企業集団(Corporate group)とは、都市銀行を中心とする総合商社や重化学工業等からなる巨大企業の連合体のことを指します。
企業集団は戦後すぐのGHQによる改革のなかで誕生したと言われています。特に、日本の6大企業集団は、経済的に大きな役割を担ったため、しっかり理解する必要があります。
そこで、この記事では、
- 企業集団の意味・特徴・問題点
- 企業集団と財閥との違い
- 日本の6大企業集団
などをそれぞれ解説していきます。
好きな箇所から読み進めてください。
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1章:企業集団とは
1章では企業集団を概説します。2章では日本の6大企業集団の解説しますので、用途に沿って読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:企業集団の意味
企業集団が生まれたきっかけは、戦後すぐのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による経済改革であったと言われています。この点を理解するためには、戦前〜戦後にかけての歴史を知る必要があります。それは大まかにいえば、以下のとおりです。
戦前〜戦後
- 戦前においては、財閥が日本経済のあらゆる活動の中枢を担っていた
- しかし、GHQによる過度経済力集中排除法の制定や公職追放令といった経済民主化政策によって財閥は解体され、財閥の持っていた傘下企業の株式は市場へと放出された
- ところが、1952年に発効したサンフランシスコ講和条約によってGHQによる占領施策の多くは効力を失ったことで、財閥系企業も禁止されていた財閥の商号を次々と復活させるなど一時は財閥復活の兆しが見られた
「一時は財閥復活の兆しが見られた」と説明したのは、占領施策による厳しい締め付けによって財閥家族の財力は大きく低下しており、戦前のような財閥が復活することはなかったからです。
代わりに登場したのは、財閥のような特定の上位企業を持たない企業の連合体でした。これが企業集団のはじまりであったと考えられています。
その後は、新たに形成された集団も含めて企業集団が日本経済をリードしていく存在となります。
1-2:企業集団の特徴とその強み
さて、企業集団は、株式会社や企業組合のように商法によって規定された公式の組織ではありません。
それゆえに、法律では企業集団を定義づけできないことから、公正取引委員会では1975年に当時存在していた企業集団を整理し、その根拠として「7つの標識」を作成しました。
その後、企業集団研究の先駆者であった経済学者の奥村宏はこの「7つの標識」を再検討し、企業集団の実態に合った「6つの標識」を学会にて発表します。
以後の企業集団の研究には、この奥村の「6つの標識」が標準的な企業集団の定義として扱われることになりました(図1)。
図1 公取委の「7つの標識」と奥村宏の「6つの標識」2菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 21頁を参考に、筆者一部改変
ここでは、奥村の「6つの標識」に沿って、解説してきます。
1-2-1: 社長会の開催
企業集団は巨大な企業の連合体であるため、財閥のような特定の親会社や持株会社が存在しません。
しかし、特定の支配会社を持たないはずの企業集団が、ある統一された意思のもとで行動していた時期があったと言われています。それは集団に属する企業の代表が一堂に会する「社長会」があったためです。
社長会の概要
- 極めて非公式な会合であり、現存している参考資料も少ない
- そのため、その具体的な内容はまだまだ不明な部分が多く、真実は謎に包まれたままである
- また、企業集団によって「社長会」の位置づけがさまざまであることから、一概に社長会の機能を表現することはできない
公開されている数少ない資料をもとにいえば、概ね特定の親会社や持株会社が存在しない企業集団において、社長会は各社の意見を調整し、企業集団の方向性を決め、意思決定をする場であったと評価されています3菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 72頁。
1-2-2: 株式の相互持ち合い
特定の親会社や持株会社を持つことのなかった企業集団ですが、代わりに企業集団内で相互に株式を持ち合うことで互いに株主の安定化を図っていたとされています(図2)。
