西洋哲学

【プラトンの『国家』とは】要約して内容をわかりやすく解説

プラントンの『国家』とは

プラトンの『国家』とは、哲人王の思想を中心とする理想国家について論じた哲学書です。政治に関することのみならず哲学の諸問題が広く論じられています。

日本社会において多様な読解がされてきましたが、現代では倫理的問題や思想的課題に対してプラトンの哲学を活用するという意義が見出されてもいます。

この記事では、

  • プラトンの『国家』の時代背景
  • プラトンの『国家』の要約
  • プラトンの『国家』の学術的議論

をそれぞれ解説していきます。

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1章:プラトンの『国家』とは

1章では、プラトンの『国家』を読む前に知っておきたい時代背景や問題意識を簡単に解説します。『国家』の要約から知りたい方は、2章から読み進めてください。

※1万字を超える記事となっていますので、ブックマークして好きな箇所から読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:時代背景

プラトンは古代ギリシアの哲学者で、アテナイ(現在のアテネ)という都市で生まれそこで死にました。彼が生まれた時は、次のような状況がありました。

時代背景

  • アテナイはスパルタとギリシア世界での覇権をめぐって戦争状態にあった(ペロポネソス戦争)
  • プラトンがおそらく20代の頃にこの戦争は終了したが、アテナイはスパルタに全面降伏することになった
  • 当時のギリシアにはアテナイやスパルタといったポリスと呼ばれる都市国家が多数存在しており、覇権を争う都市国家の対立は政情の不安を招いた

そうしたなかでプラトンは、高い家柄の出身であったため政治家になることもできたのですが、ソクラテスという哲学者の下で、政治家の道に進まずに哲学者になる道を選びました2内山勝利「プラトン案内」『プラトンを学ぶ人のために』内山勝利(編)7–9頁、世界思想社

1-2:プラトンの問題意識

それでは、プラトンは全く政治に関心をもたずに哲学をしていたのかというとそうではありません。むしろ彼は、政治に強い関心をもっていたからこそ哲学の道に進んだと言うこともできます。

彼が晩年に書いた文章には次のように書かれています3内山勝利(訳)「プラトン『第七書簡』」R・S・ブラック『プラトン入門』内山勝利(訳)247頁、岩波書店

この哲学によってこそ、国家公共の正義も個々人に関する正しいあり方も、すべて見究めることができるのであり、されば、正統的な哲学にほんとうにたずさわっている類いの者が国政の座に就くか、あるいは現に諸国において政権を掌握している類いの者が、何か神の配剤のごときものによって、ほんとうに哲学するようになるかするまでは、人間の族(うから)が悪禍をまぬがれることはないであろう

プラトンがここで述べているのは「哲人王」の思想です。

彼は、将来的に哲学者が国政を担うか、あるいは現在において国政を担っている者が哲学者になるかすることではじめて、人間は正しいあり方を実現させることができると言うのです。

この記事で解説する『国家』には、伝統的に「正義について」という副題がつけられることが多いほどです。したがって、『国家』という著作の問題意識をあえて一言で言うなら、それは「正義とは何か」とさしあたりは答えることができます。

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2章:プラトンの『国家』の要約

全十巻からなる『国家』の構成は、大きく分けると次の五つの部分から成っています。

  1. 「正義とは何か」という問題の導入といくつかの検討(第1巻)
  2. 国家の正義と個人の正義(第2巻~第4巻)
  3. 理想国家と哲学(第5巻~第7巻)
  4. 不完全国家とそれに対応する個人の性格、幸福について(第8巻~第9巻)
  5. 詩人追放論と魂の不死(第10巻)

以下では、それぞれの部分のなかでも特に有名な箇所について取りあげていきます。特に、③については重要な部分を少し詳しく説明しています。

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2-1:トラシュマコスとの対話

『国家』は架空の対話編という形式で書かれており、ソクラテスがさまざまな人と議論しながら話が進んでいきます。①では「正義とは何か」についてソクラテスが問答していく様子が描かれていますが、なかでもトラシュマコスという人物との問答が有名です。

  • ソクラテスは、正義とは「強い者の利益にほかならない」4プラトン『国家(上)』藤沢令夫(訳)(岩波書店)55頁と主張するトラシュマコスの見解を批判的に吟味していった
  • そして、第1巻の終わりで「討論の結果ぼくがいま得たものはと言えば、何も知っていないということだけだ」5同上、110頁と現段階の状況をプラトンは総括する

