西洋哲学

【デイヴィッド・ヒュームとは】思想的特徴から代表的著作までわかりやすく解説

デイヴィッド・ヒュームとは

デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)とは、イギリス経験論やスコットランド啓蒙における中心人物の一人です。その業績は、狭義の哲学のみならず、政治、経済、歴史、文芸批評などきわめて広範に及んでいます。

親友アダム・スミス(Adam Smith, 1723-1790)に影響を与えた経済思想、十八世紀においてロバートソンやギボンと並び称される歴史家としての側面1ヒュームは大英図書館では「歴史家」と登録されています。などについても今日さかんに研究されています。

歴史家としての側面も大変興味がある分野ですが、今回はとくに彼の「哲学者」としての側面に焦点を当てて解説していきます。

ヒュームは「哲学者の間でもっとも重要なひとの一人」とも言われ2ラッセル『西洋哲学史』みすず書房、651頁、今なお絶大な影響力を誇っています。

この記事では、

  • デイヴィッド・ヒュームの伝記的情報
  • 思想の特徴
  • 代表的著作の内容

をそれぞれ解説していきます。

※1万字を超える記事となっていますので、ブックマークして読みたい箇所から読んでみてください。

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1章:デイヴィッド・ヒュームとは

1章ではヒュームを伝記的情報や思想の特徴から概説します。代表的な著作に関心のある方は、2章から読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注3ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:伝記的情報

ここではヒュームの生涯について、

  1. 「誕生から青年期」
  2. 「『人間本性論』の出版とその後の顛末」
  3. 「壮年期から亡くなるまで」

の三つの時期に分けて紹介していきます。

ヒュームの伝記としては次のものが長らく研究者の間で定番でした。

Earnest C. Mossner, The Life of David Hume, 2nd, Clarendon Press.

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Clarendon Press
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より最近のものとしてはJames A. Harris, Hume- An Intellectual Biography, Cambridge University Pressがあります。

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また日本語で手軽に読めるものとしては、ニコラス・フィリップソン『ヒューム:哲学から歴史へ』などがあります。

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1-1-1:ヒュームの誕生から青年期

まずは①「ヒュームの誕生から青年期」にかけてです。主な出来事を箇条書きで並べておきます。

  • 1711年にスコットランドの中心都市エディンバラに生まれる
  • 幼い頃に父が亡くなり、母親の手で兄姉とともに育てられる
  • 1721から25年頃にかけてエディンバラ大学で学ぶ
  • 家業である法律家としての勉強には身が入らず、キケロなどラテン語の古典を読みふけり哲学へと心が傾いていく

ここでは、生地エディンバラでの思想形成期においてヒュームに大きな影響を与えたものとして、ニュートンの自然哲学とハチスンの道徳感情説に触れておきたいと思います。

まず、ニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)の自然哲学ですが、これは弟子のマクローリン(Colin Maclaurin, 1698-1746)を通じてスコットランドで普及します。

「自然哲学」(natural philosophy)におけるニュートンの成功を手本にして、研究の立ち遅れている「道徳哲学」(moral philosophy4れは道徳だけでなく、心理、論理、政治、経済、歴史、文芸など今日で言う人文・社会科学一般を含みます。)の革新を当時多くの思想家が目指していました。

彼らを励ましたのはニュートンの次のような言葉です5ニュートン『光学』岩波書店、356-7頁

数学と同様、自然哲学においても、難解な事柄の研究には、分析の方法による研究が総合の方法につねに先行しなければならない。この分析とは、実験と観測をおこなうことであり、またそれから帰納によって一般的結論を引き出し、この結論に対する異議は、実験または他の確実な真理からえられたもの以外は認めないことである。…そしてもし自然哲学がその全分野でこの方法を追求して、ついには完成されるならば、道徳哲学の領域もまた拡大されるであろう。

ヒュームも、経験と帰納に重きをおくニュートンの科学的方法論を取り入れ、自分の主著『人間本性論』に「実験的な推論法を精神の諸問題に導入する試み」という副題を添えています。

またハチスン(Francis Hutcheson, 1694-1746)は、われわれの道徳判断は善悪・正不正を判定するある種の感覚に基づくという道徳感覚説を唱えました。これは、道徳判断は理性によってなされると考える立場を批判するものです。

