西洋哲学

【マックス・シェーラーとは】伝記的情報から愛の概念までわかりやすく解説

マックス・シェーラーとは

マックス・シェーラーの価値倫理学とは、私たちが持っている「愛」という作用に注目して「善/悪」を探求した哲学です。

哲学と社会学という二つの学問に影響を受けてたシェーラーは大変興味深い、カント批判をおこなっています。しかし、日本で入門書が少ないでなかなか学びにくいのかもしれません。

そこで、この記事では、

  • マックス・シェーラーの伝記的情報・思想的特徴
  • マックス・シェーラーと価値倫理学・愛

をそれぞれ解説します。

好きな箇所から読み進めてください。

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1章:マックス・シェーラーとは

1章ではマックス・シェーラーを「伝記的情報」「思想的特徴」から概説します。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: マックス・シェーラーの伝記的情報

マックス・シェーラーマックス・シェーラー(Max Scheler 1874-1928)

M.シェーラーは、1874年にドイツのミュンヘンで生まれです。哲学を解釈学のディルタイやオイケン、リープマンのもとで学び、同時に、社会学をジンメルのもとで学びました。

さらに、1901年に現象学の創始者であるフッサールと出会い、1913/1916年に主著である『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』を発表しています(※本書は、第一巻(1913年)と第二巻(1916年)に分かれて発表されている)。

その後、1919年にケルン大学の社会学の助教授に就き、1928年にフランクフルト大学で正教授となる予定でしたが、同年に54歳の若さでこの世を去っています2『現象学事典』、項目「シェーラー」

非常に簡潔ですが、シェーラーとは以上ような経歴をもつ人物です。

1-2: マックス・シェーラーの思想的特徴

伝記部分で説明したように、シェーラーは、哲学と社会学という二つの学問に影響を受けています。

特に、

  • 哲学・・・オイケンとリープマンに新カント哲学、フッサールに現象学
  • 社会学・・・ジンメルに社会学

を学んでいます。

この影響が後の「倫理学」「哲学的人間学」へと結実していくことになります。

ここでシェーラーの哲学的な主題を、簡潔に述べると、

「倫理学」という議論を現象学的な方法論をもとに考察するというもの

です。

しかし、シェーラーの議論は、前述したように、たんに哲学だけにとどまらず、社会学、さらに、生物学などの自然科学にも及んでおり、一概にまとめることは不可能です。それゆえ、この記事では、すでに挙げた「倫理学」に範囲を絞って説明していきたいと思います。

1章のまとめ
  • マックス・シェーラーの価値倫理学とは、私たちが持っている「愛」という作用に注目して「善/悪」を探求した哲学である
  • シェーラーの哲学的な主題は「倫理学」という議論を現象学的な方法論をもとに考察するというものである

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2章:マックス・シェーラーと愛

さて、2章ではシェーラーの哲学を主著から解説していきます。

2-1: シェーラーの価値倫理学の特徴

シェーラーの倫理学を説明する前に、そもそも倫理学とはいかなる学問なのかを確認しておきましょう。その後、シェーラーの倫理を深掘りしていきます。

2-1-1: 倫理学とは

簡潔にいえば、倫理学とはその名の通り「倫理」について探求する学問ですが、その歴史はギリシア哲学まで遡ります。

古代ギリシア哲学(特に、プラトン・アリストテレス)においては、人間が求めるべき三つの普遍的な価値があると考えられていました。それらは以下のとおりです。

  • 認識における「真」(後に「真」を探求する哲学へ)
  • 倫理における「善」(後に「善」を探求する倫理学へ)
  • 審美における「美」(後に「美」を探求する美学へ)

そのため、倫理学とは、私たちが「善(あるいは悪)」と呼ぶものがいかなるものであるのかを考える学問であると言えます。

2-1-2: 形式主義的倫理学への批判

さて、シェーラーの倫理学は、「価値」倫理学と呼ばれる種類のものです。それは、シェーラーの主著である『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』(以下では『形式主義』と略記します)というタイトルに表れています。

