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倫理学

【認知主義・実在論とは】メタ倫理学における立場の違いをわかりやすく解説

認知主義とは

認知主義(Cognitiveism)とは、メタ倫理学における立場の一つで、「道徳的な事実」は私たちの心・頭の中ではなく世界に実在し、それは私たちが自ら認知することができると考える立場のことです。

道徳的事実が世界の側に存在すること(実在論)と、それを認知できるとする(認知主義)は表裏一体の立場で、あわせて理解する必要があります。

メタ倫理学は抽象度が高く理解しづらい面がありますが、倫理学を学ぶ上では大雑把にでも理解しておく必要があります。

そこでこの記事では、

  • 認知主義・実在論について
  • 認知主義を批判した非認知主義について
  • それぞれの立場の違い、特徴、議論

などを詳しく解説します。

途中から読むと分かりにくいと思いますので、最初から順番に読んでみてください。

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1章:倫理学における認知主義・非認知主義とは

繰り返しになりますが、認知主義とは、「道徳的事実」は私たちの心・頭の中ではなく世界に実在し、それは私たちが自ら認知することができると考える立場のことです。

認知主義の中にもいくつかの立場があり、さらに現代では認知主義を批判する非認知主義が主流の理論になっています。そこで1章では、まずはそれぞれの理論の前提である「メタ倫理学」という理論について説明し、それからそれぞれの立場の違いを整理します。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:メタ倫理学とは

そもそも、倫理学には「規範倫理学」と「非規範倫理学」があり、「非規範倫理学」には「記述倫理学」と「メタ倫理学」があります。

それぞれの立場を整理すると以下のようになります。

  • 規範倫理学:行為の正・不正や価値のある行為(善)について検討する
  • 記述倫理学:倫理の実態を記述する歴史的、科学的研究
  • メタ倫理学:倫理学における概念、用語そのものを分析する

簡単に言えば、規範倫理学とは「正しい行為とはどのようなものか?」「善いこととはどのようなものか?(何に価値があるのか?)」という問いに対して答えようとする学問で、功利主義や義務論、徳倫理学などの立場があります。

それに対し、メタ倫理学は「正しさ」「善いこと」などについて直接論じません。メタ倫理学とは、「そもそも価値とは何か?」「そもそも義務とは何か」といった、より本質的な議論を行う学問です。

主に、倫理学で使われる用語の定義などが議論のテーマになります。

このメタ倫理学は、まずは認知主義・実在論という立場から始まり、その後その批判として非認知主義・反実在論という立場が生まれ、主流になりました。

1-2:認知主義と反認知主義の課題

私たちは、日常的に道徳的な実践を行っています。たとえば、報道された事件の道徳的・倫理的な側面を議論したり、身近な人のちょっとした行為について「あんなことやっちゃダメだ」と言ったり、「あの人はいい人だ」と評価したりすることがあります。

こうした行為には、これから紹介する2つの特徴があるのですが、その2つの特徴は実は矛盾しており同時に満たすことは難しいのです。そのため、その矛盾を解決することがメタ倫理学の主要な課題とされてきました。

先に、日常的な道徳的実践の2つの特徴を説明します2赤林、前掲書151-157頁を参照

1-2-1:道徳の客観性

道徳の客観性とは、道徳的・倫理的なテーマについて議論するときに、そのテーマに「客観的な答えがある」と考えられているということです。

ある意味当然のことですが、たとえば「人工妊娠中絶」は認められるかどうかということを議論する場合、その議論の参加者はこの議論に答えがあると思っているはずです。

つまり、道徳的判断の基準となるものが、この世界に客観的に存在するはずであり、それを説明できることが「客観性」という意味です。

1-2-2:道徳の規範性

道徳の規範性とは、道徳的な判断が「行為の理由」になるはずだ、という考えのことです。

たとえば、「人工妊娠中絶は認められない」と考える人がいるとします。

この人(女性)が不本意に妊娠してしまった場合、第三者は「彼女は中絶しないだろう」と考えます。なぜなら、「中絶を認めない」という道徳的判断を彼女が支持しており、それが「中絶しない」という行為の理由になると考えられるからです。

別の言い方をすれば、道徳的判断(信念)は行為の理由を提供するはずであるということです。

1-2-3:客観性と規範性の矛盾

結論から言えば、「道徳の客観性と規範性は同時には成り立たないのではないか?」というのが、メタ倫理学における主要な課題です。

このように考えられるのは、デヴィット・ヒュームの人間観に基づいているためです。

■ヒュームの「信念」と「欲望」による人間観

「人間の行動はどんな心理に基づいているのか?」

このような問いに対し、18世紀の哲学者であるデイヴィッド・ヒューム(David Hume)は、人間は「信念」と「欲望」によって行動すると考えました。それぞれ以下のような意味を持ちます。

