キルケゴールの実存思想とは、自己を見失った生き方を神への信仰によって自分らしく生きることへと飛躍させることを目指したものです。
実存思想を勉強する際、キルケゴールの提示した考えを抜きにすることはできません。特に、『死に至る病』における議論はあまりにも有名です。
そこで、この記事では、
- キルケゴールの伝記的情報・思想的特徴
- キルケゴールの主著:『あれかこれか』『不安の概念』『死に至る病』
をそれぞれ解説していきます。
好きな箇所から読み進めてください。
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1章:キルケゴールとは
1章ではキルケゴールを「伝記的情報」や「思想的特徴」から概説します。2章では具体的な研究から深掘りしますので、用途に合わせて読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: キルケゴールの伝記的情報
セーレン=キルケゴールは、1813年に北欧デンマークの首都コペンハーゲンに生まれました。父のミカエルは、裕福な毛織商人であり、母のアンネは、ミカエルの前妻がなくなった後に再婚した女性でした。さらに、父ミカエルは、敬虔なキリスト教徒であり、この父が後のキルケゴールの思想に大きな影響を与えることになります。
さて、キルケゴールは、以下のような人生を歩みます。
- 1830年にコペンハーゲン大学に入学し、神学を学ぶ
- その後、1838年に父の故郷である北シュラン旅行を経て、帰還後にキルケゴール自身によって「大地震」と名付けられる思想的衝撃が起こる。この「大地震」は、父の過去にまつまる出来事に起因した。※これについては、次節で説明します
- さらに、1837年に、父ミカエルと並んで、キルケゴールの思想を形成したもうひとりのキーパーソンである女性レギーネと出会う。彼女は、キルケゴールが生涯で唯一愛した最愛の女性だった。彼女との関係もキルケゴールの思想形成に欠かせないものとなっています。※この点についても、次節で説明します
さて、その後、キルケゴールは、
- 1843年2月『あれか―これか、人生の一断片』を皮切りに、
- 同年10月『反復、実験心理学の試み』
- 1844年6月『不安の概念、原罪の教義的問題への手引きのための単純な心理学的考案』
と立て続けに出版活動を行いました。
さらに、1849年6月には『死に至る病、教化と覚醒のためのキリスト教的・心理学的論述』を記し、後に実存思想と定義される思想を展開させています。それらの著作は、すべて本名ではなく、それぞれが偽名(ペンネーム)で記されていました。
最後に、キルケゴールの最期についてです。1855年10月2日、街を散歩中に意識を失ったキルケゴールは、40日後の同年11月11日に42歳の短い生涯を閉じました。彼は、生前ドイツのベルリンに4回、国内を2回旅行した以外は、終生故郷のコペンハーゲンを離れることはありませんでした。
1-2: キルケゴールの思想的特徴
さて、ここではキルケゴールの思想を形成した「父ミカエルとの関係」「最愛の女性レギーネとの関係」「コルサール事件」について説明します。
1-2-1: 父ミカエルとの関係
第一に、父ミカエルとの関係です。ミカエルは、ユトランド半島の西岸中部のセディングに貧しい農民の子として生まれました。そして、過酷な自然において、貧困と孤独な生活を送り、みずからの悲運を不満に思う日々を過ごしていました。
- そんな生活の中、1768年のある日、激しい雷雨に襲われたミカエルは、みずからの人生に絶望し、神を呪ったと言われている。この一度の神への反抗が、その後のミカエルにとって、大きな原罪となり、彼の信仰心を一層駆り立てた
- それゆえ、ミカエルは、みずからの子には、神へと大いなる信仰を持つように教育し、厳しい宗教的なしつけを施すことになった。さらに、ミカエルは、神を呪ったにもかかわらず、その後商売に成功し、平穏に生活することができていた
- この事実もまた、ミカエルの信仰心を高め、みずからの境遇についての不安の種となっていた。そして、ついには、ミカエルは、みずからが幸せに生活できているのは、神からの愛によるものではなく、むしろ、神に呪われているのだと理解するようになった
つまり、神は、ミカエルに対して不幸を与えるのではなく、幸福を与え、優れた才能を彼の家族に与えることで、相互で争うように仕向けているのだと理解したのです。
このような父の罪を知ったキルケゴールは、みずからもまた、この罪を受けた当事者であること自覚し、「大地震」と呼ばれる、思想的な衝撃を受けています。この「大地震」について、キルケゴールは、みずからの日記に次のように残しています2工藤綏夫『人と思想19 キルケゴール』55-56頁。
