プラトンの『饗宴』とは、愛(エロス)に関する対話を通じて、知的な愛とも呼べるもののあり方について論じた書物です。当時の「飲み会」における対話という形式を採用している点は文学的にも高く評価されています。
『饗宴』は、文学的な題材を交えながらも、哲学とは何なのかという問題の重要性を常に示し続けているものです。
この記事では、
- プラトンの『饗宴』の時代背景
- プラトンの『饗宴』の要約
- プラトンの『饗宴』の学術的議論
をそれぞれ解説していきます。
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1章:プラトンの『饗宴』とは
1章ではプラトン『饗宴』について知っておきたい基本的なことを説明し、2章では『饗宴』の要約を行います。そのうえで、3章では専門的な議論を取りあげて『饗宴』をより深く読むための視点を提供します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:プラトン『饗宴』の時代背景
『饗宴』というタイトルはギリシア語の「シュンポシオン」に由来します。
シュンポシオンとは
- 「シンポジウム」の語源でもあるが、当時の人々が行っていた社交のための宴会を意味していており、言いかえるなら「飲み会」
- 基本的には男性が行うもので、寝椅子に横になって酒を飲みながら、さまざまな余興を楽しむものであった
『饗宴』もそうした古代ギリシアの風習を踏まえた設定で書かれています2中澤務「解説」プラトン『饗宴――エロスの話』中澤務(訳)206–214頁、光文社。
『饗宴』において重要な前提となっているもう一つの風習は「少年愛(パイデラスティア)」です。これは成人男性と未成年の男性のあいだに成立する関係性を一般に意味し、その点で対等な同性愛とは異なるものであることに注意する必要があります。
「愛する者」(エラステス)と呼ばれる成人男性の方が「愛される者」(エロメノス)である少年を常に指導する立場にあり、性的な関係のみならず教育的な指導関係をも含むものでした。
そのため、少年が成人になるとこの関係性は解消されるのが通常です3同上、218–222頁。『饗宴』に出てくる登場人物のなかにもこうした関係を結んでいる人々がいます。プラトンは彼らにとっては日常的に存在した少年愛を哲学の主題のなかに組み込んでいくことになります。
1-2:プラトンの問題意識
『饗宴』における問題意識の一つは、アルキビアデスという登場人物に関係があります。
プラトンが『饗宴』を執筆した時点で彼は、ペロポネソス戦争でアテナイが負けるきっかけを作った人物、あるいは一時はアテナイの敵国であるスパルタに寝返った人物という悪名によって知られており、そのあくなき権力欲による放埓さが知られていました。
彼が問題なのは以下の点です。
ほかの問題意識としては、プラトンがイデア論の多様な側面を提示しようとしていたことも考えられます。
- プラトン中期の作品として知られる『饗宴』は、イデア論を詳細に論じた『国家』と同じ時期に書かれた6内山勝利「プラトン案内」『プラトンを学ぶ人のために』内山勝利(編)16–21頁、世界思想社→『国家』についてはこちら
- 愛を主題とする『饗宴』は、当時のギリシアにおける風習であった少年愛のなかに美しいものへの知的な愛という側面に注目することで、そこに美そのものというイデアに対する人間の本性的な欲求を見出した
このようにしてプラトンは、愛を出発点としたイデア論への道筋を『饗宴』では示していると考えられるのです7ミヒャエル・エルラー『知の教科書 プラトン』三嶋輝夫・田中伸司・高橋雅人・茶谷直人(訳)195–197頁、講談社。
1-3:現代において『饗宴』を読む意義
『饗宴』が現代人にとっても何かを訴えかけることができるとしたら、それはやはり愛とは何かという問題に関わるはずです。
「哲学」という日本語は明治の思想家である西周が生み出したものとして知られていますが8石井雅巳『西周と「哲学」の誕生』(堀之内出版)、11–44頁、ギリシア語では「フィロソフィア」と言い、直訳すると「知恵を愛する」という意味です。
- つまり「哲学」には知的な愛という含意があるが、『饗宴』はそのことを少年愛などの(彼らにとっては)身近な恋愛関係を題材にして示していると言うことができる
- 敢えて言うなら、非肉体的な愛、あるいは非感覚的な愛のあり様を示し、それを賞賛しているプラトンの記述を前にして、わたしたち自身はそのような愛についてどう思うかを考えさせられることになる
ただし注意するべきは、少年愛を含めて古代ギリシアにおいて想定されている愛が現代における性倫理で想定されている愛とは著しく異なる側面があるということです。
