荀子(Xun Kuang)とは、姓は「荀」名を「況」と言った中国の戦国時代の思想家です。「荀卿」や「孫卿」とも尊称されます。趙の国(今の山西省)の人で、諸国を遊説して侵略に反対し、王道によって統治する理論を展開しました。
また、荀子の思想を著した『荀子』は20巻32編からなる大著です。孔子の教えを継承しつつ、その他の思想を批判・摂取して儒学を体系化したことで大変有名です。
この記事では、
- 荀子とその思想
- 『荀子』の構成と内容
- 荀子の思想的特徴
について解説をしていきます。
関心のある所から読み進めてください。
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1章:荀子とは
1章では荀子の生涯と『荀子』について解説をしながら、他の思想家との違いについて解説をしていきます。
1-1: 荀子の人物と書かれた時代背景
まず、冒頭でも触れましたが、荀子について再度確認をしておきましょう。
- 荀子とは、古代中国の戦国時代に活躍した思想家である
- 諸子百家と呼ばれる思想家たちの中では儒家に分類される
- 孟子が説いた「性善説」に対して、荀子は「性悪説」を説き、その思想は後に『荀子』として、20巻32篇にまとめられた
- 荀子の思想は儒家でありながら、法家にも通ずるところがあったようである
- 荀子に学んだ人物には、法家の韓非子や李斯がおり、彼らの思想にも大きな影響を与えた
このような経歴をもつ荀子ですが、彼の前半生についての詳細は分かっておらず、50歳にして初めて国外(趙の外)に遊学したことが確認されています。
最初の遊学先は斉の国でした。そこで、斉の襄王に仕えることとなり、諸国から集まった学者達(稷下の学士)の祭酒(学長)となりました。
後に、讒言(ざんげん/人を陥れるためにありもしないことを言われること)にあって出国し、楚に移ります。楚では蘭陵(山東省南部)の令(知事職)となりました。紀元前238年に春申君が暗殺されると官職を追われ、任地である蘭陵で死去しました。
荀子に関する著作は、前漢末に至って劉向によって体系立てられて『孫卿新書』12巻32篇にまとめられました。『漢書』の芸文志(朝廷の蔵書目録)には『孫卿子』として記録されています。
時代が過ぎて、唐の世になると、楊倞が当時伝承されていたテキストを校訂し、文章に注釈を加えて書名を『荀子』としました。
書の構成についても、前漢の劉向がまとめた『孫卿新書』にある篇を一部改め、20巻32篇としました。劉向の『孫卿新書』は後に散逸してしまい、現存する『荀子』は全て楊倞が注をつけたものになっています。
1-2: 荀子の構成
書物『荀子』は32篇を20巻にまとめたものであり、一巻あたり1篇~3篇ほどで構成されています。ここでは、主な篇に書かれている内容の紹介と、『荀子』の構成について紹介していきます。
1-2-1: 『荀子』の主な内容
篇 名 | 概 要 |
勧学篇 | 勧学篇は生涯学習して改善することの重要性が記されています。学習は独学自己流ではなく、信頼できる師から体系的に学ぶ必要があるとしました。そして、正しい「礼」を学び、君子(礼を知り、指導する者)になる必要性を説きました。 |
終身篇 | 終身篇では「礼」に従って生きることが強調されています。荀子は古くから受け継がれてきた「礼」の中に、国家を統治する公正な法の精神があると考えました。国家の法や制度は、「礼」にある精神によって制定されると考えました。 |
王制篇 | 王制篇は『荀子』巻5第9篇に収録されています。そこでは、人は王者を輔佐する人材、制は礼制、論(倫)は身分秩序と昇進制度、法は法律であり、これらを定めることが重要であると説いています。 |
富国篇 | 富国篇は『荀子』巻6第10篇に収録されています。国家を統治するに当たって、実力主義・成果主義の重要性を説きます。また、人間の本性は無限の欲望だという知見に立って、人が社会の秩序なしに欲望を満たせば、争いが生じて社会は混乱すると考えました。よって、人間は君主の権力に服従し、礼(規範)に従うことで窮乏から脱出すると主張しています。 |
天論篇 | 天論篇では、「天」を自然現象として、これまでに考えられてきた天人相関思想(「天」が人間の行いに反応して吉凶をもたらすとする思想)を否定しました。 |
1-2-2: 『荀子』の構成
巻一
- 1.勧学
- 2.修身
巻二
- 3.不苟
- 4.栄辱
巻三
- 5.非相
- 6.非十二子
- 7.仲尼
巻四
- 8.儒效
巻五
- 9.王制
巻六
- 10.富国
巻七
- 11.王覇
巻八
- 12.君道
巻九
- 13.臣道
- 14.致士
巻十
