ニーチェの実存主義とは、「私たちはどのように生きるべきか」という問いに対して、人間は既存の「価値」を破壊し、新たな「価値」を作り出す「超人」となるべきだと答える思想です。
ニーチェの議論は近代哲学、強いては社会に自明のこととされていた価値を無意味なものとみなすため、とても重要です。そのため、21世紀の今日でも必ず理解したい哲学となっています。
そこで、この記事では、
- ニーチェの実存主義の特徴
- ニーチェの実存主義の内容
をそれぞれ解説していきます。
好きな箇所から読み進めてください。
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1章:ニーチェの実存主義とは
まず、1章ではニーチェの「伝記的情報」を説明します。2章では具体的な研究から深掘りしますので、用途に合わせて読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
フリードリヒ=ヴィルヘルム・ニーチェは、1844年10月15日にプロイセン王国ザクセン地方のレッケン(現在のドイツ、ザクセン=アンハイト州等)で生まれました。
父であるカール=ルートヴィヒ・ニーチェは、牧師であり、祖父二人も牧師でした。この出自が後に、彼がみずからを「反キリスト教者」と呼ぶきっかけともなります。
ニーチェは、子どものころから神童ぶりを発揮していました。主要な出来事は以下のとおりです。
- 若干14歳で名門ギムナジウムのプフォルタ学院に入学し、1864年にボン大学に入学、その翌年にライプツィヒ大学へと転じた
- 専攻は、はじめ神学と古典文献学を学んでいたが、後に母の勧めた神学専攻を辞め、古典文献学に絞ることになった
- そして、彼は、ギリシア古典文献学で類まれなる才能を見せた。その才能をニーチェの師であり、文献学会の大家であるリッチュルに認められ、1869年に24歳の若さでバーゼル大学の教授に就任した
- このとき、ニーチェは、まだライプツィヒ大学の学生であり、学士号すら取得していなかった。すなわち、大学で教鞭をとるための資格を有していなかったのである
- それにも関わらず、ニーチェがバーゼル大学に招かれたのは、彼に対する学会での期待が極めて高かったことを物語っている
さて、ニーチェはバーゼル大学に招かれた3年後の1872年に論壇上での処女作である『悲劇の誕生』を出版しています。さらに、1873年から取り組んでいた『反時代的考察』の最終部が1876年に刊行されました。
しかし、ニーチェは、幼少期からの頭痛に苦しんでおり、1875年頃からの体調の悪化を理由に1876年32歳で大学を休職し、年金生活に入ることになりました。
その後、彼はより良い気候を求めてスイスやイタリア、南部フランスなどの保養地を巡りながら著作活動を続け、『人間的、あまりに人間的』(1878年)、『曙光』(1881年)、『悦ばしき知識』(1882年)などを立て続けに出版しました。この時期は、ニーチェ思想の本格的な形成期と言えるでしょう。
さらに、ニーチェの生涯を語る上で、特筆すべきことに二度の啓示体験があります。
- 一度目・・・1881年の夏、エンガーディンのシルス・マリアに滞在中シルヴァプラナ湖畔で突然「永劫回帰」思想に襲われたと言われている
- 二度目・・・1883年2月、ジェノヴァ近くの海の入り江を散歩中に『ツァラトゥストラ』全体のインスピレーションに打たれ、10日間の間に『ツァラトゥストラ』第一部を一気に書き上げていた
結局、『ツァラトゥストラ』は1885年に完成します(しかし、出版社が見つからず出版には至りませんでした)。また、翌年には『善悪の彼岸』(1886年)、『道徳の系譜』(1887年)、そして、1882年頃から書かれていた草稿群(後に、遺稿『権力への意志』としてまとめられる)を書き上げています。この時期は、「ニヒリズム」「超人」「永劫回帰」などの思想が明瞭化してくる実り豊かな時期だと言えます。
しかし、彼の生涯は、その後突然の終焉を迎えることになります。1888年、ニーチェは以下の作品などを一年という極めて短い時間の中で立て続けに完成させます。
- 『偶像の黄昏』
- 『反キリスト者(アンチ・キリスト)』
- 『この人を見よ』
- 『ニーチェ対ワーグナー』
そして、1889年、ニーチェは、トリノのカルロ・アルベルト広場で発狂します。以後1900年に肺炎で死去するまでの約10年間は、母と妹エリーザベトに看病されながら、狂気の中で生きることになりました。
2章: ニーチェの実存主義の特徴と影響
ここまでは、ニーチェの人生を簡単に紹介してきました。これを受けて、ここでは、彼の「思想の特徴」や「その後の影響」について見ていきましょう。
2-1: 思想の特徴
まず、ニーチェの思想は、一般的に「実存主義」や「生の哲学」と形容されます。これは、彼の思想が「私たちはどのように生きるべきか」ということを問い続けたものであるために成立したあとづけの区分であり、ニーチェ自身がみずからの思想をそのように呼んでいたわけではないことに注意しなければなりません。
