西洋哲学

【プラトンの『メノン』とは】その内容をわかりやすく解説

プラントンの『メノン』とは

プラトンの『メノン』とは、徳の教授可能性という問題を通じて、徳のみならず人間の知識のあり方についても哲学的に論じた書物です。プラトンが想起説をはじめて展開した著作としても知られています。

『メノン』において提示された想起説は、時代や地域を超えて形を変えながらさまざまな仕方で受容され続けています。そのため、現代において読む意義がある重要な書物です。

この記事では、

  • プラトンの『メノン』の時代背景
  • プラトンの『メノン』の要約
  • プラトンの『メノン』の学術的議論

をそれぞれ解説していきます。

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1章:プラトンの『メノン』とは

1章ではプラトン『メノン』について知っておきたい基本的なことを説明し、2章では『メノン』の要約を行います。そのうえで、3章では専門的な議論を取り上げて、『メノン』をより深く読むための視点を提供します。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:プラトンの『メノン』の背景

『メノン』は、メノンという20歳くらいの若者が、プラトンの師でもあるソクラテスと行う(架空の)対話から主に構成されています。メノン自身は実在の人物で、ギリシアのテッサリア地方の名門の出でした。

設定と背景

  • ソクラテスやプラトンがいたアテナイ(現在のアテネ)には、政治家として出世するための仕事に従事するために来ていて、そこでソクラテスと対話を行うという設定が用意されている
  • 政治的な野心の強かったメノンは、当時有名な弁論家であったゴルギアスに教わった人物としても描かれている
  • 政治家になるために必要な弁論術を学んだ自分(メノン)は、知恵、勇気、節制、正義といった徳についても一定のことを知っていると自負している

『メノン』のなかのソクラテスは、メノンのそのような自負について反省を促していくことになります2渡辺邦夫「解説」プラトン『メノン――徳について』渡辺邦夫(訳)169–174頁、光文社

1-2:プラトンの問題意識

メノンが教わったとされるゴルギアスのような人々は、「ソフィスト」と呼ばれていました3納富信留『ソフィストとは誰か?』(筑摩書房)、141–153頁

この言葉は文字通りには「賢者」を意味します。プラトンは、そうしたソフィストが実は徳についても何についても本当は何もわかっていないということを問題視し、「ソフィスト」ではなくて「フィロソフォス」(つまり「哲学者」)のあり方を追求しました4同上、84–85頁

哲学者としての探求に従事するべきだというプラトンの問題意識は、『メノン』での徳に対する取扱い方から窺えることができます。

  • メノンは「徳とは人に教えることのできるものであるか」をソクラテスに問いかける
  • ソクラテスはその問題について考えるためにはそもそも徳とは何かについて考えるべきだと言う

このようにして、問題となるものについてそれがそもそも何かという本質的な事柄を探求することこそ、プラトンがソクラテスから受け継いだ哲学の基本的なスタイルだと言うことができます5ミヒャエル・エルラー『知の教科書 プラトン』三嶋輝夫・田中伸司・高橋雅人・茶谷直人(訳)186–188頁、講談社



1-3:現代において『メノン』を読む意義

後でも見るように『メノン』は、人間の知識について想起説という考えをプラトンが提示していることでも有名です。

これは、人間の学習がすでに知っていることを思い出す(すなわち想起する)ことにほかならないとする考えですが、ルネ・デカルトやゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツといった近代の哲学者たちはこれを生得観念説として理解しました6岡部英男「17世紀の「観念」論争」『研究紀要』(東京音楽大学)第17集、1–18頁

生得観念説とは

わたしたちのうちにはすでに「太陽」や「星」という観念が何らかの仕方で与えられていて、これによりわたしたちは太陽や星を見てそれを「太陽」や「星」だと認識することができる

ちなみに、生得観念説に対しては、英国の哲学者ジョン・ロックを始めとする人々が与していた経験論(あるいは経験主義)という考えが対立するものとして存在します7中才敏郎「イギリス経験論の誕生と展開」『イギリス哲学の基本問題』寺中平治・大久保正健(編)(研究社)、65–84頁

経験論とは

人間の心はまず白紙の状態(タブラ・ラサ)であり、そこに感覚したことがもたらされることで(つまり経験を介することで)人間はさまざまな観念を形作っていく

このように、人間の知識が何に由来するのかという起源をめぐっては哲学史でも長く議論されてきたことがわかります。

また、プラトン『メノン』に注目するのは哲学者だけではありません。

言語学者のノーム・チョムスキーは、子どもたちが限られたインプットだけでも生後5、6年という短い期間で大人と同じように豊かな言語使用ができるようになるのはなぜかという問題を「プラトンの問題」と呼んでいました8野村泰幸『プラトンと考える ことばの獲得―成長する文法・計算する言語器官―』(くろしお出版)、1–2頁

