通過儀礼(rite of passage)とは、人生の節目に経験する「人生儀礼」「移行儀礼」「加入儀礼」を指します。
通過儀礼は一般的に使われる言葉ですが(たとえば、日本の成人式)、どのような儀礼が通過儀礼で、それが何を意味するのかを漠然としていますよね。
そこで、この記事では、
- 通過儀礼の定義・意味
- 世界と日本の通過儀礼を例
- 通過儀礼に関する代表的な研究
を解説します。
好きな箇所から読んでみてください。
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1章:通過儀礼とはなにか?
1章では、通過儀礼を「定義・意味」「事例」などから概説します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: 通過儀礼の定義・意味
冒頭の繰り返しになりますが、通過儀礼とは、人生の節目に経験する「人生儀礼」「移行儀礼」「加入儀礼」を指します。
それぞれの儀礼を簡単に説明すると、以下のようになります。
- 人生儀礼:誕生・成人・結婚・死などの人生の節目に経験する儀礼
- 移行儀礼:特定の場所から別の場所に移動する際の儀礼
- 加入儀礼:教団などへの入社式や、王の即位式を祝う儀礼
このように「通過儀礼」は「人生儀礼」「移行儀礼」「加入儀礼」のすべてを意味する包括的な言葉です。
漠然としていてわかりにくい言葉ですが、個人の地位や身分が変更される際におこなわれる儀礼が通過儀礼、と呼ばれます。
1-2: ヴァン=ジェネップの通過儀礼に関する研究
アルノルト・ヴァン=ジェネップ(1873-1957)
「通過儀礼」とは、そもそもフランス人文化人類学者のヴァン=ジェネップが使った言葉です。世界各地で儀礼はおこなれますが、彼はその儀礼のなかにある共通の特徴を通過儀礼という言葉で説明しようとしました。
ヴァン=ジェネップによると、通過儀礼とは、次の3つの局面で構成される儀礼です。
- 現在の状態からの「分離」
- どの状態でもない「過渡」
- 新しい状態に向けた「統合」
定義的な説明が続くと抽象的でわかりにくいと思いますので、世界と日本における通過儀礼の例を確認します。
重要な点は、世界中でおこなわれる儀礼には、何らかの共通点があるということです。世界と日本の通過儀礼は、なにが類似するのかを考えてみてください。
1-3: 世界の通過儀礼の例
まずイギリス人社会人類学者のエヴァンズ=プリチャードが報告した、「ヌアー社会」の事例をみてきましょう。
ヌアー社会の成人式
- 「ガル」と呼ばれる手術を受けて、少年は大人の仲間入りをする(ガルでは小さなナイフで少年の額に、6本の切り傷をつける。傷跡は生涯残り、死体の頭蓋骨にもその跡をとどめているという)
- 対象は14歳〜16歳の少年で、4人〜12人の少年がまとめガルを受ける
- ガルを受ける少年たちは、まず分離させられる
- 手術が終わると、一時的隔離されて、さまざまなタブーを課せられる
- 最後に、特別な儀式をへて隔離の時期を終了する
ここで、重要なのは当該社会が通過儀礼に与える本質的な意味です。通過儀礼に与えられた意味を深く考えると、日本にも同じような儀礼があることに気づくはずです。
1-4: 日本の通過儀礼の例
日本で通過儀礼といわれる「成人式」や「元服」は、もはや形だけのものになっています。ですから、ここでは、お相撲さんにまつわる身近な?事例で考えみましょう。
ヌアー社会の成人式は、お相撲の世界で関取になったものが「大銀杏」を結うことと似ています。
お相撲の世界
- 「大銀杏」を結った力士と、結っていない力士には決定的な違いがある(ex: 付き人の有無、衣装、言動、振る舞いなどの違い)
- 関取になったから「大銀杏」を結うと考えられているが、本当は「大銀杏」を結わないと関取ではない
- 「自分には実力がある」といったからって、髪型を好きにすることはできない
- 序の口から横綱まで連続しているようにみえるが、ある段階における番付の変更は「儀式的」な変身を意味する
どうでしょう?ここまでくると、ヌアー社会とお相撲の世界の類似性を理解された方もいると思います。
まず、ヌアー社会でも「ガル」を受ける以前と以降の世界は決定的に異なるように、お相撲の世界でも「大銀杏」を結う関取とそれ以前では全く異なる世界であることがわかります。
ここでは、子どもはいずれ大人になるように、力士はいずれ「大銀杏」を結う関取になると想定されています。つまり、「子ども→大人」、「関取になる以前→関取」への移行の連続性が前提となっています。
すると、儀礼とはこのような連続性に、恣意的な「切れ目」をもちこむ役割を担うことがわかります。恣意的なこの「切れ目」こそが儀礼であり、文化なのです。
ここまでくれば、一見すると全く異なる通過儀礼ですが、実は本質的な類似性があるようにみえてこないでしょうか?
