「エコフェミ論争」では、性差と近代化をどう評価するかについて争われた
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3章:エコフェミニズムを学ぶためのおすすめ本

エコフェミニズムに関して理解は深まりましたか?以下ではさらに理解を深めるための書物を紹介します。

おすすめ書籍

オススメ度★★★ キャロリン・マーチャント『ラディカルエコロジー――住みよい世界を求めて』(産業図書)

オルタナティブな思想と社会を目指すエコフェミニズムの諸潮流の特徴と課題がわかりやすくまとめられています。エコフェミニズムの必読書の一つです。

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オススメ度★★★ 日本女性学研究会’85,5シンポジウム企画集団編『フェミニズムはどこへゆく――女性原理とエコロジー』(ウィメンズブックストア松香堂)

基調講演に青木やよひ、パネリストに上野千鶴子、落合恵美子ら錚々たるメンバーを迎えたシンポジウムの記録です。「エコフェミ論争」の熱気が伝わってきます。

オススメ度★★★ 日本女性学研究会フェミニスト企画集団編『フェミニズムの現在と未来』(ウィメンズブックストア松香堂)

基調講演に江原由美子、金井淑子、上野千鶴子の3人を迎え、近代主義/反近代主義をテーマに討議。江原と上野による白熱したバトルは必読です。

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オススメ度★★★ 江原由美子・金井淑子編『ワードマップ フェミニズム』(新曜社)

現代フェミニズム理論の諸潮流について、日本におけるそれぞれの代表的論者が執筆しています。エコフェミニズムについて、このページでも多くを参照しています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • エコフェミニズムは、1960年代に起こった第二波フェミニズムとエコロジーのふたつの運動を背景に70年代に生まれた
  • エコフェミニズムとは、人間と自然、男性と女性という新しい関係を求める思想・運動
  • 女性たちによる消費者運動や環境保全運動、反原発運動、反戦・平和運動などの実践活動も、エコフェミニズムの特徴のひとつ

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