政治史

【マーシャル・プランとは】背景・目的・結果をわかりやすく解説

マーシャル・プランとは

マーシャル・プラン(Marshall Plan)とは、アメリカが第二次世界大戦後に実施した、ヨーロッパ諸国の復興支援計画のことです。この支援計画の背景には、大規模援助によってヨーロッパ経済を復興させて、共産主義の侵攻を抑え込もうとする狙いがありました。

1947年にアメリカ国務長官マーシャルが発表したこの復興支援計画は、冷戦構造の固定化に繋がりました。しかし同時に、マーシャル・プランは、欧州統合(現在のEU)のきっかけにもなっています。

そういった意味で、マーシャル・プランは世界史・現代経済史上の重要な出来事の一つであり、現代経済を理解するためにも必ず知っておくべきです。

この記事では、

  • マーシャル・プランの背景・目的
  • マーシャル・プランとソ連による対抗
  • マーシャル・プランの結果

をそれぞれ解説していきます。

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1章:マーシャル・プランとは

1章ではマーシャル・プランの「背景」「目的」を中心に解説していきます。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:マーシャル・プランの背景

繰り返すように、マーシャル・プランの背景には、

ヨーロッパ諸国が第二次世界大戦で大きな被害を受けた被害が甚大であり、自力での復興が困難だった

という戦後復興の問題があります。

第二次世界大戦でヨーロッパでは数百万人にも及ぶ死者、重傷者を出し、戦勝国・敗戦国に関わらずヨーロッパは荒廃。人々は生活物資を失い、自力での生産の回復が困難でした。特に厳しかったのはドイツでしたが、ドイツが回復しなければドイツに食糧・穀物等を輸出していた他のヨーロッパ諸国の回復も遅れることを意味します。

一方で、本土の被害が少なかったアメリカでは、戦争需要から経済的に潤っていました。そんな中、アメリカでは人道的にヨーロッパの人々を救済し、ヨーロッパの経済再建を援助するべきであるという世論が高まっていきました。

そのような背景から、1947年6月に国務長官であるジョージ・C・マーシャル(George C. Marshall)は、膨大な対外援助計画をハーバード大学での講演時に発表しました。

講演で、マーシャルは、

  • 「アメリカはヨーロッパ諸国と協力して経済復興計画を作成すべきであり、計画を援助する準備がある」2榊原胖夫, 加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂, 80頁)
  • 「健全な世界経済なくして確固たる平和や政治的安定はありえない」3榊原胖夫, 加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂, 80頁)

と意思表明したとされています。

また、人道的な立場や経済的な相互利益からだけでは議会の承認を得られないと考えていたトルーマン大統領は、「この援助なしには西ヨーロッパが全体主義勢力の手に落ちるかもしれない4榊原胖夫, 加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂, 80頁)と政治的な意味を訴え、議会の承認を取り付けることに成功しました。

整理すると、

  • 人道的な立場からのヨーロッパの復興の援助
  • ヨーロッパの自由主義国家を復興させることによる、ソ連封じ込め政策

という理由からマーシャル・プランが誕生したわけです。



1-2:マーシャル・プランの目的

上述したように、複数の観点からヨーロッパの援助に乗り出したアメリカですが、ここでは3点からマーシャル・プランの目的・動機をまとめてみましょう。

1-2-1: 西ヨーロッパの経済的・社会的復興

アメリカは、第二次世界大戦後、再びヨーロッパで恐慌や戦争の火種を産まないためにも、甚大な被害を受けたヨーロッパを復興させることが重要だと考えました。

ヨーロッパ各国が自力で復興することは難しい状況であり、可能であったとしても再建までにかなりの長い時間を要することは確かでした。実際のところ、経済的に支援できる状態にあった国はアメリカしかありませんでした。