  • 信念:世界の在り方に対する認識。信念と世界の在り方が一致していれば「正」、間違っていれば「偽」。
  • 欲望:世界がどうあって欲しいか、という心理。

たとえば、水が飲みたくて水道の蛇口をひねったと言うとき、水を飲みたいと言う「欲望」と、蛇口をひねると水が出るという事実を信じている「信念」から行動していることになります。

逆に、どちらが欠けても人間は行動を行わないというのがヒューム的な人間観です。

■客観性と規範性の矛盾

ここまでを前提に、客観性と規範性の矛盾について説明します。

私たちが道徳的・倫理的な議論をするとき、それは客観的な議論と規範的な議論に大別できます。

客観的な議論とは、「世界はこうなっているはずだ」という世界の在り方の「信念」に関する議論です。このような議論は、客観的な説明を行おうとする議論であるため、事実を明らかにすることはあっても、それ自体が行動の動機になることはありません(規範性がない)。

一方、規範的な議論とは、「世界がこうあって欲しい」という世界の在り方の「欲望」の議論です。このような議論は、行動の動機になることはあっても世界について説明する客観性は持ちません。

したがって、道徳的・倫理的な実践に、客観性と規範性を両立させることはできないのではないか。

これが、メタ倫理学が答えるべき課題とされたのです。

1-3:認知主義・非認知主義の立場の違い

上記の問いに対する答えを、3つの立場が答えました。それが、認知主義と非認知主義、そしてヒュームの人間観そのものを退ける立場です。

1-3-1:認知主義・実在論の定義

認知主義とは、道徳的な事実は、人間の心の中(主体)にではなく、世界(客体)に存在する(実在論)。そして、その道徳的事実を人間は認知できるのだという立場です。

その道徳的事実(信念)を認知することによって、人間は道徳、倫理観を身に着け道徳的な行動ができるようになると考えます。

つまり、私たちは世界に存在する道徳的事実という「信念」に基づいて、道徳的な判断を行うという立場です。

1-3-2:非認知主義・反実在論

非認知主義とは、道徳的事実は世界(客体)に存在しない(反実在論)し、当然その存在を認知することもできない(非認知主義)とする立場で、私たちの道徳的な判断は「世界にどうあって欲しいか」という欲求を述べたものであると考えるものです。

道徳的判断は、世界の在り方についての欲求を述べているにすぎないため、道徳的判断が行為の動機になると考えられます。

※認知主義を含むメタ倫理学の議論について、以下の記事でも詳しく解説されていますのでぜひ読んでみてください。

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1章ではまずはメタ倫理学が課題とする「客観性」と「規範性」の矛盾と、認知主義と非認知主義がどのような立場を取るのか解説しました。

2章ではそれぞれの立場から、詳しく議論を紹介します。

まずは1章をまとめます。

1章のまとめ
  • メタ倫理学は、ヒューム的な人間観(人は信念と欲望で行動する)に立った場合、客観的な議論と規範的な議論が両立できない矛盾を課題としている
  • 認知主義・実在論の立場は、道徳的判断の基準(道徳的事実)は世界の側に存在しており、人が持つ道徳的な信念はそのような道徳的事実を認知しすることで形成されると考える立場
  • 非認知主義・反実在論とは、道徳的判断は、認知主義・実在論が取るような世界の在り方についての信念を記述するものではなく、「世界はこうあって欲しい」という欲求の表明であると考える立場
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2章:認知主義・実在論の特徴

まず、認知主義・実在論の立場についてあらためて整理します。

  • 実在論
    道徳的判断の基準となる道徳的事実は、人間の心の中にはない。世界(客体)に存在する。実在論には「自然主義」と「非自然主義」の立場がある。
  • 認知主義
    人間は、世界に客観的に存在する道徳的事実を認知することで、道徳的信念を形成し道徳的判断を行うと考える。つまり、何が正しい行為なのか客観的な事実に照らし合わせて検討、選択できる。

認知主義は実在論の立場を前提にしているため、これらが表裏一体の思想であることが分かると思います。認知主義・実在論のいい点は、道徳的事実が客観的に存在し、それに基づいて道徳的判断の正しさが分かるという点です。

