ケイパビリティ(Capability)とは、インドの経済学者、哲学者であるアマルティア・セン(Amartya Sen)によって提唱された概念で、「自由」を実現するためには与えられた「財」を活用するケイパビリティ(能力)を高める必要がある、とするものです1中村隆俊『リベラリズムの系譜学』みすず書房203-213頁。
たとえば、十分な教育を受けられなかった人に選挙権が与えられても、それを自分の人生を豊かにするための手段(投票)として活かすことができません。
このように、ただ権利を与えるだけでなくそれを活かす能力(ケイパビリティ)にも政府はコミットする必要があると考えるのがセンの立場です。
これは、現在の日本でも十分に議論する必要があるテーマですので、この記事では、
- センのケイパビリティの問題背景
- ケイパビリティの議論の図解
を紹介、解説しています。
関心のあるところから読んでみてください。
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1章:センのケイパビリティとは
繰り返しになりますが、ケイパビリティとは、インドの経済学者、哲学者であるアマルティア・セン(Amartya Sen)によって提唱された理論で、「自由」を実現するためには与えられた「財」を活用するケイパビリティ(能力)を高める必要がある、とするものです。
先に要点を言えば、
- 「自由」とは生活、人生における選択肢の広さのことである
- さまざまな権利や福祉などの「財」も、与えられるだけでは活用できない人がいる
ex.たとえば政治参加するためには、投票の権利を持つことだけでなく政治の知識が必要 - 「自由」の範囲を公平にするためには、「財」を活用できるための、教養や知識などの「潜在能力(ケイパビリティ)」を高めることが必要
ということと言えます。
1章ではセンの議論の問題背景や関連する議論を紹介し、ケイパビリティ論の詳しい説明は2章で行います。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:センの問題背景
そもそも、私たちの社会では「権力者によって個人の行動・選択が阻害されない」という「自由」が存在しますが、これは歴史の中で獲得されてきたものです。
しかし、自由が獲得された結果、自由に経済活動する資本家が登場し労働者が搾取されるという状況が生まれました。つまり、単なる自由放任ではかえって自由が阻害される可能性があることが分かったのです。
1-1-1:自由に関する過去の議論
そこで、政治学や哲学の分野ではこの自由の矛盾に答えるためにさまざまな議論が展開します。
たとえば、アイザイア・バーリンは、「自由」は多義的であるため区別するべきとして以下のように主張しました。
- 自由には「消極的自由」と「積極的自由」がある
- 消極的自由とは、他者から自分の行動や選択が干渉されないことであり、積極的自由とは、より高い価値を実現するために自律的に行動することである
- 積極的自由を行使すると他人の自由が阻害される可能性があるため、消極的自由を守るべき
センの議論もバーリンと同じく「自由はどのようにして実現されるべきか」という問いから生まれています。
※バーリンの「自由」に関する議論について、詳しくは以下の記事で解説しています。
1-1-2:センの問い
では具体的に、社会のすべての人々に自由が与えられるためには、どうしたら良いでしょうか?
バーリンの言うところの「消極的自由」、つまり自分で自分の行動を選べる「自由」はまず前提とされるべきです。ここに反対する人は少ないと思います。
では、消極的自由さえ守られればすべての人が自由に生きられるのでしょうか?実は、そうとは言えません。
たとえば「選挙権を与えたのだから、政治的主張があるなら投票によってうったえるべきだ」という問いを考えてみましょう。これは一見正しく見えますが、たとえば十分な教育を受けることができず、政治や投票の仕組みも分からず、自らの政治的主張をどのようにうったえればいいのかわからない。このような人々が社会にいたらどうでしょうか。
実際、日本ではともかく途上国等では十分にあり得ることです。
この場合、彼らが投票権を持っていたとしても、それを活用する能力を持っていません。
そのため、一見彼らに自由があるように見えても、実際には自由があるとは言えない。このような状況が生まれてしまうのです。
このように、センのケイパビリティ論は、「自由」を現実の社会の中で実現する場合に出てくる問題について答えようとしたものでした。
1-2:ケイパビリティの必要性
上記のような問題意識から、センは自由とは単に選択肢が与えられているだけでなく、それを実現できる潜在能力(ケイパビリティ/ Capability)が必要なのだと論じました。
先ほどの選挙、政治参加の例で言えば、その社会に所属するどのような人も選挙によって政治参加できるように、政治に関する教育や誰でも行ける場所への投票所の設置、選挙時期の周知などを行うことが必要だということになります。
2章でも解説しますが、実際にセンの書籍を手に取ってみることもおすすめします。
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ケイパビリティのポイントは理解できましたか?