- このようにある一連の思想を問いという観点から関連付け、グループ化するということは、学問の世界ではよくあることなのですが、哲学においては、ある固定化された尺度から思想を解釈し、その思想の持つ豊かな可能性を狭めないように気をつけなければなりません。
- しかし、ここでは、便宜上ニーチェを「実存主義」思想家として理解することにします。
さて、ニーチェの思想は「私たちはどのように生きるべきか」と問い続けたものだと説明しました。このような問いには、どのような答えがありうるでしょうか。たとえば、次のようなものが考えられます。
- ソクラテスであれば、「善く生きること」と答えるであろう
- キリスト教であれば、「神の前でみずからが原罪を有していることを自覚し、救いを得ようとすること」と答えるであろう
それに対して、ニーチェは、そもそも私たちが生きていく中で指針にしている「道徳」とはどこからくるのかと問うことで答えを出そうとしました。すなわち、「私たちはどのように生きるべきか」という問いに対して、すでに提出されている答え(ここでは、ソクラテスやキリスト教)を吟味することによって、みずからの答えを出そうとしたのです。
2-1-1: ニヒリズム
そこでニーチェは、「道徳」というものの起源をたどって、それがどのようなものなのかを明らかにしようとしました。ニーチェによると「道徳」の起源は、古代ギリシアのプラトンを起源とした「二世界説」とキリスト教の「善/悪」にあるとされます。
詳しくは次項で説明しますが、これらの起源は現実世界に生の意味や真理などを求めることはできず、むしろ彼岸の世界において、それらが有意味になると規定しています。それゆえ、私たちが生きているこの現実世界には、何らの「価値」もなく虚無であることになります。この思想を「ニヒリズム」と言います。
2-1-2: 永劫回帰
そして、この世界に何の価値もないとするならば、その世界で行われているあらゆる物事は、前進も後退もしないことになります。つまり、どれほど時間が経っても「何も変わらない」のです。
現実世界で何かが繁栄したり没落したりするように見えるのも実は虚構に過ぎず、何の意味もない同じことの繰り返しであることになるのです。これをニーチェは「永劫回帰」と呼んでいます。
2-1-3: 超人
それでは、このように永劫に繰り返される無意味な現実で私たちは、どのように生きればよいのでしょうか。先程、ニーチェの思想が「ニヒリズム」であると説明しました。この思想によって、ニーチェは、しばしば「人生を無意味なもの」と考え、すべてを捨て去った哲学者という陰鬱な誤解をされることがあります。
しかし、ニーチェが行き着いた思想は、このような自暴自棄なものとはまるで反対です。すなわち、ニーチェは「ニヒリズム」によって、人生が何の意味のない繰り返しに過ぎないと考えに至ったとき、
その「永劫回帰」する生を引き受け「これが生きるということであったのか?よし!もう一度!」2氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った』下、第三部「幻影と謎」2と述べることができる「超人(Übermensch)」へと至るべきだ
と考えました。
この「超人」は、私たちが日常的な意味で使っているような身体的や知的に優れている者を指しているわけではありません。
「ニヒリズム」において、人間は何も望まず何の希望を持つこともできなくなります。それは、換言すると「無」を望んでいることになります。「超人」は、そのような「人間」ではなく、まったく類を異にする存在者なのです。
2-2: その後の影響
ここまでがニーチェ思想の大まかな概要です。以下では、ニーチェ思想の影響について簡単に説明します。まず、ニーチェ思想の影響を説明する上で外すことができないのはハイデガーです。
『ニーチェ』という著作もあるように、ハイデガーは、みずからの「存在論」の文脈でニーチェを取り上げています。簡潔にまとめると、以下のとおりです、
- ハイデガーによると「存在忘却」を推し進めたのは、ニーチェの「ニヒリズム」が原因の一端を担っているとされている
- すなわち、ニーチェがあらゆる「価値」を無意味であると規定することによって「存在」という価値も否定されることになり、これが「存在忘却」をもたらしたとされる
※ハイデガーの存在論に関して詳しくは以下の記事を参照ください。→【ハイデガーの存在論とは】特徴を『存在と時間』からわかりやすく解説
さらに、現代哲学としての「ポストモダニズム」もニーチェの影響を強く受けています。ポストモダニズムはpost(~の後の)+modernism(近代主義)、すなわち、近代的な思想の後に登場した新しい思想体系です。