ただし、この立場は、そもそも「道徳的実在」とはどのようなものなのか?どのように存在するのか?という問いと、人間はその「道徳的実在」をどのように認知できるのか?という問いに答えなければなりません。

この問いに対する答えに、自然主義と非自然主義という二つの立場があります。

2-1:自然主義

認知主義が前提とする実在論には、まず自然主義(ethical naturalism)という立場があります。

自然主義とは、「道徳的事実」を道徳以外の用語を使って定義できるという考え方のことです。

「道徳的事実」というのは、自然科学や社会科学の対象となるような事実のことです。

たとえば、ベンサムに由来する功利主義は「快楽」を対象としますが、「快楽」のような事実は道徳的事実ですので、功利主義を例に説明します。

  • たとえば功利主義の立場で、「『幸福』はそれ自体で善いこと」と考えるとすると、これは「幸福」を以前に経験したから、それをまた得るために欲求するというである
  • そして、「道徳的に正しいこととは、幸福を増大させること」とも功利主義は主張するが、これは「正しさ」という道徳的価値を経験的な事実(幸福を経験したこと)から定義しているということ
  • つまり、「幸福」という善、つまり道徳に関する問題について、経験的事実(=道徳外の用語)を使って定義できるということ

これが自然主義の立場ですが、これを批判したのがムーアという哲学者です。

2-2:非自然主義

自然主義には重大な問題があるという「自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)」を主張したのがG・E・ムーア(Moore,GE)です。

ムーアは非自然主義の立場を代表する学者ですので、彼の主張を説明します。

2-2-1:自然主義的誤謬とは

自然主義的誤謬とは、「善(善いこと)」を何かほかの観念と同一視することによる誤謬のことです。

ムーアの主張は、

  • そもそも善は定義できないものである
  • 善は「非自然的」なものであるため、自然的なもの(経験など)によって定義することはできない

というものです3赤林、前掲書163頁

ムーアの「善が定義できない」ということは、例えば「黄色」を他の言葉で説明できないことと同じです。「黄色」という色を知らない人に、黄色がどのような色なのか説明できないように、「善」はそれ以外の言葉で説明できないものだ、というのがムーアの主張です。

2-2-2:直感による認識(直感主義)

自然主義の立場では、道徳的事実は経験的に獲得することが可能でした。

しかし、非自然主義の立場では、自然主義は経験的に定義することができないため、通常の方法で認知することはできないことになります。

「では、私たちはどうやって道徳的事実を認知するの?」と思われると思いますが、ムーアはこのような疑問に対して、「道徳的事実は『直感』で認知できる」と主張しました(直感主義)。

つまり、何が正しいのか(正)、何が善いのか(善)ということについて私たちは直感という感覚によって直接知ることができるのです。

「直感」とはムーアによると、善についての信念です。つまり、善は善だから善いのであり、それ以外のなにものでもないということになります。

2-3:認知主義・実在論への批判

認知主義・実在論の立場には、いくつもの批判がなされました。主な批判を紹介します。

2-3-1:マッキーによる批判

マッキー(Mackie, John L.)は、認知主義・実在論の立場に以下のような批判をしました。

  • 実在論は、「道徳的事実」が世界に存在してると言うが、実際どのような形で存在しているのか?世界のどこかにそのようなものが存在するとは考え難い
  • 「道徳的事実」が存在するとしても、それを「直感」という特別な知覚で認知できるとは考え難い
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2-3-2:ヒューム的人間観との矛盾

繰り返しになりますが、ヒューム的人間観によると、人間は「信念」と「欲望」によって行動することになります。

しかし、認知主義・実在論の立場は道徳的判断の客観性について説明することはできても、規範性について説明できません。

なぜなら、以下のように考えられるからです。

  • 認知主義の立場では、客観的に存在する「道徳的事実」から道徳的判断の正しさを評価する。つまり、「道徳的事実」に対する「信念」から判断の正しさを導き出す。
  • しかし、人間は「信念」だけでは行動できない(「欲求」もなければならない)ため、道徳的判断が行為の理由にならない

このような理由があることから、認知主義・実在論よりも非認知主義・反実在論の立場が有力視されるようになります。

いったん2章の内容を整理します。

2章のまとめ
  • 認知主義は、世界に道徳的事実が存在し、私たちはそれを認知することで道徳的判断をする
  • 自然主義(的実在論)とは、道徳的事実が自然科学や社会科学で使われるような用語によって、説明可能であるとする立場
  • 非自然主義(的実在論)とは、道徳的事実はその他の用語によって定義することはできず、私たちは「直感」によって道徳的事実を認知するという立場
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3章:非認知主義・反実在論の特徴