その時大地震が、恐るべき変革が起こって、突然私は、あらゆる現象を全く新しい法則に従って解釈しなければならなくされた。私の父が長生きしているのは、神の祝福ではなくて、むしろ神の呪いであったことを、私は予感した。私たち家族のものが精神的にすぐれているのは、ただ互いに争い合うために与えられたものであったことを、私は予感した。私の父が誰よりも長生きしなければならない不幸な人であり、父自身のあらゆる希望の墓の上の十字架であるのを私が知った時、死の沈黙が私の周りに迫ってくるのが感じられた。負い目は、家族全体の担うものに違いない。神の罰は、全家族の上に降りかかるに違いない
この「大地震」の体験は、キルケゴール自身の生が父から引き継がれた神への罪に侵されたものであることを一層自覚させ、神に対峙する存在者であるという意識を強く持つきっかけになりました。
1-2-2: 最愛の女性レギーネとの関係
第二に、唯一にして最愛の女性レギーネとの関係です。
「大地震」を体験し、絶望心に苛まれていたキルケゴールは、その陰鬱とした気持ちを社交の場に出かけることで紛らわそうとしていました。そして、1837年の5月にキルケゴールは、みずからの思想に決定的な影響を与える女性レギーネと出会います。
レギーネとの出会いから婚約まで
- レギーネは、名誉顧問官を勤めていたテァケル=オルセンの末娘であった
- キルケゴールは、レギーネの家庭教師であったシュレーゲルとレギーネとの結婚を前提とした交際を許していた
- しかし、キルケゴールは、みずからの非凡な社交家としての才能をいかんなく発揮し、オルセン家の客となり、たちまち娘と父の心を捉えた
- そして、キルケゴールは、1840年9月8日でレギーネに求婚し、同月10日には了承の返事をもらうというスピード婚約をなし得た
しかし、この一連の出来事もキルケゴールの罪の意識を強く自覚させる一因となってしまいました。すなわち、キルケゴールは、レギーネを深く愛すれば愛するほど、みずからがそれにふさわしくない人間であることに気づき、思い悩むことになってしまったのです。この時のキルケゴールの心情も日記で残されています3同上、65頁。
しかし、内面はどうかといえば、婚約の次の日に、私は過失を犯したことに気づいた。悔いあるものである私、私の経歴、私の憂鬱、それだけでもう十分であった。私はその頃、書き表せないほど苦しんだ
私が悔いあるものでなかったら、過去の経歴をもっていなかったら、憂鬱でなかったら、かの女性との結ばれは、かつて夢見たこともないほど私を幸福にしてくれたことであろう。しかし悲しいかな、私自身が変わらない限り、私は、かの女性と共にある幸福よりも、かの女性なき私の不幸においてこそ、いっそう幸福であり得たと言わねばならなかった
このように、みずからの境遇と、最愛の女性を天秤にかけた結果、キルケゴールは、レギーネとの婚約を一方的に破棄することになります。そして、この出来事は、キルケゴール自身の生をさらに強く考えさせる要因となり、その後の彼の著作活動は、神を通してレギーネへの愛を永遠の愛へと深めることを目指したものとなりました。
1-2-3: コルサール事件
第三に、「コルサール事件」と呼ばれる出来事です。父の死やレギーネとの別れを経験したキルケゴールは、本格的に執筆活動に向かっていくことになりました。
キルケゴールは、1838年に父が逝去し、1841年にレギーネと別れた後、1843年から1845年にかけて猛烈な著作活動と通して、詩情あふれる作品を匿名で執筆し続けました。
この匿名作品の主題となったのは、次のものです4同上、71頁。
- 「美的あるいは、感性的な迷いから人間を救出するために、美的感情の世界が持つあらゆる可能性の襞を明るい光の中にもたらすことによって、その内的な虚しさを示すこと」
- 「汎神論的な思弁や抽象的な体系が、人間を反省的な可能性の海に溺れさせ、現実の自己を蒸発させてしまうことへの警告」
そして、これらの著作をキルケゴールは一括して「美的著作」と名付け、実名で出版した宗教講話や1846年以降に取り組まれた「宗教的著作」から区別しています。
「美的(ästhetisch)」とは、カントが使用した用語であり、「感性的」や「受動的」、「享楽的」という意味で使われています。これは、意志的な決断や自発的な自己限定を無限に保留しようとする過度な反省哲学への批判を含んだものでした。
この点から、キルケゴールの思想が極めて「自己」というものを強く意識することを目指したものであり、この事実からキルケゴール哲学を「実存主義」の先駆者をみなす解釈がなされています。