ここで「近代的」と言われる所以は多々あるのですが、特に、ニーチェが影響を及ぼしているのは「二項対立」という概念の破壊です。これは、デリダの「脱構築」という考え方の先駆けであると考えられます。
デリダの脱構築
- デリダによれば、西洋哲学は、伝統的に「善/悪」、「真/偽」、「自然/人工」などの二つの概念の対立図式によって構築されている
- こうした対立概念においては、その一方が正しく、他方が間違っていると理解されたり、一方が他方を生み出したと考えられたりする
- しかし、デリダによれば、このように、二項対立的に考えることそれ自体が不可能であると指摘し、ある哲学理論を内側から破壊することができると考えた
ここでのニーチェの影響は、ハイデガーの場合のように「価値」を転倒させることにあります。つまり、ニーチェは、近代哲学に自明のこととされていた価値を無意味なものとみなすことで「脱構築」の先駆者と考えられています。
ここまで、ニーチェの思想の概要と、後世への影響を見てきました。次項では、彼の著作を手がかりにして「ニヒリズム」、「永劫回帰」、「超人」というキーワードについてさらに詳しく説明します。
いったん、これまでの内容をまとめます。
- ニーチェの実存主義とは、「私たちはどのように生きるべきか」という問いに対して、人間は、既存の「価値」を破壊し、新たな「価値」を作り出す「超人」となるべきだと答える思想である
- ニーチェはすでに提出されている答え(ここでは、ソクラテスやキリスト教)を吟味することによって、みずからの答えを出そうとした
- ニーチェは、近代哲学に自明のこととされていた価値を無意味なものとみなすことで「脱構築」の先駆者である
3章:ニーチェの実存主義の著作
さて、3章では、ニーチェ思想の具体的な内容について著作を参照しながら説明していきます。
3-1:『道徳の系譜』とニヒリズム
まずは『道徳の系譜』についてです。この著作は「キリスト教批判」を主題としたものです。しかし、なぜキリスト教が批判されなければならないのでしょうか。
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端的に、それはニーチェの問いが「これまでにヨーロッパにおいて考えられてきた人間的な価値のすべて」に向けられたものであったことに関係しています。これは言い換えると、第2章で述べた「人間はどのように生きるべきか」という問いになります。
すなわち、人間が生きる上での理想となる「価値」を吟味することがニーチェの目的だったのです。そして、このヨーロッパ的人間にとっての「価値」は、キリスト教に由来しているというのがニーチェの見解でした。それゆえ「キリスト教批判」を行う必要があったのです。
さて、それでは、この「キリスト教批判」は、具体的にどのような議論として展開されるのでしょうか。これについて取り上げた『道徳の系譜』は、次のような目次になっています。
- 第一論文 「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」
- 第二論文 〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類のことども
- 第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するのか?
それぞれの内容を詳しく見ていくことは、紙幅の都合で難しいため、ここでは『道徳の系譜』を「ニヒリズム」に関係するところに限定して、押さえておきます。
3-1-1: 隣人愛
まず、ニーチェによれば、すでに述べたように現在のヨーロッパの人間的な理想を作り上げたのは「キリスト教」であるとします。その上で、キリスト教の人間性の本質は「ニヒリズム」だと考えられます。
なぜなら、キリスト教は、「よいこと」と「わるいこと」という「優劣」を生み出す思想をその根底に秘めているからです。すなわち「隣人愛」という思想がそれであると規定されます。「隣人愛」とはイエスによって「自分を愛するように汝の隣人を愛せよ」と説かれたキリスト教の根本思想です。
ニーチェによれば、この思想に従うと最終的に「他人のために思うことがよいことであり、みずからのためを思うのは悪である」という思想に行きつくとされます。それゆえ、ここから人間にとって最もよいものは「神(イエス)」であり「隣人」であり、それに対して、最も悪いものが「自分」を思うことであるという価値順列が生じるのです(第一論文)。
3-1-2: 原罪
さらに、この価値順列は「負い目」や「良心の疚しさ」を生じさせることになります。ここでは、キリスト教における「原罪」が問題になります。「原罪」とは、『旧約聖書』の「創世記」にある物語に由来しています。
極めて有名な話ですので、詳しく説明する必要はないかもしれませんが一応触れておきます。
- 「創世記」の冒頭で、神は七日間かけて、この世界と最初の人間であるアダムとイヴを作ったが示されている