ヒュームは人間の行為や道徳において、理性以上にわれわれの情念の働きを強調しますが、それにはハチスンからの影響が見られるのです6当時のイギリスでの道徳をめぐる論争については次の書籍をご参照ください。 児玉聡『功利と直観-英米倫理思想史入門』勁草書房(特に第1章「直観主義の成立」). ただし、これにはヒュームへの言及がほとんどないので、ヒュームを含めたより詳しい見取り図として大部ではありますが次の書籍が参考になります。柘植尚則『近代イギリス倫理思想史』ナカニシヤ出版。



1-1-2:『人間本性論』の出版とその後の顛末

それでは、続いて②「『人間本性論』の出版とその後の顛末」について紹介します。

  • 1739年に『人間本性論』第1・2巻を、翌1740年に第3巻を出版する
  • 評判は芳しくなく、のちに『自伝』では「印刷機から死産した」とまで述べている
  • 『人間本性論』での主張が懐疑主義や無神論ではないかと危険視され、大学教授就任のチャンスを逃す

カントからは「私の独断的まどろみを破り、思弁的哲学の分野における私の探求にまったく別の方法を与えた」7カント「プロレゴーメナ」、『プロレゴーメナ・人倫の形而上学の基礎づけ』所収、中央公論新社、15頁とも言及され、今なお哲学の古典として君臨する『人間本性論』ですが、当時はヒュームが期待する評判を得ることはできませんでした。

それどころか、1744年にエディンバラ大学道徳哲学教授の候補となった際には、『人間本性論』の内容がもととなりヒュームの採用に反対する者が現れます。当時ヒュームに対してどのような批判がなされたかは、彼が友人に宛てた書簡の中で次のようにまとめられています8ヒューム「一郷士からエディンバラの一友人に宛てた書簡」(通称「エディンバラ書簡」)『ヒューム宗教論集III奇跡論・迷信論・自殺論』所収、法政大学出版局、108-9頁

  1. 普遍的懐疑論…彼〔ヒューム〕は(自身の存在は別として)あらゆるものを疑っている。そしてなにものであれ確実性を持って信じることを主張することの愚かさを強調している。
  2. 原因および結果の学説を否定することにより、端的な無神論に直結する諸原理…存在のあらゆる発端に一原因が必要であることは、いかなる論証的ないし直観的証明にももとづいていないと主張している。
  3. 神の存在と実在そのものに関する誤謬
  4. 神が第一原因であり、宇宙の原初的発動者であることに関する諸誤謬
  5. 著者は魂の非物質性とこの否認により派生する諸帰結を否定していることに関して非難に値する
  6. 正と邪、善と悪、正義と不正義との間の本性的かつ本質的相違を否定することにより、道徳の諸基盤を崩壊させていることにより、この区別を単なる人為的なものと化し、かつ人間的約束や契約から発生させていることにより、彼は攻撃に値する。

大雑把にまとめれば、ヒュームの主張は懐疑主義であり、無神論へとつながり、道徳の基礎を掘り崩してしまうというわけです。こうした批判のため、結局ヒュームは大学で職を得ることはできませんでした。

尊敬するハチスンにも反対されたため、ヒュームの失望は大きく、のちに編集する自分の著作集からは『人間本性論』を除外し、代わりに第1巻を書き改めた『人間知性研究』や第3巻を書き改めた『道徳原理研究』などを収録することになります。



1-1-3:壮年期から亡くなるまで

最後に、③「壮年期から亡くなるまで」のヒュームはどのような人生を歩んだのか見ていきましょう

  • 1751年にグラスゴー大学論理学教授の候補となるが、このチャンスも逃してしまう
  • 1752年にエディンバラ法曹協会図書館長に選ばれる。図書館の資料を活用し、1754年から1762年にかけて『イングランド史』全6巻を公刊する
  • 1763年にフランスへと渡り、社交界でもてはやされる。大使館付書記官や代理大使を務めることもあった
  • 1766年にルソーを連れて帰国するも、間もなく決別する
  • 1767年から1768年にかけて北部担当の国務次官を務める
  • 1776年に『自然宗教をめぐる対話』の出版を遺言して亡くなる

ヒュームは1751年に訪れた2度目のチャンスも掴むことができず、「スコットランドで最も優れた哲学者が哲学教授になることは終生ありませんでした」9Mossner、前掲書249頁