非認知主義とは、道徳的判断は世界の在り方に関する「信念」ではない。世界が「こうあってほしい」という「欲求」の表明である、という立場のことです。

私たちは日常的に、客観的に道徳的判断の基準が存在するかのように議論しますし、行為します。しかし、非認知主義の立場に立つと、「道徳的事実は世界に存在しない」と考えるため、道徳的判断が客観的になされないように思われます。

つまり、道徳的判断は主観的・相対的なものになるのではないか。

この矛盾を説明するのが、論理実証主義(Logical positivism)の流れから生まれた非認知主義・反実在論の議論です。

3-1:エアの認知主義批判

論理実証主義の代表的な学者であるエア(Sir Alfred Jules Ayer)は、経験的に検証することができない問いは無意味であると考えました。

エアエア

その上で、

  • 自然主義には、行為の正しさ(正)や善さ(善)を快楽から定義する功利主義と、特定の集団が合意する感情から定義する主観主義の2つがあるが、どちらも論理実証主義の立場から考えると十分に定義できていない
  • 非自然主義は、道徳的事実(道徳的判断の基準)を直感で認知できるとしているが、これは検証不可能であるため問題がある
  • 自然主義も非自然主義も、道徳的判断について、「自分はこれが正しいと思う」という感情や態度を示しているに過ぎない

と批判しました。

エアの非認知主義の立場は、道徳的判断とは「これが正しいと思う」という態度を示しているだけにすぎないと考えます。

その場合、「道徳的判断が行為の理由として説明できる」という長所があります。なぜなら、道徳的判断は、感情に基づいて自分の態度を表明しているに過ぎないため、その感情が行為の動機になるからです。

たとえば、「妊娠中絶は間違っている!」という道徳的判断を持っている人は、その判断が「妊娠中絶しない」という行為の理由になります。

一方、エアの非自然主義的な立場に基づくと、道徳的判断は相対的なものにならざるを得ません。つまり、私たちが道徳的テーマで議論するときに、「客観的な答えにたどり着ける」という前提がなくなり、答えのない議論をすることしかできなくなるのです。

この新たな問いに答えようとしたのが、その後の非認知主義の議論です。

3-2:情動説による非自然主義的説明

エアの「道徳的判断は態度の表明にすぎない」という議論をさらに進めたのが「情動説」と言われる議論です。

その論者の一人が、スティーブンソン(Charles Leslie Stevenson)です。

スティーブンソンは、

  • 言葉には、記述的意味(descriptive meaning/ただの事実の表明)と情動的意味(emotive meaning/言葉に込められた感情)という2つの意味がある
  • 道徳的判断は「情動的意味(言葉に込められた感情)」に本質があり、道徳的判断は態度の表明にすぎない
  • その道徳的態度の表明によって相手の態度に影響を与えようとするものである

と主張しました。エアと同じように、道徳的判断の本質を「態度の表明」に求めつつ、さらに相手の態度の変更を行おうとするものであると主張したわけです。

そして、道徳的議論が必ずしも解決不能であるわけではない、と考えた点にもエアとの違いがあります。

スティーブンソンは、道徳的議論における意見の食い違いには2つの種類があり、以下の通り合理的に解決可能である議論もあると考えました。

  • 信念によるもの食い違い
    事実をめぐった食い違いのこと。事実に照らし合わせて真偽を問えるため、合理的に解決可能。
  • 態度による食い違い
    互いに態度が異なり説得しようとする場合のことで、信念(事実)レベルの食い違いに原因があるのであれば解決可能だが、そうでなければ合理的な解決はできない。
    例:例えば、昼食を中華にするか和食にするかという問いは、真偽を問えるような性質の問いではないため、合理的な解決は望めない。

このように、スティーブンソンは情動説の立場に立ったことから、議論の規範性(道徳的判断が行動の理由になること)に説得力はあります。

しかし、結局道徳的判断が感情・態度の表明であるにすぎないことから、やはり客観性についての説明が十分になされたとは言えない弱点があります。

また、どこまで信念が一致すれば議論を合理的に解決できるのか、明らかではありません。

3-3:ヘアの普遍的指令説

こうした非認知主義の立場をさらに進めたのが、ヘア(Richard Mervyn Hare)です。

ヘアは、

  • 道徳的判断には記述的意味と、「指令的意味(prescriptive meaning)」がある
  • つまり、「~べき」というとある道徳的判断を受け入れた場合、「~べき」という指令を受け入れたことになる
  • 道徳的判断の規範性(行動の理由になること)は、この言葉の持つ指令的意味によって説明できる

