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文学

【文学とは?】その定義や学問の特徴をわかりやすく解説!

文学とはなにか

文学(literature)とは、言葉だけによって生み出されたもの(小説や詩など)の中で芸術的なものといえます。

現在の日本社会では、「そんなこと勉強して何の意味があるんだ?」と言われがちです。

しかし大学で文学部を志望する学生は多くいます。そもそも、芥川賞や直木賞というものがあるのだから、文学はやはり社会的に評価されているのです。

文学を学ぶ価値はきっとある(にちがいないと思います)。しかし、「文学とはなにか?」はどこか掴みにくいですよね。

そこで、この記事では、

  • 文学の定義や意味
  • 文学研究の対象
  • 文学のパラダイム(作家論・作品論とテクスト論・読者論)
  • 現代社会における文学の意義

をわかりやすく解説します。

興味関心のある箇所からで構いませんので、読み進めてください。文学について理解を深めるきっかけになると幸いです。

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1章:文学とはなにか?その定義や特徴を解説

1章では、文学を「定義・意味」「語源」「対象」から概説します。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: 文学の定義・意味とは?

繰り返しになりますが、文学とは、

言葉だけによって生み出されたものの中で芸術的なもの

といえます。

「文学」という言葉は「芸術的」である、とほとんど同じ意味です。

「なぜそんな定義になるんだ?」という意見が多くあると思いますので、この定義を詳しく解説します。

1-1-1: テリー・イーグルトンによる文学の定義

実をいうと、この定義はイギリス人の文芸批評家、テリー・イーグルトンの言葉に基づいています。少し長いですが、彼の書いた『文学とは何か』(1983)を紹介します2大橋洋一訳『文学とは何か』(2014)を参照

こう言ってよければ、文学を定義できるのは、それが虚構的つまり「想像的」かどうかではなく、それ独特の方法で言語を使用しているかどうかなのだ。文学は、日常言語を変容させ、濃密にし、日常的発話からシステマティックに逸脱する。

どうでしょうか?取っ付き難い言葉かもしれませんが、イーグルトンは要するに、以下の点を指摘します。

  • 一つの意味だけしかないような日常的な言葉づかいではないもの
  • おしゃれに、さまざまな意味を言葉に込めて、非日常的とも思えるもの
  • つまり、「芸術的」な言葉だけによってつむぎ出されたもの

    これらの要素があるものを「文学」と言おうじゃないか!

そのため、冒頭の定義のように、

「文学」とは小説だけではなく、日記、紀行文(旅行記)、詩、自伝など、言葉のみによってつむぎ出されたものの中で芸術的なもの

といえるのです。

この定義に対して、「なにが芸術的かは人によって違うじゃないか!」と方がいるでしょう。その通りです。文学の範囲は人によって異なるということが起こり得ます

しかし、文学が対象にする作品はある程度決まっています。その点を、遠回りかもしれまんが、「文学(literature)」の語源から確認してみましょう。



1-2: 文学(literature)の語源とは?

さっそく、「文学(literature)」の語源を解説することで、文学が対象とする作品に迫っていきます。

確認しますが、日本語の「文学」は英語の「literature」の訳語です。

そして、英語の「literature」は、以下のような歴史をもつ言葉です。

  • 14世紀に英語に入ってきた言葉であり、「読書を通じた上流ならではの優雅な教養」を意味した
  • 前形はフランス語の「litérature」やラテン語の「litteratura」で同じ語義をもった

すでに答えがでているみたいですが、「literature」とは書かれたものすべてを対象にしたわけではありません。上流が読むに値すると考えた、教養的なものを指したのです。

1-2-1: 語源はラテン語の「littera」

そもそも、「literature」の語源はラテン語の「littera」で、「博覧強記の人」を指した言葉でした。

そして、ラテン語の「littera」は、次のような使われ方をしていたようです。

  • (例文)聖書を理解するだけの書物のたしなみ(literatur)がない
  • (例文)あらゆる文献の知識(literature)と学識に通じている

ラテン語の「littera」は「優雅な教養」を意味したことがわかる例文だと思います。

1-2-2:「文学」と「literature」

そして、「literature」が「文学」を意味し始めたのは18世紀半ばです。18世紀半ばまで「literature」は、依然として「教養」や「学識」を指す言葉でした。

しかし、18世紀半ば以降の「literature」は、以下のような意味に変化してきました。

  • 「ものを書く営み」
  • 「ものを書く職業」
  • 「想像力豊かで洗練された言葉を使うために、当然の結果として著述の分野(literature)で高い地位についている詩人」

「literature」の語源をみてわかる通り、ある特定の種類の文章を指すというより、優雅な教養の水準として、この言葉は使われてきました。

※語源に関しては、レイモンド・ウィリアムズの『キーワード辞典』を参照しています。

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どうでしょう?ここまで来ると、文学の対象がある程度決まっていることが理解できるのではないでしょうか?