しかし、1752年に出版した『政治論集』で大いに名をあげ、エディンバラ法曹協会の図書館長にも選ばれます。この図書館の豊富な資料を生かし、ヒュームは浩瀚な『イングランド史』を執筆します。これは十九世紀に至っても最も標準的な歴史書として人々に読み継がれました10Mossner、前掲書302頁

晩年のヒュームは、ビーティ(James Beatties, 1735-1803)などからの批判に悩まされることはあったものの、おおよそ平穏に暮らしました。

1776年に死が迫ると、まだ未発表であった『自然宗教をめぐる対話』の公刊をアダム・スミスに託そうとしますが、この対話篇には当時の有力な神の存在証明に対する批判も含まれるなどしたためスミスが難色を示し、最終的には自分の甥に委ねるよう遺言されます。

彼の願いは叶えられ、『自然宗教をめぐる対話』はヒュームの死後1779年に出版されました。スミスは、亡きヒュームを次のように回顧しています11スミス「アダム・スミス書簡-ウィリアム・ストローン宛」、『ヒューム宗教論集III奇跡論・迷信論・自殺論』所収、法政大学出版局、137-8頁

わが最も勝れた、決して忘れえぬ友人は死去しました。この友人の哲学的見解に関して、人々はおそらく各人がそれを是認したり、あるいは弾劾したり、それらの意見がたまたま自分自身の見地と適合するか不一致かに応じて、各自各様に判断することであろう。しかしこの友の性格と行為に関しては、ほとんど意見の相違はありえないであろう。…私は同氏を氏の生存中も、氏の死後もおそらく人間的気弱さの本性がおそらく許すかぎりにおいて、完全に賢明かつ有徳な人間という理念に最も近く接近している人間だとつねにみなしてきております。

スミスの言葉からは、妥協なき思索を追求し多くの論敵を作るも、そんな論敵にとってすら気の良い快活な社交人であったヒュームの人柄がよく伝わってきます。



1-2:ヒュームの思想の特徴

ヒュームは自身の学問体系を人間学(the science of man)」と呼びます。これは人間が生まれ持った自然な本性(human nature)を探求することを目的とします。

ここを出発点として構築されていくヒューム哲学の体系性と広い射程を感じていただくために、『人間本性論』の「序論」より少し長めに引用してみましょう12ヒューム『人間本性論第1巻「知性について」』、法政大学出版局、6-7頁

明らかに、あらゆる学は、多かれ少なかれ人間の自然本性に関係を有し、人間本性からどれほど遠く隔たっているように見える学でも、何らかの道を通って、やはり人間本性に結びつく。数学、自然哲学、および自然宗教でさえ、ある程度「人間」の学に依存している。なぜなら、それらの学は、人間の認識能力の及ぶ範囲にある事柄であり、人間の諸能力によって判断される事柄であるからである。…それゆえ、…人間本性との結びつきがより密接な他の諸学においては、何が期待できるであろうか。論理学の唯一の目的は、われわれの推論能力の諸原理と作用、および観念の本性を説明することであり、道徳と文芸批評とは、われわれの趣味と感情を考察するものであり、政治学は、結合して社会を形成し相互に依存しあう限での人間を考察するものである。これら論理学、道徳学、文芸批評、政治学の四学問には、われわれにとって知る価値のある事柄、人間の精神を高めることあるいは飾ることに寄与し得る事柄の、ほとんどすべてが含まれているのである。

このような非常に幅広い話題のうち、まず『人間本性論』では論理学と道徳学が中心に扱われ、他の話題の多くはエッセイ集の形で公表されていきました。

代表的なエッセイとして、以下のものがあります。

  • 文芸批評に関して・・・「趣味の基準について」「悲劇について」など
  • 政治学に関して・・・「原始契約について」「勢力均衡について」「プロテスタントの王位継承について」など
  • 経済学に関して・・・「商業について」「奢侈について」「貨幣について」など
  • 宗教に関して・・・「迷信と狂信につて」「自殺について」「魂の不死について」「宗教の自然史」など13「宗教の自然史」と、『人間本性論』第2巻を書き改めた「情念論」を除くすべてのエッセイは次にまとめられています。Eugene F. Miller ed., Essays: Moral, Political and Literary, 2nd, Liberty Classics.またこれには日本語訳もあります。ヒューム『道徳・政治・文学論集』名古屋大学出版会

