『エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告―』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)とは、哲学者ハンナ・アーレントが1963年に発表した、アドルフ・アイヒマンの裁判記録です。
人類史に残る犯罪であるホロコーストを指揮したアイヒマンは、巨悪ではなく普通の人間(むしろ小心者)であることを明かしました。また、それこそが全体主義の怖さであることもこの著作を通じて主張しています。
『エルサレムのアイヒマン』は、ハンナ・アーレントの哲学を理解する上でとても重要です。
この記事では、
- 『エルサレムのアイヒマン』が書かれた背景
- アーレントの思想の特徴
- 『エルサレムのアイヒマン』の具体的な内容
について詳しく解説します。
関心のあるところから読んでみてください。
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら
1章:『エルサレムのアイヒマン』とは
『エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告―』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)は、、哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt/1906-1975年)が1963年に発表した、アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記録です。
雑誌「ニューヨーカー」に発表され、大論争を巻き起こしたことで有名です。
その内容を端的に言えば、以下の通りです。
『エルサレムのアイヒマン』のポイント
- 150万人とも600万人とも言われるユダヤ人を虐殺(ホロコースト)したナチスドイツにおいて、虐殺の中心を担っていたアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し記録した
- ユダヤ人の大敵であったアイヒマンについて、それが極悪人や悪魔のような人間ではなく、陳腐な小役人であったと主張
- アーレントが描いたアイヒマンの姿が、ユダヤ人の大敵としてのイメージと異なるものだったことから、アーレントは激しく批判された
まずは、『エルサレムのアイヒマン』が書かれた背景やアーレントのその他の著作との関連から説明していきます。
具体的な内容は2章で説明します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:アドルフ・アイヒマンとは
『エルサレムのアイヒマン』は、アドルフ・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann)の裁判傍聴記録です。まずはアイヒマンという人物について簡単に説明します。
そもそも、アドルフ・アイヒマンはナチスにおいて親衛隊の将校をしていた人物で、アウシュビッツ強制収容所へのユダヤ人の移送を指揮し、数百万人のユダヤ人の虐殺に関わった人物です。
アイヒマンは第二次世界大戦後にアメリカに捕らえられていましたが、収容所から脱出し1947年ごろから西ドイツで逃亡生活を送っていました。1950年にはイタリア、そしてアルゼンチンに逃亡し、多くの元ナチス党員の逃亡先となっていたブエノスアイレスで過ごします。
アメリカから逃亡した時点ではアイヒマンは死亡したと考えられていたのですが、その後、アイヒマンが生存し逃亡生活をしていることが分かり、イスラエルの調査機関モサドは独自に調査をはじめます。
そして1960年、モサドによってブエノスアイレスで誘拐され、1961年からエルサレムで裁判が始められたのです。
1-2:ハンナ・アーレントとは
この裁判を傍聴し記録したのが、ドイツ出身のユダヤ人哲学者であるハンナ・アーレントです。