- 15.議兵
巻十一
- 16.彊国
- 17.天論
巻十二
- 18.正論
巻十三
- 19.礼論
巻十四
- 20.楽論
巻十五
- 21.解蔽
巻十六
- 22.正名
巻十七
- 23.性悪
巻十八
- 24.君子
- 25.成相
巻十九
- 26.賦
巻二十
- 27.大略
- 28.宥坐
- 29.子道
- 30.法行
- 31.哀公
- 32.堯
1-3: 荀子と他の思想家の違い
荀子の思想は「礼」によって国家を治める礼治主義が特徴とされています。しかし、「礼」の重要性は孔子や孟子など他の儒家達も説くところであり、荀子との違いを理解することが大事です。
1-3-1: 孔子・孟子との違い
「礼」の重要性を説いた荀子ですが、もともと、儒教における「礼」は孔子や孟子によっても説かれていたことでした。
- 孔子・・・道徳と礼の二本立てでもって、国を治める様に主張した。この礼がいかにして成立するのか、孔子は具体的に述べることはなかった
- 孟子・・・その主張(性善説)に関連して、人間が本能的に備える辞譲の心を育めば、自然と「礼」になると考えた
一方で、荀子は君主の自覚的な判断と人為から生まれるものとしたのです。つまり、古代の帝王が定めた「礼」を守ることで社会が安定すると考えました。この考え方によって、次の通り荀子独特の思想が形成されました。
- 天や自然よりも人為を優先する
- 民ではなく君主を中心とする政治を主張
これは、孟子が「民を貴しと為し、社稷之に次ぐ(人民が国家の根本で最も大切であり、国家のことはこれに次ぐものである)」と述べたのとは対極に位置する考え方でした。
荀子が儒家の中では異端とされている理由がここにあります。
孟子や儒教に関しては、以下の記事を参照ください。
1-3-2: 韓非子との違い
荀子の門下には韓非子や李斯など、儒家だけではなく法家も存在しており、「礼」による統治はそのまま「法」による統治と置き換えられるものでした。
しかし、荀子は諸子百家の中では、あくまで「儒家」であり、韓非子などの「法家」とは一線を画しています。
それは、道徳による統治に対するスタンスの違いでもありました。荀子は「礼」による統治を主張こそすれ、道徳を否定はしませんでした。
一方で韓非子は道徳が狭い少人数の集団の範囲で通用するものであり、国家のような大規模な社会を統治するものではないと説きます。このような小規模な社会はあくまで古代の原始的な社会であり、人口が増え生存競争が激化した大規模社会では通用しないと考えました。
「礼」に対する各思想家のスタンス
- 孔子・・・礼の成立過程については触れず。道徳と礼の二本立て
- 孟子・・・本来備わっている辞譲の心を育めば「礼」が成立する
- 荀子・・・古代の君主が定めた「礼」を守ることを主張。
- 韓非子・・・礼ではなく、より拘束力が強く、罰則が規定された法によって統治することを主張
韓非子について詳しくは下記の記事で解説しています。
- 荀子とは、古代中国の戦国時代に活躍した思想家である
- 荀子は「性悪説」を説き、その思想は後に『荀子』として、20巻32篇にまとめられた
- 荀子の思想は「礼」によって国家を治める礼治主義が特徴づけられる
2章:荀子の思想
1章で述べた通り、荀子は儒家の中では異端とされており、その主義主張や思想は孔子や孟子と比べると独特な点が多々ありました。
その背景には、荀子の時代は戦国時代に突入しており、戦乱が激化する時代であったことと関係していると言われています。つまり、道徳や倫理が崩壊して、下克上の様相を呈した世の中で、従来の儒家の思想が通用しなくなってきていたとされています。
2章ではそんな激動の時代に生きた荀子の理論とその思想について、紹介をしていきます。
2-1: 性悪説
『荀子』性悪篇は「人の性は悪である」という一文から始まっているのに象徴されるように、荀子は人の本質は悪であると考えたことが有名です。
これは、孟子が人間の性(本質)は善であると説いたのに真っ向から対立する思想です。人は利己的であり、放任すれば争いが起こるため、「礼」による教育やそれぞれが学んで努力精進すれば、後天的に改善が可能であると説きました。
荀子の性悪説は性善説とよく対置されますが、実は人間の悪の面を強調することで、より悪を矯正する重要性を説いたものと言えるのです。
一例として、性悪説では聖人君子の存在は説明できませんが、荀子は聖人君主は個人が精進努力した結果であるとし、悪を克服した人間であると考えました。
2-2: 王覇論
荀子は君主を強者・覇者・王者に分類し、天下を統一する王者がいない場合は、覇者が勝利すると説きました。三者の細かい概要は下記の通りです。