こうした著作に一貫しているのは、政治経済だけでなく道徳に関しても、ヒュームは徹底した世俗化を目論見、宗教や神に代わる根拠を人間自身の中に見出そうとしていることです。

そして更には宗教自体の発生をも人間本性の原理から説明しようとヒュームは試みています。こうした点で、ヒュームはまさに啓蒙思想を体現する存在であったといえるでしょう。

※啓蒙思想に関しては次の記事が詳しいです。→【啓蒙主義とは】意味・歴史・批判をわかりやすく解説

十八世紀のスコットランドはマクローリン、スミス、リード(Thomas Reid, 1710-1796, 哲学者)、ファーガスン(Adam Ferguson, 1723-1816, 歴史家)、ハットン(James Hutton, 1726-1797, 地質学者)、ブラック(Joseph Black, 1728-1799, 化学者)など優れた知識人を排出し、中心都市であるエディンバラは「北のアテネ」と称えられました。

ヒュームはこうした「スコットランド啓蒙」と呼ばれる活動の中心人物でありました。

さて、ヒュームの「人間学」の土台となるのは、1-1でも触れたように、ベーコン(Francis Bacon, 1561-1626)以来、ロック(John Locke, 1632-1704)やニュートンを経てイギリスの知的伝統となっていた「経験と観察(experience and observation)」です14ヒューム『人間本性論第1巻「知性について」』、法政大学出版局、7-8頁

人間の学が他の諸学の唯一の堅固な基礎をなすように、人間の学そのものに与え得る唯一の堅固な基礎は、経験と観察に置かれねばならない。…精神の本質は、外的物体の本質と同じく、われわれには知られないので、精神がいかなる能力と性質を有するかを知ることは、外的物体についてと同様に、注意深い正確な実験と、異なる条件や状況から生じるここの結果の観察とによるのでなければ、不可能であることは明らかであると私には思われるからである。また、可能な限度まで実験によって追求し、すべての結果を最も単純で最も少数の原因から説明することによって、われわれのすべての原理をできるだけ普遍的なものにするよう努力しなければならないが、それでも、われわれが経験を超えては進みえないことは、依然として確実なのである。

こうしてヒュームは「イギリス経験論」と呼称される知的伝統においても集大成に位置する哲学者とみなされています。

1章のまとめ
  • デイヴィッド・ヒュームとは、イギリス経験論やスコットランド啓蒙における中心人物の一人である
  • ヒュームは徹底した世俗化を目論見、宗教や神に代わる根拠を人間自身の中に見出そうとした

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2章:ヒュームの代表的著作とその解説

さて、2章では『人間本性論』を中心にヒュームの著作の内容について簡単に紹介します。

1節と2節では『人間本性論』の主要な論点をいくつか解説し、3節と4節では(ヒュームの意図通りかはともかく)ヒュームのテキストを題材として、現代の哲学においてさかんに論じられている問題を取り上げます。

2-1:懐疑主義vs自然主義————『人間本性論』第1巻「知性について」

ヒュームの議論は、時代によってさまざまな(時には相反するような)解釈をされてきました。とりわけ大きな問題となったのが『人間本性論』第1巻の議論です。

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ここでの議論は1-1でも見たように、同時代人から懐疑主義や無神論につながるものと解釈されました。

ヒュームは因果の必然性、自己の同一性、外的事物の存在、理性の作用について確かなことは何一つ言えないと主張する徹底した懐疑主義者であるという解釈は二十世紀半ばまで支配的なものでした。

1946年に、ラッセル(Bertrand Russell, 1872-1970)は有名な『西洋哲学史』の中で次のように述べています15ラッセル、前掲書651頁

デイヴィッド・ヒュームは、ロックとバークリーの経験論哲学を、その論理的帰結にまで発展させ、それを首尾一貫したものにすることによって信じがたいものとしたことから、哲学者の間でもっとも重要なひとの一人である。ある意味で彼は、一つの袋小路を代表している。彼のとった方向へは、もうそれ以上に行くことは不可能なのである。彼が著作をあらわしてからこのかた、彼を論駁することが形而上学者たちの間で好んでなされた遊戯だった。わたしの見るところでは、彼らの反駁は、一つとして納得のゆくものではない。それにもかかわらずわたしは、ヒュームの体系ほどに懐疑的ではない何物かが、見出しうるようにと希望せざるをえないのである。

