『トニオ・クレーガー』(Tonio Kröger)とは、そののちに発表された『ヴェニスに死す』などと同じく、芸術家の生態や本性という問題を主題に据えた中編小説です。ドイツ文学を代表する作家トーマス・マンが28歳のときに発表した作品(1903年刊行)です。
20世紀初頭にヨーロッパを包んでいた世相を踏まえ、芸術家という存在の不安定な実存を抉り出した本作は、後年に至るまでマンに、自己の心情ともっとも近いと言わしめ続けたことから、彼の文学活動初期の代表作と評されています。
また、北杜夫や三島由紀夫などの文学に大きな影響を与えたことから、『トニオ・クレーガー』は、昭和初期から中期にかけての日本文学を論じるうえでもきわめて重要な作品と位置付けられています。
そこでこの記事では、
- 『トニオ・クレーガー』のあらすじ
- 『トニオ・クレーガー』をめぐる諸議論
について解説します。
本作を読み解くために必要な時代背景や思想潮流にも言及し、多面的な解説を試みるので、興味のある方はぜひご覧ください。
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1章:『トニオ・クレーガー』のあらすじ
ここでは『トニオ・クレーガー』のあらすじを確認します。
伝統的な小説のあり方に異を唱えた新しい時代の小説家として評されるマンですが、少なくとも『トニオ・クレーガー』の執筆にさいしては、伝統的な小説(19世紀リアリズム小説)のスタイルを墨守しています。
全体を時系列に沿った九つの章に分割しているため、以下でもこうした構成上の特徴を最大限尊重し、それぞれの章の内容を順次確認していきます。
ちなみに、この記事では岩波文庫版(実吉捷郎訳)に依拠しています。
1-1:第1章
第1章では、本作の主人公トニオ・クレーガーが、破風のある北方の古い街で、友人であるハンス・ハンゼンと過ごした日々が語られます。
物語は、街の名誉領事も務める生真面目な商人を父に、快活で情の激しい南方生まれの女性を母にもつ14歳のトニオが、同じく街の有力者を父にもつ学友ハンスと街を散歩する場面から始まります。
トニオ
- 実務家である父の期待を背負いながらも、退屈な学校生活に馴染めず、多少の後ろめたさを感じながらも詩を書くことで日々を過ごしていた
- また、彼は異国風に響く自らの名前、母親由来の暗い色をしたひとみ、そして南方由来の顔立ちにいくらか劣後感を抱いていた
トニオとは対照的に、学業、スポーツともに秀でた人気者であり、オランダ風の水夫帽から綺麗なブロンドの髪をのぞかせる碧眼の友人がハンスでした。
トニオは、ハンスに対して、最近感銘を受けたシラーの『ドン・カルロス』について語り出します。しかし、自らが耽溺する文学にまったく興味を示さないハンスに、トニオは不満を抱いていました。
そして、トニオは父やハンスの属する、詩や文学の重苦しく錯綜した世界とは無縁の明るい市民生活にあこがれを感じ、さらには、活発で皆から愛されるハンスに密かな恋心を抱いていることを幼いながらも自覚します。
1-2:第2章
第2章では、16歳になったトニオが金髪の少女インゲボルク・ホルムに恋をしたさいの様子が描かれます。
多くの一流家庭出身の子弟とともに、クナーク講師から舞踏の厳しいレッスンを受けている場で、トニオは自身が、ハンスと同じく朗らかで、「豊かな明色の垂髪と、笑を含んだ切れ長の碧い眼と、鼻の上に薄くかかっているそばかす」1トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』(実吉捷郎訳)岩波書店、27ページ(以下、本作からの引用はページ数のみを記載)をもつインゲに心惹かれていることに気が付きます。
恋に落ちながらも、その一方で、美しく朗らかなインゲが、暗く錯綜した文学と生きる彼とはまったく違う世界の住人であり、両者は決して交わらないであろうことを悟ったトニオは、そのことに落胆し、やがて、ハンスやインゲが属する健康で快活な市民生活とは本質的に異なる「己の道」239頁を歩み出します。
1-3:第3章