プラトンの他の対話編ではこのような仕方で議論が終わったまま著作も閉じられてしまうことがありますが、『国家』ではこの続きで正義に関する論述が続いていきます。

2-2:完全な国家であるために必要な四つの徳と魂の三部分説

②においてプラトンは、理想国家のあるべき姿について論じるなかで、「この国家は、〈知恵〉があり、〈勇気〉があり、〈節制〉をたもち、〈正義〉をそなえていることになる」6同上、315頁と述べます。

知恵、勇気、節制、正義の四つは、西洋哲学では「枢要徳」とも呼ばれるもので、個々の人間がよく生きるために発揮しなければならない倫理的な徳として重要なものとされています。

ただしプラトンは、枢要徳をまずは国家の次元で考えていることが特徴的です。たとえば、プラトンは以下のように指摘しています。

  • 知恵・・・「全体としての国家自身のために、どのようにすれば自国内の問題についても他国との関係においても、最もよく対処できるかを考慮するような知識」7同上、318頁
  • 勇気・・・「恐ろしいものとは何であり、どのようなものであるかについて、法律により教育を通じて形成された考えの保持」8同上、321頁
  • 節制・・・「一種の秩序のことであり、さまざまの快楽や欲望を制御すること」9同上、325頁
  • 正義・・・知恵を国家の政務や守護を担う支配階級の人々に、勇気を戦士階級の人々に、節制をそれ以外の一般階級の人々に割り当て、それぞれの階級の人々が「国家においてそれぞれ自己本来の仕事を守って行なう場合、このような本務への専心は[略]〈正義〉にほかならない」10同上、337頁

このようにみると、国家において正義は他の三つの徳である知恵、勇気、節制がそれぞれ適切に機能してはじめて実現されるということです。そして、プラトンは国家の正義がどのようにすれば達成されるのかの見通しを示しています。

この知見から、プラトンは今度は国家ではなく個々の人間のなかにおいても正義は同様の仕方で成立するということを述べていきます。そこで提出されるのが「魂の三部分説」です。

正義が成立するためには知恵、勇気、節制がそれぞれ適切に機能する必要があるわけですが、個々の人間の魂のなかには以下の三つの部分があるとプラトンは考えます11内山勝利『プラトン『国家』――逆説のユートピア』(岩波書店)108–109頁

  • 知恵に対応する〈理知的部分〉
  • 勇気に対応する〈気概的部分〉
  • 節制に対応する〈欲望的部分〉

現代の私たちにとってこの場合は、「魂」を「心」に置き換えて考えた方がわかりやすいかもしれません。

人間は心のなかで、或る欲求について思い悩んだり、勇気ある一歩を踏み出すかについて迷ったり、あるいは目の前の状況に対してどのように行動するべきかと知恵を働かせたりします。心のこうしたさまざまな側面をプラトンは魂の部分として理解しているわけです。

このように『国家』は、単なる国家論のみならず人間論の側面も兼ね備えていることが窺えます。



2-3:三つの「大浪」

③は『国家』のなかでも最も「理想主義的な」ことが述べられている箇所として有名です。それは理想国家の話としてもそうですし、それだけでなくプラトン哲学の中核とも言える理論が出てくるからでもあります。

その理論とは、イデア論のことです。それゆえ、『国家』の中盤あたりに位置する③はかなり重要な箇所でもあることになります。

まずはプラトンが言う「三つの大浪」について紹介します。「大浪」という言葉によって意味されているのは、理想国家を実現させるためには不可欠だが実現が困難な方策のことです。

『国家』においてソクラテスが語るように「そもそもぼくの話すことが実現可能であるということからして、信じてはもらえないだろうし、またかりに何とか実現したとしても、そうしたことが最善のやり方であるかどうか、この点もさらに疑問とされることだろう」12『国家(上)』藤沢訳、380頁といったことが予想されるものとして、プラトンは三つの方策を提示するのです。

第一の大浪・・・男女で同一の職務と教育を提供すること13現代的に表現するなら、②で述べられたような身分の差は前提とされているので限定的な意味ではありますが、男女平等に近いことが述べられています