こうした「懐疑主義」的解釈の根拠となる箇所を、少しだけ実際に見てみましょう。

たとえば、「自己(self)」の観念に関してヒュームは「私は、自分のうちにはそのような原理がないことを、確信している」16ヒューム、前掲書287頁と述べ、次のように言葉を続けます17ヒューム、前掲書287頁

精神は、さまざまな知覚が次々とそのうちに現れる、一種の演劇である。そのうちにおいて、さまざまな知覚が、通り過ぎ、引き返し、滑り去り、限りなくたような姿勢と位置関係でたがいに交わるのである。正しく言うならば、そこでは、一つの時点にはいかなる単純性もなく、異なる時点を通してはいかなる同一性もない。われわれが、そのような単純性と同一性を想像しようとする、どのような自然な傾向をもとうとも、そうである。演劇の比喩に騙されてはならない。精神を構成するのは、たがいに継起する知覚のみであって、われわれは、これらの情景が演じられる場所についても、その場所を構成する素材についても、ほんのおぼろげな観念をももっていないのである。

これが、精神的実体の存在を否定し、「自己」とは「想像を絶する速さでたがいに継起し、絶え間のない変化と動きのただなかにある、たがいに異なる諸知覚の、団まりあるいは集まりに他ならない」18ヒューム、前掲書287頁という、しばしば「知覚の束説」とも呼ばれる「自己」に関するヒュームの議論です。

このような懐疑的な議論を経て、『人間本性論』第1巻の最終節「この巻の結論」は、ヒュームによる絶望の吐露から始まり19ヒューム、前掲書299頁、自分が全面的な懐疑に嵌り込んでいることを告白しています20ヒューム、前掲書304頁

人間理性におけるこれらの多様な矛盾と不完全さとを懸命に注視することが、私に強く働きかけ、私の脳髄を熱したので、私はすべての信念と推論を拒否するのにやぶさかではなく、いかなる意見をも、他のものよりより確からしいとかよりありそうであるとみなすことさえできないのである。ここはどこなのか、また、私は何なのか。私はいかなる原因から私の存在を得ているのか。…私は、これらの疑問すべてによって、茫然自失し、自分を、もっとも深い暗闇に取り巻かれ、すべての器官と能力の使用を全く奪われて、想像できる限りでもっとも哀れむべき状態に入ると、想像し始めるのである。

以上より、「懐疑主義」的解釈の主張するように、哲学的懐疑によって絶望的な状態に陥るという側面は確かにヒューム自身の述べるところであるようです。

しかし、実はこの絶望はヒュームの「結論」ではありません。ヒュームは続けてこう述べています21ヒューム、前掲書304頁

非常に幸運なことに、理性がこれらの暗雲を追い払うことができないので、自然本性自体が、このために十分であり、この精神の緊張を緩和することによってか、あるいは、これらの幻影を追い払ってくれるような気晴らしと生き生きした感覚の印象によって、この哲学的な憂鬱と譫妄から、私を癒してくれるのである。私は、友人と食事をし、バックギャモンをして遊び、会話をして、愉快になる。そして、三時間か四時間楽しんだあと、これらの考察に戻ろうとすると、これらの考察が、冷たく無理のある滑稽なものに見えるので、私は、これ以上それらの考察を行う気になれない。

ヒュームを日常生活に連れ戻すのは、われわれが生まれ持つ人間の「自然な傾向」であり、先ほどまで徹底して疑っていたはずのものを信じるように「自然本性の流れに身を委ねてもよく、むしろ委ねざるを得ない」と述べます22ヒューム、前掲書305頁

このように、ヒュームにおいて懐疑にすら打ち勝つほどに強い人間本性の自然な傾向を強調する立場は「自然主義」的解釈と呼ばれます。

この解釈は、代表的なヒューム研究者であるケンプ・スミスによって提唱され23この解釈は、1905年に次の論文で最初に提示されました。 Norman Kemp Smith, “The Naturalism of Hume(I)(II),” Mind, 14, 149-73頁, 335-47頁.またケンプ・スミスは、1941年に次の書籍でより完全な形の「自然主義」的解釈を展開しています。 Norman Kemp Smith, The Philosophy of David Hume, Macmillan、二十世紀半ば以降徐々に影響力を持津ようになり、今ではようやく「ほぼ主流である」24神野慧一郎「ヒュームの哲学的立場」、『ヒューム読本』所収、21頁と言われるに至ります。