アーレントは、ナチスが台頭したドイツから1941年にアメリカに亡命し、アメリカで学者として研究生活を送りました。そして、ユダヤ人としてのバックグラウンドからナチス・全体主義を研究した著作をいくつも出版し、その多くが世界的に有名な著作となりました2伝記的情報について、森脇大輔『ハンナ・アーレント』ちくま新書を参照しています。。
アーレントはニューヨーカー誌からの依頼でアイヒマン裁判を傍聴し、それを著作としてまとめました。
アーレントは哲学的・政治的議論を好みましたが、『エルサレムのアイヒマン』は裁判記録として事実と正しい判決を追求する姿勢に貫かれており、それが批判を生むことになりました。
これから、具体的な内容やアーレントが批判された理由について詳しく解説します。
- 『エルサレムのアイヒマン』は、ハンナアーレントがアイヒマン裁判を傍聴して記録したもの
- アイヒマンは、戦後逃亡生活を続けたもののアルゼンチンで捕らえられ、1961年から裁判が行われた
2章:『エルサレムのアイヒマン』の解説
『エルサレムのアイヒマン』に一貫しているのは、
- ユダヤ人という「被害者側」にいることにつられない
- 同胞であるユダヤ人が持つ思いに同調しない
という、アーレントの、真実を追求する厳しい態度です。
ぜひ、実際に『エルサレムのアイヒマン』を読んでアーレントの思想の強さを感じ取っていただきたいですが、2章ではこの著作のポイントを説明していきます3下記では、アーレント『エルサレムのアイヒマン(新版)』みすず書房を参考にしています。。
(2024/11/21 16:32:33時点 Amazon調べ-詳細)
2-1:アイヒマンという人物に対する記録
『エルサレムのアイヒマン』では、アイヒマンという人物についてまずは説明されます。1章でも触れた部分ではありますが、『エルサレムのアイヒマン』では下記のような特徴が記録されています4一部については、森脇、前掲書も参照しています。。
- 裕福な家庭に育ったものの、学校の成績が悪く学校の中退を繰り返した落伍者だった
- 経歴を詐称し見栄を張ろうとする性格だった
- 知人の誘いからナチスの親衛隊に入隊した
- 組織では出世を求め、職務に忠実で官僚的な性格が強かった
また、裁判の場におけるアイヒマンの言動から、アーレントはアイヒマンという人物について以下のように記録しています。
- 職務への忠誠やナチスのイデオロギーへの忠誠を、法廷で繰り返し主張した
- アーレントはアイヒマンの言動が常に同じことの繰り返しであり、話す能力、ひいては思考能力や思考しようとする意思自体が欠けていると考えた
つまり、アイヒマンは自らの頭で考えることをやめ、思考停止した状態で権威(ナチス)に従っていたわけです。
思考停止し、自分が何百万人ものユダヤ人をガス室に送っているという事実から目を背けたまま、「組織での出世」という極めて世俗的な動機から行動していたのです。
ここから、アイヒマンが冷酷な極悪人でも精神異常者でもなかったことが分かります。
こうしたアイヒマンの態度について、アーレントは「世界疎外」という言葉で表現しています。世界疎外とは、自分で現実を認識することよりも、頭に植え込まれた観念(思想やイデオロギー)によって世界を認識する態度のことです。
世界疎外がホロコーストが起きた要因の一つだったことを、アーレントは『人間の条件』で明らかにしました。
詳しくは以下の記事で解説しています。
2-2:ホロコーストにいたる経緯
『エルサレムのアイヒマン』では、傍聴記録からどのような経緯でホロコーストに結びついたのかについて明らかにしています。重要な箇所なので少し詳しく説明します。
2-2-1:ナチスのシオニストへの態度
最終的にはホロコーストを指揮したアイヒマンですが、実は最初からホロコーストを支持していたわけではなく、シオニズムを支持していたことも『エルサレムのアイヒマン』で論じられています。
シオニズムとは、ユダヤ民族が海外移住し、パレスチナに自分たちの国家を打ち立てることを目指す思想のことです。
そもそも、当初のナチスは、「ドイツからユダヤ人を追い出したい」と考えており、ユダヤ人を追い出すことができるシオニズムは好都合でした。そのため、シオニストと協力する姿勢すら持っていたのです。
そして、アイヒマンはナチスでユダヤ人専門家としてのポジションを持っていたため、シオニズムを推進しユダヤ人国家を作れば出世できると考えました。そのため、シオニズムを支持していたのです。