第3章では、故郷を去ったトニオが、少年期より親しんできた芸術にもはや後戻りできないほど深くはまり込んでいく様子が叙述されます。
父が死去し、この世の栄華を極めていたクレーゲル家が没落したことを契機に、故郷の街を見捨てたトニオは、「彼が地上で最も崇高だと思った力[…]つまり、[…]精神と言語との力」341頁に身を委ね、文学者としての道を進み始めます。
方々の大都会や官能性の高まりを実感できる南方の地を転々とし、そのあいだ孤独を感じながらもひたすら創作活動にのみ没頭したトニオは、結果として、鋭い芸術的感性を手にし、関係各所を唸らせるような作品をいくつも発表するようになります。
しかし、それと同時に、芸術家の苦悩や認識の苦しみをまったく理解しようとしない市民連中の凡庸さに対して、強烈な軽蔑の念を抱くようになります。
1-4:第4章
第4章では、トニオが友人の画家リザヴェータ・イヴァノヴナに対し、自身が考える芸術家の存在意義について長々と吐露する様子が語られます。
有名芸術家としての地位を不動のものとし、30歳を超えて南ドイツに位置するミュンヘンに居を構えたトニオは、画家であるリザヴェータのアトリエを訪れ、「芸術家とは何ぞや」455頁という問いに対する独自の見解を披露します。
トニオはそこで、ほんらい、人間味あふれる「暖かな誠実な感情」552頁や凡庸な市民が求める「健全な強壮な感情」652頁を捨て去ることで得られる、「人間的な貧しさと寂寥」752頁のみが芸術に資することを確認します。
しかし、自分の奥底には、軽蔑していたはずの前者への漠然としたあこがれが存在し、すべてを捨てて芸術に殉じられないことを告白します。
また、こうした告白を聞いたリザヴェータは、トニオの本性が結局のところ、「横道にそれた俗物」869頁に過ぎないことを指摘します。
1-5:第5章
第5章では、デンマークへ旅たつことを決めたトニオとリザヴェータの会話に焦点が当てられます。
トニオは、リザヴェータとの会話を通して、自分のなかに眠る市民性を再認識します。
そして、彼女に対して、父親から受け継いだ自らの北方的な性向にしたがい、幼き日に親しんだ食事や名前の響き、あるいはかつて詩の題材としたバルト海と再会するため、北欧デンマークへと旅立つ準備をしていることを告白します。
また、リザヴェータに旅行の道筋を尋ねられたトニオは、その途上で、13年前に見捨てた故郷の街にも立ち寄る用意があることを語ります。
1-6:第6章
第6章では、トニオが故郷の街に再来したさいの様子が叙述されます。
汽車を乗り継ぎデンマークへと向かう途上で故郷の街に降り立ったトニオは、ふと思い立ち、自らの生家へと足を運びます。
そこで、トニオはかつて家族と暮らし、思い出の詰まった巨大な屋敷が、「民衆図書館」という名の施設に生まれ変わり、少年期を過ごした自分の部屋でも見知らぬ人々が黙々と業務をこなしているのを目の当たりにします。
複雑な感情を抱きながらも、ほかに特別やることのないこの古びた街をあとにし、旅行の目的地であるデンマークへ出発することを決意します。
ホテルを出発しようとした矢先、彼を逃亡中の詐欺師と誤認した警察官の尋問を受けたトニオは、ひとりの芸術家である自分は、傍から見るとすでに、詐欺師と同様に健全な市民者からははるかにかけ離れた存在になっていることに再認識します。
1-7:第7章
第7章では、デンマークへと向かう船上での出来事、ならびにトニオのコペンハーゲン滞在について語られます。
見知らぬ男との船上での会話を経て、デンマークの首都コペンハーゲンに到着したトニオは、彼の故郷のものと似た「曲がった格子模様の破風を持つ古い家々」「昔なじみの名前」、そして、昔懐かしい「碧い眼」や「金髪」999頁から構成された街並みを心から享受します。
その一方で、賑やかな市内に嫌気がさしたトニオは、同じく幼き日の思い出のひとつに数えられる穏やかなバルト海を求めて、コペンハーゲンよりさらに北方に位置するヘルシンゲル市内の「小さな白い海水浴旅館」10100頁に移動し、このホテルにしばらくのあいだ滞在することを決心します。
1-8:第8章
第8章では、デンマークに逗留中のトニオが、幼き日の友であるハンスとインゲと偶然にも再会する場面が描写されます。