2章では、センのケイパビリティ論についてより詳しく説明しますので、まずはここまでを整理します。
- 自由を与えるだけの自由放任では、かえって自由が阻害される人々が生まれてしまう
- センはより公平な社会になるためには、「どのように自由が実現されるべきか」を考え、それにこたえる形でケイパビリティ論を生み出した
2章:センのケイパビリティの議論
もう一度整理しますが、自由を実現するためには、
- 自由に行動・選択する権利が与えられていること(他者から干渉されないこと)
- 自由を行使するための能力や環境を持っていること
という2つの要素が必要です。
教養、知識がなければ政治参加の意味が理解できませんし、インフラが整ってなければ投票ができません。収入が少なければ政治について考えたり投票に行く余裕もないかもしれません。
政治に限らずとも、与えられた権利だけでは自由な人生を歩むことは難しいです。
そこで、行動・選択の自由だけでなく、選択できる人生、生活の選択肢の範囲が公平であることが、自由を実現する上で重要であることが分かると思います。
そこで重要になるのが、センのケイパビリティ(Capability)です。
ケイパビリティとは、生活上の選択肢が公平になるように人々が持つべき潜在能力のことです。
ケイパビリティについて理解するためには、「どうしたら生活の選択肢(自由)が公平になるのか?」という問いに対する、センの考えを知る必要があります。
2-1:財とケイパビリティの両方が自由を実現する
社会における人々の自由は、
- その人が持つ財の機能性
- その人が持つ、財を活用する教養、知識、健康状態などの要素
から決まる、というのがセンの考え方です。
つまり、以下の図のように「財が持つ特性→その財を活用することで実現する様々な機能→結果としての行動・選択の幅」というように影響し、生活上の行動・選択の自由の範囲が決まることになります。
ここで、「財」「ケイパビリティ」「自由」はそれぞれ以下のような意味だと考えてください。
- 財:与えられた自由、権利
たとえば参政権などの権利や福祉、公共サービスなど - ケイパビリティ:財を活かす能力
たとえば教養、知識、健康状態など - 自由
結果として享受できる生活、人生の選択肢の範囲
図を見て分かるように、財の機能そのものによって行動・選択が公平になるのではなく、財の機能がケイパビリティによって発揮されることで、行動・選択の幅が広がり公平になるということです。
ケイパビリティが小さければ、上の図のように財を十分に活用することができず、享受できる自由の幅も狭くなってしまうのです。
たとえば、「財」である教育を受ける権利、義務教育を与えているからと言って、十分に教育を受けることができる子どもばかりではありません。安心して勉強できる家庭環境や健康状態、人間関係の経験などのケイパビリティがなければ、与えられた教育サービスも十分に活用できないのです。
世の中には、「義務教育があるんだから学力が低いのは自己責任だろう」という意見もあるかもしれませんが、それはセンに言わせれば「財」にしか注目していない議論なのです。
したがって、政府は財を公平に分配するだけでなく、国民のケイパビリティを高めるためにも政策を工夫する必要があるのです。
2-2:結果の公平性は担保しない
注意が必要なのは、センの議論は「結果としての自由、公平性、幸福などを公平にしよう」というものではないということです。
なぜ結果としての公平や幸福を保障する必要はないのでしょうか?
たとえば投票などの行動で政治参加することを考えてみましょう。
すべての成人に参政権を与えた上で、政治参加が十分に可能になるほどの政治教育を行い、誰でも投票できる環境を整えることができたとします。この場合、国民として政治に参画する上での「財」と「ケイパビリティ」は国家によって提供されたことになります。
しかし、これらが付与された上で実際に投票に行くかどうかは、人々の自由な選択です。
その結果まで政府が介入しようとすれば、それは個人の自由を阻害することになり、自由主義の国家とは言えません。
また、センの主張に基づけば、教育においても結果としての学力を公平にすることを目指しません。
義務教育制度(財)や安心して学べる環境整備(ケイパビリティ)を行えば、そこから先でどれだけ勉強を頑張るかは個人の問題だからです。仮に、勉強を頑張らない子により手厚い教育をほどこそうとすれば、それは自分だけでも頑張る子に対して不公平になってしまいます。
それに、「財」「ケイパビリティ(潜在能力)」が整備された上で、何を優先しどのように行動するのか、というのは個人の価値観次第です。そこに結果の公平を目指して政府が介入することは、かえって自由を阻害する行為になります。
2-3:一般的理論より個別具体的な対応
とはいえ、もちろん病気、貧困、障碍、差別などさまざまな理由で、多くの人より手厚い保障を必要とする人々は存在します。そのような人に対しては、もちろんより多くの保障を提供すべきです。
センの主張は、「こういう基準に沿って画一的に人々を扱おう」とするものではなく、基本的な基準(ケイパビリティ論)は持ちつつも、個別の問題には議論して答えを出していこうとするものです。
漸進的に社会で平等・公平・自由を実現していこうとすることが、センの思想なのです。
- 人生や生活における選択肢の広さ(自由)は、持っている財だけでなくそれを活用する潜在能力(ケイパビリティ)によっても決まる
- 財を提供するだけで「あとは自己責任」にしてしまうと、自由を実現できない人々が生まれる
- 結果の平等は目指さないが、政府はケイパビリティにもコミットすることが大事
3章:ケイパビリティ論のオススメ書籍
ケイパビリティ論について理解を深めることはできましたか?
センは非常に多くのことを語っており、その議論をすべて紹介することはできません。しかし、センの主張は世界に大きな影響を与えたものですので、興味があればぜひ深く学ぶことをおすすめします。
センの議論を学ぶためには、以下の書籍がおすすめです。
アマルティア・セン『不平等の再検討―潜在能力と自由-』 (岩波現代文庫)
センのケイパビリティ(潜在能力)について正面から論じられた本です。センの思想を理解する上では必読書です。難しい内容ではないので初学者にもオススメです。
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『アマルティア・セン講義-経済学と倫理学-』 (ちくま学芸文庫)
センが経済学について講義した本です。ある程度の経済学の知識を持っていた方が良いですが、上記の本と合わせて初学者でも挑戦してみると良いと思います。
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中村隆文『リベラリズムの系譜学―法の支配と民主主義は「自由」に何をもたらすか―』(みすず書房)
この本は、「自由」をめぐるリベラリズムのさまざまな議論についてとても分かりやすくまとめられた本です。部分的ですがセンのケイパビリティについても触れられています。その他の議論と含めてぜひ学んでみてください。
最後に、書物を電子版で読むこともオススメします。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 単なる自由放任では、かえって自由が阻害される場合がある
- ケイパビリティとは、「自由」を実現するために必要な人々が持つ潜在能力のこと
- ケイパビリティは、結果の平等を目指す考え方ではない
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