1-2-2: 貿易の促進

戦前から西ヨーロッパ諸国はアメリカ製品のもっとも大きな市場のひとつでもあり、ヨーロッパが復興して需要が回復することをアメリカは期待していました。

1-2-3: 自由主義・資本主義社会の繁栄と継続

第二次世界大戦中からアメリカにとっての新しい脅威が、共産主義を掲げて膨張しているソ連でした。

第二次世界大戦を契機として戦後の世界の平和を守っていこうとしたアメリカにとって、自由主義社会の西ヨーロッパ諸国が復興していくことは望ましいことであり、共産主義国が拡大していくことをアメリカは防ぎたかったという背景があります。



1-3:ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)の設立

アメリカはマーシャル・プランの基本的な意向として、ヨーロッパ諸国が協力し、自らイニシアティブをとって復興計画を立案して復興を実現させていくことを求めました。

しかし、ヨーロッパ諸国は戦争中に外貨準備を使い果たしており、復興のための食糧や燃料等を買うためのお金がありません。そこで、アメリカは約130億ドルという巨額の資金の援助を行うことにしたのです。

その資金を受け入れて、適切に分配し、復興の実施を行っていく組織が必要となり、ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)が設立されました。

設立の際アメリカは約130億ドルの支援を提示しましたが、その支援の条件をヨーロッパ経済協力機構に提示しました。

  • 「全援助物資の50%はアメリカの船によって輸送されなければならないが、物資はどこから購入してもよく、民間貿易を活用すべきこと」5榊原胖夫, 加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂, 83頁)
  • 「被援助国は、アメリカにおいて供給が不足している物資の備蓄に協力し、アメリカから受け取った贈与・援助と同額に見返り資金を自国通貨で設定すること」6榊原胖夫, 加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂, 83頁)
  • 「見返り資金の95%はアメリカの同意を得て復興計画のために被援助国内で使用されるべきであり、残る5%はヨーロッパ経済協力機構の経費をまかなうために留保されること」7榊原胖夫, 加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂, 83頁)

これらに加えて、為替と貿易の自由化とヨーロッパ域内の諸国間及び欧米間の関税を引き下げることもアメリカの意向でした。

簡単に整理すれば、

  • アメリカはOEECを通じてヨーロッパ諸国に多額の援助する
  • またその援助資金にはさまざまな条件が設定されていたために、ヨーロッパ諸国は資金をアメリカからの物資の購入に使う

ということが行われたのです。

以上がマーシャル・プランの全体像となります。一旦、これまでの内容をまとめます。

1章のまとめ
  • マーシャル・プランとは、アメリカが第二次世界大戦後に実施した、ヨーロッパ諸国の復興支援計画のことである
  • アメリカは、人道的、政治的な観点から、ヨーロッパの経済再建を援助するべきであると考えた
  • 基本的には、ヨーロッパ各国が協力し、自らイニシアティブをとって復興計画を立案して復興を実現させていくことがアメリカの意向であった
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2章:マーシャル・プランへの対抗

アメリカがマーシャル・プランでヨーロッパに援助を提案した際、ソ連や東ヨーロッパ地域も対象国になっていました。実際、第二次世界大戦で最も多くの死者数を出したのがソ連であり、600万人が亡くなったとも言われています。

そのため、復興のための援助が必要だったはずですが、ソ連はマーシャル・プランへの参加を拒否します。その上で、ソ連は政治的な理由でアメリカに対抗し、共産主義や社会主義を掲げる他の東ヨーロッパ諸国と共に政治的・経済的な結びつきを深めていきました。

2-1:マーシャル・プランに対抗したソ連

ソ連が拒否した最大の理由は、マーシャル・プランが資本主義国家であるアメリカからの支援だったからです。

より具体的には、以下の理由からマーシャル・プランを拒否するに至ります。

  • ヨーロッパ各国を再生させて資本主義社会、自由主義社会を復活させるプランであり、共産主義国家を目指すソ連の計画経済の考え方とは相容れないものであった
  • 援助を受けることで自国内の政治に対して、アメリカが内政干渉してくることを怖れた

その結果、ソ連は、マーシャル・プランが発表されると、政治的な考え方の近い東ヨーロッパ諸国に呼びかけて、アメリカに対抗できる共産主義圏を作り上げ拡大させるためのさまざまな対抗策をとっていきました。