プラトンは、国家の政務や守護を担う支配階級には男も女も同等になることができることを次のように述べています14同上、396頁

国を治める上での仕事で、女が女であるがゆえにとくに引き受けねばならず、また男が男であるがゆえにとくに引き受けなければならないような仕事は、何もないということになる。むしろ、どちらの種族〔男女のこと――引用者注〕にも同じように、自然本来の素質としてさまざまのものがばらまかれていて、したがって女は女、男は男で、そちらもそれぞれの自然的素質に応じてどのような仕事にもあずかれる

プラトンは、女性の参政権が基本的に存在しなかった当時において、この主張が多くの人々に受けいれがたいものであることを十分に承知していました。このようなことが「大浪」と言われているわけです。

第二の大浪・・・妻女と子どもの共有という方策

これは、第一の大浪を見て続く大浪に期待したほとんどすべての人を裏切るものでもあるかもしれません。国政に関わる支配階級には男も女も同等に存在するべきことを述べたばかりなのに、プラトンは第二の大浪を次のように説明しています15同上、403頁

これらの女たちのすべては、これらの男たちすべての共有であり、誰か一人の女が一人の男と私的に同棲することは、いかなる者もこれをしてはならないこと。さらに子供たちもまた共有されるべきであり、親が自分の子を知ることも、子が親を知ることも許されないこと、というのだ

こうしてプラトンは、理想国家においてあるべき「共有」のあり方(主として支配階級の人々が保持するべきもの)をより詳しく述べていきます。たとえば、以下のような指摘しています。

  • 通常の婚姻制度は廃止して、できるだけすぐれた自然的素質をもち、またすぐれた働きをした者同士による子づくりを国家が管理すること
  • 生まれた子どもたちは親から切り離して国営施設で養育されること
  • また人々は決まった適齢期にのみ子づくりが認められ国家が認めない組合せの男女による子づくりが禁止されること

また、不適切な仕方で生まれてきた子どもたちについてはひそかに殺すようなことも仄めかされています。これらの記述はほとんどグロテスクだとでも言うべきものです。

しかし、プラトンの意図としては、支配階級のあいだでは妻子を含めてあらゆる私的なものの所有を禁止することで、国家の一体性をより強くしようとしていることが窺えます16内山『プラトン「国家」』、144–146頁

こうした側面がおそらく、戦前の日本でも社会主義者、共産主義者、国家主義者の興味を抱かせた部分だと思われます。

第三の大浪・・・哲人王のこと

『国家』では次のように述べられています17『国家(上)』、452頁

哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり〔中略〕あるいは、現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり〔中略〕国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。



2-4:イデア論

次に、イデア論について説明します。最後の大浪で哲学者のことを引き合いに出したことから、『国家』は次に哲学者とはどのようなことをする人たちであるのかを述べていきます。

そこで登場するのがイデアです。プラトンは、真の哲学者とは「真実を観(み)ることを〔中略〕愛する人たちだ」18同上、458頁としたうえで、哲学者以外の人々と哲学者の違いを次のように述べています19同上、460頁

いろいろのものを聞いたり見たりすることの好きな人たちは、美しい声とか、美しい色とか、美しい形とか、またすべてこの種のものによって形づくられた作品に愛着を寄せるけれども、〈美〉そのものの本性を見きわめてこれに愛着を寄せるということは、彼らの精神にはできないのだ

「彼らの精神にはできない」とされていること、すなわち美そのものを見ることこそ哲学者がすることであり、それがイデアを見ることでもあります。

プラトンの説明を踏まえるなら、美の場合と同様に哲学者は、何が正しいことであり何が不正であるかも見きわめることができるはずです。

そのようにあらゆる事柄について確実な知をもつ者こそが国政を治めるべきだとプラトンは考えていて、そうした知の客観的な根拠がイデアと呼ばれているのです。彼のイデア論は『国家』では哲人王の思想と一体となっています。

プラトンのイデア論については、『国家』に有名な比喩が三つ提示されています。すなわち、「太陽の比喩」「線分の比喩」「洞窟の比喩」の三つです。

これらはすべて、イデアのなかでも最上位にあるとされる「善のイデア」をめぐるものであり、私たちが善のイデアについて少しでもイメージが湧くようにするためにプラトンは三つの比喩を使っています。ここでも三つの比喩について簡単に見ていきます20内山『プラトン「国家」』、164–169頁