図2 6大企業集団の株式持ち合い比率4菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 131頁
企業集団が相互で株主を持ち合うようになった理由については諸説あります。たとえば、以下のような説があります。
- 財閥解体の際に多くの株式が市場に放出された財閥系企業が、株式を第三者に買い占められ、経営権を乗っ取られることから身を守るために、信頼できる取引先に株式を保有してもらったことがはじまりである
- 1960年代に「資本の自由化」によって外資系企業が続々と日本に参入してきたことで、財閥系企業を除いた企業の間でも、外資系企業の買収から身を守るために、株式の持ち合いが一般化し、日本固有の仕組みとして定着したと
※株式持ち合いに関しては、次の記事で詳細に解説していますので、参照ください。→【株式持ち合いとは】メリット・解消された経緯をわかりやすく解説
1-2-3: 都市銀行による系列融資
系列融資とは、
都市銀行が特定の企業との関係性の深め、その企業に対して固定的に融資をおこなうこと
です。しばしば、「メインバンク制」と呼ばれるシステムです。
企業集団における系列融資が定着したのには、戦後すぐという日本経済の状況が反映されていたと考えられています。
一般的に企業の資金調達の方法には、
- 株式の発行による「直接金融」
- 銀行の融資による「間接金融」
があります。
戦後すぐの日本では株式市場から資金を調達できるほどの経済的基盤ができておらず、資金を調達したい企業はやむを得なく銀行からの融資(間接融資)に頼っていました。
また、銀行側としても不特定多数の企業の財務状況や事業内容を審査して、少額の融資を積み重ねていくことよりも、特定の企業と蜜月の関係を築いて多額の融資をおこなうほうが、融資の効率がよかったことから系列融資は急速に増大していったとされています。
※メインバンク制に関しては、日本的経営の記事で触れています。→【日本的経営とは】特徴・課題をデータからわかりやすく解説
1-2-4: 総合商社による集団内取引
企業集団は原則として1業種につき1社で構成されており、企業集団内では排他的な商取引が成立していると言われています。
たとえば、三菱系グループの企業の新年会や忘年会では、基本的に同じグループに属するキリンビール社のビールしか提供されないのは有名な話です。また、キリンビール社で提供する瓶ビールの瓶原料も同じ三菱系グループの旭硝子が製造しているとされています。
このように企業集団内では、企業間の取引が固定化し、商取引が排他的なものになっていく傾向が見られます。そして、この排他的な商取引がグループ内の企業同士の成長に繋がることで、企業集団内で互いに助け合っていくことを尊重する風潮が生まれ、企業集団の競争力のひとつの源泉となっています。
1-2-5: 包括的な産業体系
上記の集団内取引が実現できるのは、企業集団内で包括的な産業体系が形成されているからに他なりません。
企業が商売をおこなううえで、他業種との商取引はさまざまな場面で発生します。たとえば、以下の例を考えてみてください。
瓶ビール用の瓶の製造の場合
- 瓶の原料となるガラス原料の調達が必要になる
- ガラスの製造をするためにも製造機器や燃料などの製品や材料が必要となる
通常、こうした商取引は必ずしも利害の一致しない外部の企業とおこなうことになりますが、企業集団ではこれをひとつのグループ内で完結しておこなうことができます。
不確定要素の強い商取引を、共通の価値観や利害関係のあるグループ内での実施できることは、売る側にとっても買う側にとってもメリットが大きく、また無駄なリスクは発生する心配も少ないです。
その結果、グループ内の商取引は活発化し、巨大な産業体系が形成されていきます。
1-2-6: 共同投資会社による新規事業進出
企業集団では、水平的な産業体系が存在していることでさまざまなノウハウや技能を集結させることができるので、新興産業への進出には特に有利であるとされました。
新興産業への進出
- 特定の業種の利害に偏らず、むしろすべての業種によって新たなビジネスチャンスとなり得る新興産業は、企業にとっては非常に魅力的な市場であり、銀行にとっても大きな資金需要が期待できる貴重な機会であった
- そのため、企業集団の中心であった銀行は、豊富な資金をもって共同投資会社を設置し、新興産業に興味のあったグループ会社を協力会社としてまとめ、新規事業に果敢に挑戦した
このような初期投資が大きく、技術的難易度が高いビジネスチャンスほど企業集団のメリットは大きかったとされており、企業集団による共同投資会社の設立はある種のブームのように頻繁に見られました。