つまり、通過儀礼とは、以下の意味をもちます。
- 通過儀礼とは、連続している時間のなかに、恣意的な切れ目を入れる役割がある
- あるところでは「割礼」、あるところでは「抜歯」、あるところでは「大銀杏」が「切れ目」となる
- どこで「切れ目」を入れるかは、当然それぞれの文化や社会によって異なる
このようにみると、儀礼は文化的な切れ目であるといえるでしょう。
1章での内容は『人類学のコモンセンス』を参照してます。より詳しく議論に関心ある方は、ぜひ読んでみてください。
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いったん、これまでの内容をまとめます。
- 通過儀礼とは、人生の節目に経験する「人生儀礼」「移行儀礼」「加入儀礼」
- 通過儀礼はヴァン=ジェネップによって「分離」「過渡」「統合」で説明される
- 通過儀礼には、本質的な類似性がある
2章:通過儀礼に関する研究とその事例
さて、2章ではヴァン=ジェネップの議論をより発展させた、リーチとターナーの議論を紹介します。
2-1: リーチの通過儀礼に関する研究
まず、エドマンド・リーチは、通過儀礼を自然な連続性に時間的・空間的な切れ目を入れるものとして捉えました。
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たとえば、成人式を例にとって、時間的切れ目をみてみましょう。リーチの通過儀礼に関する議論を時間的に示すと、次のようになります。
儀礼には「始め(分離)」と「終わり(統合)」があります。そして、時間的な連続性を前提とするため、「始め」と「終わり」の間に、「どっちつかずの状態(過渡)」が不可欠となります。
また、成人式を契機に子どもから大人になる場合、①子どもの世界と大人の世界は区別されていること、②儀礼を経て、子どもは大人になることが前提とされていることがわかります。これが「自然な連続性に時間的切れ目を入れる」の意味するところです。
ちなみに、子どもと大人の区別は身体的な発達の問題ではなく、社会的な成熟度が問題となっています。だからこそ、成人といわれる人たちの年齢は、世界的に一致しないのです。
さまざまな社会において成人式(儀礼)はありますが、子どもが終わり大人が始まるのは社会的・文化的基準に依存しているのです。
2-1-1: 通過儀礼の空間的な切れ目
加えて、リーチが「通過儀礼は空間的な切れ目である」というとき、空間的な切れ目とは主に「カテゴリー」や「地位」という観念的なものを指しています。
たとえば、先ほどの子どもから大人(成人式)の例をあげると、次の軸が空間的な切れ目になります。
- 社会的な責任や義務の発生
- 行為や発話から読み取られる精神的な成長
時間的な切れ目は年齢が中心軸でしたが、空間的な切れ目では精神や社会的責任といったカテゴリーの移行に重点がおかれます。
2-1-2: 通過儀礼における「余分」と「はみだし」
このように、リーチにとって時間的・空間的切れ目は、自然な連続性を人工的(文化的)に分節することでした。同時に、この「切れ目」は、本来の自然状態からの「余分」や「はみだし」を意味しました(どっちつかずの状態)。
そして、「余分」や「はみだし」の状態にある人々は明確な位置を持たないからこそ、「非日常的」「周縁的」「聖なるもの」「タブー」として考えられていったのです。
2-2: ターナーの通過儀礼:構造とコミュニタス
リーチの空間的なモデルをより一般化したのが、文化人類学者のヴィクター・ターナーです。ターナーは「どっちつかずの状態」である境界領域を、「コミュニタス」という言葉で説明しました2ヴィクター・W. ターナー『儀礼の過程』 筑摩書房 を参照。
※ターナーの議論は次の記事で詳細に解説していますので、要点のみを簡潔に紹介します。→【コミュニタスとはなにか】その意味や具体的な例をわかりやすく解説
コミュニタスとは
- 日常的な社会的規範・関係である「構造」の対となる概念である
- 「反構造」であるコミュニタスは、非差別的、平等的、非合理的といった特徴をもつ
ターナーは、社会が「構造」と「コミュニタス(反構造)」のセットで存在するといいます。
これだけではわかりにくいので、たとえば、カーニバルを考えてみてください。
カーニバルの例
- カーニバル期間中は、構造(日常性)から解放される
- 昼と夜の区別はなくなり、カーニバル一色の世界になる
- カーニバルでは、身分や地位といった世俗的な価値は無意味になる
- 日常世界では抑圧される社会への批判が、コミュニタスでは可能になる(ex: サンバにおける出し物は、社会政治的な風刺となること)
- カーニバルが終われば、人びとは日常的な世界(構造)へと戻る
どうでしょう?社会が「構造」と「コミュニタス」のセットで存在する、というターナーの主張を理解できましたか?