しかし、数百万人存在するユダヤ人を海外移住することなど、現実的ではありません。そのため、実はもとからナチスの上層部では、ユダヤ人を絶滅させることについて意識されていてとアーレントは論じています。
シオニストに協力的な姿勢を見せていたのは、その後のホロコーストを円滑に進めるためだったのです。
2-2-2:アイヒマンの姿勢
ナチスがユダヤ人を絶滅させることを決定した「ユダヤ人問題の最終的解決」は1939年になされました。
■ユダヤ人救済の主張
アイヒマンがその決定を知るのは1941年だったと言われていますが、それ以前の1938年ごろ、アイヒマンはオーストリア・ウィーンに勤務しており、そのころ5万人のユダヤ人をオーストリアから追放したと報告しています。
この時代の成果について、アイヒマンは「自分こそがユダヤ人の救済者であったのだ」と法廷で主張しました。なぜなら、その後ドイツ国内にとどまったユダヤ人は大領虐殺されることになったからです。
しかし、その大領虐殺を指揮した一人がアイヒマンであったことを考えると、彼の主張は明らかに矛盾していることが分かると思います。
アーレントは、このようなアイヒマンの一貫性のなさ、自分で矛盾に気づけない愚かさを指摘し、それを「世界疎外」し思考停止していたからだと論じています。
■大虐殺の決定に従順なアイヒマンの姿勢
1942年、「ユダヤ人問題の最終解決」はヨーロッパ全土に拡大されることになり、その決定の場にアイヒマンも参加していました(ヴァンゼー会議)。
その時、アイヒマンは、
- 上層部によって大虐殺が決定されたことに、自分自身はまったく罪がないと感じた
- なぜなら、当時のナチスでは犯罪が合法であり、自分は法に従っただけだから
と法廷で主張しています。
「上層部の決定だから」「それが法律だから」という理由で大犯罪に加担し、しかもそこにまったくの罪悪感を感じていなかったのです。
自分で考え、善悪を判断することをまったく放棄してしまっているアイヒマンのこの態度が、アーレントから非難されことは言うまでもありません。
2-2-3:ドイツ人のホロコーストへの態度
さて、この時代のドイツで思考停止していたのはアイヒマンだけではありません。ドイツ国内にユダヤ人に無関心な空気が醸成されていたことも、『エルサレムのアイヒマン』で指摘されています。
アーレントは、その「ユダヤ人に無関心な空気」について以下のように論じています。
- ドイツでは1944年、ナチス高官らによってヒトラー暗殺が企てられた
- しかしその首謀者たちが準備していた犯行声明には、ユダヤ人の虐殺問題についてほとんど触れられていなかった
- この一例から分かるように、ドイツ人はユダヤ人の虐殺に無関心であった
他にもアーレントは、戦後の法廷で「実は虐殺には反対だったが、従うしかなかった」という態度を示したナチス関係者の主張をあげています。
ナチス支配下のドイツでは、多くの人々がユダヤ人の虐殺を知りながら現実から目を背け、保身に走り、上層部の命令に従うだけとなっていたのです。
アイヒマンのような態度の人間が多数存在したことから、ユダヤ人虐殺が止められなかったとアーレントは論じています。
2-2-4:ユダヤ人の協力者
ここまで読むと、「一方的に虐殺を行ったナチス」と「悲劇的なユダヤ民族」という二項対立的にホロコーストがイメージされますが、実はそう簡単なものではありませんでした。
それは、ユダヤ人側にも結果的にナチスに協力した面があるからです。
■ユダヤ人警察・ユダヤ人評議会の虐殺への協力
ナチスは、ユダヤ人の大量虐殺を遂行するにあたって「ユダヤ人ゲットー警察」と「ユダヤ人評議会」の力を借りていました。
- ユダヤ人ゲットー警察…ユダヤ人隔離居住区に存在した、ユダヤ人による警察組織
- ユダヤ人評議会…ユダヤ人隔離居住区を管理する自治組織
(ゲットーとはユダヤ人の隔離居住区のこと)
ナチスはホロコーストを実行するために、大量のユダヤ人を移送する必要がありました。そこで、ユダヤ人ゲットー警察にはユダヤ人の刈り込みを、ユダヤ人評議会には移送するユダヤ人の選定を行わせたのです。