また、この表題は、価値倫理学に形式主義的倫理学が対立していることも同時に示しています。そこで、次は、シェーラーが批判した形式主義的倫理学について説明します。

シェーラーが『形式主義』で念頭に置いている、形式主義的倫理学とはカントの倫理学を指しています。大まかですが、カントとは以下のような人物です。

  • カントは『純粋理性批判』や『実践理性批判』、『判断力批判』という三大批判書を著したことで知られる哲学者
  • 『実践理性批判』が倫理学を主題としている(ちなみに、『純粋理性批判』は「真」の問題、『判断力批判』は「美」の問題を扱っている)

つまり、カントの『実践理性批判』で扱われた倫理学がシェーラーに言わせれば形式主義的倫理学であり、批判するべきものだったと言うわけです。



2-1-3: カントの倫理学

カントの倫理学とは、簡潔に述べると、

人間は自らが決めた規則に従って行為することが道徳的に「善」であると考えるもの

です。

この自らが定めた規則を「格率(Maxime)」と呼び、この格率に従うことを「意志の自律(die Autonomie des Willens)」と言います。

ただし、この「意志の自律」は、自らが定める格率だからといって、自分にしか当てはらまない自分勝手なものではなく、あらゆる人にとって普遍的に当てはまる格率でなければなりません。

カントは、このことを「汝の意志の格率が普遍的法則となることを、その格率を通じて汝が同時に意欲できるような、そうした格率に従ってのみ行為せよ」と定式化しています。たとえば、次の例を考えてみてください。

  • 私が自らの利益のためにある他者を陥れるとする。この時、私は、他者に危害を加えたとしても自らの利益を求めるということを格率としている
  • そして、意志の自律という面からは、たしかに私は自らの規則に従って他者に危害を加えている
  • しかしながら、カントによると、この一連の行為は、格率が普遍的法則となるべきという定式に反していることになる
  • というのも、普遍的法則とは、あらゆる人に成り立つ法則であるために、私が利益のために他者を害してもよいならば、他者も私を利益のために害してよいことになる
  • ですが、私は、そのように他者に害されることを良しとはしないために、この極めて私的な格率は、認められないというわけである(私たちに馴染みのある東洋思想では『論語』の「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」を連想させます)

以上がカント倫理学の基本的な説明です。

2-1-4: 『形式主義』におけるシェーラーの批判

シェーラーは、このカントの倫理学を形式主義として処断しています。以下に『形式主義』で述べられているカントに対するシェーラーの批判を列挙します3『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』白水社, 47頁

『形式主義』における批判
  1. 実質的倫理学はすべて、必然的に「財倫理学(Güterethik)」または「目的倫理学(Zweckethik)」であるに違いない
  2. 実質的倫理学はすべて、必然的に単なる経験的・帰納的でアポステリオリな妥当性があるのみである。形式的倫理学のみがアプリオリに、また帰納的経験に依存することなく確実である
  3. 実質的倫理学はすべて、必然的に「結果倫理学(Erfolgsethik)」であり、形式的倫理学のみが心情や心情によって満たされた意欲を善および悪という価値の担い手として認めうる
  4. 実質的倫理学はすべて、必然的に「快楽主義(Hedonismus)」であり、対象に即しての感性的快楽状態の存在に解消される。形式的倫理学のみが、道徳的価値の提示とそれらの価値に基づく道徳的規範の基礎づけに際して、感性的快楽状態への顧慮を回避できる
  5. 実質的倫理学はすべて、必然的に他律的であり、形式主義的倫理学のみが人格の自律を基礎づけ、確定しうる
  6. 実質的倫理学はすべて、単なる行動の適法性(Legalität)へ導かれ、形式主義的倫理学のみが意欲の道徳性を基礎づけうる
  7. 実質的倫理学はすべて、人格をそれ自身の状態や人格とは疎遠な財物に奉仕させる
  8. 実質的倫理学はすべて、最終的には倫理的価値評価一切の基礎を、人間の自然的有機組織の衝動的な利己主義へと移し替えなければならず、形式的倫理学のみが、一切の利己主義や一切の特殊な人間の自然的有機組織に依存しない、すべての理性的存在者一般に妥当する道徳法則を基礎づけうる