さて、このような執筆活動の中で、キルケゴールは、1845年に『人生行路の諸段階』を匿名で出版しました。そして、この著作に対する悪意に満ちた人格攻撃的な批評文が「大地」という雑誌に寄稿されました。
この批評文の執筆者は、キルケゴールの友人であり、コペンハーゲン大学の美学教授として名声の高かったエーレンシューレーガーの後を継ごうとする野心に燃えていたメラーでした。
コルサール事件の概要
- メラーは、密かに当時有力な風刺新聞「コルサール」の編集に関係していたが、この新聞は、ゴールスメットに主宰された、有名人をこき下ろすことを得意とするあまり品の良い雑誌ではなかった
- そこで、キルケゴールは「祖国」という雑誌に反論文を寄稿し、「コルサール」に戦いを挑むことになった
- この反論文によって、メラーと「コルサール」の関係が公然化し、メラーの野心は、打ち砕かれることになった
- ただ「コルサール」の主宰者であるゴールスメットは、かねてより、キルケゴールに好意を持って尊敬しており、メラーとの関係修復に尽力した
- しかし、この尽力もキルケゴールがそのような妥協を好まない人物であったことから失敗し、「コルサール」は、全面的にキルケゴール攻撃を行うことになった
このキルケゴールへの攻撃の結果、彼は公衆の笑い者に仕立て上げられることになってしまいました。
キルケゴールは、人々の嘲笑の的にされ、だらしない格好をした子どもは、母から「セーレン=キルケゴール」と注意され、キルケゴールの散歩姿を見かけた人々は、彼をその著作名にかけて『あれか―これか』とバカにするほどでした。
このような出来事を経て、キルケゴールは、大衆に染まり、世俗において「平均化」されない「単独者」としての自己自身を取り戻すことが現代キリスト教世界に課せられた課題であり、みずからの課題でもあることを自覚しました。
以上、キルケゴールの思想を形成した三つの要因について説明してきました。
これらの要因から導き出されるキルケゴールの思想的なテーマは、
- 「個人」がいかなる存在者として生きていくべきかを主題とすること
- さらに、その当時の社会がそのような「個人」を極めて平均的な存在へと貶めるようなシステムをなしていること
です。
このような状況において、「キリスト教」と「個人」の関係を考えることが各著作で取り組まれています。2章では、このテーマを具体的な著作を取り上げることで明らかにしていきます。
- キルケゴールの実存思想とは、自己を見失った生き方を神への信仰によって自分らしく生きることへと飛躍させることを目指したものである
- キルケゴールの思想には「父ミカエルとの関係」「最愛の女性レギーネとの関係」「コルサール事件」が影響を与えている
2章:キルケゴールの主著
さて、2章では、キルケゴール思想の真髄を理解するために、主要な三つの著作での思索を紐解いきます。
これらの著作は、それぞれが一見して、異なるテーマについて論じられているように見えるにも関わらず、根本的には、同じテーマのもとで著されています。結論からいえば、それは対立する二つのものの関係の中で、「個人」としての人間がいかにみずからの生を引き受けて生きていくかというものです。
2-1: 『あれか―これか』
まずは、匿名での初の出版物である『あれか―これか』についてです。
『あれか―これか』の構成
- 第一部と第二部からなる著作である
- 第一部が感性的な享楽をモットーにして生きる青年Aの手記という体裁になっている
- 第二部で、そのAの友人である中年の判事ウィルヘルムが、Aへと出した警告文という体裁を採っている
この二人の登場人物は、それぞれが異なる立場での生をまっとうしています。
Aは、すでに触れたように、享楽的な生活の中で美的な人生を送っているのに対して、ウィルヘルムは、妻帯者として日常的な社会生活の義務を忠実に果たすことで幸福を得ることができると信じて倫理的な人生を送っています。
つまり、キルケゴールは、この二人の人物に「感性的で美的な生」と「理性的で倫理的な生」を投影させて、それぞれのどちらを選ぶべきかという問いを読者に発しているのです。
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キルケゴールは、これら二つの生き方のうち、後者の倫理的な生のほうがより良いものであると結論づけています。なぜなら、それは以下の理由があるためです。
- 美的な生き方は、辛い現実を詩的な構想力によって、さまざまな可能性へと開くことができるが、その可能性は想像の翼を最大限に広げることで、その可能性に開かれた者が自分であることを忘却させる危険性がある
