社会学

【5分で読める】『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とは?内容や批判を簡単に解説

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とは?

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism)とは、ドイツの社会科学者マックス・ウェーバーの論文で、プロテスタンティズムと近代資本主義との関係を論証したものです。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ウェーバーの代名詞的な論文であるとともに、社会学の古典として現代でもさまざまな分野で参照されています。

この記事では、

  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の背景知識と要約
  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関する学術的議論

をそれぞれ解説していきます。

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1章:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とは

1章では『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の背景知識を解説します。2章で、具体的な内容を要約しますので、用途に合わせて読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:マックス・ウェーバーとは

まず、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読むうえで知っておきたい背景知識として、著者であるウェーバーの生涯を大まかに紹介します。

マックス・ヴェーバーマックス・ヴェーバー(Max Weber 1864年 – 1920年)

ウェーバーの生涯

  • 1864年、ドイツに生まれる
  • 法学で博士号を取得し、30歳で大学教授になる。しかし、父親との関係悪化を機に精神疾患をわずらい、後に療養のため大学を退職する
  • 退職後も、宗教社会学の研究や、大著『経済と社会』の執筆など、意欲的に活動する
  • 1919年、「職業としての学問」「職業としての政治」という有名な二つの公演を行う
  • 1920年、56歳で生涯を閉じる

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は1904年に前半が、1905年に後半が、どちらも雑誌掲載の論文として発表されました。そして1920年、前後半をまとめ改訂したものが『宗教社会学論集』の一部として刊行されます。

なお、以上の生涯のあらましは安藤英治の『マックス・ウェーバー』を参照しています2安藤英治『マックス・ウェーバー』(講談社、2003年)

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1-2:ウェーバーの研究の特徴

次に、ウェーバーの研究の特徴をみていきましょう。ウェーバーの最も大きな問題関心の対象は近代という時代であり、そこに特徴的な合理主義や資本主義であったと言われています。

もう少し具体的に言うと、以下のようになります3中野敏男『ヴェーバー入門―理解社会学の射程』(筑摩書房、2020年)30頁

  • 近代の合理主義や資本主義が人間に対してどのような影響を持ち、それにどのように対処すればよいのかを考えようとした
  • このような研究対象に対して、ウェーバーは社会学的な方法を確立し、それを用いて研究を行った

このような問題関心の下、ウェーバーは広大な領域にまたがる研究を行うのですが、その最も大きなもののひとつが、比較宗教社会学の研究です。

この研究は未完に終わっていますが、『儒教と道教』、『ヒンズー教と仏教』、『古代ユダヤ教』など重要な論文があり、これらはすべて先述の『宗教社会学論集』に収められています。

そして、このような比較宗教社会学研究の出発点となったのが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』なのです。

そのため、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は決して独立した論文ではなく、ウェーバーの広大な比較宗教社会学研究の一部でありその出発点である、という理解が必要不可欠ともいえるでしょう。

1章のまとめ
  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とは、ドイツの社会科学者マックス・ウェーバーの論文で、プロテスタンティズムと近代資本主義との関係を論証したものである
  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ウェーバーの広大な比較宗教社会学研究の一部でありその出発点である
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2章:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容

さて、2章では『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の大まかな内容を要約します。

※あくまでの要約となりますので、原典に当たることを強く推奨します。今回の記事では、大塚久雄訳の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波書店)を参照しています。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、以下のような構成となっています。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

問題

  1. 信仰と社会層分化
  2. 資本主義の「精神」
  3. ルッターの天職観念―研究の課題

禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理

  1. 世俗内的禁欲の宗教的諸基盤
  2. 禁欲と資本主義精神

ウェーバーはこのように、全体の分量の三分の一ほどである第1章を通して問題を明確にし、それから第2章で実際の論証を行っています。

以下では、第1章と第2章に分けて要約していきます。

2-1:ウェーバーが問題としたのは何か

ウェーバーはまず、近代資本主義における経済的発展とプロテスタンティズムという宗教的信仰の関係に注目します。プロテスタンティズムとは、どのような宗教的特徴をもつのでしょうか?