ターナーの議論をまとめると、構造だけではエネルギーが枯渇していまうので、反構造としてのコミュニタスが必要となることがわかります。しかし、コミュニタスはそれ自体も長続きせず、最終的には構造に吸収されます。
そのため、「構造」と「コミュニタス」によって社会が存在する、とターナーは考えました。
ターナーの通過儀礼論は『儀礼の過程』から理解できます。学術書にもかかわらず、読みやすいのでぜひ参照してください。
2-3: リーチとターナーの通過儀礼の共通点
さて、リーチとターナーの共通点は何でしょうか?成人式(リーチの例)とカーニバル(ターナーの例)にはどんな関係があるのでしょうか?
結論からいえば、リーチとターナーの議論の共通点とは、以下の点でしょう。
- 連続体としての社会(または共同体)を前提としていること
- 社会は「構造」と「コミュニタス」または「余分・はみだし」で成り立つこと
子どもと大人の関係をターナーの議論で考えてみると、大人(構造)に対して子どもは非合理的なコミュニタスとして捉えることも可能ではないでしょうか?
「大人の世界に活力を与えたりする存在としての子ども」を想定することは、それほど的の外れた議論とは思えません。
- リーチにとって通過儀礼とは、自然な連続性に時間的・空間的な切れ目を入れるもの
- ヴィクター・ターナーは、リーチの空間的なモデルをより一般化したものを提示
- リーチとターナーの議論には、①社会の連続性、②「構造」と「コミュニタス(はみだし・余分)」のセットで社会が存在するという前提がある
3章:通過儀礼を学ぶための書籍リスト
最後に、通過儀礼を学ぶための書籍リストを紹介します。
まず、何よりも文化人類学という学問自体に興味をもった場合は、こちら記事を参照ください。さまざまな書籍の良い点と悪い点を解説しながら、紹介しています。
浜本満・浜本まり子 (編)『人類学のコモンセンスー文化人類学入門ー』(学術図書出版社)
通過儀礼を長らく研究してきた文化人類学者による通過儀礼の解説があります(「子どもはいつ大人になれるのか?」というタイトルの章)。この記事を書くときに参照した本です。ぜひ手に取ってみてください。
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アルノルト・ヴァン=ジェネップ『通過儀礼』(岩波文庫)
通過儀礼に関する研究に多大な貢献をした、ヴァン=ジェネップの議論が集約されています。文庫で手軽に読めるので、初学者にもおすすめ。
V・ターナー『儀礼の過程』(新思索社)
ンデンブ族の宗教儀礼、宮廷の道化師、千年運動論運動、ヒッピー等の事例から社会が「構造」と「コミュニタス」で存在することを主張した本です。しっかり学ぶたい方におすすめ。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 通過儀礼とは、人生の節目に経験する「人生儀礼」「移行儀礼」「加入儀礼」
- ヴァン=ジェネップは、通過儀礼に本質的な類似性があると指摘
- リーチにとって通過儀礼とは、自然な連続性に時間的・空間的な切れ目を入れるもの
- ヴィクター・ターナーは、リーチの空間的なモデルをより一般化したものを提示した
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