日によって姿を変える海の多彩さに感嘆しながら、ゆったりとした日々を過ごしていたトニオは、滞在しているホテルに大勢の紳士淑女が家族連れで来館し、周囲が少しばかり賑やかになっていることを感じ取ります。
トニオは、ホテルで知り合った魚商から、彼らの目的が「遊山と舞踏会」11105頁であることを聞きつけます。
そして、その一団を見渡したトニオは、そのなかに、幼き日に密かに恋をしたふたりの学友、優等生ハンスと金髪のインゲがいることに気が付きます。優雅な舞踏が繰り広げられるなかで、トニオは、仲睦まじく会話するハンスとインゲに話しかけようと試みます。
しかし、芸術家としての自分が、素朴で秩序正しい市民生活と訣別したある種の異常者であることにかんがみ、結局は、孤独と寂寥のなか、甘美な音楽が響き渡る舞踏会の会場をそっと後にすることを選択します。
1-9:第9章
第9章では、デンマークにいるトニオが、ミュンヘンに住むリザヴェータへ送った手紙の内容が示されます。
この手紙のなかでトニオは、ひとりの芸術家として、凡庸さを特徴とする市民集団を心から憎み、「偉大な悪魔的な美の道」12124頁を邁進するほかの芸術家の心情を充分に理解します。
その一方で、自分のなかにはやはり、「金髪碧眼の、晴れやかに溌剌とした、幸福で愛想のいい凡庸な人々」13125頁への愛情も確固として存在しており、これら相反するふたつの感情のあいだで、自らの芸術が成立していることを告白します。
2章:『トニオ・クレーガー』をめぐる諸議論
さて、2章では『トニオ・クレーガー』をめぐり研究者や文芸評論家のあいだでどのような議論が買わされているかを見ていきましょう。
以下では、数多くある議論のなかから、『トニオ・クレーガー』を読み解くうえでとりわけ重要と思われる解釈や見解を紹介します。
2-1:芸術家について
トーマス・マンの小説は芸術家の生態や本性という抽象的なテーマをたびたび扱っていますが、トニオという文学者を主人公とした『トニオ・クレーガー』も、『ブッデンブローク家の人々』や『ヴェニスに死す』などと並んで、こうした小説のひとつに数えられます。
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上記でみたように、『トニオ・クレーガー』において芸術家は次のような不安定な存在として捉えられています。
マン独自の芸術家観
- 不健全でかつ南方的な芸術の世界にどっぷりと浸かり、そこを自らの居場所と定めている
- 一方で、トニオの父、友人ハンス、金髪のインゲに代表される秩序ある北方的な市民の世界への愛情を捨てきれない
こうしたマン独自の芸術家観については、精緻な分析が数多く提出されています。
また、こうした図式的で二項対立的な芸術家観は、すでに述べたように『トニオ・クレーガー』だけではなく、『ブッデンブローク家の人々』や『ヴェニスに死す』でもテーマ化されていますが、その結末は作品によって微妙に異なります。
たとえば、『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハは、最終的には健全な市民の世界とのつながりを完全に捨て去り、肉体的な死をも伴いながら退廃的な美の世界に殉じています。(→より詳しくこちらの記事)
一方で、本作のトニオは、世俗的な市民の世界を嫌悪しつつも、結局は、そうした世界に生きる凡庸な人々との接点を積極的に肯定しており、こうした結末の差異についても日々研究が進められています。
2-2:市民性の問題
また、トニオがあこがれを抱く健全かつ凡庸である市民性についても、さまざまな角度から議論が交わされています。
たとえば、19世紀末から20世紀前半にかけてヨーロッパの各文化圏で、ポーやボードレールの影響のもと、退廃的あるいは反市民社会的と評されることを厭わず、ただ美に耽ることだけを目的とした芸術、すなわち、耽美主義の芸術が流行していました。
美の価値を深く理解しながらも、秩序ある市民社会とのつながりを保ち続ける芸術家を描いた『トニオ・クレーガー』は、マンが美の無目的な追求だけを旨としているわけではない、新たな芸術家像を突き詰めた成果であったと解釈されています。