プロテスタンティズムとは

  • 16世紀の宗教改革に端を発するキリスト教の諸教派の総称である
  • 儀礼や教会を重視していたカトリシズムを批判した
  • そして、聖書と信仰のみを重視する教義を展開し、神の前の平等を主張した
  • ピュウリタニズムやカルヴィニズムなどの多様な教派があるが、儀礼や装飾にお金をかけるカトリシズムに対して、一般的に質素で禁欲的な信仰生活を送るという特徴がある

より詳しくはこちらの記事で詳しく説明しています→プロテスタンティズムに関してはこちら

しかし、ウェーバーはいくつかの統計データを引用して、このようなプロテスタンティズムに関するひとつの事実を指摘します。

それは、プロテスタントはその社会的・政治的・歴史的な状況に関係なく、経済的合理主義への愛着を示してきた、という事実です。それとは対照的に、カトリック信徒には経済的合理主義への愛着は見られないといいます。

これらのことから、ウェーバーは最初の仮説を提示します。それは、禁欲的な信仰生活と資本主義的な営利追求という、一見相反するようなこの両者の間に何か内面的な親和関係があるのではないか、ということです。これが、検討される問題の核心となります。

続いて、問題をより明確化するために、「資本主義の精神」という概念の検討がなされます。これをまとめると、以下のようになります。

  • 単なる営利の追求という意味での資本主義はさまざまな時代や地域に見られるが、近代資本主義には営利の追求が「合理的に」なされるという特徴がある
  • そのような近代資本主義の初期においては、営利の追求やそのための労働が、倫理的な義務(「天職(Beruf)」)であるとみなされていた
  • すなわち、倫理的な義務(「天職(Beruf)」)としての営利追求を促進するために、さまざまな組織化や合理化が推し進められたと考えられる

そして次に、ウェーバーはこの「天職(Beruf)」という言葉の検討に入ります。そもそも、「職業」を意味するドイツ語の「Beruf」や英語の「calling」という語には、神から与えられた使命という宗教的な意味合いが込められています。

プロテスタントが優勢でない諸民族にはこのような意味での「天職」という言葉が存在しませんが、プロテスタントが優勢な諸民族にはそれが必ず存在しています。

このような「天職」概念の成立は宗教改革に由来すると考えられています。(→宗教改革についてはこちら

つまり、プロテスタントは、各人の生活における世俗的な義務を遂行することが神に与えられた使命であると考えていました。ここから、日常生活における世俗的な職業労働に宗教的な意味を認める発想が生まれます。

上記をまとめると、プロテスタントが純粋に宗教的な目的のために世俗的な労働に邁進しようとすることの意図せざる結果として、初期近代の合理的な資本主義の発展が部分的にもたらされたのではないか、という問題が提示されるのです。

ここで重要なのは、「プロテスタンティズムが資本主義を形成した」という単純な因果関係ではないということです。野口が以下の書物で指摘するように、「一見、まったく関係のない両者が相互に化学反応を起こす」4野口『マックス・ウェーバー』中公新書 76頁というイメージが大事になってきます。

では一体、ウェーバーはこの問題に対してどのような論証をおこなったのでしょうか?



2-2:実際の論証

ウェーバーはまず、禁欲的プロテスタンティズムの担い手として、次の4つを挙げます。

  1. カルヴィニズム
  2. 敬虔派
  3. メソジスト派
  4. 洗礼派諸信団

これらはそれぞれに異なる教義を持ち、それぞれに生活の組織化・合理化を推進する心理的な影響力を持つとされます。

そして、このうちウェーバーが議論の中心とするのは①のカルヴィニズムであり、その教義である予定説です。

なぜなら、ウェーバーによれば、生活の組織化・合理化への心理的推進力はカルヴィニズムの予定説において最も首尾一貫し卓越したものとなるからです。

カルヴィニズムの予定説

  • カルヴィニズムの予定説では、人間の誰が救われ誰が救われないかということはあらかじめ神の意志によって決定されており、人間の行為は救いには関係ないとされる
  • そのため、カルヴィニズムの信徒は、自らの救いに拘泥せず、ひたすら現世において神の栄光を実現する道具であろうとする
  • そして、労働を通して営利を生み出すことが、現世における神の栄光の実現であるとされる。
  • 神の栄光を最大化するために、労働と生活の合理化が追求される

