パラダイム論(Paradigm Theory)とは、アメリカの科学史家トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)で提唱した科学史、科学哲学上の理論体系のことです。
クーン独自の「パラダイム」概念に基づくパラダイム論は、常識的な科学観に対するアンチテーゼを含んでいたことから大きなセンセーションを巻き起こし、その是非をめぐっては世界中で熱心な議論が交わされました。
現在では、パラダイム論の重要性は広く認識され、『科学革命の構造』は、科学史、科学哲学、科学社会学などを学ぶうえでの必読書となっています。
そこでこの記事では、
- パラダイム論の概要
- パラダイム論をめぐる諸議論
について紹介します。
パラダイム論が出現した背景やそこから派生した諸議論についても丁寧に解説するので、興味のある方はぜひご覧ください。
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1章:パラダイム論とは
パラダイム論を理解する場合、『科学革命の構造』と並行して、クーンが本書の執筆に至った経緯を考える必要があります。こうした経緯を踏まえることで初めて、パラダイム論の革新性が明らかになるからです。
そこで以下ではまず、クーンの登場以前において、科学がどのような営みとして理解されていたかを確認します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:クーン以前の「科学」
クーン以前に支配的であった科学観を確認しますが、そのためにはまず「科学哲学」や「科学史」など、19世紀に出現した「科学」という営みの実態の解明を目指した一連の研究分野に注目する必要があります2野家啓一『現代思想の冒険者たち24 クーン——パラダイム』講談社や、野家啓一『科学哲学への招待』筑摩書房、2020年など。
「科学」の歴史
- 「科学」は、ガリレオ、ケプラー、ニュートンらによって17世紀に誕生し(第一次科学革命)、19世紀になってようやく研究施設や学会組織など研究を進めるために必要な社会的基盤を整えた(第二次科学革命)ものである
- 「知識」の世界ではあくまで新参者でしかなく、哲学や神学など歴史ある「知識」と比較して、世間的な信頼を勝ち得ていたわけではなかった
そのため、「科学」界隈では、19世紀中頃から自らの正当性を世間にアピールし、その社会的地位を確立しようとする動きが顕在化します。
19世紀に出現した「科学哲学」や「科学史」とはすなわち、そのための実働部隊という側面を多分に含んだ学問分野でした。(→科学哲学についてはこちら)
ここで重要なのは、まさにこれらの研究が「科学」の正当性をアピールしたことによって、クーン以前の科学観が形成されたことです。それは具体的には、次のような科学観です。
- 科学は合理的なプロセスに従い、自然に内在する法則を順々に同定していく
- その結果、科学は累積的に進歩し、やがては世界中のあらゆる現象の説明が可能になる
たとえば、20世紀初頭にニュートン力学に基づく古典的な物理学に代わって、相対性理論と量子力学に基づく現代物理学が広く普及したという科学史上の出来事を考えてみてください。
上記した科学観においては、合理的なプロセスに基づく研究が積み重なった結果、前者が自然のことわりのより正確な説明を可能にする後者へと累積的に発展・進歩したと解釈されます。
そして、19世紀の終わり頃には、科学哲学者と科学史家の努力の甲斐あって、上記の科学観が広く世間に認知されるようになります。
ところで、現在においてもなお世間に深く浸透しているこうした科学観は、一見すると科学の本質を捉えているかのようにも思えます。しかし20世紀に突入したあたりから、こうした科学観に対する激しい異論が至るところで噴出します。
こういった批判にもかかわらず、上述した科学観は20世紀後半に至るまでしぶとくその命脈を保ち続けることになりますが、1962年にはついに、その息の根を完全に止めることになるある理論が提出されます。
この理論こそ、クーンが主著『科学革命の構造』で主張したパラダイム論にほかなりません。
クーンの科学革命の理論について、日本の科学史家、中山茂の書いた下記の著作がとても分かりやすく初心者におすすめです。
1-2:パラダイム論の成立
ここではパラダイム論の成立過程およびその内容について解説します。