アーレントはこのようなユダヤ人協力者を批判しました。
「彼らは虐殺から免れるために仕方なかったのでは?」と思われるかもしれません。
しかし、ユダヤ人評議会は自分の身内や優れた人物、指導者を選んで「生き残り」に分類し、その他のものを「移送」する判断をしていました。
これは、
- ユダヤ人協力者は、自分たちや身内のために自己保身をした
- ナチスが作った犠牲者を分けるカテゴリを受け入れ、分類を遂行した
という点で批判されるべきことです。
特にアーレントは、ナチスが作ったカテゴリをユダヤ人が受け入れ、それに従ってしまったことがホロコーストをより円滑に進めることになってしまったと論じています。
また、ヨーロッパ各国で外国籍であるユダヤ人は無関心な態度を取られており、どこの国もナチスの「移送」に反対しませんでした。そのため、ホロコーストはナチス内部でも、ドイツ国内でも、外国でも、ユダヤ人当事者からも反対されることなく遂行されてしまったのです。
これは、「全体主義」が生んだ支配や無関心に原因があったものでしょう。
全体主義について詳しくは以下の記事で説明しています。アーレントの議論やナチス、ホロコーストについて理解するためには、全体主義への理解が必須です。
2-3:悪の陳腐さについて
ここまで『エルサレムのアイヒマン』を解説してきましたが、アイヒマンやナチス、そして当時のドイツ周辺の時代状況についてどのような印象を受けたでしょうか。
アーレントは、全体主義研究の集大成として1951年に『全体主義の起源』を発表し、ナチスによる一貫したイデオロギー・世界観による大衆の支配の様を描きました。
しかし、『エルサレムのアイヒマン』で受ける印象は、イデオロギー厳しく一貫された組織や巨悪的な人物の存在ではありません。『エルサレムのアイヒマン』で描かれているのは、まさに副題にある「悪の陳腐さ」です。
アーレントは、『全体主義の起源』以降の研究やアイヒマンの裁判の傍聴等を通じ、ナチスの実像が一貫した厳しいイデオロギーという面だけでななかったことを理解したのだと思われます。
ナチス・全体主義の正体が、極めて世俗的で、自己保身的な「陳腐な存在」であるアイヒマンを中心とした人々の集まりだったことが分かったのです。
問題なのは、そのような「陳腐な存在」の集団でも、人類史的な大犯罪が遂行されてしまったという事実なのです。
■アイヒマンの結末
さて、アイヒマンはイスラエルにおけるこの裁判で、当然死刑となりました。アイヒマンの罪は、アーレントによると「人類の多様性に対する罪」です。
多様な民族が共存するこの世界で、特定の民族をこの世から消し去ろうとしたナチスの試み(およびその中心的役割を果たしたアイヒマン)は、多様性を脅かす犯罪であったということです。
2-5:アーレントが受けた批判
アーレントは『エルサレムのアイヒマン』の発表後、主にユダヤ人から激しく批判されました。アーレントが受けた批判にはさまざまなものがありましたが、主なものは以下のようなものでした。
①ユダヤ人にイメージする悪人像と異なる描写をしたため
アーレントは、ここまでも説明したようにアイヒマンを陳腐な小心者として描きました。数百万人のユダヤ人の虐殺を指揮した、冷酷な極悪人、悪魔といったイメージとは明らかに異なるものだったのです。
アーレントの描写はユダヤ人にとって不利なものでもありました。
なぜなら、ユダヤ人にとっては、世界中の注目を集めたアイヒマン裁判という場において、アイヒマンの極悪さとユダヤ人の悲劇性が強調されるほど、シオニズム(パレスチナでのユダヤ人による国家建設)の正当性が高まると考えられるからです。
アーレントは、ユダヤ民族の悲劇性を強調しようとしたイスラエル政府の意思を感じ取り、それを批判しました。裁判の場はあくまで真実に基づいて判決を下すことのみに意味があると考えたのです。
②ユダヤ人の加害者性を描いたため
アーレントは著作の中で、ユダヤ人コミュニティ(評議会)が、ホロコーストに協力的であったことを論じました。
アイヒマン裁判は、ユダヤ人にとっては自分たちがいかに一方的な被害を受けたのか、ということを世界に知って欲しい場だったのです。