現在のヒューム研究では、こうしたヒュームに見られる「懐疑主義」的側面と「自然主義」的側面をどのように整合的に解釈するかが大きな課題となっています25専門的な文献になってしまいますが、最近のものとして次の書籍をご参照ください。 澤田和範『ヒュームの自然主義と懐疑主義-統合的解釈の試み』勁草書房



2-2:理性は情念の奴隷である————『人間本性論』第2巻「情念について」、第3巻「道徳について」

1-1ではヒュームがハチスンの道徳感覚説から影響を受けていたことを紹介しました。

ヒュームとハチスンに共通した論敵は、カドワース(Ralph Cudworth, 1617-1688)やクラーク(Samuel Clarke, 1675-1729)に代表される「道徳判断は理性に基づく」と考える立場です。

この立場は「理性主義」とも「合理主義」とも呼ばれますが、その名からも理性の働きを重視していることがわかるでしょう。しかしヒュームは、理性には人間の行為の動機となる力はないと主張します。次の引用箇所は『人間本性論』でも特に有名な箇所です26ヒューム『人間本性論第2巻「情念について」』法政大学出版局、163頁

理性は情念の奴隷であり、またただ情念の奴隷であるべきなのであり、理性が、情念に使え従う以外の役割を要求することは、決してできないのである。

ヒュームにとって道徳が重要なのも、それがわれわれの行為に影響を与えるからでした。そのため、道徳も理性に基づくのではなく、ある種の情念に基づくとヒュームは考えます27ヒューム『人間本性論第3巻「道徳について」』、法政大学出版局、9頁

道徳が、人間の情念と行為に自然に影響するのでなければ、これほど苦心して道徳を教え込むのは無駄であろう。…してみると、道徳は、行為と感情に影響を持つのだから、理性から引き出されえないことが帰結する。理性だけでは、すでに立証したとおり、そのような影響を与えることができないからである。

このように道徳判断の「基準」が理性ではなく感情や情念であることを確認したヒュームが、さらに指摘するのは、道徳判断の「対象」がある人の行為そのものではなく、その人の持続的な性質つまり性格であるということです28ヒューム、前掲書136頁

道徳の根源に関するわれわれの探求で、われわれはけっして一つの行為をそれだけで考察するのではなく、その行為が生ずるもとの性質ないし性格をもっぱら考察するのでなければならない。

そのような性格を持つ人に対して、「道徳感情」という道徳判断に固有の快い感情を抱く時、その人あるいはその人の性格は道徳的に良いものと判断されます。

ヒュームのように道徳判断における直接の対象を、行為の帰結や動機ではなく、行為者の性格と考える立場を「徳倫理学」と呼び、現代でも功利主義や義務論と並び大きな影響力を誇っています。

※徳倫理学については次の記事をご参照ください。→【徳倫理学とは】概念・特徴から問題点までわかりやすく解説



2-3:帰納の問題————「ヒュームの問題」あるいは「ヒュームの苦境」

ここからは、現代の哲学者たちがヒュームのテキストからどのような問題を引き出してきたかを紹介します。そうした議論の中にはヒューム解釈としては疑問の余地があるものも含まれますが、純粋に哲学的な問題として興味深いものも数多いです。

まずは「帰納の問題」あるいは「ヒュームの問題」と呼ばれる、帰納的推論の正当化をめぐる問題を紹介します。

※帰納法については次の記事もご参照ください。→【図解】演繹法・帰納法の違い〜活用法をわかりやすく解説

この問題は『人間本性論』第1巻でも触れられていますが、ここではより明確な形で提示されている『人間知性研究』第4章からいくつか引用をいたします。

「太陽は明日は昇らないだろう」という命題は、「太陽は明日昇るだろう」という肯定と同様に、了解可能であり、しかもいかなる矛盾も含まない。それゆえ、その命題が偽であることをわれわれが論証しようとしても無駄である29ヒューム『人間知性研究』京都大学学術出版会、52頁

われわれの実験的推断はすべて、未来が過去と一致するであろうという想定に基づいてなされている。それゆえに、この最後の想定を蓋然的な議論または存在に関する議論によって証明しようと努めることは明白に循環することであり、まさしく問題となっている点を当然のこととして仮定することであるにちがいない30ヒューム、前掲書67-8頁

