倫理学

【徳倫理学とは】概念・特徴から問題点までわかりやすく解説

徳倫理学とは

徳倫理学(Virtue Ethics)とは、行為の「善さ」や「正しさ」について、その行為そのものではなく、行為者の性格・徳に焦点を当てて議論する倫理学の分野のことです。

古代ギリシャにその源流があり、現代でも古代ギリシャから受け継がれた概念を使って議論されることがあります。

現代人にとって、自分の行為を「徳」から考えていくことはあまり縁がないことかもしれません。もしかしたら「古臭いこと」とすら思われるかもしれません。

しかし、徳が議論されない現代だからこそ、徳倫理学について学ぶことには意義があるのです。倫理学の中でも功利主義や義務論が論じない視点を持っていることから、評価されています。

この記事では、

  • 徳倫理学の特徴、功利主義や義務論との違い
  • 徳倫理学の主な概念や議論
  • 徳倫理学の問題点

などについて詳しく解説します。

関心のある所から読んでみてください。

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1章:徳倫理学とは

もう一度整理しますが、徳倫理学とは、

  • 人間の行為はどうあるべきか、ということを論じる規範倫理学の一分野
  • 人の行為について行為者の性格・徳から論じる

という分野のことです。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

私たちは日常生活で出会う人に対し、「あの人はいい人だ」「立派な人だ」とよく話します。そして、できればそのような人でありたいと思う人も多いのではないでしょうか?

このような「よさ」「立派さ」について論じる学問が、西洋では倫理学という分野です。そして「よさ」「立派さ」という性格の特徴を「徳」と言います。

このような議論は伝統的なもので、洋の東西を限らず論じられてきましたが、西洋倫理学の中では義務論が登場するまで、徳倫理学が「徳」を論じてきたのです。

古代ギリシャのプラトンやアリストテレスらも徳倫理学について論じていますが、現代では、ヴィトゲンシュタインの学生であるエリザベス・アンスコム(Gertrude Elizabeth Margaret Anscombe)の論文「近代道徳哲学」から再び活発に議論されるようになりました。

その後も、マッキンタイア(Alasdair MacIntyre)らの哲学者が議論しています。

1-1:倫理学における徳倫理学の立場

そもそも、倫理学とは個人の生き方や社会のあるべき姿について「どうあるべきか」ということを論じる学問です。

倫理学は以下のように整理することができます。

徳倫理学の分野

これを見て分かるように、そもそも倫理学は規範倫理学とそれ以外に分けられます。

規範倫理学は、個人の行為について「何が正しいのか」を論じる学問です。

規範倫理学には、主に、

  • 功利主義
  • 義務論
  • 徳倫理学

などがありますが、功利主義と義務論は、行為の道徳的な正しさを行為それ自体から論じていくもので「行為論」と呼ばれます。

それに対して、徳倫理学は行為ではなく、「行為者」の性格・徳から論じられるため、「徳論」と言われます。

■徳とは何か

ここまで「徳」という言葉を説明なしに使ってきました。

徳倫理学における「徳(virture)」とは、人間が開花(flourish)するために必要な性格の特徴のことです2ハーストハウス『徳倫理学について』。この定義は、ハーストハウス(Rosalind Hursthouse)が『徳倫理学について』で行った定義です。

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「開花」とはイメージしにくいかもしれませんが、よりよい自分になるための性格の特徴が「徳」だと思っておけばOKです。

詳しくは2章で説明します。

1-2:徳倫理学と功利主義、義務論との違い

徳倫理学が再び脚光を浴びたのは、アンスコムの論文がきっかけだったことは触れたとおりです。

アンスコムが指摘したのは、功利主義や義務論といった倫理学の理論には欠陥があること、その欠陥を徳倫理学は補うことができることでした。

まずはこれら3つの理論を整理してみましょう。

功利主義 義務論 徳倫理学
正しさの
判断基準
行為の結果が幸福を増進するものであれば、その行為は正しい 特定の「義務」に適合している場合、その行為は正しい 行為者の徳や「有徳者」が行うかどうか
代表的な
論者
ベンサム、J・S・ミルなど カント、ロス、ロールズなど アリストテレス、アンスコム、ハーストハウス、スロート
代表的な
理論・概念
最大多数の最大幸福 定言命法、正義の二原理など 卓越性、フロネーシス、エウダイモニア