この問題に対してチョムスキーは、言語に関する生得観念説とも言うべき立場に与しています。たとえば、次の通りです9ノーム・チョムスキー『言語と知識―マナグア講義録(言語学編)―』田窪行則・郡司隆男(訳)(産業図書)、189頁

言語学の雑誌の最近の号に、「climb」という単語の意味を定義しようとした、長い詳細な論文を載せたものがあります。その定義は大変に込み入っています。けれども、子どもは、みなすぐに、完璧にその意味を覚えてしまいます。このことからはただ一つの結論しか出てきません。すなわち、人間の本性が「climb」という概念をあらかじめ与えてくれているのです。つまり、「climb」という概念は、何かの経験を実際に経験する前に、それを解釈することが可能になっているような仕組みの一部なのです。

チョムスキーの理論には批判者も多く存在しますが、『メノン』において提示された想起説が時代や地域を超えて形を変えながらさまざまな仕方で受容され続けていることはたしかです。その意味で、『メノン』は現代においても読む価値のある本であり続けています。

1章のまとめ
  • プラトンの『メノン』とは、徳の教授可能性という問題を通じて、徳のみならず人間の知識のあり方についても哲学的に論じた書物である
  • 『メノン』において提示された想起説が時代や地域を超えて形を変えながらさまざまな仕方で受容され続けている

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2章:『メノン』の要約

さて、2章では『メノン』の内容を要約していきます。この記事では、プラトン『メノン――徳について』(光文社)を参照しています。

2-1:『メノン』の主題

『メノン』は次のような問いかけから始まります10『メノン』渡辺訳、22頁

徳は教えられるものでしょうか? それとも訓練によって身につくものでしょうか? それとも徳は、訓練によって身につくのでも学ぶことのできるものでもなくて、生まれつきか、何かまた他のしかたで人々に備わっているものなのでしょうか?

「徳」と訳されているギリシア語の「アレテー」は、あるものの卓越したあり方を指しています。たとえば、以下のことを意味します。

アレテーとは

  • 「馬のアレテー」と言った場合には、「早く走ること」を意味する
  • 「衣服のアレテー」と言った場合には、「裸を防護すること」や「着飾ること」といったことを意味する
  • そして「人間のアレテー」と言った場合には、「理性的に思考すること」のみならず「勇気ある行動をとること」「節制した態度を保つこと」「正義にかなった行為をすること」も意味する。特に、最後の三つはすべて道徳的なものだと言える

「アレテー」を「徳」と訳す場合、それがすべて道徳的なものであるわけではないのですが、人間の場合には道徳的なものが多く含まれていることは事実です。

『メノン』で問いかけられているのは、人間にとっても重要だと思われるそうした徳について、それを或る人間が他の人間に教えることができるのかどうかです。



2-2:徳とは

しかしプラトンは、徳の教授可能性という問題そのものを論じる前に、そもそも徳とは何なのかということを問題にします。そして、メノンはいくつか徳の定義を提示してみるものの、ソクラテスはそれらをすべて棄却し、次のように言います11同上、66頁

現にわたしのほうは、徳が何であるか、知らないのだ。それに対しきみのほうは、おそらく初めにまだわたしに「ふれる」までは、徳を知っていたのだろう。しかし今は、徳を知らない人間とおなじようなことになってしまった。

これに対してメノンは、「探究のパラドクス」と呼ばれていることについて言及します。すなわち彼は、それが何であるのか知らないものである「徳」について、わたしたちがそれについて何も知らない場合、そもそもそれについてわたしたちは探究することができるのかという問題点を次のように指摘します12同上、66頁

それで、ソクラテス、あなたはどんなふうに、それが何であるか自分でもまったく知らないような「当のもの」を探究するのでしょうか? というのもあなたは、自分が知らないもののなかで、どんなところに目標をおいて、探究するつもりでしょうか? あるいはまた、たとえその当のものに、望みどおり、ずばり行き当たったとして、どのようにしてあなたは、これこそ自分がこれまで知らなかった「あの当のもの」であると、知ることができるでしょうか?