以下の3点は、ソ連がとった対抗策の列挙したものです。

2-1-1: 共産党情報局(Cominform)の設立

コミンフォルム(共産党情報局)は、マーシャル・プランが発表された1947年6月から3カ月後に設立されます。具体的には、ソ連を含むヨーロッパ9カ国の共産党代表集まった共産党代表者会において設立されました。

この席上でソ連はマーシャル・プランが世界を二分化させる政策であり、この政策に対抗して各国共産党が連携していくべきであることを訴えました。

2-1-2:  ベルリン封鎖

戦後の処理に関わる会議に基づき、当時のドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国による分割統治がされていました。

1948年6月に通貨改革の一環として西側(アメリカ、イギリス、フランス)三国の統治地域に新通貨ドイツマルクが導入されると、ソ連は三国統治地区であった西ベルリンとソ連の統治地域間を封鎖し、西ドイツからベルリンにつながる道路、鉄道、水路の閉鎖を実施しました。

これは当時のソ連の指導者スターリンは西ベルリンへの食糧、医療品、生活用品の供給を断つことで、アメリカを中心とする西側三国は撤退せざるを得なくなるだろうと考えていたためです。

西ベルリンが閉鎖されたことで、米ソ間の緊張感が非常に高まり全面対決へ発展する可能性もありましたが、ソ連のスターリンが譲歩しアメリカ、ソ連の両国外務大臣交渉の結果、1949年の5月にベルリンの封鎖は解かれました。

2-1-3: 核実験の成功

第二次世界大戦終結前から核兵器開発に成功していたアメリカでしたが、そのニュースを知ったスターリンは、ソ連の核開発を急がせ1949年に原爆実験を成功させました。

アメリカにとっても西ヨーロッパ諸国にとっても、ソ連はさらに脅威になりました。その後、各国とも核爆弾の実験を加速していき、アメリカとソ連の核開発の競争に発展していきました。



2-2:経済相互援助会議(COMECON)の設立

コミンフォルム成立の2年後の1949年、ソ連が東欧諸国との経済的な結びつきを強めるために経済相互援助会議(略称コメコン)を設立しました。

具体的には、コメコンとは以下のようなものです。

  • ソ連を含む7カ国のの工業化とインフラ整備を目指したもの(7カ国:ソ連とアルバニア、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアといった東欧共産主義国)
  • 1947年のコミンフォルム(共産党情報局)とは、フランスとイタリアの内部組織が入っていない点とアルバニアが加盟国となっている点で異なる
  • ソ連が残りの6カ国の国と二国間の経済契約を結んで運用しており、当初からソ連主導型の構造が構築されていた
  • しかし、1953年スターリンの死後は、二国間ではなく多国間の経済協力を謳う多国間契約に修正され、生産技術の交流や各国の五か年計画の調整を行う機関にもなっていった

一方で、西側諸国ではヨーロッパ経済共同体(European Economic Community)が1958年に発足します。EECは、6カ国(フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国)で結ばれており、経済的な国境を取り払って共同市場の形成をめざしたものでした。

EECに対して、コメコンも超国家的な機構を構築し、加盟国の分業によって生産性を上げる構想を打ち出しました。

具体的には、ソ連はコメコン加盟国を工業国と農業国に区分しようとしたのです。しかし、農業国として振り分けられたルーマニアが反発して自国自身で工業化を進めるとコメコンの組織内部では足並みが乱れ、1962年入るとアルバニアも脱退することになりました。

1970年を過ぎると、加盟国内でも経済格差や技術格差が顕著となり、コメコンも機能しないようになっていきました。

2章のまとめ
  • ソ連が拒否した最大の理由は、マーシャル・プランが資本主義国家であるアメリカからの支援であったためである
  • ソ連が東欧諸国との経済的な結びつきを強めるために経済相互援助会議(略称コメコン)を設立した