最大の違いは、功利主義や義務論が行為の「正しさ(正)」を中心的に論じるのに対して、徳倫理学は「正しさ」は二義的なものと考えている点です。

それよりも、徳倫理学はよりよい性格・徳を持った人間であろうとすることを目指します。

こうした特徴から、徳倫理学は理論たりえないと批判されることもありますが、それゆえに功利主義や義務論が論じられない視点から議論を進めることができます。

■徳倫理学の考え方の具体例

「抽象的でよくわからない!」と思われたかもしれません。

分かりやすく言うと、とある人の行為について、

  • 功利主義の立場では幸福量が増大するかどうかから評価する
  • 義務論の立場では、特定の義務に基づいた行為かどうかから評価する
  • 徳倫理学の立場では、行為者が特定の徳を持っていたのかどうかから評価する

ということになります。この区別を頭に入れておくとこれからの議論も分かりやすいと思います。

功利主義、義務論についてそれぞれ以下の記事で詳しく解説しています。違いを理解するためにもぜひ読んでみてください。

【功利主義とは】義務論との違いやベンサム~現代の理論までわかりやすく解説

【義務論とは】功利主義との違いやカントの倫理学などから詳しく解説

1-3:徳倫理学の意義

功利主義、義務論という倫理学の理論の考え方には欠陥があり、それを補うのが徳倫理学であるというのが、徳倫理学の論者の主張です。

功利主義や義務論には、以下の問題点があります。

  • 義務論は義務に基づいた行為をなすべきと主張するが、義務以上の行為について問題にしない(徳倫理学は義務以上の行為を論じる)
  • 行為者が持つ徳や道徳的な性格について議論できない
  • 功利主義や義務論は、私たちが日常的に使う「友情」「勤勉」「良心」などの言葉について論じない

一言で言うと、近代の功利主義や義務論のような倫理学は、「行為」を見ており「人」そのものを見て、論じることをしてこなかったのです。これらについて徳倫理学は論じることができるため、功利主義や義務論を超える理論となりえる、少なくとも補完的になれると主張されるのです。

まだこれだけではよくわからないと思いますので、2章では徳倫理学の理論・概念・考え方を詳しく説明していきます。

徳倫理学は功利主義や義務論と合わせて学ぶと分かりやすいです。以下の書籍でも詳しく解説されているのでオススメです。

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まずはここまでをまとめます。

1章のまとめ
  • 徳倫理学とは、行為の結果や行為が特定の「義務」に適合しているかどうかではなく、行為者の性格や徳に焦点を当てる倫理学の一分野
  • 徳倫理学は、行為の正しさは二義的で、よりよい人間であろうとする点に特徴がある
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2章:徳倫理学の理論

1章でも論じたように、私たちの身近な議論でもある「徳」について西洋でも古くから議論されてきました。

それが「徳倫理学」の伝統ですが、一方で「善いこと」「立派なこと」について学問として議論するならば、「何が善いことなのか」「何が立派なことなのか」「その理由は何か」など学術的な問いに耐えられる説明ができなければなりません。

そこで、現代の徳倫理学は説得力のある説明をするための理論を作ろうとしてきました。

まずは徳倫理学の基盤となるアリストテレスの議論を紹介し、それから現代の徳倫理学の理論を説明します。

2-1:アリストテレスの徳倫理学

アリストテレスは、プラトンの弟子で「万学の祖」と言われた、言わずと知れた古代ギリシャの大哲学者です。倫理学については『ニコマコス倫理学』で論じています。

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アリストテレスの倫理学に関する議論は多岐に渡りますが、「徳」については、