古代ギリシアにおける少年愛には成人男性と少年のあいだにある種の主従関係が見られ、これは最初から対等な関係ではありません。また、少年愛を社会の一般的な風習とすることには女性の排除という側面もあります9中澤「解説」、223–224頁。
愛という普遍的なものを扱っているからこそ、『饗宴』には現代的に受け容れられない側面も存在します。『饗宴』を読むことは、プラトンを批判的に読む大きなきっかけの一つにもなるかもしれません。
ちなみに、『饗宴』に関する初学者向けの解説本としては『プラトン哲学への旅 エロースとは何者か』(NHK出版)がおすすめです。
- プラトンの『饗宴』とは、愛(エロス)に関する対話を通じて、知的な愛とも呼べるもののあり方について論じた書物である
- プラトンの『饗宴』は、愛とは何かという問題に関わるものである
2章:プラトンの『饗宴』の要約
『饗宴』は、五人の登場人物がそれぞれ愛について語る前半部分と、ソクラテスの主導の下で愛に関する哲学的な議論が展開される後半部分に分かれています。
2-1:前半部分
まずは、五人の登場人物がそれぞれ愛について語る前半部分について見ていきます。
2-1-1:パイドロス
一人目はパイドロスです。弁論術に興味のある若者として描かれており、『饗宴』では最初に演説を披露する役割を担わされています。
彼は人間たちに愛をもたらす神としてのエロスに対する賛美から自らの演説を始めています。
エロスは偉大なる神であり、人々の間にあっても、神々の間にあっても、驚嘆するべき神です10『饗宴』中澤訳、39頁。
このように、『饗宴』ではしばしばエロスが神というある種の擬人化の下で語られています。背景にはやはりギリシア神話の影響もありますが、プラトンもまずはそうした文化的な前提を踏まえていると言うことができます。
2-1-2:パウサニアス
二人目はパウサニアスです。『饗宴』は悲劇詩人アガトンの屋敷で行われた宴会を物語るという設定で書かれていますが、若きアガトンと恋愛関係にあった人物として登場しています。
彼は、神としてのエロスには「天上的なエロス」と「地上的ないし世俗的なエロス」の二神がいることを主張することで、人間たちのあいだに見られる愛もそうした二通りのものがあると考えます。
そのうえで彼は、天上的なエロスに由来する愛を「愛する者自身に対しても、愛される少年に対しても、自分自身の徳を気にかけるように強く導いてくれる」11同上、64頁ものとして賞賛します。
2-1-3:エリュクシマコス
三人目はエリュクシマコスです。若きパイドロスの恋人であると同時に医師として登場しています。
彼は、パウサニアスによるエロスに関する二通りの区別を引き継ぎつつ、エロスを世界ないし宇宙全体における自然の原理として以下のように理解しようとします。
エロスは、人間の心の中で、美しい人々に対して働いているだけではない。それはまた、たくさんのものの中で、さまざまな対象に対して働いているのだ。あらゆる動物の体においてしかり。大地に生える植物においてしかり。いってみれば、存在するすべてのものの中で働いているのである。12同上、67頁
たとえば、彼は一年の四季のなかにも二種類のエロスを見出します。
彼によれば、調和的なエロスは温冷乾湿を適切に混ぜ合わせることで「豊かな実りと健康をもたらしてくれる」13同上、73頁のに対して、そうでない方のエロスは「疫病をはじめとするたくさんの病気が発生して、動植物に被害を及ぼすことが多くなる」同上、73-74頁といった事態を招くのです。
2-1-4:アリストファネス
四人目はアリストファネスで、有名な喜劇作者でもあります。
彼は、『饗宴』のなかでもよく知られている有名な神話を語る人物として出てきています。そのあらすじは次のとおりです14中澤「解説」、246頁。
- 太古の昔、人間は、現在の人間二人が一つになった球体の生物で、二体の組み合わせによって、男・女・アンドロギュノスという三つの性に分かれていた
- この太古の人間は、力が強く尊大であり、神々に逆らったため、ゼウスによって罰せられることになる
- ゼウスは、太古の人間をまっぷたつに分断し、現在の人間の姿にしてしまっている
- ところが、人間はもとの姿に戻ろうとして、二体が抱き合ったままになり、次々に死んでいきた
- そこでゼウスは、人間の生殖器を移動させ、性交渉によって子孫が残せるようにした
こうした空想的にしか見えない神話において重要な部分は、人間が愛という仕方でエロスを感じるのは自分にとって本来あるべきものが欠如しているからだという論理です。
「全体性への欲求と追求をあらわす言葉こそ〈エロス〉なのだ」15『饗宴』中澤訳、88頁とアリストファネスも語っているとおりです。この論理は『饗宴』の後半部分でも重要になってきます。
2-1-5:アガトン
最後の五人目はアガトンです。彼は、「エロスご自身がどんなかたかについて賛美し、そのあと、エロスの贈り物について賛美」16同上、95頁するという手順を踏みます。