- 彼らは「エデンの園」と言われる楽園に暮らしていた
- 神は、アダムに対して「園の中央にある木の実、これだけは決して食べてはならぬ、触ってもいけない」と忠告していた
- しかし、サタン(=これは最初に「知恵の実」を食べたもの)に「知恵の実」を食すようにそそのかされたイヴの誘いを受けたアダムは、その「知恵の実」を食べてしまう
- 「知恵の実」とは、その名の通りあらゆる知恵を食したものに与えるものであり、それによって、神と同じようにあらゆる「善悪」を判断することができるようになるものである
この物語の本質は、人間が根源的に神に対して反抗した歴史を持っているという点です。それゆえ、人間は根源的に罪を犯しており、それを「原罪」といいます。ここからキリスト教は、神に対して赦しを請うことを人間の基本姿勢としているのです。
ニーチェが述べる「負い目」や「良心の疚しさ」の起源は、この「原罪」にあります。
すなわち、私たちが何かに対して「負い目」を感じると考えるのは、
- そもそも、根源的に罪を犯していると考えるからである
- つまり、神に対する人間の劣悪さという「価値」がキリスト教によって植え付けられているからである
といえます。
このような人間の劣等感をニーチェは「ルサンチマン(弱者の反感)」と呼びます。
さらに、キリスト教は、人間が原罪を負っているのに対して、神は絶対的な「よいもの」であるので、人間の世界はどこまでいっても「仮象」の世界であり、死後に神の世界で審判を受けることになると説きます。
そして、この世界(=人間の世界)は「わるいもの」であり「仮象」であるならば、その世界内の「価値」は何ら意味のないものとなります。このように、神の絶対性と、人間の「生を絶対的に否定しようとする意志」こそがキリスト教の「ニヒリズム」を最もよく表したものなのです(第二論文)。
以上のことから、現在の私たちが「道徳」と呼び、人間が生きる上での理想としているものが「ルサンチマン」から生じてきたことが、つまり、「よいこと」と「悪いこと」が優劣を生み出すものであり、その優劣において、弱者が劣等感を持つことが明らかになりました。
さらに、神の世界が絶対的に正しく、人間の世界はあくまでも仮の世界であり、そこでの「道徳」は何ら意味のないものと考える「ニヒリズム」が明らかになりました。次項では、この「ニヒリズム」に対して、私たちがどのように向き合っていくべきかを説明します。
3-2:『ツァラトゥストラ』、「永劫回帰」と「超人」思想
ここでは「永劫回帰」と「超人」について説明するために『ツァラトゥストラ』を参照します。『ツァラトゥストラ』という著作は、ニーチェの著作の中でも極めて異質な形式を採っています。
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すなわち、ある宗教家「ツァラトゥストラ」が延々と教説や独白の中で扇情的な語りを展開するというものになっています。
- それゆえ、ただ一読しただけでは、ニーチェの思想どころか、そもそも何を言っているのかも理解できない可能性があります。
- そこで、ここでは「ツァラトゥストラ」の具体的な記述に触れることは控え、全体的な内容を説明することにします。これによって、『ツァラトゥストラ』を読めるようになっていただければ幸いです。
まず、『ツァラトゥストラ』で重要な思想に「永劫回帰」があります。これは、すでに前章でも簡単に説明しました。確認すると、「永劫回帰」とは以下のような意味です、
- この「ニヒリズム」の世界においては、あらゆる「価値」は、何の意味も持っていない
- それゆえ「始まり」や「終わり」といった「価値」も存在していないことになり、あらゆる出来事は永遠に同じことの繰り返しとして理解されることになる
しかし、このことを現実的に理解するのは難しいかもしれません。なぜなら、現にあらゆる出来事は、決して同じ出来事として繰り返されているわけではないからです。誰しもが今日より明日のほうが何かが進歩していると考えることはあるでしょうし、明日よりも明後日のほうが…と考えることができます。
ですが、このように考えることの背後には、よりよい未来という絶対的価値が想定されているように思われます。つまり、未来は、今より進歩しているはずだと考えるためには、未来が今よりも「よい」という価値が前提されているのです。
ニーチェは、このような「価値」が実はそのように思われているだけであり、価値なんてものはないとし「永劫回帰」の思想を「ニヒリズム」の極限化の形態と考えました。そして同時に、「ニヒリズム」の克服もこの極限化の中から行われることになります。
ニーチェによれば「ニヒリズム」の克服は、私たちが生きているこの世界において、みずからの「生」を肯定するという仕方で行われます。そして、それは、私たちが前提としている「価値」が無意味であったことを自覚し、その価値観に従うことを辞め、みずからで新たしい「価値」を創設することを目指すという仕方です。