  • 「徳」とは、極端な性格の状態ではなく「中庸」的な状態のことである
    →例えば、「勇気」は臆病と無謀の中庸というバランスの取れた性格の状態のこと
  • 徳を積むことで、人間は「エウダイモニア(開花繁栄)」することができる
    →つまり、徳を積むことで人間はよりよい状態になれるということ

ということを論じています3小松光彦ら編『倫理学案内』133-138頁、中村隆俊『「正しさ」の理由』第3章など

アリストテレスは、奴隷や女性の権利を認めていなかったり、近代的感覚を持った人間からすると、同意しかねる思想も持っていました。時代的背景を考えるとしょうがないことなのですが、時代の移り変わりもありアリストテレスの徳に関する思想は、あまり議論されなくなります。

それを復活させたのがアンスコムであったことは述べた通りです。

アンスコムは、

  • 現代社会ではキリスト教の社会における倫理的な支配が弱まり、人々が「~すべき」というような道徳・倫理的な考えを持たなくなっている
  • 「~すべき」という考え方の代わりに徳を論じるためには、行為者の意図・動機について分析すべき

という議論をしました。そして、前述のアリストテレスの徳の考えを指摘し、近代の倫理学が「行為」のみを見て「人(行為者)」を見てこなかったことを批判したのです。

こうして復活した徳倫理学は、どのように考えるものなのか。倫理学では、「善の理論(価値観に関する理論)」と「正の理論(行為の正・不正に関する議論)」が中心的なテーマですので、それぞれ順番に説明します。

2-2:善の理論

何が「善いこと」なのか論じることは、倫理学の中心的な課題でした。

結論から言えば、徳倫理学における「善いこと(善)」は、

  • 徳を持っているということ
  • 徳を持って行為することそれ自体

のことであるとされます。

それではこれから、そもそも「善」とは何か、「徳」とは何かということから説明していきます。

2-2-1:善とは

倫理学や哲学における「善(the good)」とは、特定の個人や社会において「善い」とされるもの、多くの人が同意する規範、価値観のようなものです。

また、以下のように説明されることもあります。

  • 自分の人生の目的を追求する上で有用なもの
  • 自分を幸福にしてくれるもの(あるいは幸福な状態)

倫理学や哲学では、「正=正しいこと」と「善=善いこと(価値観)」が関連して論じられることが多いのですが、徳倫理学においては何が「善」であるのかを決めることで、どんな行為が正しいのか(正)が決まると考えます。

つまり、正は善から派生して決まるものなのです。

別の言い方をすると、徳倫理学は、行為からではなく、行為者の中に道徳的に価値のあるもの(善)を見出して、そこから行為の正しさを説明する理論と言えます4赤林ら、前掲書128頁

■功利主義、義務論、徳倫理学の「善」の考え方

「善い行為」とはどのような行為でしょうか?

功利主義、義務論、徳倫理学のそれぞれの立場から考えると、

  • 功利主義:善とは人間が享受する幸福のみである(幸福主義)
  • 義務論:「善行」という義務にもとづいた行為が善い行為
  • 徳倫理学:行為者が「仁愛」などの「徳」を持って行った行為が善い行為

というように考えられます。

このように、徳倫理学において「善(善いこと)」は、行為者が持つ「徳」と不可分なものなのです。

2-2-2:徳理論における徳

繰り返しになりますが、徳理論では、行為者の中に「善」の徳があり、そのような行為者によってなされる行為が道徳的に正しい行為である、ということになります。

つまり、「善」の徳を行為者が持っていることが、行為の正しさを判断する上で重要なのです。

そこで、次に「徳」とはそもそも何なのか、ということを説明します。

古代ギリシャでは、「人をよい人・卓越した人にするものは何なのか?」ということが問われました。そのため、ギリシャ語では「徳」とは「arete」と呼ばれ、「卓越性」「よさ」を意味します。