このパラドクスを乗り越えることのできる考えとして導入されるのが想起説です。『メノン』では、次のような神話的な語り口によって想起説が導入されます13同上、70頁

魂は不死であり、すでに何度も生まれてきており、この世のことでも冥府のことでもあらゆることがらをすでに見てきたので、魂が学び知っていないことは何もないのだ。したがって、徳についても他のさまざまなことについても、なにしろ魂が以前にもう知っていたことなので、魂がこれらを想起できることには何の不思議もない。

ここからは、魂の不死と想起説が密接に連関していることが窺えます。そしてこのことは『パイドン』においてより詳しく論じられることになるのです。

※『パイドン』についてより詳しくはこちらの記事→【プラトンの『パイドン』とは】要約・学術的議論をわかりやすく解説

それでは『メノン』では想起説をどのようにして人々に説得的に示すのかといえば、召使いの少年を登場させる有名な実験が紹介されます。

作中のソクラテスは、幾何学について何の知識もない少年に対してさまざまな質問を繰り返すことで、面積を倍にした時の正方形の辺の長さを少年に求めさせます。その具体的な要旨は次のとおりです14エルラー『プラトン』、188–189頁

その召使いは与えられた二プゥス[古代ギリシャの長さの単位。一プゥスは約三十センチメートル]の長さの辺からなる正方形(四平方プゥスの面積)に対して、二倍の面積(八平方プゥス)をもった正方形を見出さなければならない。召使いが何度か失敗したのち、ソクラテスは最初の正方形と同じ大きさの四つの正方形から、一つの正方形を作ることを助言する。そうすると、その正方形は元となった正方形の四倍の面積を有しており、十六平方プゥスなので求められている正方形の二倍の面積がある。求められている正方形を見出すためには、これを半分にしなければならない。さらにソクラテスは、大きな正方形の部分である四つの正方形のそれぞれに対角線を書き入れるよう助言する。そのときその召使いは、対角線を書き入れることで部分となっている正方形のそれぞれを二等分していること、またそれぞれの内側にある三角形が一つの正方形を形作っていることを知る。そしてその正方形が元となった正方形の半分のもの四つを仲立ちとして、それで元となった正方形の二倍の面積を成していること、したがってそれが求められている正方形であるということを知る。元となった正方形の対角線は、この求められている正方形の辺なのである。

この辺は無理数になるわけですが、学がないはずの召使いの少年がこのように幾何学の問題を解くことができたことの理由としてプラトンは想起説を据えるわけです。

これは人間の知識全般に関する或る一つの独自な立場を保持していることも意味します。

つまり、わたしたちはすでにあらゆることを知っていて、あとはそれをいかに思い出すのかに注意すればいいというわけです。この想起説がプラトン以後の多くの哲学者を惹きつけてきたのです。

徳の教授可能性に関する問いかけに対しては、想起説が導入された後になってはじめて本格的に検討がなされるものの、結局のところ最終的な結論は出されずに終わります。

言いかえるなら、議論は振出しに戻って、そもそも徳とは何かについて徹底的に探究するべきだということが繰り返し述べられることになるのです15『メノン』渡辺訳、156頁

だが、われわれが徳そのものについて明確なことを知るのは、「いかにして徳は人々に備わるのか?」ということ以前に、「徳は、それ自体として、いったい何であるか?」の問題に着手するときなのだ。

2章のまとめ
  • 人間にとっても重要だと思われる徳について、それを或る人間が他の人間に教えることができるのかどうかが主題である
  • わたしたちはすでにあらゆることを知っていて、あとはそれをいかに思い出すのかに注意すればいい。この想起説がプラトン以後の多くの哲学者を惹きつけてきた

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3章:プラトンの『メノン』に関する学術的議論――徳は本当に教えられえないのか

さて、3章では、『メノン』は最終的に徳の教授可能性についてどう考えているのかという問題について考えます。ここでは二つの見方を取りあげます。

3-1:徳の教授可能性は(少なくとも間接的には)否定されている

これは徳の教授可能性について否定的だと考える見方です。そもそも、徳の教授可能性という問題はソクラテスの対話相手であるメノンが突きつけてきたものですが、この問題そのものが少なくともプラトンにとってはあまり意味のないものだと考えられます。

  • なぜなら、想起説にしたがうかぎり、わたしたち人間は徳についてすでに知っているので、徳を誰かから教わることよりも、むしろ自分で想起することが重要だからである
  • そうした想起の営みは、ソクラテスおよびプラトンが言う意味での哲学的な探求にほかならないので、メノンが言うような知識の伝授という仕方での教授とは全くもって異質のものであることになる