2-4-1:太陽の比喩

まず、太陽の比喩によれば、私たちがものを見るためには光が必要でありその光をもたらす大元こそ太陽であるということと同様に、私たちが何かを知るためにはその知を成立させるための根拠として善のイデアが存在していることが前提とされます。

  • 「知る」という認識のはたらきに注目したアナロジーで、プラトンは善のイデアが、知られる対象となる諸事物が存在することの根拠でもあると考えてる
  • すなわち、太陽が見られる事物としてこの世界に存在するさまざまなもの(たとえば、植物)を生成させ、成長させ、養い育むものであるのと同様にして、善のイデアも認識対象となる事物が存在することやその実在性を与えるものでもある

太陽が地上よりもはるか遠くにあることにおそらくはなぞらえて、善のイデアも「実在とそのまま同じではなく、位においても力においても、その実在のさらにかなたに超越してある」21プラトン『国家(下)』藤沢令夫(訳)(岩波書店)94頁と最後には言われています。

2-4-2:線分の比喩

次に線分の比喩は、やはり太陽の比喩と同様に「見る」ことと「知る」ことを類比的に捉える試みです。しかし、そのやり方として今度は線分を引いて考えることを提案します。

プラトンは、AC:CB=AD:DC=CE:EBとなるような線分ABを想定します。線分ABのうちACは「見られるもの」が存在する感覚的な領域を示し、CBは「知られるもの」が存在する知性的な領域を示しています。

  • 感覚的な領域
    →DCに相当するのは感覚的な事物そのものであるのに対して、ADはそうした事物の影に相当する
  • 知性的な領域
    →EBに相当するのが知性的な事物(すなわちイデア)そのものであるのに対して、CEはイデアを把握するための準備段階に対象とするようなもの(具体的には数学的な対象)に相当する

この図式において、善のイデアはBに位置づけられることになります。このように線分の比喩は、事柄としては太陽の比喩で言われていることを基本的には図式化したものですが、太陽の比喩には直接的に出てこなかったADやCEの部分に関することが新たな話題として提示されています。

つまり、ここから読み取れるのは、私たちがイデアを把握するためにはある程度の段階が必要だということです。

感覚的な領域でも私たちは、太陽によってできる影によって太陽の位置を推定することができます。それと同様に、図形や数などの数学的な対象のように頭の中では不変のものとして捉えられるような事柄を考え抜くことで、最終的には美とは何かや正義とは何かといったさまざまなイデアを見ることができるのだとプラトンは考えていたわけです。

2-4-3:洞窟の比喩

最後の洞窟の比喩は、私たちがイデアを把握するにいたるより具体的な過程を、暗い洞窟のなかから明るい光の下へと出ていく過程として描くものです。

まず、洞窟の内部は感覚的な領域に相当します。この比喩によれば、私たち人間は洞窟の奥底にある壁に対面するような仕方で縛られていて、後ろを振り向くこともできません。

  • 洞窟の中ほどには、燃える火が置かれている。その前を人間などの模造物が操り人形のように持ち出されると、それに応じて洞窟の奥底の壁面にはその影絵が映し出される
  • 縛られたままの人間は、その影絵が真実のものだと思い込んで生きている
  • しかし、ある時その縛られた人間のうちの一人が解放された場合、影絵で見せられたものが徐々に本物ではないことに気づく
  • さらにその人は、洞窟の険しい坂を上っていて、やがては外に出て太陽の光の下にさらされる

最初はまぶしさのために何も見ることができませんが、やがては周りを見渡して真実の事物を見ることができるようになります。

そして太陽それ自体をも直視できるようになると、その太陽こそが地下の世界を含めてあらゆるものの原因となっていることを知るにいたるのです。

このように洞窟の外は、知性的な領域に相当しています。この最後の比喩でも太陽が出てくることからわかるように、プラトンは三つの比喩をバラバラのものとしてというよりはむしろ一体のものとして提示していると考えることができます。

こうした比喩をふんだんに用いていることが『国家』におけるイデア論の最大の特徴であり、『国家』の魅力でもあるのです。



2-5:五種類の国制に関する比較

①~③までの議論は総じて、理想的な国家のあり方に関するものでした。それを踏まえて④は、プラトンが理想とするような国制を「優秀者支配制」(ギリシア語で「アリストクラティア」)としたうえで、それを他のより不完全な四つの国制と比較することを主眼とします。