シェーラーは、『形式主義』の中でこれらのカント批判を展開していますが、それらすべてを説明することはできません。しかし、これらの批判に共通しているのは、カント倫理学が普遍的法則を基準としている点です。

具体的には、シェーラーが展開する価値倫理学では、

  • カントのように、普遍的法則(道徳法則)に当てはまるものを「善」であると形式化するのではない
  • むしろ、我々が日々営んでいる様々な状況において成り立つ行為や事象の道徳性を説明することを目指したものである

と言えます。

それでは、この具体的(実質的)な倫理学はどのように展開されるのでしょうか?次項では、この実質的価値倫理学の中心原理である「愛」について説明します。



2-2: 愛について

シェーラーが展開した「愛」の概念を説明するまえに、「価値」について見ておきます。

2-2-1: 価値とは

私たちは、日頃、役に立つものや値うちのある、よいものを求めて、それとは反対のもの(役に立たないものや、値うちのないもの)を避けようとしています。このような「よいもの」は「財(Güter)」とも呼ばれています。

それゆえ、この「よいもの」が持っている「よさ」というのが通常「価値(Wert)」を言われるものです。それではこの価値は、財のどこにあるのでしょうか?次の例を考えてみてください。

  • 私たちがPCを求めるのは、そのPCが様々な仕方で役に立つためである。そのため、そのPCそのものに価値という性質が備わっているように思われる
  • しかし、そのPCは、時間が立てば古くなり故障する。それにも関わらず、PCの有用性が変わることはなく、新たなPCが求められる
  • それは財としてのPCそのものに備わった性質ではなく、財とは独立して、有用性(価値)という概念が存在していることを意味している

つまり、価値とは、ある事物(財)に備わった性質ではなく、価値そのものという概念が財とは無関係に存在しているのです。

そして、シェーラーは、そのようにあらゆる事物(財)から独立した価値には、論理学や数学の法則のようにある一定の法則が存在すると考えました。これが「価値の秩序」です。

2-2-2: 価値の区分

シェーラーによると、価値というものを区分するためには、二つの仕方があるとされています。一つ目は、形式的区分です。

この形式的区分は、正反の区分であり、一般的にどのような価値も「積極的価値」と「消極的価値」に区分することができます。たとえば、「快/不快」、「健康/病弱」、「美/醜」などで、積極的価値のほうが善いものとされています。

さらに、二つ目は、価値秩序の区分です。この区分は、価値の高低の段階秩序で、高次の価値にいくほど善いものとされています。

以下では、この価値秩序の区分を見ていきます。



2-2-3: 価値序列の区分

まずは、最低次の価値としての「感覚的価値」があります。これは、「快/不快」に代表され、各主体によって感じ方が異なる価値です。しかし、人によって感じ方が異なるといっても「快/不快」という区分は確実に存在するため、価値秩序の最低次に置かれています。

次に、「生命価値」があります。この価値は健康や病気などで例示されるものです。たとえば、日頃、飲酒することによって「快」を得ている者でも病気になった時に酒を控え「健康」でいようとすることから「生命的価値」のほうが「感覚的価値」よりも高次に置かれています。

さらに、その上には「精神的・文化的価値」があります。これはたとえば、真理探求や芸術的創作の価値です。すなわち、どれほど生命力に溢れ、健康であっても、知識や教養を欠いているならば、生命力も無価値になってしまうとシェーラーは考えているのです。

最後に、最高次の価値としての「人格的価値」があります。これは、人間の人格において現れる「聖/不聖」の絶対的価値です。すなわち、シェーラーによると、どれほど教養に溢れ知識を蓄えていても聖なるものを体験して、遥かに深い浄福を感じなければ教養も無価値であるとされています。

シェーラーによると、価値秩序は以上の四つの階層からなっています。この階層は、絶対的なものであり、文化や時代の違いに左右されることのない客観的なものです。

2-2-4: 感得

この「価値の秩序」は、事物の認識とは異なった仕方で認識されます。すなわち、事物の認識が「知覚」や「思惟(考えること)」によって行われるのに対して、価値の認識は情緒的作用としての「感得(感じること、Fühlen)」によって行われます。