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3章:マーシャル・プランの結果

マーシャル・プランによる資金援助によって、西ヨーロッパ諸国は1950年代初頭までに見事に復興していきました。

しかし、お気づきのように、マーシャル・プランが実施されたことにより、西側の自由主義諸国と東側の共産主義国との対立構造が明確になり、冷戦が激化していくことになります。

3-1:冷戦構造の固定化

冷戦(Cold War)とは、第二次世界大戦後、世界がアメリカを代表とする自由主義社会(西側諸国)とソ連を代表とする共産主義国(東側諸国)の二つのグループに分かれ、経済や軍事など多くの点で対立した構造のことです。

そして、上述のように、冷戦構造が固定化されるきっかけの一つが、マーシャル・プランでした。上述の内容を簡潔にまとめれば、

  • アメリカが1947年6月にマーシャル・プランを発表し、1948年、具体的な支援を開始したことに対して、ソ連は1947年9月にコミンフォルム(共産党情報局)を設立
  • ソ連はさらに1949年にコメコン(経済相互援助会議)を設立し、東ヨーロッパの経済協力体制を築き上げようとした

といった対立構造を見てとれます。

その後、両者の対立は激化してきます。ソ連の原爆実験の成功に脅威に感じたアメリカや西側諸国は、1949年に北大西洋条約機構(NATO)を設立し、西側軍事同盟を築きました。

そして、東側諸国も西側への軍事的対抗手段として、1955年にワルシャワ条約機構を締結しています。

加えて、アメリカによる戦後支援や共産主義化に歯止めをかける政策は主にヨーロッパ地域で展開されていきましたが、共産主義化の波はアジア地域にも広がっていきました。

1949年中国では共産党政権である中華人民共和国が成立し、同年、中国はソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結しました。西側諸国にとっては脅威の拡大であり、アメリカはヨーロッパだけではなく、アジアにも目を向けて共産主義の拡大を抑制しなければならない状況に入っていきました。



3-2:ヨーロッパの統合のきっかけ

また、振り返りとなりますが、マーシャル・プランの基本的な考え方は、ヨーロッパ各国が自らイニシアティブをとって復興計画を立案し実行していくものでした。そのような考えは、ヨーロッパが統合されるきっかけとなります。

地域統合に関して詳しくは、以下の記事を参照ください。

【地域主義・地域統合とは】国際経済の新たな流れが生まれた理由・背景を解説

以下は、ヨーロッパの統合の流れを大まかに提示したものです。

ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)の発足(1950年)

フランスとドイツの国境付近に石炭や鉄鉱石の採掘や工業施設を建設し、隣接諸国で共同管理運営をする機関であるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が1950年に設立された。

ECSCは戦後の欧州統合のきっかけと言えるが、ECSCにはマーシャル・プランで設立されたOEECの人材やノウハウが流れたことから、マーシャル・プランが間接的に欧州統合のきっかけとなったと言える8猪木武徳『戦後世界経済史』70頁

ヨーロッパ経済共同体(EEC)の発足(1957年)

1957年ヨーロッパの6カ国が市場統合を目指してローマ条約を締結し、1958年にヨーロッパ経済共同体(EEC)(European Economic Community)発足させ。また、共同市場について次の計画を掲げた

  • 共同体域内での関税を引き下げ、12年後には全廃し輸入数量制限も撤廃
  • 域外からの輸入については共通関税を適用する
  • 域内の資本と労働力の移動の自由
  • 域内分業の利益を上げるための共同出資銀行の設立

ヨーロッパ共同体(EC)の発足(1967年)

  • 1967年、従来からあったヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)の三者が統合してヨーロッパ共同体(EC)(European Communities)が発足した
  • 加盟国はヨーロッパ経済共同体(EEC)と同じ6カ国だったが、1973年には、イギリス、アイルランド、デンマークが新たに加盟し、80年代にはギリシャ、スペイン、ポルトガルが加わり12カ国の体制になっていった

ヨーロッパ連合(EU)