- すなわち、すべてのものを可能性の海の中に落とし込み、そのようにすることで全世界を獲得することができたとしても、その構想力によって、自分自身をも亡霊のように失ってしまう
- それならば、そのような人生にいかなる意味があるのかがわからなくなってしまう
これは、キルケゴール自身がみずからの境遇に絶望し、享楽に溺れた経験があるからこそ言うことができたものだと言えるでしょう。それゆえ、美的な生活がいかに素晴らしいものであったとしても、その夢はあくまでも夢に過ぎず、現実の生活ではないのです。
これについて、キルケゴールは次のように語っています5藤野寛『キルケゴール 美と倫理の間に立つ哲学』101-102頁。
美的に生きるとはどういうことか。そして、倫理的に生きるとはどういうことか。一人の人間にあって、美的なものとは何か。倫理的なものとは何か。これに私は次のように答えたい。一人の人間における美的なものとは、それを通してこそ直接的に彼が彼である、そのようなものである。倫理的なものとはそれを通してこそ彼が彼になる、そのものである。美的なものの中に、それによって、それを通して、それのために生きている人は、美的に生きているのである
すなわち、真に目指すべきは、あらゆるものを享受し、夢の世界で「あるがままに生きる」ような美的生活ではなく、現実の世界で「理想とする生き方を成立させていく」ような倫理的生活です。
キルケゴールは、この点を指摘し、現実にしっかりと根ざした倫理的生活を目指すべきだと主張しているのです。
2-2: 『不安の概念』
次に、『不安の概念』についてです。
『不安の概念』のテーマ
- 人間が目指すべき倫理学的な主題としての「自由」と、その自由の実現の戦いの中で明らかになる「罪」という二つの対立をいかにして調停するのかという問題
- そして、この調停のためには重要となるのが「不安」という概念である
まずは、「自由」と「罪」の関係から見ていきましょう。この関係には、その背後に「倫理」と「宗教」という大きなテーマが据えられています。
- 「自由」とは、人間が実現すべき自己の確立であって、無限の可能性を意味している。しかし、この自由を実現しようとしても、私たち人間が有限な存在者であるという事実が立ちはだかる
- すなわち、私たちは、いかに自由であろうとしても、常に世界の中に存在し、いずれは死にゆく存在者であり、その行動なども世界内での制約の中で行われている。これが、私たち人間の有限性である
- この人間の限界とも言える有限性をキルケゴールは、「罪」という言葉で表している。そして、この「罪」を自覚させてくれるものが宗教(=ここでは言うまでもなくキリスト教)である
このような宗教の力によって、私たちは否応なくみずからの限界を自覚し、「罪」の存在者であることを自覚するのです。そして、この自覚によって、私たちはみずからの境遇を引き受け、「罪」の救済のために人間を超越した絶対者(神)の力にすがることができるのです。
そこにおいて初めて、真の信仰が生じ、「罪」から「自由」へと飛躍することができるのだとキルケゴールは述べています。
さらに、この「罪」の自覚は、私たちが根本的に有している気分としての「不安」によって先取りされています。ここで「不安」という概念を理解するために、不安とよく似ていると考えられる「恐怖」を対比させて考えてみましょう。
「不安」と「恐怖」の相違
- 私たちが「恐怖」を抱くのは、たとえば、未知のウイルスによって、日々の生活が侵されそうになっている場面や、近所で殺人事件が起きた場合などである
- それに対して「不安」は、何か形容し難いものについての漠然とした不安や、これから先の人生についてのぼんやりとした不安であったりする
- つまり、「恐怖」が確固とした対象に対するものであるのに対して、「不安」はまさに漠然とした対象のない違和感のようなものである
- 目の前で起きている身の危険に対しては、恐怖することはできても不安になることはできない
もちろん、これらの例は、対象がある「恐怖」と対象がない「不安」という区別を行うために提起しているものなので、日々の中で漠然と「いつ殺人事件に巻き込まれるか不安です」と言うことはできます。
しかし、その場合も、具体的に近所で起きた殺人事件と漠然とした事件への不安では、対象のリアリティが異なるということができるでしょう。そして、キルケゴールによれば、この「不安」という気分をもつことができるのは、人間だけなのです。
さて、では一体、人間の根本気分としての不安は、どのように人間を「罪」から「自由」へと飛躍させることができるのでしょうか?