1-3: 文学研究の対象とは?

ここでは、日本人になじみ深い、芥川賞と直木賞を比較して考えてみましょう。多くの文学者は、芥川賞を受賞するような作品を研究対象として選ぶ傾向があります。それには二つの賞に性格の違いがあるからです。

芥川賞と直木賞は、次のような特徴から区別することができます。

  • 芥川賞・・・心理描写や物語の展開が緻密で芸術的(と言われる)「純文学」が対象。(平野啓一郎、川上未映子、ピースの又吉など)
  • 直木賞・・・どちらかというと物語として面白い「大衆文学」が対象。(東野圭吾、池井戸潤 など)

どうでしょう?二つの賞の違いに気づいたことはありましたか?

簡単にいうと、芥川賞は「純文学」が、直木賞は「大衆文学」が対象なのです。

そして、「上流ならではの優雅な教養」を含意する「文学」が対象にするのは、「純文学」です。「人間」を考える際にもっとも読むに値する価値ある作品と考えられるからです。

大衆文学を否定しているわけではない

  • 「大衆文学」作品、SF、ミステリー、推理小説などを研究の題材にしている人々も多く、人それぞれ好き嫌いでやっているのが実情
  • 文字で書かれたものが物語の形になっていれば「文学」
  • その人が「芸術的」だと思えれば、それは「文学」

あくまでも研究対象として「文学」を見た場合、「純文学」のような緻密な表現で書かれた文章が研究対象として選ばれる傾向にあるのです。

1-4: 文学研究とは「人間」を研究する学問

それでは、「純文学を研究する」と聞くと皆さんは何を思いますか?

  • 「〜派の作家はどういう作風である」
  • 「ある作家の人となりやその人が何を考えていたのか」

といったことを研究する学問だ、と多くの人は考えると思います。もちろんそれも間違ってはいませんが、そうであれば、趣味としてもできそうです。

わざわざ大学といった高等教育で研究する必要あるのは、文学研究とは主に文学に関わる「人間」について研究する学問だからです。

文学が研究するこの「人間」には、次のような文学に関わるすべての「人間」が含まれます。

  • 作品を生み出す作家
  • 作品を読む「読者」
  • 作品の中の登場人物(作中人物)

文学者はそういった「人間」から、なぜ人は生きるのか?なぜ人を愛するのか?はたまた自分が生きるなかでよりよく生きるには何を反省し、どう生きていけば良いのだろうか?といった「人間」の生について深く考えていくのです。

では一体、どのように文学者は「人間」を研究するのでしょうか?その疑問には、2章で答えていきます。

その前に、ここでこれまでの内容をまとめます。

1章のまとめ
  • 文学とは、言葉だけによって生み出されたものの中で芸術的なもの
  • 「大衆文学」も当然対象になるが、文学研究の中心は「純文学」
  • 文学は「人間」の生について深く考える学問

2章:文学のパラダイムをわかりやすく解説

ではさっそく、文学者はどのようにして文学に関わる「人間」を理解し、人を納得させるような「人間」に関する説明をするのかを解説します。

結論からいうと、文学者は、「考え方の枠組み」(これを「パラダイム」と言います)を用いて、「人間」を理解し、「人間」について説明しようと試みます。

そして、大きく分けると文学には二つのパラダイムがあります。

  • 作家中心のパラダイム:作家論、作品論
  • 読者、もしくは書かれてあること中心のパラダイム:テクスト論、読者論

それぞれのパラダイムについて、わかりやすく解説していきます。

2-1: 作家論・作品論

まずは、作家論・作品論に関する解説をします。

作家論・作品論が関心をもつのは、「あの作家が本当に言いたかったことはなんだろう?」という点です。つまり、文学作品から作者の意図を明らかにしようと試みます。

では、作家論と作品論を詳しくみていきましょう。

  • 作家論・・・る作家の作品すべてから(主に全集を利用して)、ある作家が考えていたことは何だったのか、真に言いたかったことは何だったのかを明らかにすること
  • 作品論・・・ある作家の一つの作品をとりあげて、そこから作家が本当に言いたかったこと、 伝えたかったこととは何だったのか、作者の意図を探ろうとすること

「作家中心のパラダイム」では、作家が何を考えていたのか、何を伝えようとしたかったのか、という作家の意図を見つけようとすることに特徴があります。

では、作家論・作品論を実際に使ってみましょう。

2-1-1: 作家論・作品論で夏目漱石の『道草』(1915年)を読み解いてみよう!