このように、カルヴィニズムの予定説において、営利追求が最も合理化されることが示されます。

そして、②敬虔派、③メソジスト派、④洗礼派諸信団は、カルヴィニズムのような合理化の緩和されたものとして現れるとされます。

それぞれ具体的で詳細な検討がなされているのですが、ここでは割愛します。

続いて、カルヴィニズムにおける禁欲について、より詳細に検討されます。

ウェーバーによれば、カルヴィニズムにおいては、所有の上に休息することが道徳的に最も忌避され、常に労働し営利を生み続けることが宗教的な義務であると感じられています。

これは「能動的な禁欲」ということができ、この禁欲的な態度によって営利が追求されるという逆説的な現象が生まれることが示されるのです。

以上がウェーバーの論証の大まかな内容です。そして最後に、ウェーバーは当時の西洋における資本主義に話を向けます。

ウェーバーは、初期近代の資本主義に見られた「精神」は、現代の資本主義には失われつつあることを指摘します。つまり、本来の禁欲的精神が失われて単なる欲望が追求されているということです。そして最後に次のような言葉を残します5大塚・前掲書366頁

精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう

以上が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容の大まかな要約です。

2章のまとめ
  • 禁欲的な信仰生活と資本主義的な営利追求という、一見相反するようなこの両者の親和性が問題とされた
  • 禁欲的プロテスタンティズムの担い手として、カルヴィニズムがいる
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3章:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』への批判

3章では、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関する学術的議論を解説します。

まず、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関する伝統的な批判を紹介し、それから特に日本で問題となった論争を見ていきます。

3-1:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に対する批判と応答

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』における最大の問題は、ウェーバーが本当に近代資本主義とプロテスタンティズムの関係を論証できているのか、という問題です。

このことを批判して、伝統的にさまざまな反証がなされてきました。その一部を以下に例示します。

ウェーバーの批判

  1. 宗教改革以前にも資本主義や資本主義の精神は存在した
  2. プロテスタンティズムの創始者たちは誰も資本主義の精神など説いてはいない
  3. ウェーバーは宗教の内面に対する理解が乏しく、プロテスタンティズムの「神中心」性を看過している
  4. ウェーバーはプロテスタンティズムの多様性を無視している
  5. ウェーバーは「プロテスタンティズムが近代資本主義を生み出した」という単純化を行っており、近代資本主義の成立に寄与した多様な事実を無視している

しかし、ウェーバーの擁護者たちは、これらの反証はいずれも『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を精読することで解決可能であると主張しました。

以下に、それぞれの再反論をまとめます。

  1. ウェーバーは宗教改革以前の資本主義の存在を否定していない。しかし、近代の資本主義のみが高度な合理化を達成し経済全体を覆いつくすまでになっており、ウェーバーはこのような近代資本主義の特殊性を問題としているのだ
  2. ウェーバーは、プロテスタンティズムの創始者たちが資本主義的な拝金主義に反対していたことを認めている。ウェーバーの主張は、そのような反資本主義的な性格にもかかわらずその意図せざる結果として合理的資本主義が生み出されたという逆説的な現象である
  3. ウェーバーは宗教の内面的本質を問題としているのではなく、その歴史的・社会的な影響を問題としている
  4. ウェーバーはプロテスタンティズムの多様性を無視しているのではなく、近代資本主義への影響が特に強いと認めたカルヴィニズムやピューリタニズムに焦点を絞って研究しているのである
  5. ウェーバーは「プロテスタンティズム→近代資本主義」という単純化を行っているのではなく、近代資本主義の成立に影響した多様な歴史的事実の中の一例としてプロテスタンティズムを挙げ、その関係を論証しているのである

このように、ウェーバーは論証する問題に対して非常に厳密な限定を行っていることに注意が必要です。これは、ウェーバーの社会科学に対する態度やその方法論から導き出されるものです。

ちなみに、このようなウェーバーの社会科学的方法論は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と同時期に発表された、『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』という論文が参考になります。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、この『「客観性」』論文で示された方法論の最初の実用例であるとみなすこともできるため、併読するとより深く理解できるでしょう。

以上、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に対する批判とその反論の一部を挙げてきました。しかし、ウェーバーの論証が本当に成功しているのかという問題は、現代でも未だ解決されていない問題であり、今日も盛んに議論されています。