  • ヨーロッパ共同体(EC)をベースにマーストリヒト条約が成立し、現在のヨーロッパ連合(European Union)が誕生した
  • 1980年代にはギリシャ、ポルトガル、スペインが加盟して12カ国体制が築かれた

こうして成立したEUですが、近年はイギリスの離脱(ブレグジット)をはじめとして、統合の危機とも言われています。ブレグジットについて詳しくは以下の記事をご覧ください。

【EU離脱問題・ブレグジットとは】影響・期限・原因を徹底解説



3-4:マーシャル・プランが終了するまでの流れ

マーシャル・プランによる経済援助は1952年6月に終了しました。この間、アメリカからの援助資金は全体で、100億ドルや120億ドルあるいは130億であったとも言われています。

原料や半製品、機械や車両、燃料などといった正に復興のための援助でした。アメリカが支援した資金、物資の約9割は返済義務のない贈与であったと言われています。

支援を受けた国々を国別で見てみると、

  • 20億ドル以上の援助を得た国はイギリスとフランス
  • 10億以上の援助を受けた国が西ドイツ、イタリアであり、次いでベルギー、オーストリア、トルコ

などが続きます。

第一次大戦後においては多額の賠償金を敗戦国に課したことが第二次世界大戦につながったという反省もあり、ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)はマーシャル・プランの援助資金を戦勝国、敗戦国に関わらず、復興金が必要な国々に分配していったのです。

ちなみに、1947年から1950年までの間にアメリカが行った対外援助は、ほとんどすべてが経済援助で、軍事援助は総額の1%も超えていなかったと言われています。

1950年までの援助の大部分はヨーロッパ諸国に向けて与えられていましたが、アジアで朝鮮戦争が起きると軍事援助の比重が高まっていきました。

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4章:マーシャル・プランを学ぶための本

マーシャル・プランについて理解を深めることはできましたか?

以下の書物はマーシャル・プランをさらに学ぶための、オススメ本です。ぜひ読んでみてください。

オススメ書籍

オススメ度★★★ 永田実 『マーシャル・プラン-自由世界の命綱』(中公新書)

戦後のアメリカとソ連、ヨーロッパの関係性がわかりやすくきちんと理解できる1冊です。またマーシャルプランがあったからこそ、冷戦を引き起こし欧州共同体発足につながっていく歴史の必然性がよくわかる本です。

オススメ度★★★ ジョン・L.ガディス『冷戦 : その歴史と問題点』(彩流社)

アメリカ、ソ連を中心とする東西の冷戦へ進むの芽は、第二次世界大戦中から既に存在しており戦後すぐに顕在化していく経緯が明快に書かれていて、とても読みやすい本です。普段、アメリカ側から見た冷戦構造を目にすることは多いかと思いますが、この本ではソ連や東ヨーロッパから見た冷戦もわかりやすく描かれていて世界全体の社会がどのようになっていたかをイメージしやすい本でもあります。

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オススメ度★★ 榊原胖夫、加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂)

戦後のヨーロッパの復興はやはり圧倒的な経済力を有していたアメリカの資金、資材の援助であるマーシャルプランによって達成されたことがよくわかる本です。統計的なグラフ、数字が多く引用されていて、どんな規模で実施された計画であったのかがわかりやすいです。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • マーシャル・プランとは、アメリカが第二次世界大戦後に実施した、ヨーロッパ諸国の復興支援計画のことである
  • 基本的には、ヨーロッパ各国が協力し、自らイニシアティブをとって復興計画を立案して復興を実現させていくことがアメリカの意向であった
  • ソ連が拒否した最大の理由は、マーシャル・プランが資本主義国家であるアメリカからの支援であったためである
  • ソ連が東欧諸国との経済的な結びつきを強めるために経済相互援助会議(略称コメコン)を設立した

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その他参考文献

  • James S. Olson『アメリカ経済経営史辞典』(創風社)
  • 中本 悟・宮崎礼二(編)『現代アメリカ経済分析 - 理念・歴史・政策』(日本評論社)