まず、夏目漱石の『道草』の冒頭の一節を読んでみましょう。

健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。

彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。

みなさんはどう思いますか?主人公の健三がどこか遠い国から故郷の東京に戻ったときの気持ちがあらわれている一節だな、、、と感じる方が多いと思います。

では、夏目漱石の『道草』の冒頭の一節を「作家中心のパラダイム」で読んでみるとどうでしょうか?

「作家中心のパラダイム」では、漱石がなぜこういうことを書いたのか?を明らかにしようとします。漱石の生い立ちを調べたり、『道草』以外の他の作品、漱石の日記等を丹念に読みこんでいくなどして、その謎にせまろうとします。

そのため、漱石に関することを調べます。すると、

  • 漱石の経歴から→漱石はロンドンに留学した経験あり。彼の生まれは東京
  • 漱石の日記や書簡から→留学中に友人や奥さんに送った書簡に寂しさがあること
  • 漱石に関する先行研究から→漱石自身が自分のことを書いた自伝的小説であること

などなどがわかってきます。

漱石にまつわるいろいろな事実を調べた上で、『道草』の冒頭の一節を再度解釈すると、以下のように考えることができます。

  • 『道草』は漱石自身のことを書いた作品で、題材は自分の経験によっている
  • 漱石は留学中にホームシックのようであった
  • 異国のにおいをはらい落としたい、というような表現には漱石がロンドンから帰ってきた、そのときの気持ちがあらわれている

これが「作家中心のパラダイム」による読解です。

2-1-2: 作家は神様?

このような作家論・作品論は、1970年代まで文学研究の主流でした。

なぜならば、

  • 作家論が成立するためには、作家は論じるだけの価値のある特別な人間でなければならない
  • 文学という美を読者に示すことのできる、美の体現者でなければならなない
  • そうした作家によって書かれた小説を読めば人格が陶冶されるという信念
  • 作者は神様であり、作品の内容を司る唯一の存在

という考えがあったからです。

人格的で美の体現者である作者の人となりやその作品の成り立ちを知ることに意味があり、それが文学を研究する第一の目的である、と考えられてきたのです。

しかし、1980年代ごろになると大きなパラダイムチェンジが起きました。それがテクスト論・読者論です。

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2-2: テクスト論・読者論

テクスト論・読者論とは、作家の意図を汲み取ろうとあくせくするのではなく、書かれてあること(仏語:エクリチュール)に注目すべきである、という考えを指します。

具体的に、テクスト論・読者論とは、以下の意味をもちます。

テクスト論では、文字テクストは現実世界から自立していて、起源とは接続しないという考え方を採る。この場合の起源とは「作者」のことだ。……だから、テクスト論は言葉、言葉、言葉だ。さまざまな言葉を繋げていく。しかし、作者にだけは分析のベクトルを閉じておくのがテクスト論の立場なのである。石原千秋『読者はどこにいるのか』(2009年)から参照)

たとえば、皆さんも相手の言葉を聞いて、その言葉だけでその人が考えていることの全てがわかった、とまでは普通思わないでしょう。

人のことが相手の言葉だけですぐわかるのであれば、何も苦労はしません。書かれてあることも同じです。

  • テクスト論・読者論の立場は、考えてみると至極当然な主張
  • 書かれてあることからその作品の作家の意図が読み取れる、という考えは一種の幻想
  • なぜならば、書かれてあることにその人の全てが説明し尽くされているわけではない

より詳しくは以下の記事で解説しています。

→【テクスト論とはなにか】作品論との違いからバルトの議論まで解説

2-2-1: 作者は死んだ?

テクスト論・読者論の理論を用意したのは、フランス人哲学者のロラン・バルトです。バルトは「作者の死」という論文で、以下のような主張をします。

  • 自分のことを説明しようとするならば、言葉を使って説明しなければならない
  • 辞書に載っている言葉をつなぎ合わせて、自分を表現しなければならない

「なに当たり前のこと言ってるんだ?」と突っ込まれそうですが、これこそまさに「作家によって書かれたこと=作家自身」であるとは言えないことを指しています。

たとえば、自分が自分の気持ちを何かに書いてみて、他の人に読ませます。そして、その他人の評価を聞いた自分自身はどう思うか想像してみてください。

多くの人は、

  • 「そうも言ってるけど、実はこういうことも、ああいうことも思っていて、そのためにこの言葉を選んだんだよな、、、」
  • 「ここに書いてるのに、なんでわからないんだろう、、、」

みたいなすれ違いを経験すると思います。

ロラン・バルトが指摘したのはまさにこの点です。

つまり、

  • 言葉はその人が書いたその瞬間からその人の手を離れ、ただ「言葉」として存在すること
  • 図らずも言葉が一人歩きをしてしまうということ

です。

2-2-2: テクスト論・読者論で夏目漱石の『道草』(1915年)を再度読み解いてみよう!