と主張します。

ヘアのこの説明が「普遍的指令説」と言われるのは、特定の状況における道徳的判断の指令は、他の場面にも普遍的であると考えることができるからです。

たとえば、あなたがこれまで「妊娠中絶は認められない」と主張してきたなら、あなた自身が妊娠した(妊娠させた)場合にも、「妊娠中絶は認められない」という主張を受け入れ、その通りに行動すべきだと考えられます。

このように、異なる状況でも同じ道徳的判断が行われる場合、指令は普遍化できると考えられるのです。

■普遍的指令説の客観性

さらに、ヘアは規範性だけでなく客観性についても説明しようとしました。

たとえば、あなたはA子を「善い子」だと思っているとします。なぜ善い子なのかというと、まじめさ、誠実さ、穏やかさ、などの性格的特徴を持っているからだと表現できるでしょう。

そして、B子もまじめさ、誠実さ、おだやかさなどの特徴を持っている場合、B子も「善い子」だと言えます。

このように、道徳的判断はとある特徴(記述可能な特徴)に付随していると考えられます。

つまり、記述的意味と指令的意味に付随性があり、そこから道徳的判断に客観性がある(客観的に判断基準が存在する、法則性がある)と説明可能なのです。

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3-4:非認知主義・反実在論の問題点

ここまで非認知主義・反実在論の議論を説明してきました。どの議論も、道徳の規範性と客観性についていかにうまく説明するか、ということを試みてきたのですが、やはりまだ十分な説明がなされているとは言えず、さまざまな問題点が指摘されました。

主な批判は以下のものです。

  • 道徳的判断の客観性の説明が十分ではない
    ヘアの説明でも、客観性が維持できるのは行為者それぞれのみであり、異なる行為者同士の間では、行為の真偽が決まらない。そのため、議論する人の立場によって答えが異なる相対主義に陥る可能性がある。
  • 私たちの直感とのギャップがある
    私たちは、道徳的議論をするときに「道徳的事実がある」「正しい行為とは何か明らかにできる」という前提に立っているが、それを否定する非認知主義の立場は私たちの直感に反する。そして、なぜ直感に反する答えを出してしまうのか、十分な説明ができていない。

現在ではさらに発展した議論もありますが、この記事ではまずは認知主義、非認知主義のそれぞれの立場をまとめるまでにしたいと思います。

3章の内容をまとめます。

3章のまとめ
  • 非認知主義・反実在論とは、道徳的判断は「欲求」「態度」「感情」の表明にすぎないと考える立場
  • エアは認知主義を批判し、道徳的判断は態度の表明にすぎないと主張したため、道徳的判断の規範性を説明したものの、客観性を十分に説明できなかった
  • スティーブンソンは情動説の立場を発展させたが、議論の対立には「信念によるもの」と「態度によるもの」があり、信念によるものは合理的に解決可能と主張
  • ヘアは、道徳的判断には「指令的意味」があり、指令的意味によって規範性が説明できること、特徴と道徳的判断の付随性から客観性も説明できることを主張

4章:認知主義の学び方

認知主義について理解を深めることはできましたか?

認知主義・実在論や非認知主義・反実在論について理解を深めるためには、これから紹介する本を読むことをおすすめします。

おすすめ書籍

赤林朗、児玉聡編『入門・倫理学』(勁草書房)

認知主義はメタ倫理学の一分野であるため抽象度が高いです。そのため、その他の倫理学の分野について前提知識を持っておくことをおすすめします。規範倫理学やメタ倫理学を含む入門書として、この書籍がおすすめです。

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佐藤岳詩『メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える』(勁草書房)

メタ倫理学の入門書として最高のものです。認知主義、実在論などについても詳しく書かれているため、より詳しく知りたい場合は必ず読んでみてください。

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まとめ

この記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 認知主義・実在論とは、道徳的判断の基準となる道徳的事実がこの世界に存在し、それを認知することで道徳的判断ができるようになるという立場
  • 非認知主義・反実在論とは、道徳的事実は世界には実在せず、認知することもできないとする立場
  • 非認知主義には、道徳的判断は態度の表明にすぎず、それゆえ道徳的判断の規範性は説明できるものの、客観性は十分に説明できない

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