自然の行程は変わりうるのではないか、そして過去は未来に対するいかなる規則も与えないではないかという疑念が何かあるとすれば、一切の経験は無用となり、いかなる推論や推断も引き起こしえないことになる。それゆえ、経験からの何らかの議論が過去の未来に対するこうした類似を証明できる、ということは不可能である。なぜなら、これらの議論はすべてそうした類似の想定に基づいているからである。事物の行程がこれまできわめて規則的であったことは認めるとしよう。それだけでは、何か新しい議論または推論がなければ、未来においても事物の行程が規則的であり続けるだろうということを証明しない31ヒューム、前掲書70頁

ヒュームの主張をわかりやすくするために、次の例を考えてみましょう。

  • 前提:これまで、太陽が昇ってきた
  • 結論:明日、太陽が昇るだろう

このように、「これまで〜だった」という過去の経験を用いて、「将来も〜だろう」と予測したり、「いつでも〜だろう」とすべての場合に拡張したりするような推論を「帰納的推論」「帰納推論」「帰納法」あるいはもう少し限定的に「枚挙的帰納推論」などと呼びます。

ヒュームはこのような帰納的推論が行われている際に、実はもう一つ暗黙の前提が隠れていると指摘します。それが「いつでも、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似している」という「自然の斉一性」です。

  • 前提1:これまで、太陽が昇ってきた
  • 前提2:いつでも、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似している
  • 結論:明日、太陽が昇るだろう

つまり、「これまで、太陽が昇ってきた」という過去の経験から、「明日、太陽が昇るだろう」という将来の予測を導く帰納的推論を行うには、「いつでも、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似している」というもう一つ別の前提が必要になるというのです。

しかし、「自然の斉一性」という隠れた前提もまた、「これまで、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似してきた」という過去の経験から帰納的に推論されたものです。

そうすると、それを導くためにも「自然の斉一性」を前提とする必要があります。これでは前提の中に結論が先取りされており、循環論に陥ってしまうのではないでしょうか。

  • 前提1:これまで、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似してきた
  • 前提2:いつでも、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似している
  • 結論:いつでも、まだ経験していない事柄はすでに経験した事柄に類似している

もしこの分析が正しいとすれば、私たちは帰納的推論を正当化することができないのかもしれません。この状況を、二十世紀を代表する哲学者であるクワイン(W. V. O. Quine, 1908-2000)は次のように表現しました32W. V. O. Quine, Ontlogical Relativity and Other Essays, Columbia University Press, 72頁

ヒュームの置かれた苦境は、人類皆が陥る苦境なのである(The Human predicament is the human predicament.)。

ヒュームが提示したとされるこの「帰納の問題」を解決するために、哲学者だけでなく数学者や経済学者など多くの研究者が取り組んできましたが、未だ決定的な解決策は発見されていません。

しかし、それでもこの難問に取り組み続けることで、さらなる有益な理解につながるのだと、ある現代の科学哲学者は述べています33オカーシャ『科学哲学』岩波書店、45-6頁

たとえヒュームの問題が最終的には解決できないとしても————そうなる可能性は高いのだが————この問題で頭を悩ますことはやはり無駄ではない。帰納法の問題について考察することは、さまざまな興味深い問題への導きの糸になるからだ。科学的推論はどのような構造をしているか、合理性とは何か、科学にはどの程度の信頼を置いたらいいのか、確率はどう解釈すべきか、といった問題である。哲学の問題がふつうそうであるように、こうした問題にも、最終的な答えなどおそらくないのだろう。しかし、それと格闘することで、われわれは科学的知識の本性と限界について、多くを学ぶことができるのだ。

※科学哲学については次の記事もご参照ください。→「【科学哲学とは】歴史・分類から扱われる諸問題までわかりやすく解説」



2-4:事実と規範————「ヒュームの法則」

続いて、『人間本性論』第3巻第1部第1節の最終段落を取り上げてみましょう34ヒューム『人間本性論第3巻「道徳について」』法政大学出版局、23頁

これまで出会ったあらゆる道徳の体系で、私はいつも次のことに気がついた。著者はすばらくの間通常の推理の仕方で論を進め、神の存在を結論として立て、あるいは人間の間の事柄につて所見を述べる。すると突然、驚いたことに、「である」(is)や「でない」(is not)という命題の普通の繫辞に代わって、私が出会う命題は、どれも、「べきである」(ought)や「べきでない」(ought not)という語を繫辞とするものばかりになるのである。この変化は目につかないが、きわめて重大である。この「べきである」や「べきでない」という語は、新しい関係ないし断定を表すのだから、その関係ないし断定がはっきりと記され、説明される必要があり、同時に、この新しい関係がそれとは別の、全く種類の異なる関係からの演繹であり得るとは、およそ考えられないと思われるのだが、いかにしてそうあり得るのか理由が挙げられる必要があるからである。