解説に当たって、クーンの『科学革命の構造』に何より注目しなければならないのは当然ですが、その前にまずは、1920、30年代に流行した論理実証主義という思想潮流を取り上げます。
なぜなら『科学革命の構造』は、間接的には19世紀に成立した上述の「科学」の常識的なイメージを、直接的にはこの論理実証主義という思想潮流を乗り越えるために執筆された著作であるからです。
1-2-1:論理実証主義
論理実証主義は、哲学者モーリッツ・シュリックを領袖とするウィーン学団によって展開された哲学運動です。その目的は、英米圏で発達した言語哲学を参考に、必ずしも「科学的」とは言えない旧来の形而上学的な哲学を刷新することです。
論理実証主義の目的
- 高度に思弁的であいまいな部分の残る伝統的哲学を、明白な方法論に基づく論理的な学問へと昇華させることが、論理実証主義を掲げるウィーン学団最大の目的であった
- より詳しく述べるなら、自然科学研究が依拠する「検証」と呼ばれる高度に合理的な方法論を精緻に分析し(「検証」については以下で詳しく紹介します)、それに基づき哲学、ひいてはすべての学問のあり方を再構築することであった
その根底にあるのは、当然のことながら、19世紀に台頭した自然科学に対する絶対的な信頼感です。
この意味で論理実証主義とは、前世紀の科学哲学者や科学史家と同じく、「科学」の正当性をアピールすることを意図した哲学運動にほかなりません。また、科学観についても、彼らとほぼ同様のものを共有してしました。
このように、19世紀に完成した科学観は20世紀においても依然として影響力を保ち続けていたと言えます。しかし、こうした科学観は最終的に、ウィーン学団の内部から出現したひとつの理論によって崩壊することになります。
ここで注目すべきは、論理実証主義者たちが刊行していた『統一科学百科全書』という名の書籍シリーズです。
論理実証主義の「哲学」を喧伝するために刊行されたにもかかわらず、この書籍シリーズには、のちにその理論を内部から崩壊させることになる一冊の書籍が紛れ込んでいました。
こうしたトロイの木馬こそクーンによる『科学革命の構造』にほかならず、本書の出現によって理論的欠陥が明らかになった論理実証主義は、その後、急速にその影響力を低下させることになります。
1-3:『科学革命の構造』の解説
上記してきた展開から出版された『科学革命の構造』ならびに本書で展開されたパラダイム論について詳しく解説します。
すでに述べたように、論理実証主義は基本的には19世紀の科学哲学を引き継ぐ運動であったため、その科学観は次のようにきわめて単純明快で、同時に非常に伝統的なものでした。
- 科学は「検証」という合理的プロセスに従い、自然に内在する法則を順々に同定していく
- その結果、科学は累積的に進歩し、やがては世界中のあらゆる現象の説明が可能になる
こうした科学観は一見すると事実を正確に捉えているようにも思えますが、アリストテレスの『自然学』やニュートンの『プリンキピア』など過去の科学的テクストの読解を通じてクーンは、最終的にこういった見方の不正確さを認識するに至ります。
『科学革命の構造』とは、こうした問題意識のもと執筆された書籍でした。その課題とはすなわち、論理実証主義の科学観を批判的に分析することで、科学的営みの本質をより正確に描き出すことでした3トマス・クーン『科学革命の構造』(中山茂訳)みすず書房、1971年。
こうした批判は本書の至る所でなされていますが、そのなかでもまず注目すべきは、論理実証主義が科学研究の要点として理論化した「検証」(同時に、その後に提唱された「反証」)プロセスへと向けられた批判です。
論理実証主義者にとっての「検証」
- ある科学的な仮説(「理論」)が正しい命題であることを、感覚器官を介した「観察」行為によって確かめる行為のことを指す
- 当然ながらここでは、「観察」が提起された仮説から独立した純粋無垢な行為であることが前提となっている
- そうでなければ、「理論」の正しさや間違いを判断する基準として機能しないことになる
しかしながら、クーンによれば「理論」と「観察」は必ずしも明瞭に分離されるものではありません。
なぜなら、たとえば細菌学の分野において専門的な知識や理論を持たない素人がいくら顕微鏡を覗いても特定の細菌を「観察する」ことができないように、「観察」とは純粋無垢な感覚器官の作用などではなく、「理論」のもとで外界を再構成する作業にほかならないからです。
クーンはこのことから、「観察」は「理論」の正しさや間違いを判断する基準として機能するはずがない、つまりは、論理実証主義者が提示する明快な科学観には大きな欠点があるという結論を導きます。