つまり、卓越した人が持つ性格の特徴のことを「徳」といったのです。

「じゃあ、卓越した人が持つ性格の特徴ってどんなもののこと?」と思われるかもしれませんが、これは時代や社会によって異なり、

  • 古代ギリシャ:四元徳(知恵、勇気、節制、正義)
  • キリスト教世界:信仰、希望、愛

などがあげられます。

現代なら、医師や弁護士などの専門職は、それぞれ身に着けるべき徳があるとされており、職によっても異なります。

日本を含む東洋の世界にももちろん「徳」に関する思想があり、新渡戸稲造の『武士道』では、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義が、武士が持つべき徳であったと記述されています。

2-2-3:徳理論における徳の特徴

徳理論における「徳」の特徴として、最大のものは「フロネーシス(ギリシャ語:phronesis)」という考え方です。

フロネーシスは、日本語では「思慮」や「実践知」と言われ、何らかの状況において、その状況を理解して適切な手段を直感的に見つける能力のことです。

徳にはさまざまなものがあることは説明した通りですが、たとえば「節制」とは、自分の生活の中で必要なお金やものの量を適切に見極め、必要なだけを選び取り、必要以上を持とうとしない徳だと言えます。

このように、必要な量や適切な手段などを見極める「思慮」が、フロネーシスです。

すべての徳は、フロネーシスを伴うと考えられます。

2-3:正の理論

徳倫理学の「善」の理論が理解できたでしょうか?

徳倫理学では、「善(善いこと)」は行為者の持つ「徳」によって決まるということが分かったと思います。

しかし、倫理学における重要な議論には、「道徳的な正しさ(正)」に関する議論もありますので、「正の理論」についても言及しなければなりません。

功利主義は、行為の結果(帰結)が幸福量を増大させるような行為が、道徳的に正しい行為であると考えます(帰結主義)。また、義務論は、特定の「義務」にもとづいた行為が「正しい行為」であると主張します。

徳倫理学も、このように行為の正しさについて説明できなければ、倫理学の理論とは言えません。

結論から言えば、徳倫理学では、「徳」を持った行為者による行為が「正しいこと」だと説明します。

2-3-1:適格な行為者説

徳倫理学の「正の理論」の一つは、「適格な行為者(qualified agent)」が行う行為が正しい行為である、というものです。

この考え方は、ハーストハウス(Rosalind Hursthouse)が『徳倫理学について』という著作で提示しました。

「適格な行為者」は、徳を持つ優れた行為者(仮想的な行為者)のことです。このような行為者が、個別具体的な状況でどのような選択をするのか?その「有徳な行為者」の選択が、「正しい行為」になる、というのです。

ハーストハウスはさらに具体的に述べています。

たとえば、キリスト教圏でよく道徳的な議論になるのが「人工妊娠中絶」です。

ハーストハウスによると、

  • 中絶する女性の多くは、「有徳な女性」ではない
  • 有徳な女性とは、精神力や決断力、自身などの徳をすべて兼ね備えている人のこと
  • 「有徳な女性」が持つべき徳が欠けた人は、道徳的に正しくない行為(中絶)をしてしまう

ということになります。

しかし、このような考え方には、「理想主義的すぎないか?」と疑問が出てくると思います。確かに、ハーストハウスの言う「有徳な行為者」は現実的ではないようにも思えます。

■エウダイモニア主義

ハーストハウスがこのような議論をするのは、彼女が古代ギリシャの思想である「エウダイモニア主義(eudaimonia)」の立場を取ったからです。

エウダイモニアは「開花繁栄(flourishing)」と訳される思想で、古代ギリシャにおける「最高善(何らかの目的のためではなく、それ自体で選ばれる望ましい状態)」とされたものです。

ハーストハウスはこれを単に「よい状態」とも言っていますが、開花繁栄(エウダイモニア)することを前提に考えているため、「有徳な行為者」のような理想主義的ともいえる議論をしているのです。

2-3-2:行為者基底説

ハーストハウスの有徳な行為者という議論の他に、「行為者の実際の動機」から行為の正しさを説明する徳倫理学の立場もあります。

ハーストハウスは「有徳な行為者」が行う行為が正しい行為だと言いますが、「なぜ有徳な行為者が行う行為が正しいのか?」という疑問が残ります。つまり、ハーストハウスの議論では、行為が正しい理由に十分に納得することができません。