この新しい価値を作ることができる者は、もはや人間ではありません。なぜなら、人間は、既存の価値から脱することがどうしてもできないからです。それゆえ、その新しい価値を作り出す者は、人間を超えた者、つまり「超人」と呼ばれます。最後に「超人」思想の要点をまとめておきます3『ニーチェ入門』、竹田青嗣著、135頁。
- 人間がこれまで持っていた「理想」、キリスト教、哲学のそれは、本質的にルサンチマンを内包している。したがって、それは結局「生の否定」の思想にゆきつかざるをえない。
- 「神の死」という事実は、これまでの一切の人間的価値の根拠が抹消されたことを意味する。近代哲学は、キリスト教的価値の代わりとなるものを打ち立てることができず、ただ、キリスト教的価値を変装させて生き延びさせたにすぎなかった。そのために近代哲学以降の諸価値は、そのニヒリズム的本性を露呈させることになった。
- このヨーロッパのニヒリズムを克服する方途はただひとつしかない。古い価値への立ち戻り(=反動)を禁じ手にして、むしろニヒリズムを徹底すること。つまり既成の価値の根拠を根底的に棄て去り、積極的に新しい価値の根拠あるいは新しい価値の「目標」を打ち立てることである。それ以外には、人間がこの必然的に現われ出たニヒリズムを克服する道はない。
- 新しい価値の「根拠」とは何か。……「力への意志」ということ。新しい価値の「目標」とは何か。……「超人」の創出ということ。
ここから分かるように、ニーチェの思想は、私たちが無自覚に前提としている「道徳(=価値観)」を明らかにし、それが実は無意味なものになることを露呈させます。
そして、この無意味な世界に生きる私たちは、その無意味さを自覚し、これまで従っていた「価値」を転倒させ、新たな「価値」を作り出す「超人」になるべきだと考えるものです。
- 神の絶対性と、人間の「生を絶対的に否定しようとする意志」こそがキリスト教の「ニヒリズム」を最もよく表したものである
- 無意味な世界に生きる私たちは、その無意味さを自覚し、これまで従っていた「価値」を転倒させ、新たな「価値」を作り出す「超人」になるべき
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4章:ニーチェの実存主義を学ぶための本
ニーチェの実存主義に関して理解を深めることはできましたか?
以下では、ニーチェの実存主義に触れるために、原著や解説本を紹介しています。ぜひ手に取って読んでみてください。
オススメ度★★★ 竹田青嗣『ニーチェ入門』(ちくま新書)
本書は、ニーチェ思想の全体像を捉えるのに向いている良書です。ニーチェの生涯から、主要な概念までをカバーしており、説明も平易で初学者の方にも手に取りやすいでしょう。この記事でも多く参照しています。
オススメ度★★★ 貫成人 『入門・哲学者シリーズ1 ニーチェ すべてを思い切るために:力への意志』
本書は、先程あげた『ニーチェ入門』よりは、論点を絞ったものとなっています。その分具体的な議論が多く、ニーチェの思想を現実的に理解する手がかりとなるでしょう。
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オススメ度★★★ F・ニーチェ 『道徳の系譜』
ここでの説明でも取り上げたニーチェのテキストです。本書は、ニーチェ思想の根本となっている「キリスト教批判」を最もまとまった形で叙述しています。また、ニーチェ思想の入門としてもしばしば取り上げられます。文書は決して簡単なものではありませんが、ぜひニーチェの「生」が込められた著述に直接触れてみてください。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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数百冊の書物に加えて、
- 「映画見放題」
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- 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」
などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- ニーチェの実存主義とは、「私たちはどのように生きるべきか」という問いに対して、人間は、既存の「価値」を破壊し、新たな「価値」を作り出す「超人」となるべきだと答える思想である
- ニーチェは、近代哲学に自明のこととされていた価値を無意味なものとみなすことで「脱構築」の先駆者である
- 無意味な世界に生きる私たちは、その無意味さを自覚し、これまで従っていた「価値」を転倒させ、新たな「価値」を作り出す「超人」になるべき
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