なぜ価値の認識には、「感得」という作用が必要なのかというと、ここには前に説明したカントの倫理学が関係しています。シェーラーが批判したカントの倫理学では、普遍的法則に照らして価値判断を行うことができると考えられていました。

しかし、シェーラーによると、

  • 私たちがある出来事の価値を判断できるのは、そもそもその価値判断に先立って対象を現実的に経験しているためである(この現実的な経験というのが「感得」という作用に関係しています)
  • すなわち、私たちは、経験したものが価値の基準に適っているかを判断しているのではなく、価値という根源的なものがすでに与えられているがゆえに、あるものに関心を向け、それを経験することができるの

です。

つまり、価値を判断するためには、すでにその価値が与えられていなければならず、私たちは、そのような価値をあらかじめ感じ取っているのです。

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2-2-5: 「先取/後置」と「愛/憎」

さらに、価値を捉える情緒的作用には、すでに挙げた「感得」以外に、「先取/後置」「愛/憎」というものがあります。

価値の「先取/後置」とは、与えられた二つ以上の価値について、どちらがより高いか、どちらがより低いかを認識する作用です。たとえば、「良薬口に苦し」ということわざがあります。これは、生命的価値を価値的により高いとみなして快価値を退けて良薬を摂る場合には、生命的価値が先取され、快価値は後置されていることになります。

これに対して、「愛/憎」はただ一つだけ与えられた価値であっても、愛は、その価値を高めて広げ、憎の場合には、その価値を低くし狭めて認識するものであり、自発的な創造的作用であると言えます。

ここで重要なのは、善さに関わる価値なので注目されるのは、「先取」と「愛」です。ただし、「先取」はすでに与えられている優劣のある二つ以上のものを比べる作用でした。

それに対して、「愛」は、それ自身で或る価値を高め、創造することができるために「愛」のほうがより良い作用であることになります。これについてシェーラーは「愛は低い価値から高い価値へ向かう運動であり、この運動においてはじめて、対象ないし人格のより高い価値が突如としてきらめき出てくる」4『同情の本質と諸形式』, 白水社, 256頁と述べています。

このような「愛」の作用は、倫理学としてなされる「善」という価値の探求に関係しています。すなわち、「愛」という作用が明らかになったことで、倫理学の根本的な問いである「善/悪」という問題を、その価値という観点から探求することができるようになったのです。

2章のまとめ
  • シェーラーはカント倫理学が普遍的法則を基準としている点を批判している
  • 価値を判断するためには、すでにその価値が与えられていなければならず、私たちは、そのような価値をあらかじめ感じ取っている
  • 「愛」という作用が明らかになったことで、倫理学の根本的な問いである「善/悪」という問題を、その価値という観点から探求することができるようになった

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3章:マックス・シェーラーを学ぶための本

マックス・シェーラーの哲学を理解することはできましたか?

この記事で紹介した内容はあくまでもほんの一部にすぎませんので、ここからはあなた自身の学びを深めるための書物を紹介します。ぜひ読んでみてください。

おすすめ書籍

オススメ度★★★ 阿内正弘『マックス・シェーラーの時代と思想』(春秋社)

シェーラーに関する入門書は、国内で出版されているものに関しては、もともと数が少なく、さらに古いものが多いのですが、本書は現在でも手に入る入門書として良書です。シェーラーの伝記的説明から主要な思想がまとめられています。

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オススメ度★★★ アルフォンス デーケン『人間性の価値を求めて』(春秋社)

本書は前掲と比べると、学術的側面が強くなっています。しかし、シェーラー研究の大家であるA.デーケンが研究の集大成として刊行した著作であり、シェーラー倫理学理解のための必読書となってます。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • マックス・シェーラーの価値倫理学とは、私たちが持っている「愛」という作用に注目して「善/悪」を探求した哲学である
  • シェーラーはカント倫理学が普遍的法則を基準としている点を批判している
  • 「愛」という作用が明らかになったことで、倫理学の根本的な問いである「善/悪」という問題を、その価値という観点から探求することができるようになった

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