その四つの国制とは、「名誉支配制」「寡頭制」「民主制」「僭主制」です。これらはこの順番で堕落しているものとされていて、「僭主制」は最悪の国制とされています。ここでも四つの国制について簡単に見ていきます22天野正幸『正義と幸福 プラトンの倫理思想』(東京大学出版会)、99–169頁

2-5-1:名誉支配制

まず名誉支配制に特有のこととしては、支配階級に哲学者ではなくて戦士階級(すなわち軍人)を据えるということがあります。プラトンも、以下のを挙げています。

  • 「知者たちを支配の座につけることを恐れるという点」23『国家(下)』藤沢訳、198頁
  • 「気概に満ちたもっと単純直情の人々、平和よりもむしろ戦争に向いた資質の人々に好意を寄せ、そうした戦争に関する策略や工夫を尊び、いつも戦争のうちに時を過すといった点」24『国家(下)』藤沢訳、198頁

2-5-2:寡頭制

次にプラトンは、少数の金持ちが国政を司るような体制を「寡頭制」(ギリシア語で「オリガルキア」)と呼んでいます。この寡頭制についてはもはや欠点しか言われないようになります。

寡頭制の欠点

  • もはや国政をわきまえていない人が国政にたずさわっていること
  • 貧富の差が広がって国内に対立が生まれること
  • 国内に対立があるため外敵に弱いこと
  • 「自分の持物のすべてを売り払うことができて、他人がそれを手に入れることが許されるということ、そして売りつくした後、国の構成員としてなんらの役割も果すことなしに、国家のうちに住みつづけることが許される」25同上、211頁こと

要するに、乞食などの無産者の発生がここでは問題視されており、この問題がこれ以降も考慮されることになります。

2-5-3:民主制

次に取りあげられるのが民主制で、これはソクラテスやプラトンが生きていた時代のアテナイで基本的に採用されていた国制です。第一に取りあげられる特徴としては、以下の点を挙げています26同上、227頁

人々は自由であり、またこの国家には自由が支配していて、何でも話せる言論の自由が行きわたっているとともに、そこでは何でも思いどおりのことを行なうことが放任されている

しかし、プラトンは民主制がそれほどよくない国制だと考えていて、その考えを一言でまとめるなら自由放任が過ぎるということに収束します。

彼が皮肉を込めて言っているように、民主制の国家においては「〈傲慢〉を『育ちのよさ』と呼び、〈無統制〉〔アナーキーの意――引用者注〕を『自由』と呼び、〈浪費〉を『度量の大きさ』と呼び、〈無恥〉を『勇敢』と呼んで、それぞれを美名のもとにほめ讃え」27同上、238頁られてしまうからだというわけです。

ここはプラトンによる民主制への批判が反映されている箇所として読む必要があります。

2-5-4:僭主制

最後に取りあげられるのは僭主制です。独裁制と言ってもいいかもしれません。プラトンによれば、僭主制は民主制がさらに堕落した最も劣悪な国制です。彼は以下のように指摘しています28同上、247頁

僭主独裁制が成立するのは、民主制以外の他のどのような国制からでもないということだ。すなわち、思うに、最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるのだ

要するに、民主制の自由放任が行きすぎると「何でもあり」になってしまい、民衆を巧みに扇動する者が独裁者になることをプラトンは想定しています。

寡頭制によって生じた無産者がそのような扇動に翻弄されることが危惧されてもいます。現代のポピュリズムと共通する面があるかもしれません。



2-6:詩人追放論とエルの物語

『国家』の最終巻にある⑤は、他の論点に劣らずプラトンの哲学にとって重要な位置を占めるものです。

一つは詩作などの文学的な創作を批判する「詩人追放論」を提示しているからであり、もう一つは魂の不死に関わる「エルの物語」を最後に語って『国家』が締めくくられていることです。

2-6-1:詩人追放論

詩人追放論は「詩(創作)のなかで真似ることを機能とするかぎりのものは、けっしてこれを受け入れない」29同上、338頁という言葉に端的に表れています。

プラトンによるこうした批判は真似るという「模倣」(ギリシア語ではミメシス)に対して特に向けられています。彼のイデア論を念頭に置くなら、重要なのはイデアという真実そのものを見ることであって、真実をただ模倣するだけでは不十分だというわけです。