企業集団について、下記の本が詳しいです。
また、奥村宏は日本企業の独自な形態について総合的に研究しており、下記の本は非常に勉強になりますので、おすすめです。
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1-3:企業集団と財閥との違い
歴史的に見れば、財閥という組織形態の延長線上に位置している企業集団ですが、そこには支配構造と企業間関係という点で大きな違いがあります。図3は企業集団と財閥の違いをわかりやすくまとめたものです。
図3 企業集団と財閥の違い5菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 23頁
財閥は、財閥家族を筆頭に財閥本社が財閥系企業の親会社として存在しており、その傘下企業は基本的に財閥本社の支配下に置かれます。ゆえに、傘下企業にとって親会社である財閥本社の命令は絶対であり、傘下企業の経営における意思決定の裁量は必然的に小さくなります。
※財閥の歴史や特徴は、次の記事がより詳しいです。→【4大財閥とは】歴史から現在までの流れをわかりやすく解説
しかし、企業集団では親会社や特定の持株会社は存在しないため、グループ内の企業は極めて対等な関係が維持されました。
株式の持ち合いの多寡があったり、企業規模による影響力の大小があったりと多少のパワーバランスは存在しましたが、いずれも自社の経営に影響を及ぼすほどの支配ではなかったため、財閥のような絶対的な上下関係ではない協力的な関係が築かれていたとされています。
まとめると、財閥とは極めて垂直的な支配構造をもつ集団であると言えますが、逆に企業集団では、水平的な協力関係を持って集団を形成していることがわかります。この組織の構造的な違いは、グループ内の意思決定の動きの違いに大きな影響をもたらすことになりました。
1-4:企業集団の問題点
日本経済の中枢を担い、高度経済成長の原動力としても世界中から称賛を浴びた企業集団ですが、日本経済が低成長期に入ると次のような問題点を指摘されるようになりました。
1-4-1: 銀行の支配力が低下すると、グループ全体の結束が弱まる
冒頭でも述べたように、企業集団とは都市銀行を中心とする巨大企業の連合体です。そして、その司令塔的な役割を果たしているは都市銀行の指導力は、グループ企業同士の結束の強さに直結しました。
特に、高度経済成長期において、豊富な資金力を背景にグループ会社に対して多額の貸付をおこなっていた銀行の発言力は非常に大きく、まさに企業集団のリーダー的な存在であったとされています。
しかし経済成長が低迷期に入ると、銀行は思ったように利益を増やすことができなくなります。
支配力が低下した結果
- グループ内での指導力も低下していき、まとめ役を失った企業集団は徐々に形骸化していくことになる
- バブル経済崩壊後は、多くの都市銀行が不良債権の処理に苦しみ、もはや指導力を発揮できる立場にはなくなったために、企業集団はその優位性を大きく失うことになった
1-4-2: 革新的なスタートアップが生まれにくい
企業集団が有する包括的な産業体系は企業集団の最たる強みであると言えますが、一方で、産業構造を変化させるようなスタートアップが生まれにくいという問題もあります。
菊池は企業集団の新興産業進出について、その優位性を認めながらも、以下のように述べて、企業集団が必ずしも新興産業の進出で成功していなかったことを指摘しています6菊池浩之(2005)『企業集団の形成と解体』日本経済評論社 401頁。
1960年後半から1970年代前半には、各企業集団が共同投資会社設立により新興産業進出に挑戦したが、オイルショック以降はほとんど行なわれなくなった。…(中略)…企業集団は高度経済成長期には有効なビジネスモデルであり、低成長期にはその存在意義が失われつつあった。
これにはさまざまな理由が考えられますが、低成長期では既存の枠組みから外れた革新的なアイディアが求められる中で、利害関係の多い企業集団内ではそこまでの挑戦的な企業は現れにくかったことが考えられます。
- 企業集団とは、都市銀行を中心とする総合商社や重化学工業等からなる巨大企業の連合体のことを指す
- 経済学者の奥村宏は公正取引委員会「7つの標識」を再検討し、企業集団の実態に合った「6つの標識」を提示した
- 日本経済が低成長期に入ると、「銀行の支配力の低下」「挑戦的な企業は現れにくい」といった問題点が露わになった