ここではさらに、それでは何によって「理論」の変化が生じるのか?という問いが発せられることになります。クーンはこの問いに対して、「理論」は「観察」行為によってその間違いが正されるわけではなく、別の「新しい理論」が出現することによって打ち倒されると答えます。
クーンが提出したこの科学観においては、たとえば、以下のようなことを指します。
- 古典物理学に代わって現代物理学が普及したという科学史上の出来事は、「検証」などの合理的プロセスによって古典力学の間違いが正されたわけではない
- 古典力学とはまったく無関係に生成した現代物理学が、諸々の理由から科学者集団に受け入れられ、そのことによって彼らの認識が根底から再構築された結果である
1-4:パラダイム転換
以下では、クーンが「科学革命」あるいは「パラダイム転換」と呼ぶこうした事態をより詳しく確認してみましょう。
ここで重要となるのは「パラダイム」という概念です。パラダイムは一般的に「規範」を意味する名詞です。しかし、クーンは「一定の期間、研究者の共同体にモデルとなる問題や解法を与える一般に認められた科学的業績」と定義しています。
これは具体的には、アリストテレスの『自然学』、ニュートンの『プリンキピア』や『光学』、ラヴォアジエの『化学』などいわゆる「教科書」のことです。
ここで重要なのは、科学研究は大抵の場合、こうしたパラダイムあるいはそこから導かれる特定のルールに準拠し、あたかも「パズル解き」のように進行していることです。
クーンはこうした研究のあり方を「通常科学」と呼び、クーンはこの通常科学が進行している期間においては、科学に論理実証主義者が言うような直線的で累積的な発展が見られることを認めています。
しかしながら、クーンによれば、次のような展開がおきます。
- 通常科学が進行している期間中には、ニュートンの古典力学に対する天王星の軌道の揺らぎなど、従来のルールに従ったルーティン・ワークだけでは解決不可能な「変則事象」が見つかることがある
- こうした「変則事象」に対して科学者はまず、既存のパラダイム内での解決を図ろうとする
- しかし、どうしても「変則事象」が処理できないと分かると、科学者はパラダイム自体の有効性に対して疑念を抱くようになる
この時期には「変則事象」の説明を可能にする新しいパラダイムが複数提起され、古いパラダイムと競合し合うことになります。
やがて、この競合状況のなかから、ひとつの新しいパラダイムが科学者集団に採択され、そして、この新しいパラダイムにしたがって新たな通常科学が開始されるに至ります。以上がクーンの言う「科学革命」あるいは「パラダイム転換」の全体像です。
1-4-1:論理実証主義者への批判
ここで重要なのは、クーンが提示したこの科学観は、「検証」などの合理的なプロセスを介して直線的、累積的に進歩するという主に論理実証主義者によって主張されてきた科学観への批判となっていることです。
クーンはパラダイムの非直線的、断続的な転換として科学の歴史を描き直すことで、まったく新しい科学の見方を提示し、科学哲学、科学史研究のあり方を根底から刷新したと言うことができます。
ただ、クーンのこうした見解には当初、科学哲学者や科学史家、あるいは職業科学者から批判的な意見が浴びせられることが少なくありませんでした。クーンへの批判とは、ある意味では当然の反応であったと言わなければなりません。
- クーンのパラダイム論は、科学哲学や科学史の長年の研究成果、あるいは、これらの分野の研究成果によっていわば手厚く保護されてきた「科学」のアイデンティティを破壊した
- すなわち、科学は同一の合理的プロセスにしたがって、古代から脈々と、自然の真理を解明してきたという自負を粉々に打ち崩した
以下では、『科学革命の構造』出版後に巻き起こった論争、ならびに、そこで交わされた諸議論について確認します。
- パラダイム論とは、アメリカの科学史家トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)で提唱した科学史、科学哲学上の理論体系のことである
- クーンはパラダイムの非直線的、断続的な転換として科学の歴史を描き直すことで、まったく新しい科学の見方を提示し、科学哲学、科学史研究のあり方を根底から刷新した
2章:パラダイム論をめぐる批判や展開
すでに述べたように、『科学革命の構造』は出版直後、多方面から激しい批判に晒されました。