3-2:日本マックス・ウェーバー論争

次に、2000年代の日本に始まり今日にも続く論争となっている問題を紹介します。この論争は「羽入-折原論争」とも呼ばれています。

橋本努と矢野善郎(編)は『日本マックス・ウェーバー論争―「プロ倫」読解の現在』に従って、この論争をみていきましょう。

まず、2002年、羽入辰郎が『マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊―』を刊行し、ウェーバーやウェーバー研究者の学問姿勢を批判しました(本書は2003年に山本七平賞を受賞)。

それ対して、2003年、日本のウェーバー研究の第一人者である折原浩が『ヴェーバー学のすすめ』を刊行し、羽入の批判に応答します。

このような状況を、橋本努が自身の論文6橋本努「ウェーバーは罪を犯したのか―羽入-折原論争の第一ラウンドを読む」(『未来』2004年1月号、未來社、8-17頁)とホームページの特設コーナーで紹介しました。その結果、ネット上で広くこの論争が行われるようになっていきました。

羽入-折原論争のその後

細かくいえばこの後も、羽入・折原を中心としてさまざまな応酬がありした。また、この論争はウェーバー研究者のみならず広くアカデミズム全体をも巻き込む一大論争に発展し、今日においても論争は解決していないと言えます。

3-2-1:批判の内容

それでは、羽入によるウェーバー批判はどのような点に向けられたのでしょうか?簡潔にいえば、これは以下のような内容でした。

  • ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理がルッターのドイツ語訳聖書の「ベン・シラの知恵」における「職業」概念に由来するとしているが、それが英訳にも影響を与えたとするウェーバーの論証には不備がある
  • ルッター訳聖書の「コリントⅠ」には「天職(Beruf)」という言葉が見られないため、これがルッター訳聖書の「ベン・シラの知恵」に影響を与えたというウェーバーの仮説は成り立たない
  • ウェーバーは当時の「普及版ルッター聖書」に依拠したことで、その校訂過程を意図的に無視した杜撰な論証を行った

このように、羽入は厳密な文献学に基づくテキスト解釈をもとに、ウェーバーの論証が成立していないことを主張しました。

それに加えて、羽入はウェーバーが学問に対する誠実性を欠いていた、ということまでも批判したのです。

このため、この論争は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に限定されず、広く学問一般における誠実性の問題にまで発展しました。これが、この問題が広く論争の種となった所以です。

以上が、「羽入-折原論争」の内容です。ここでは詳しく紹介することはできませんが、この論争は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を理解するうえで重要であることに加えて、学問とは何かを考える際にも非常に示唆に富むものとなっています。

3章のまとめ
  • ウェーバーが本当に近代資本主義とプロテスタンティズムの関係を論証できているのかという点に批判がある
  • 厳密な文献学に基づくテキスト解釈を巡って、日本マックス・ウェーバー論争が起きた



4章:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関するおすすめ本

最後に、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をより深く理解するための書籍を紹介します。

おすすめ書籍

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波書店)

日本におけるウェーバー研究の第一人者による翻訳です。少し難解ですが正確に翻訳されており、解説も参考になります。

橋本努『解読ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』』(講談社)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を平易に解説し、またウェーバーの論証が成功しているのかという問題にも立ち入って論じています。入門に最適であり、原典と併読するとより理解が深まります。

安藤英治『マックス・ウェーバー』(講談社)

ウェーバー自身をもっと知りたい方におすすめの解説書です。ウェーバーの生涯や著作や思想が、幅広くとても詳細に紹介されています。

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橋本努/矢野善郎(編)『日本マックス・ウェーバー論争―「プロ倫」読解の現在』(ナカニシヤ出版)

この記事で紹介した「羽入―折原論争」が解説されています。興味がある方はぜひ読んでみると面白いかと思います。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とは、ドイツの社会科学者マックス・ウェーバーの論文で、プロテスタンティズムと近代資本主義との関係を論証したものである
  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ウェーバーの広大な比較宗教社会学研究の一部でありその出発点である
  • ウェーバーが本当に近代資本主義とプロテスタンティズムの関係を論証できているのかという点に批判がある

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