先程説明したうように、不安はその対象をもちません。キルケゴールは、それが対象をもたないということは、不安は「無」に向けられるものであると理解しています。ここでの「無」とは、それがまだ「何ものでもない」ということを意味しています。
そして、まだ何ものでもないということは、「無」によって、人間はあらゆる可能性に開かれているということをも意味しています。この「無」のもつ無限の可能性が人間を「自由」へと飛躍させる原動力なのです。
この点について、キルケゴールは次のように述べています6同上、138頁。
不安の概念が、恐怖やそれに類する諸概念とはまったく異なるものである点に、私は注意を促さざるを得ない。これらの諸概念が、何かある特定のものに関わるのに対して、不安は、可能性にとっての可能性として自由の実現性である
2-3: 『死に至る病』
最後に、『死に至る病』についてです。
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本書の概要
- キルケゴールの宗教的な実存思想がある種の完成を果たした主著であり、彼の著作の中で最も有名なものである
- ここでテーマとなっているのは、「絶望」と「自己自身」との関係である
まずは、「絶望」がどのようなものなのかという点から見ていきましょう。『死に至る病』は次のような一節から始まっています7S.キルケゴール『死に至る病』岩波書店、22頁。
人間とは精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である。自己とは何であるか。自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている
ここには、『死に至る病』の重要なテーマが表れています。しかし、これだけでは、あまりに難解なので少しずつ見ていきましょう。
2-3-1: 精神とは
まずは、「人間は精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である」の部分です。ここで、キルケゴールは、人間を精神と定義し、さらに、この精神を自己であると定義しています。
それでは、人間の内にある「精神」とは何でしょうか?
- ここでの「精神」とは、一般的な「心」とは区別される
- もともと精神という言葉は、キリスト教的な文化において、聖書の「聖霊」と関連した概念であり、人間の霊魂の根底で神を交わり、永遠者・無限者としての神への意識に目覚める働きをなすもの
しかし、この精神は、上述の引用で言われているように、人間という有限者に備わったものです。それゆえ、ここで、有限な存在者が無限なる神への意識を持つという矛盾が生じることになります。
すなわち、永遠者への意識を持ちながら、現実には有限者である「自己」にとって、みずからが「永遠者」となることが課題として課せられることになるのです。
よって、先の引用の残りの部分である「精神とは自己である」という部分で表されているのは、
- 精神は「永遠者」になるという課題を自分自身の課題として自覚する自己である
- この課題を現存する単独の自分自身の生き方を通して実現してゆこうとする自己である
ということです。
そして、このような意味での「本来なるべき自己」になっていない状態、自己の本来の姿を見失っている自己喪失の状態にあることが「絶望」と呼ばれる状態です。
2-3-2: 絶望とは
「絶望」とは、
身体の死に対する不安ではなく、精神としての自己、人格としての自己を失うこと
を意味しています。
すなわち、自己が生きる上で、どのように生きるかを見失うことが身体の死よりも恐ろしい事態なのです。
しかし、同時に、自然的な身体の死や、精神である自己が自由な行為によって永遠へと生成していくことができる人間だけが「絶望」できます。すなわち、この「絶望」は、人間の偉大さや高貴さを表す徴表ということになります。
そして、この「絶望」を乗り越えるためには、この「絶望」がいかなるものなのかを詳細に研究する必要が生じます。この課題を成し遂げることが『死に至る病』の究極目標です。
さて、ここまで「人間」と「精神」と「自己」、そして「絶望」の関係を説明してきました。そして、この「絶望」を乗り越えるために、「絶望」とはいかなるものなのかを明らかにするという課題が提示されました。
2-3-3: 残された部分
ここからは「絶望」がいかなるものかを明らかにするために、冒頭に上げた引用文の残していた部分を読み解いていきます。
残されていた部分は「自己とは何であるか。自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている」です。
ここで注目するべきなのは、「自己」が「自己自身に関係するところの関係」であるという部分です。
自己とは
- 私たちは、普段何気なしに「自己」という言葉を理解している。それは「この」私のことであり、他の人間ではなく、そのような他者に関わる存在者である
- しかし、この自己とは、「具体的にどのような存在なのか?」と問われた時にどのように答えればよいのか?