2章:日本の6大企業集団
さて、2章では高度経済成長期において、特に著しい成果をあげた6つの企業集団について簡単に紹介します。
2-1: 6大企業集団の概要
この6つの企業集団は、その規模の大きさから6大企業集団と呼ばれ、戦後復興期からバブル経済崩壊までの日本経済の主役とも言える存在でした。その6大企業集団は以下の通りです(図4)。
図4 1974年の企業集団・融資系列リスト7菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』 KADOKAWA 188頁
日本の企業集団としての在り方の礎となったのは、3大財閥と呼ばれた「三菱グループ」「住友グループ」「三井グループ」であったと言われています。特に、三菱グループと住友グループは旧財閥としての結束力を武器に、都市銀行と有力な事業会社を抱え、社長会の結成や株式の持ち合いの強化を進めました。
その結果、理想的な企業集団を形成することに成功したことから、その後の企業集団の在り方を決定づけたグループであったとされています。
2-2: 新興系集団の形成
また1960年代後半からは、先の旧財閥系企業集団と比べると財閥としてのカラーを持たない「芙蓉グループ」「三和グループ」「一勧グループ」といった新興系集団が相次いで形成され、6大企業集団が出揃います。
特に、血縁によらない芙蓉グループの形成は、企業集団の歴史の転換期のひとつと数えられるほど革新的でした。財閥系企業グループのあまりの躍進によって存続の危機を抱いていた業種を中心に、芙蓉グループに入りたいという企業が芙蓉グループを束ねる富士銀行に押し寄せたと言われています8菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 34頁。
高度経済成長期の波に乗って躍進を続けた6大企業集団は、1975年までに公正取引委員会がそれまで存在しなかった企業集団の定義をしなければならないほどの規模にまで拡大し、日本経済の中心的存在へとなりました。
2-3: 6大企業集団体制の終焉
そんな6大企業集団の大きな転機となったのが、バブル経済崩壊後に全国の金融機関で相次いだ金融不安でした。金融機関が抱えた莫大な不良債権に加え、景気低迷による資金需要の低下により、企業集団の中心的存在であった都市銀行の財務状況はみるみる悪化しました。
1999年から2002年にかけては、それまで競合していた都市銀行同士の経営統合が相次いで発表されたことで、長きにわたって続いた6大企業集団体制は終わりを迎えることになりました(図5)。
図5 メガバンク再編9菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』 KADOKAWA 241頁
3章:企業集団に関するおすすめ本
企業集団に関して理解を深めることはできましたか?
以下では、企業集団に関する解説本を紹介しています。ぜひ手に取って読んでみてください。
菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(KADOKAWA)
日本の6大企業集団に関する主要な論点がすべてわかりやすくまとめられている1冊です。企業集団について詳しく知りたい方はまずこちらの本をお勧めします。
菊池浩之(2005)『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)
日本の主要な財閥の簡単な歴史からその後の企業集団形成に至るまでのプロセスがまとめれた1冊です。財閥といまの企業集団の繋がりを理解する上ではおすすめの著書です。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 企業集団とは、都市銀行を中心とする総合商社や重化学工業等からなる巨大企業の連合体のことを指す
- 経済学者の奥村宏は公正取引委員会「7つの標識」を再検討し、企業集団の実態に合った「6つの標識」を提示した
- 日本経済が低成長期に入ると、「銀行の支配力の低下」「挑戦的な企業は現れにくい」といった問題点が露わになった
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参考文献
- 菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA
- 菊池浩之(2005)『企業集団の形成と解体』日本経済評論社
- 菊池浩之(2009)『日本の15大財閥』平凡社