これまでの四人がエロスの働きないし効用にばかり注目していたのに対して、アガトンはエロスとは何かということを改めて論じます。
エロスの本性として彼が語る美しさやすぐれた徳性はレトリックによってのみ語られるだけですが、事柄としては後半部分で語られることの予告を兼ねています。
2-2:後半部分
それでは、後半部分について見ていきます。ここでは、ソクラテスの話とアルキビアデスの話を取りあげます。ソクラテスは、ディオティマという女性から聞いた話として、エロスに関する話をします。
まずエロスの本性は、知恵と愚かさの中間にあるものとして理解されます。なぜなら、知恵への欲求を含意するエロスは、知恵が完全に所有されている状態とそもそも全く関心を持たれていない状態の中間だと言えるからです。
知恵は最も美しいものの一つであり、エロスは美しいものを求める愛だ。だから、エロスが知恵を愛し求める者であるのは理の当然といえる。そして、知恵を愛し求める者なのであるから、エロスは知恵ある者と愚か者の間にあることになるわけだ17同上、129頁。
そしてディオティマは、人間が美のイデアにいたる階梯を最終的にソクラテスに示します。それは肉体への愛が知的な愛にいたり、やがてイデアにいたるという道筋です。あらすじは次のとおりです18中澤「解説」、268–269頁。
- まず、若いときに、美しい体に心を向かわせることからはじめる
- その者は、最初は一つの体を愛しますが、やがて、どんな美しい体も共通の美しさを持つのだと悟り、その結果、すべての美しい体を愛する者となる
- 彼は、次に体の美しさから心の美しさへと上昇し、美しい心を愛するようになる
- 彼は続いて、人間と社会のならわしの中にある美しさに気づき、それらが密接に結びついていることを発見する
- 次に彼は、知識の美しさを見る
- そして、知恵を求める果てしなき愛の中で、美しい言葉と思想を生み出す
この果てに彼は、美のイデアの知識に到達します。「それはまさにかの美そのものの知であり、彼はついに美それ自体を知るに至る」19『饗宴』中澤訳、151頁とプラトンが言っているようにです。
こうした美の階梯は一貫して「正しい少年愛を通して」20『饗宴』中澤訳、151頁進まれるものだとも言われていますが、続くアルキビアデスの話はこの点に関するものとして理解することができます。
アルキビアデスの話の要点は、ソクラテスがまさに、ディオティマが言うようなエロスを実践している者だということを示すことにあります。
それを示す有名なエピソードの一つは、若くて美しいアルキビアデスがソクラテスを無理やり同衾させて一晩を過ごしても、ソクラテスが何も手出ししなかったというものです。いわゆるプラトニック・ラヴを思わせるシーンでもあります21同上、179頁。
ぼくはソクラテスと一緒に寝て、そして目覚めた。ところが、なにも特別なことは起こらなかったのだ。親父や兄貴と寝たときと、なにも変らなかったのだよ!
このエピソードによって象徴的に示されているのは、ソクラテスが美少年たちと交際してさまざまな対話を行っているのは、決して肉体的な愛のゆえではないということです。
もっと言うなら、彼は美のイデアに向かう階梯のなかで、特に知的な愛の下で美しいものを追い求めていることになります。
ただし以上の話は、現代的に理解されているプラトニック・ラヴと完全に同一視できるものではありません。
なぜなら、たしかにソクラテスは肉体的な性交渉を少年たちと実際に行うことはないのかもしれませんが、上で示された美の階梯においては肉体的な愛と精神的な愛はあくまで連続したものであり、肉体的な愛が断ち切られているわけではないからです。
それゆえ、むしろプラトンとしては、激しい情熱的な欲望があるからこそ人間は精神的な愛にも向かうことができると考えているように見えます22中澤「解説」、271頁。このように、あくまで肉体的な愛を基礎に考える点は『饗宴』全体におけるエロス論の特徴でもあるのです。
- 『饗宴』は、五人の登場人物がそれぞれ愛について語る前半部分と、ソクラテスの主導の下で愛に関する哲学的な議論が展開される後半部分に分かれている
- あくまで肉体的な愛を基礎に考える点は『饗宴』全体におけるエロス論の特徴でもある
3章:プラトンの『饗宴』に関する学術的議論――アリストファネスは何のために登場しているのか
3章では、『饗宴』においてアリストファネスがどのような役割を演じているのかという問題について考えます。
アリストファネスはソクラテスを揶揄した『雲』という喜劇を書いており、そのことを考慮するとプラトンはアリストファネスに対して批判的だと考えられますが、そうではないと考える見解もあります。まずはそうした見解を取りあげます。
3-1:アリストファネスはソクラテスの敵ではない?