たとえば、1965年にはロンドンでクーンを招き「批判と知識の成長」というシンポジウムが行われましたが、反クーン派が参加者の大半を占めていたこともあって、このシンポジウムの主な目的は明らかに、クーンのパラダイム論を徹底的に批判することにありました。
以下では、こうした批判の具体的な内容、ならびにパラダイム論が以後どのような展開を見せたかについて解説します。
2-1:通約不可能性という批判
パラダイム論をめぐる論争、すなわち「パラダイム論争」においてはさまざまな論点が争われました。そのなかでもいわゆる「通訳不可能性」の問題はもっとも激しく議論された論点のひとつです。
通約不可能性とは、
パラダイムが異なるふたつの理論間では共通の基準や尺度が存在しない事態を示す概念
です。
通約不可能性は、科学の歴史を連続的な発展ではなく、パラダイムの断続的な転換と捉えるパラダイム論のもっとも核心的な性質であると言えます。これに対して、パラダイムの前後でコミュニケーションはまったく成立しないのではないかという疑問や批判が提出されることになります。
これに対してクーンは、自らが強調したのはパラダイム転換の前後で同じ概念や用語が使われていても、それぞれの意味が異なっているという点であり、コミュニケーションがまったく不可能であるとは主張していないと反論します。
- ニュートンの古典力学と現代物理学で採用されている量子力学では同じ「時間」や「空間」といった概念が使われている
- その意味は理論の変化に応じて変化しているはずである
クーンはこうした主張をさらに敷衍し、パラダイムを異にすれば、「科学的事実」の性質や種類も異なってくると述べています。
また、このことはのちに、科学がある意味では恣意的なパラダイムの「採択」や「選択」に委ねられているのだとすれば、科学と宗教あるいは科学と非科学を分ける境界線はどこにあるのかというさらなる議論の引き金となり、現在においてもなお論争の絶えない論点になっています。
2-2:社会のなかの科学
パラダイム論はまた、科学を社会のなかの一要素として考える研究分野、すなわち科学社会学の発展を促しました。
これは、クーンが『科学革命の構造』内で、科学者集団が新しいパラダイムを採択する理由や原因を、社会的・歴史的要因に求めたことに呼応した動きです。
現在では、科学社会学は科学哲学や科学史と並んで、科学活動を考察するうえできわめて重要な分野とみなされています。
- パラダイムの前後でコミュニケーションはまったく成立しないのではないかという疑問や批判が提出された
- 科学を社会のなかの一要素として考える研究分野、すなわち科学社会学の発展を促した
3章:パラダイム論を知るためのおすすめ本
パラダイム論を理解することはできましたか?最後に、あなたの学びを深めるためのおすすめ書物を紹介します。
トマス・クーン『科学革命の構造』(みすず書房)
クーンが1962年に出版した『科学革命の構造』の日本語訳です。具体的な事例が豊富に紹介されているため、抽象的な理論を論じる書物でありながらも、とても読みやすい構成となっています。
野家啓一『現代思想の冒険者たち24 クーン——パラダイム』(講談社)
パラダイム論が誕生した歴史的背景、その内容、そしてパラダイム論から派生した諸問題について非常に分かりやすく解説されています。パラダイム論を学ぶに当たって必読の書です。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- パラダイム論とは、アメリカの科学史家トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)で提唱した科学史、科学哲学上の理論体系のことである
- クーンはパラダイムの非直線的、断続的な転換として科学の歴史を描き直すことで、まったく新しい科学の見方を提示し、科学哲学、科学史研究のあり方を根底から刷新した
- パラダイムの前後でコミュニケーションはまったく成立しないのではないかという疑問や批判が提出された
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
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参考文献
- トマス・クーン『科学革命の構造』(中山茂訳)みすず書房、1971年
- 野家啓一『現代思想の冒険者たち24 クーン——パラダイム』講談社、1998年
- 野家啓一『科学哲学への招待』筑摩書房、2020年(2015年)