そこで、マイケル・スロート(Michael Slote)が主張したのが行為者基底説(行為者基底的徳倫理)です。

スロートによると、

  • 行為が正しいかどうかはそれが卓越した(立派な)動機から行われているかどうか、という観点から判断できる
  • 正しい行為とは、善意、気遣いを含む善い動機や有徳な動機から行われる行為
  • もしくは、少なくとも悪意や無配慮、劣悪な動機から行われない行為

ということになります。

「では、どういう動機が『有徳』な動機なの?」

と疑問があると思います。

スロートは、人々が持つ動機には構造があり、悪意などの劣悪な動機から、善意などの有徳な動機まで階層をなしているという考え方を持っています。

その階層の上位にあるのが「有徳な動機」であり、行為者を動機づけているものが有徳な動機であれば、行為は正しいと判断できる。このような考え方がスロートの説です。

2章の内容をまとめます。

2章のまとめ
  • 徳倫理学では、徳とは性格的特徴のことで、それが「善いこと」「正しいこと」と関わると考えられる
  • 徳倫理学では、行為者が徳を持つことそれ自体が「善いこと」であり、善行の徳を持つ行為者がなす行為が「善い行為」であると考える
  • 「正しいこと(正)」は、仮想的な「適格な行為者」が成す行為か、もしくは行為者の持つ動機が有徳なものである場合になされる行為として判断される
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3章:徳倫理学の問題点・批判

徳倫理学の議論を理解した人には、さまざまな疑問も持ち上がったのではないかと思います。

実際、徳倫理学にはいくつかの問題点が指摘されています。

徳倫理学に対する批判には以下のものがあります。

  • 何を徳とみなすのかという批判
    「徳」には「善行」「友情」「公正」などさまざまな性格的特徴があるが、どのような性格的特徴が「徳」なのかは明確な基準がない。
  • 規則・行動指針にならない
    徳倫理学は普遍的な理論を確立することができない「反理論(anti-theory)」であると言われ、一般的規則にならない。そのため、現実の倫理的問題に内当たった時に「何を基準に行動したらいいのか」答えを出せない。
    ※ただし、徳の一般的規則を提示しようとする人々もいる
  • 徳には拘束力がない
    文化が異なれば徳も変わるため、徳の一般的規則はあり得ず普遍的なものにならない。普遍的な基準がなければ、徳には拘束性がない。また、複数の徳が対立する状況(徳の葛藤)では、一般的規則がなければどちらを選べばいいか徳は指示することができない。

このようにさまざまな批判がなされている徳倫理学ですが、だからと言って意味がない学問だということではありません。

繰り返しになりますが、徳倫理学はこれまでの功利主義や義務論が「行為の正しさ」を論じようとしたのに対し、道徳には行為者の性格のよさも含まれるはずだ、という指摘をした点に意義があります。

道徳に性格のよさが含まれるというのは、ある意味で私たちの持つ常識にも当てはまるものですよね。

その当たり前の視点が、倫理学で見逃されがちだったため、それを補完するのが徳倫理学なのです。

4章:徳倫理学の学び方

徳倫理学について理解を深めることはできたでしょうか?

徳倫理学は、倫理学の基本的な理論の一つですので他の理論とも合わせて学習することをおすすめします。また、「徳」についての考え方は自らの価値観を考え直す機会にもなりますので、ぜひ過去の名著からも学んでみてください。

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こちらは理論別というよりも、さまざまな素朴な倫理的問題から議論がはじめられている本です。切り口が異なるため、前述のテキストと合わせて読んでみることをオススメします。

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まとめ

この記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 徳倫理学とは、「よさ」「立派さ」など伝統的に論じられてきた「徳」に関する議論について、現代社会で復活した倫理学の一分野
  • 徳倫理学における「善さ」とは、「徳」を持つことそのものであり、善行の徳を持った人が行うことが「善」である
  • 徳倫理学における「正しさ」とは、仮想的な「有徳な行為者」が成すであろう行為や、「徳」に該当する動機を持った人が行う行為のことである

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