しかし、アーレントはユダヤ人の「描いてほしいイメージ」に合わせることなく、事実のままにユダヤ人の加害者性を論じたのです。そのため、アーレントは「ユダヤ人としての同胞意識はないのか」とユダヤ人から非難されることになりました。
- アイヒマンは、出世好きの官僚的な性格な小役人であり、「世界疎外」し思考停止した人間として描かれた
- アイヒマンだけでなく、当時の多くのドイツ人がユダヤ人の悲劇に無関心であり、誰もナチスの決定に反対しなかった
- ユダヤ人の中にも、ユダヤ人警察やユダヤ人評議会がナチスの協力者となり「移送」を遂行していた
3章:『エルサレムのアイヒマン』に関連する本・映画
結果的に、ユダヤ人同胞から強く批判されることになったとは言え、アーレントの『エルサレムのアイヒマン』は、大衆に流されず真実を追求するアーレントの姿勢が現れた世界的名著です。
この本から私たちは、大きな流れに流されず、「世界疎外」を避けて現実を見たアーレントの姿勢を学ぶことができます。
ぜひ、まずは解説書からでも、原著からでも読んでみてください。
ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン‐悪の陳腐さについての報告-』(みすず書房)
アーレントが書いた原著です。400頁を超える長さですが、kindle版もありますので少しずつ隙間時間で読むことも可能です。アーレントの他の著作に比べれば哲学的ではないので読みやすいです。ぜひ読んでみてください。
(2024/11/21 16:32:34時点 Amazon調べ-詳細)
森分大輔『ハンナ・アーレント-屹立する思考の全貌-』(ちくま新書)
アーレントの思想の特徴や代表的著作について、分かりやすく解説された本です。このサイトでも『全体主義の起源』や『人間の条件』について解説していますが、この本ではそれ以外の著作についても紹介されています。
アーレントの入門書として初心者に向いています。
映画「アイヒマンを追え!ナチスが最も畏れた男」
ナチスの残党から妨害されながらも、逃亡したアイヒマンを追っていった、フリッツバウアー検事の映画です。アイヒマンの逃亡から裁判まで、よく描けていて勉強になりますし、映画としても面白いです。
(2024/11/21 16:32:36時点 Amazon調べ-詳細)
バウアーの映画には以下のものもあります。
映画「ハンナ・アーレント」
2013年に公開されたアーレントの映画です。アーレントの人物像や哲学した時代背景についてよく理解できると思います。もちろん映画としてもとてもいい映画です。ぜひ観てみてください。
最後に、書物を電子版で読むこともオススメします。
Amazonプライムは1ヶ月無料で利用することができますので、非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。
数百冊の書物に加えて、
- 「映画見放題」
- 「送料無料」
- 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」
などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、気になる方はお試しください。
まとめ
この記事の内容をまとめます。
- アイヒマンは上層部の指示、決定に従順に従う官僚的人物で巨悪ではなかった
- ホロコーストを止められなかったのは、ナチス、ドイツ国民、ヨーロッパ各国の政府、ユダヤ人当事者のそれぞれの無関心や世界疎外である
- アーレントはイスラエル政府の裁判を利用しようとする姿勢を批判し、ユダヤ人の悲劇性を強調する姿勢を非難したため、ユダヤ人からも批判された
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら
【引用】
ウィーン勤務時代のアイヒマンの画像:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3)最終閲覧日2019年11月15日
ユダヤ人ゲットー警察の画像:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E8%AD%A6%E5%AF%9F)最終閲覧日2019年11月15日