また、後年のマンは、トニオと同じく、芸術のもつ非理性的で悪魔的な側面を重要視しながらも、理性、進歩、平和、デモクラシーなど市民社会を特徴づける価値観を積極的に擁護する動きを随所で見せています。
この意味でも『トニオ・クレーガー』は、作者であるマンの心情をもっとも直接的に反映した作品であると評価されています。
2-3:日本文学への影響
ドイツ語版の刊行直後から翻訳が試みられるなど、『トニオ・クレーガー』は日本でも長らく親しまれ、また、多くの作家が本作から受けた影響を告白していることから、日本文学を論じるうえでも、『トニオ・クレーガー』は見逃せない作品であると位置付けられています。
とりわけ昭和期の作家には『トニオ・クレーガー』から影響を受けた人物が多いです。
ペンネームの由来を本作にもつ北杜夫や、戦後日本を代表するロマン主義作家三島由紀夫は、各所で芸術家として生きるにあたって本作から多大な影響を受けたというエピソードを披露しています。
また、ノーベル賞作家である大江健三郎や小説や随筆で名高い辻邦生なども、いたるところで『トニオ・クレーガー』について言及しています。
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2-4:その他の論点
ここまで、『トニオ・クレーガー』に対して提出されたさまざまな解釈や見解を紹介してきましたが、言うまでもなく、上述した解釈や見解だけで、本作をめぐるすべての論点が語り尽くされたわけではありません。
たとえば、本作に通底する自伝的要素や、トニオがハンスに示す少年愛、同性愛的傾向など、『トニオ・クレーガー』には依然として多くの論点が存在し、これらの論点については、多くの文学研究者や文芸評論家が活発な議論を交わしています。
- 二項対立的な芸術家観は、作品によって微妙に異なる
- 『トニオ・クレーガー』は、マンが美の無目的な追求だけを旨としているわけではない、新たな芸術家像を突き詰めた成果であった
- 日本文学を論じるうえでも、『トニオ・クレーガー』は見逃せない作品である
3章:『トニオ・クレーガー』をより深く知るために
『トニオ・クレーガー』に関して理解を深めることはできましたか?
以下では、『トニオ・クレーガー』をさらに深く知ろうとする際に参考となる文献をいくつか紹介します。
『トニオ・クレーガー』の各翻訳
刊行から100年を超える『トニオ・クレーガー』には、本解説が依拠した岩波文庫版(実吉捷郎訳)に加え、旺文社文庫版(植田敏朗訳)、新潮文庫版(高橋義孝訳)、河出文庫版(平野卿子訳)、光文社古典新訳文庫版(浅井晶子訳)など数種類の翻訳が存在します。それぞれの翻訳において喚起されるイメージは微妙に異なるため、そのそれぞれを読み比べることで、『トニオ・クレーガー』をより複層的、重層的に味わうことができます。
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辻邦生『トーマス・マン(20世紀思想家文庫1)』(岩波書店)
辻邦生によるトーマス・マン論です。本書は基本的には『魔の山』研究として側面が強いですが、『トニオ・クレーガー』についても随所に言及があり、とても興味深い議論がなされています。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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- 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 『トニオ・クレーガー』とは、芸術家の生態や本性という問題を主題に据えた中編小説である
- 『トニオ・クレーガー』は、マンが美の無目的な追求だけを旨としているわけではない、新たな芸術家像を突き詰めた成果であった
- 日本文学を論じるうえでも、『トニオ・クレーガー』は見逃せない作品である
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