- 大抵は、「私のことだよ」だったり、「あなたにとっての私のことだよ」と答えるであろう
- しかし、これでは「自己とは何か」という問いに具体的に答えられているとは言い難い
- なぜなら、そのように答えられた「自己」が結局は、どのような存在者なのかの定義を与えることができないからである
キルケゴールは、このような問いに対して、「自己」を「自己自身に関係するところの関係」であると定義して応答します。この関係は、人間の持つ「有限性と無限性」の関係を表しています。
すなわち、以下のような結論に帰着します。
- 人間は、精神として絶対者への意識を持っている(無限性)であると同時に、身体を持ちいずれ死にゆく存在者(有限性)である
- このような、二つの性質を持ち、かつそれらのどちらかに傾くことなく生きていることが真の自己のあり方となる
- キルケゴールの言葉でいうと「この関係をみずからの自由な責めによって総合していく」8『キルケゴール 思想と人19』、工藤綏夫』182頁ような仕方で生きていくことである
そして、この「絶望」を乗り越えるためには、このような自己自身のあり方を自覚し、自己らしく生きるために神を信仰しなければならないというのがキルケゴールの結論です。
- 『あれかーこれか』では、「感性的で美的な生」と「理性的で倫理的な生」を投影させて、それぞれのどちらを選ぶべきかという問いを読者に発している
- 『不安の概念』では、
- 人間が目指すべき倫理学的な主題としての「自由」と、その自由の実現の戦いの中で明らかになる「罪」という二つの対立をいかにして調停するのかという問題が扱われている
- 『死に至る病』では、「絶望」と「自己自身」との関係がテーマである
3章:キルケゴールを学ぶための本
キルケゴールに関して理解を深めることはできましたか?
以下では、キルケゴールの思想に触れるために、原著や解説本を紹介しています。ぜひ手に取って読んでみてください。
オススメ度★★★ 工藤綏夫『キルケゴール 思想と人19』(清水書院)
比較的手に入りやすく、キルケゴールの生涯と主要な著作を紹介している良書です。入門としては、本書でキルケゴール思想の大枠を理解してから他の著作に取り組むことをおすすめします。
オススメ度★★★ 藤野寛『キルケゴール 美と倫理のはざまに立つ哲学』(岩波書店)
本書も比較的安価で手に入れやすく、その上で専門的な知識を獲得することができる良書です。キルケゴール思想だけでなく、その周辺思想との連関を学ぶことができるため、さらなる理解を深めることができます。
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オススメ度★★★ キルケゴール『死に至る病』(岩波文庫)
『死に至る病』は、日本国内でも、岩波書店版、ちくま書房版、中央公論新社版、講談社版と数多くの翻訳があり、かつ文庫という形で手に入りやすくなっています。本書は、彼の実存思想が結実している名著です。決して容易なものではありませんが、ぜひ直接取り組んでみることをおすすめします。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- キルケゴールの実存思想とは、自己を見失った生き方を神への信仰によって自分らしく生きることへと飛躍させることを目指したものである
- キルケゴールの思想には「父ミカエルとの関係」「最愛の女性レギーネとの関係」「コルサール事件」が影響を与えている
- キルケゴールの主著には『あれかこれか』『不安の概念』『死に至る病』がある
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
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