それゆえ彼は「ホメロスをはじめとしてすべての作家(詩人)たちは、人間の徳――またその他、彼らの作品の主題となるさまざまの事柄――に似せた影像を描写するだけの人々であって、真実そのものにはけっして触れていないのだということを、われわれはここで確認することにしよう」30同上、356頁と大胆にも述べています。

2-6-2:エルの物語

詩人追放論を提示したプラトンが『国家』の最後に示すのは神話的な語りとも言える「エルの物語」です。これはエルという人物による臨死体験の報告というような体裁で語られる物語です。

彼の報告によれば、魂は死後に審判を受けることになっていて、現世で正しく生きた者には褒美が与えられるが、不正に生きた者には罰が課されます。またそうした褒美や罰が与えられた後には新たな生を迎えることになり、こうした輪廻転生が続いていくというわけです31田中伸司「エルの物語はどのように「私たちを救う」(『国家』第10巻621c1)のか」(『文化と哲学』第37号)71頁

魂の不死はプラトンの基本的な思想でもありますが、『国家』においても前提されていることがわかります。『国家』の最後は次のように締めくくられているのです32『国家(下)』藤沢訳、417–418頁

もしわれわれが、ぼく〔作中の人物であるソクラテスのこと――引用者注〕の言うところに従って、魂は不死なるものであり、ありとあらゆる悪をも善をも堪えうるものであることを信じるならば、われわれはつねに向上の道をはずれることなく、あらゆる努力をつくして正義と思慮とにいそしむようになるだろう。そうすることによって、この世に留まっているあいだも、また競技の勝利者が数々の贈物を集めてまわるように、われわれが正義の褒賞を受け取るときが来てからも、われわれは自分自身とも神々とも、親しい友であることができるだろう。そしてこの世においても、われわれが物語ったかの千年の旅路においても、われわれは幸せであることができるだろう

以上からもわかるように、プラトン『国家』は簡単な要約には収まらない豊かな内容をもった書物です。日本語訳でも通読するのはそれなりに大変かもしれません。

通読するのが難しい場合は、ここに示した要約のなかで興味をもった箇所から読み始めてみることをおすすめします。

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3章:プラトンの『国家』に関する学術的議論

3章では、プラトン『国家』に関する学術的議論のなかから、おそらく最も有名なものを紹介していきます。それは、哲人王の思想を含めて、『国家』で示される理想国家をどのように評価するかに関する議論です。

3-1:理想主義者プラトン――ベンジャミン・ジョウエットの解釈

プラトンの全著作が最初に英訳された1804年を一つの転機として、19世紀の英国ではプラトンが英語でよく読まれるようになりました。

そこで最も主流となった『国家』の読み方は、プラトンの全著作を読みやすい文章に英訳したベンジャミン・ジョウエットによるものです33ジュリア・アナス『1冊でわかる 古代哲学』瀬口昌久(訳)(岩波書店)42–50頁

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彼の解釈によれば、プラトンは実現可能性を抜きにして体系的に理想を述べた理想主義者とされます。『国家』の翻訳に付した序文で彼は次のように述べています34アナス『古代哲学』瀬口訳、47頁

プラトンが構想したような国家が実現可能かどうかを議論する必要はない。……なぜなら、彼の理念の実現可能性は、その理念が真理であることとは関係がないからである。

ジョウエットのこうした読み方は、彼が属していたヴィクトリア朝時代の社会状況がなくなった今日でもしばしば前提されることが多いです。

すなわち、『国家』は理想主義者の政治的主張であって、そこでは哲学や倫理学の問いが理想国家の枠組みで展開されていると考えるわけです。

現代ではこうした読み方は、『国家』を教育の題材としてあくまで批判的に吟味するための教材として使用することとつながっていることが見られます。



3-2:全体主義者プラトン――カール・ポパーの解釈

プラトン『国家』における理想国家は、20世紀には否定的な評価を多く下されることになります。それはプラトンが全体主義者なのではないかという批判です。

こうした解釈は複数の論者によって展開されましたが、最も知られているのは自身も有名な哲学者であるカール・ポパーによるものです。

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オーストリア出身の彼は、ユダヤ系の家系であったため、ナチス・ドイツの台頭にともなってニュージーランドに移住し、そこである本を書きます。それが『開かれた社会とその敵』で、その第1部「プラトンの呪文」で彼は全体主義者としてのプラトンを批判的に描きます。