さきで見た夏目漱石の『道草』を取り上げましょう。

 健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。

彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。 一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでい る彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。

テクスト論は書かれたことに注目しますので、解釈は自由にして結構です。

たとえば、リベラルアーツガイド君(架空人物)は、以下のような順番で漱石を解釈しました。

  1. 「駒込の奥に世帯を持った」とあるけれど、健三が生きていた時代には東京の駒込はどのぐらいの年収水準の人が住んでいたんだろう
  2. 健三って明治時代とかに留学に行くぐらいだから、結構金持ちに違いない
  3. 「誇りと満足」も気づかないうちに持っていることがわかる
  4. けど、なんで「彼はそれを忌んだ」のだろう。この謎を解いてみたい!
  5. じゃあどうすればいいかな。よし、心理学の理論や考え方を使ってみよう
  6. それで、なんでこういう感情に健三がなったのか考えたら、その答えがわかるかもしれない

このようにテクスト論では、テクストを主体として、さまざまな理論をあてはめたりして多角的に考えていきます(他の学問や理論を用いるとき「文芸理論 or 文学理論」という)。

このように、自分の問題意識と合わせて、作家がどういう人だったのか関係なく、テクストを理解していくことで解釈が豊富になることがテクスト論の特徴です。

いかかでしたか?ここで、2章の内容をまとめます。

2章のまとめ
  • 作家論・作品論は、文学作品から作者の意図を明らかにするもの
  • テクスト論・読者論とは、作家の意図を汲み取ろうとあくせくするのではなく、書かれてあることを強調するもの
  • 言葉の意味に終わりはない、意味を与えるのはあなた自身

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3章:現代社会における文学の意義

さて、文学は現代社会でも役に立つのでしょうか?文学の意義とは何なのでしょうか?これまでの内容を振り返りながら、現代社会における文学の意義を解説します。

結論からいうと、私たちが文学から学べるもっとも大切な点は、「テクストに絶対的な読み方はないこと」ではないでしょうか?

もちろん言うまでもなく、読みたいように読むことが一番です。あなたの読み方を批判できる権利をもった人はこの世にいません。

しかし、テクストに絶対的な読み方はないことを学ぶと、自分の読みがたったひとつだったのか、それでよかったのかと自己反省的に疑うことが多くなります。「それは文学という書かれたものの狭い世界の話じゃないか」という批判もあると思います。

しかし、上記してきた内容から考えれば、「日常会話(=物語)もテクストだから、「言葉=テクスト」を読む場面は人間ならば毎日ある」ともいえなくないです。

文学研究と出会い、言葉について考えてみると、実際の生活での言葉や物語に向きあう態度が変わります。それは「人間」を研究する学問の特徴であり、何より人生をより豊かにしていく第一歩なのです。

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4章:文学を知るための書籍リスト

最後に、文学に少しでも興味をもった方のために書籍リストを紹介します。

世界の見方が変わるとはいいませんが、言葉への関心がかわることは間違いないです。ぜひ手元に置いてみてください。

おすすめ書籍

ジョナサン・カラー『文学理論』(岩波書店)

文学に関する理論を初学者に向けて解説しています。文学をより楽しむために、さらには自分の人生の糧とするために、読むべきオススメの本です。本自体もそこまで分厚くなく、読みやすいと思います。

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石原千秋『読者はどこにいるのか』(河出書房新社)

近代日本文学研究者が書いた本です。文学を専攻する大学生から文学に興味をもつさまざまな人に向けて、わかりやすく解説しています。作家論からテクスト論までの流れを日本社会の流れに沿って解説しているため、文学以外だけなく日本社会のことも同時に学べます。

テリー・イーグルトン『文学とは何か(上・下)』(岩波書店)

文学を勉強するための初学者向けの本です。内容も多彩で、本格的に勉強したい人向けの本です。「20世紀の古典」に選ばれた本でもあります。

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まとめ

最後に、この記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 文学とは、言葉だけによって生み出されたものの中で芸術的なもの
  • 文学研究とは、主に文学に関わる「人間」について研究する学問
  • 人間を理解するためのパラダイムは作家中心か読者中心かの二つ

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