アリストファネスが出てくるプラトンの対話編は『饗宴』だけです。『饗宴』の最後ではアリストファネス、アガトン、ソクラテスの三人がなおも対話を続けていることが描かれていますが、そこでの主題は喜劇や悲劇の詩作に関わることでした。
このことを政治哲学者のレオ・シュトラウスは、次のような見解を示します。
- 「三人は、打ち解けた会話を交わし、最後にはアリストパネスにとって他の何よりも重大な問題、つまり喜劇の問題について合意に達した」23L.シュトラウス(著)T.L.パングル(編序)『古典的政治的合理主義の再生――レオ・シュトラウス思想入門』石崎嘉彦(監訳)162頁、ナカニシヤ出版と理解する
- そのうえで彼は、プラトンの別の箇所における喜劇論を参照しながら、「プラトンの証拠からは、『雲』は(中略)ソクラテスを告発するものだと言うことも当たっていない」24同上と診断する
- さらにシュトラウスは、「アリストパネスがまず妬んでいたのは、ソクラテスの知恵ではなく、喜劇詩人がどうしても依拠せざるを得ない大衆の拍手喝采にソクラテスがまったく左右されないこと、すなわちソクラテスが完全に自由だったことではないか」25同上とも示唆する
シュトラウスの解釈はやや入り組んだものですが、要するにアリストファネスはソクラテスの敵ではなく、プラトンもまたそのように描いているのだと言うことを主張しているように思われます。
3-2:喜劇詩人アリストファネスをパロディー化するプラトン?
他方で、プラトンはアリストファネスに対して批判的だったと考える見方の方がやはり有力ではありますが、そのなかには次のような見解がありえます。
私はつねづね、プラトンの対話篇、とりわけ『饗宴』は偉大なパロディーであり、そのパロディーを笑い飛ばす哲学の活力を人類の歴史に与えてきたと考えています。人間のパロディーを生みだしつづけた稀代の喜劇作家アリストファネスを、完全にパロディー化した作品だからです26納富信留『プラトン哲学への旅 エロースとは何者か』(NHK出版)、231頁。
シュトラウスも注目していた『饗宴』の最後の場面は次のとおりです。
ソクラテスは、同じ人間が喜劇の作りかたも悲劇の作りかたも知っているのであり、悲劇を作る技術を持つ人であれば喜劇だって作れるはずだということを、彼ら[アリストファネスとアガトンのこと――引用者注]に認めさせようとしていたのだという。ソクラテスはこの主張を彼らに認めさせようとしていたが、彼らのほうは、眠たくてきちんと話について来てはいなかったようだ。そして、まずはアリストファネスが眠りに落ち、すでに日が昇ったころ、アガトンも眠りに落ちた27『饗宴』中澤訳、193頁。
この箇所を納富信留は、「ソクラテスが至極真面目に悲劇と喜劇の一体性を提案しているというより、目の前で睡魔に屈しているこの人物、喜劇王アリストファネスへの挑発」28納富『プラトン哲学への旅』、228頁として読み解きます。
アリストファネスを肯定的に捉えるのであれ否定的に捉えるのであれ、『饗宴』は、文学的な題材を交えながらも、哲学とは何なのかという問題の重要性を常に示し続けているように見えます。その意味で、『饗宴』は現代人にとっても一つの哲学書であり続けています。
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4章:プラトンの『饗宴』に関するおすすめ本
プラトンの『饗宴』を理解することはできました?少しでも関心をもった方のためにいくつか本を紹介します。
納富信留『プラトン哲学への旅 エロースとは何者か』(NHK出版)
『饗宴』に関する日本語の入門書としては最新のものです。語り手の「私」がソクラテスたちのなかに列席して対話に加わるという体裁をとったユニークな入門書でもあります。
K・J・ドーヴァー『古代ギリシアの同性愛』(青土社)
古代ギリシアにおける少年愛を本格的に研究の対象として論じた記念するべき著作です。ミシェル・フーコーの『性の歴史』にも影響を与えています。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- プラトンの『饗宴』とは、愛(エロス)に関する対話を通じて、知的な愛とも呼べるもののあり方について論じた書物である
- プラトンの『饗宴』は、愛とは何かという問題に関わるものである
- 『饗宴』は、文学的な題材を交えながらも、哲学とは何なのかという問題の重要性を常に示し続けている
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