それゆえ、徳の教授可能性についてプラトン『メノン』は、少なくともメノンが言うような意味でのそれについては否定的だと考えることができます16酒井健太朗「想起説は「メノンのパラドクス」への応答か―『メノン』におけるプラトンの教育思想―」『環太平洋大学研究紀要』第17号、16–17頁

実際『メノン』の次の箇所は、想起説を核に人間の知識について考えようとするソクラテス側と、普通の意味での知識の教授だけを念頭に置こうとするメノンのあいだの隔絶を表現しているとも理解することができます。

なぜならメノンは、想起とはどのようなものであるかを「教えてくれますか」とあくまでソクラテスに問いかけるからです17『メノン』渡辺訳、71–72頁

メノン ええ、わかりました、ソクラテス。でも、わたしたちは学ぶのではなく、わたしたちが「学習」と呼んでいるものは「想起」であるということを、あなたは、どんな意味でおっしゃっているのでしょうか?

そのとおり、じじつ想起なのだと、あなたはわたしに教えてくれますか?

ソクラテス 先ほどもわたしはきみが抜け目のない男だと言ったのだが、いまもきみは、わたしがきみに「教えることが」できるかのように尋ねている。きみに引っかけられて、わたしがすぐに自己矛盾的なことを言ってしまうのがあからさまになるようにね。じつはわたしのほうでは、それは「教育」ではなくて「想起」だと言っているのだ。



3-2:徳の教授可能性はある意味では肯定されている?

他方で、『メノン』は徳の教授可能性について否定的だったとのみ考えてしまうと、そもそも『メノン』がこの問題について最終的な結論を出さなかったということとの整合性が問われます。

もしプラトンとしても徳の教授は不可能だということだけが言いたいのなら、それを素直に主張すればいいからです。そこで、『メノン』では徳の教授可能性について肯定的に考えることのできる余地がないのかどうかを考える必要が出てきます。

そこで直ちに考えられるのは、以下の点です。

  • 仮にソクラテス側が言う想起説をメノンが正しく理解したとするなら、メノンはソクラテスおよびプラトンが言うかぎりでの哲学的な探求にしたがって徳とは何かという問題に向き合いことができるようになるということ
  • その場合にはまさに、メノンはソクラテスから人間の知識に関する新しいあり方を教わっていることになる
  • その教授内容にはたしかに徳とは何かということに関する情報は含まれていないが、徳とは何かということについてわたしたち人間はどのように知りうるのかというよりメタ的な事柄については一定の理解をソクラテスは与えてくれている

そうした意味では、ソクラテスこそ徳について正しく教えることのできる者であり、かくして徳は教授可能であると条件つきではあるが言うことができます18久保徹「徳は教えられうるか――ソクラテスにおける徳と知の概念」『筑波哲学』第13号、97頁

こうした専門的な議論では確定的な解釈が模索され続けていますが、プラトン『メノン』がたんに徳の教授可能性というトピックについて「はい」か「いいえ」を問うだけのものではなくて、そもそも人間の知識とは何なのかというより大きくて重要な問題を問う書物であることは間違いないです。

わたしたち人間が知識とは何なのかということについて考え続けるかぎり、『メノン』は読み継がれていくのではないかと思われます。

3章のまとめ
  • 徳の教授可能性という問題そのものが少なくともプラトンにとってはあまり意味のないものだと考えられる
  • ソクラテスこそ徳について正しく教えることのできる者であり、かくして徳は教授可能であると条件つきではある

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4章:プラトンの『メノン』に関するおすすめ本

プラトンの『メノン』について理解が深まりましたか?

この記事で紹介した内容はあくまでもきっかけにすぎませんので、下記の書籍からさらに学びを深めてください。

おすすめ書籍

上枝美典『現代認識論入門――ゲティア問題から徳認識論まで』(勁草書房)

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チョムスキーが、自らの言語理論である変形生成文法の起源を思想史的な観点から振り返ることを試みた意欲作。合理主義(ないし理性主義)の歴史として、デカルト、ポール=ロワヤル文法、フンボルト、ロマン主義が取りあげられていく。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • プラトンの『メノン』とは、徳の教授可能性という問題を通じて、徳のみならず人間の知識のあり方についても哲学的に論じた書物である
  • 人間にとっても重要だと思われる徳について、それを或る人間が他の人間に教えることができるのかどうかが主題である
  • わたしたちはすでにあらゆることを知っていて、あとはそれをいかに思い出すのかに注意すればいい。この想起説がプラトン以後の多くの哲学者を惹きつけてきた

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