この箇所は、メタ倫理学という分野においてしばしば取り上げられてきました。

※メタ倫理学については次の記事をご参照ください。→【メタ倫理学とは】問題背景・基本概念・論争や対立をわかりやすく解説

それは、この箇所でヒュームが「〜である(でない)」という事実に関する前提だけから「…すべき(でない)」という規範は結論できないと主張していると理解されたためでした。例を挙げて考えてみましょう。

  • 前提1:人を殺すのは犯罪である
  • 前提2:彼は人である
  • 結論:彼を殺すべきではない

この推論において、前提1と前提2は「〜である(でない)」という事実に関する言明で、「…すべき(でない)」という規範的な内容は含まれていません。

それなのに、結論には「…すべき(でない)」という規範がいきなり登場しています。つまり、この推論では前提にないはずの内容を結論でいきなり主張しているようにも見えてしまいます。

これを妥当な推論ではないとみなす代表的な哲学者として、ヘア(Richard M. Hare, 1919-2002)が挙げられます。ヘアは次のような推論規則を採用し「ヒュームの法則」(Hume’s law)という名を与えています35ヒューム『人間本性論第3巻「道徳について」』法政大学出版局、23頁

少なくとも一つの命令法をも含まない一連の前提からは、命令法の結論を妥当裡に引き出すことができない。

しかし、一方で事実言明から規範を導くことができると考える哲学者もいます。その代表としてここではサール(John R. Searle, 1932-)の議論を紹介します。

サールは次のような一連となる5つの言明を並べます36サール『言語行為』勁草書房、315-6頁

  1. 「スミスさん、あなたに5ドル払うことを私はこの言葉において約束します」という言葉をジョーンズが発した
  2. ジョーンズは、スミスに対して5ドル払うことを約束した
  3. ジョーンズは、スミスに5ドル払う義務を自分に課した(自分に引き受けた)
  4. ジョーンズには、スミスに5ドル払う義務がある
  5. ジョーンズは、スミスに5ドル払うべきである

1が「〜である」という事実言明であり、5が「…すべき」という規範言明なのはわかりやすいです。ではどの段階で規範は生まれているのでしょうか?

サールは「約束する」という行為を「自分に義務を課す」ことと分析することで、2から3へと移行するときに事実から規範が導出されていると考えます。

サールの議論には多くの批判も寄せられ、さらにサールが再反論するなど、「ヒュームの法則」をめぐってはその後も活発な議論が続いています。

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3章:ヒュームに関するおすすめ本

以上、ヒュームの哲学者としての側面を中心に解説してきました。最後に、もっとヒュームについて学んでみたいという方に向けて書籍をいくつかご紹介したいと思います。

おすすめ書籍

松永澄夫編『哲学の歴史6-知識・経験・啓蒙:18世紀・人間の科学に向かって』(中央公論新社)

この巻に収録されている中才敏郎「ヒューム」がヒュームの生涯や哲学についてバランスよく紹介しており、初学者の方に大変おすすめです。

中才敏郎編『ヒューム読本』(法政大学出版局)

主要なテーマについて日本を代表するヒューム研究者が解説しており、もう一歩深くヒュームを知りたい方におすすめです。文献案内も充実しています。

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坂本達哉『ヒュームの文明社会-勤労・知識・自由』(創文社)

この記事ではあまり触れることのできなかったヒュームの社会思想に関する名著。同じ著者の『社会思想の歴史-マキャヴェリからロールズまで』名古屋大学出版会も、ヒュームの置かれた思想史的文脈を理解する上で大変勉強になります。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • デイヴィッド・ヒュームとは、イギリス経験論やスコットランド啓蒙における中心人物の一人である
  • ヒュームは徹底した世俗化を目論見、宗教や神に代わる根拠を人間自身の中に見出そうとした
  • ヒュームに見られる「懐疑主義」的側面と「自然主義」的側面をどのように整合的に解釈するかが大きな課題となっている

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