ポパーの主張

  • 「私はプラトンの政治綱領が道徳面で全体主義より優っているなどとは言えず、根本的には同一であると信じる」35カール・R・ポパー『開かれた社会とその敵 第一部 プラトンの呪文』内田詔夫・小河原誠(訳)(未来社)98頁と指摘し、プラトンの全体主義をファシズムのみならずマルクス主義ないしレーニン主義にも重ね合わせる
  • それは「プラトンもマルクスも、社会全体を徹底的に変形する天啓的革命を夢想している」36ポパー『開かれた社会とその敵 第一部』内田・小河原(訳)163頁からである

ポパーの論調はあまりにも性急なものであったため、ほとんどのプラトン学者たちはそれに含まれる誤解を訂正することに追われることになりました。

それでも、ポパーのような読解から窺えるのは、それだけプラトン『国家』が挑発的な書物であるということです37内山『プラトン『国家』』、68–69頁。どのように読むのかということそのものが慎重に取り組まれるべき課題でもあることになります。

3-3:プラトンはフェミニストだったのか?

より現代的な関心に属する問題としては、プラトンが理想国家のなかで女性をどのような者として見なしているのかがあります。

20世紀米国の代表的な古代哲学研究者グレゴリー・ヴラストスは「プラトンはフェミニストだったのか」38Vlastos, G., “Was Plato a Feminist?” in Feminist Interpretations of Plato, edited by N. Tuana, Pennsylvania State University Press, pp. 11–23.という有名な論文で、この問いに対して肯定的に答えています。瀬口昌久もヴラストスの主張に同意して次のように述べています。

プラトンは優生学的な観点から女性に関心を持っているにすぎないと断罪する一部のフェミニストたちの主張は、かつてプラトンを全体主義者として批判したポパーたちの議論を継承するかのようである。しかし、プラトンの姿勢は、男女に等しい教育と機会が与えられるならば、共に等しく各人の適性に応じた仕事を果たすことができ、しかも、それが共同体にとって最善であるという考え方である。〔中略〕男女平等の職制というプラトンの提案は、西洋の思想史上初めて、しかも明確に、性に基づく職業や教育の区別を否定した考えの表明として、きわめて重大な意義を持っているのである。39瀬口昌久「国家」『プラトンを学ぶ人のために』内山(編)205–206頁、世界思想社

他方でやはり、こうしたヴラストスの主張について批判的な研究も存在します。40たとえば、ある研究によれば「プラトンは女性の生を女性のものとしては考慮してはおらず、別の要素としてのみ考慮している。すなわち、都市国家において安寧と秩序を創造することになる最善の社会的および政治的なシステムを考案する時に考慮されなければならない要素としてである。彼は人格をもった存在者の権利や性差間での平等にはたずさわっていない」Buchan, M., Women in Plato’s Political Theory, Macmillan Press, p. 148.と言われます。

プラトン『国家』をめぐるこうした議論にはもしかしたら終わりがないかもしれませんが、それは現代の私たちが今でも十分に『国家』を読む意義があることを意味すると考えられます。

人間が存在するかぎりこの終わりなき営みが続けられることで、未知の領域に行ける可能性が私たちにはまだあるのです。

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3-4:現代における意義

プラトンが哲学者として活動していたのは紀元前4世紀のことです。今からおよそ2400年前に書かれた哲学書が現代でも通用するのかはあなたも気になるところだと思われます。なかにはそんな昔の本はもはや読む必要がないと思う人もいるかもしれません。

プラトン『国家』を読む現代的な意義について考えるために、ここでは『国家』が日本でどのように読まれてきたのかを最後に簡単に振り返ります41納富信留『プラトン 理想国の現在』(慶應義塾大学出版会)127–170頁

3-4-1:戦前

まず、戦前において『国家』は、理想的な政治体制について述べる「政治的な」著作として受容されることが多かったです。

プラトンによる哲人王の思想には当時のギリシアにおける民主政治への批判も含まれていたわけですが、戦前の日本においても、現実の政治体制に対して不満を抱く人々がしばしばプラトンに共感しました。

そうした人々には社会主義者、共産主義者、国家主義者が含まれています。こうした動向はすべて、プラトン『国家』の思想に政治的な革命の可能性を読み込むものだったと言うことができます。