君 主 | 概 要 |
強者 | 真の強者と偽の強者の二種類が存在。真の強者は一国の独立を保持しているもの。偽の強者は他国を侵略するもの。 |
覇者 | 贈与によって相手の心を掴み、天下の秩序の為の安全保障を管理して秩序を形成するもの。 |
王者 | 威と仁義を持ち、天下を味方として戦わずして治めるもの。 |
まず、荀子の思想では、強者には二種類が存在します。軍事力にものをいわせて、他国を侵略する「偽の強者」と、自国の独立を保持する「真の強者」です。
一方で覇者は領地を侵略せず、諸侯を味方にして丁重に扱い、弱国を助けて強暴の国を禁圧するものとされています。力でもって、正義の外交を展開する覇者は単に力だけの強者に勝利すると考えました。また、君主のグレードは強者から覇者へと発展していくと考えます。
それでも荀子は、最終的には覇者よりも、仁義と威を天下に示して、戦わず勝利する王者を理想とし、強者→覇者→王者という発展理論を展開します。
そして、王者による天下統一を一番の理想としながらも、もしも天下を統一する王者が現れなかった場合は、覇者がこれに代わって治めると説きました。
2-3: 天人の分
荀子の最も特徴的な考え方は、天の行いを自然の現象として捉えて、従来から説かれていた「天人相関思想」を否定したことです。
もともと、古代中国では人の行いと天による自然現象は感応しているという思想が存在していました。天の意思は災害や不思議な現象で示されると考えられており、善政をすると瑞獣などの吉兆が、悪政をすると地震・洪水などの災害が起きると信じられていました。
これに対して、荀子は災害が単なる自然現象であり、不思議がるのは問題ないが、むやみやたらに畏れる必要はないとしました。そして、崇め奉るよりは研究分析を行い、利用することを主張します。
また、君主が古の祭祀を執り行うのも、これを信奉しているからではなく、民を信じ込ませて統治する一種の手段であると説きました。このように、荀子は従来の儒家とは、発想を異にし極めて科学的に天を捉えていました。
- 荀子の思想は、道徳や倫理が崩壊して、下克上の様相を呈した世の中で、従来の儒家の思想が通用しなくなってきていた時代を背景に構築された
- 荀子は人間の悪の面を強調することで、より悪を矯正する重要性を説いたものである
- 荀子は強者→覇者→王者という発展理論を提示した
- 荀子は「天人相関思想」を否定した
3章:荀子と後世への影響
従来の思想に対して鋭いメスを入れた荀子は、儒家の中でも異端という位置づけをされてきました。そのため、他の儒家に比べると、『荀子』は広く普及はしませんでした。
唐代に『荀子』を校訂した楊倞は、注釈をつけた理由として、『荀子』にはいまだ注釈がなく、テキストが混乱しているためと書かれています。ここから、唐代において『荀子』はあまり読まれなくなっていたことが分かります。
また、唐代の韓愈は『原道』の中で、古代の聖人の系譜について触れています。それによると、
堯・舜・禹・湯王・文王・武王・周公の道は孔子に継承され、その後に孟子に継がて断絶した
と記されています。
荀子に対しては、教えを正しく伝えることができなかったと手厳しい評価を下しており、この評価が、後の宋代儒学の標準となりました。荀子が評価されるようになったのは、清代になって考証学が盛んになってからでした。
4章:荀子のおすすめ本
荀子について理解を深めることはできたでしょうか。
ここで紹介した内容はあくまで学術的な議論の一部であるため、より詳しくはこれから紹介する本をご覧ください。
オススメ度★★★ 内山俊彦『荀子』(講談社/1999年)
中国哲学が専攻の内山俊彦の著作です。荀子の思想や歴史的背景などについて書かれています。体系的に荀子について学べる書籍になっており、入門書として最もお勧めです。
オススメ度★★ 沢田多喜男, 小野四平 (訳)『荀子』(中公クラシック/2001年)
『荀子』の抄訳(一部翻訳)になります。荀子の思想について、詳しく知りたい方にはもってこいです。訳も読みやすく明瞭で、前述の書籍と併せて読み進めると、より荀子の思想を理解することができます。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 荀子とは、古代中国の戦国時代に活躍した思想家である
- 荀子の思想は後に『荀子』として、20巻32篇にまとめられた
- 荀子の思想は、道徳や倫理が崩壊して、下克上の様相を呈した世の中で、従来の儒家の思想が通用しなくなってきていた時代を背景に構築された
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