3-4-2:戦後

それが戦後になると、『国家』は必ずしも政治的な著作としてのみ読まれるものではなくなりました。より純粋に哲学について論じた書物として見なされるようになったと言ってもいいかもしれません。

このように読まれ方が変化したきっかけの一つとしては、それまではギリシア語原典ではなく他の言語からの重訳で紹介されるしかなかった『国家』が日本でもギリシア語から直接翻訳されるようになったことが大きいです。

『国家』の日本語訳として今もなお最も定評のある藤沢令夫による翻訳は、1976年に岩波書店の『プラトン全集』に収録され、1979年には岩波文庫に全二巻で収録されて現在にいたっています。その藤沢が、プラトンを学ぶ現代的な意義について実に興味深い発言を残しています42藤澤令夫「プラトンと現代」『藤澤令夫著作集I』123–124頁、岩波書店

「現代」という言葉が通常の漠然とした次元において受けとめられるかぎり、プラトンの哲学には、いわゆる「現代的意義」などというものはない。あるものはただ、永遠的意義だけであろう。こんにちのわれわれが、プラトンが生きた二千数百年前の時代とは異なった外的環境の中に生き、われわれが対処すべき現実の性格もプラトンのそれとは異なっていることは、むろんまぎれもない事実である。しかし、ひとたびわれわれがプラトンのしたように、現代に対してほんとうに主体的に参与しようとするならば、そして現代がわれわれに投げかける無数の問題を、たんに時論的なかたちにおいてではなく、思想そのものの問題として原理的なかたちで受けとめようとするならば、われわれはかならず、プラトンが提出し対決したのと同じ問題に行き当り、プラトンと共に考える自分を見出すであろう。

藤沢の発言を文字通り受けとめるのなら、プラトンの哲学には「永遠的意義」しかなく、したがって私たちがプラトン『国家』の現代的意義を問うことはそもそもナンセンスだということになるかもしれません。

しかしながらこうした発言は、プラトンの書物を研究する者にとっては一定以上の価値をもつものかもしれませんが、プラトン研究者になることはない大多数の人々にとっては必ずしも素直に納得できるようなものではないと思われます。

この点について、藤沢の下でギリシア哲学を学んだうちの一人でもある瀬口昌久は、プラトン研究者としての藤沢の考えに基本的には賛同しつつ、現代の倫理的問題や思想的課題に対してプラトンの哲学を活用することにも意義を見出しています43瀬口昌久「古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか」(『古代哲学研究室紀要:HYPOTHESIS』第13号)1–18頁

  • 工学倫理の観点から、プラトンが倫理的な知(そこには正義に関する知も含まれます)のモデルとして数学を基本とする技術知を想定していることに注目する
  • こうしたプラトンの考えは、工学という技術がまず先にあって、その後で倫理を考えていくという方向性ではなくて、むしろ工学という技術そのもののなかに倫理性を考える視点を切り開くものでもある

以上をあえてまとめるなら、プラトン『国家』はたしかに哲学の古典として「永遠的意義」をもつ一方で、現代的な問題意識をもつ人が読んでも必ずヒントとなることが書かれている書物でもあります。

もしかしたら藤沢も、プラトンの哲学はあらゆる時代において問題解決につながる可能性をもたらすという意味でそれに「現代的意義」ではなく「永遠的意義」を見出したのかもしれません。

いずれにしても、そのことを見極めるためには『国家』の内容についてより詳しく知っておく必要があります。

4章:プラトンの『国家』に関するおすすめ本

プラトンの『国家』を理解することはできましたか?最後に、あなたの学びを深めるためのおすすめ書物を紹介します。

おすすめ書籍

内山勝利『プラトン『国家』――逆説のユートピア』(岩波書店)

プラトン『国家』について日本語で読める概説書として一番おすすめできる本です。参考文献表も、より専門的に学んでいこうとする人にとても有益です。

『理想』第686号(「特集 プラトンの「国家」論」)(理想社)

一般向けに出版されている老舗の哲学系雑誌『理想』がプラトン『国家』について組んだ特集号です。正義、イデア論、洞窟の比喩などのさまざまな話題について日本の有名な研究者たちがユニークな記事を寄せています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • プラトンの『国家』とは、哲人王の思想を中心とする理想国家について論じた哲学書です。政治に関することのみならず哲学の諸問題が広く論じられている
  • 現代の倫理的問題や思想的課題に対してプラトンの哲学を活用するあり方もある

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