ロシア文学

【ドストエフスキーの『罪と罰』とは】あらすじ・学術的な考察をわかりやすく解説

ドストエフスキーの『罪と罰』とは

ドストエフスキーの『罪と罰』は後期代表作のうちの一つで、1866年に発表されたものです。1860年代の夏のペテルブルクを舞台とし、ある一つの殺人事件をめぐる群像劇が、主人公ラスコーリニコフの心理的葛藤を中心に描かれています。

『罪と罰』に関する研究は日本だけでも膨大な量があり、これまで多様な読みがされてきました。その流れは今日まで続いています。

この記事では、

  • 『罪と罰』の背景とあらすじ
  • 『罪と罰』の学術的考察

をそれぞれ解説しています。

好きな箇所から読み進めてください。

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1章:ドストエフスキー『罪と罰』とは

1章では『罪と罰』を「背景」「あらすじ」から概観し、2章では『罪と罰』に関する文学的な考察を解説します。

特に、2章では日本語圏での解釈の一例として著名な日本人文学者(小林秀雄)の解釈を一つのトピックに、そしてミハイル・バフチンの解釈を一つのトピックにしてます。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:ドストエフスキーの『罪と罰』の背景

まず、冒頭の確認となりますが、『罪と罰』はドストエフスキーの代表作として知られる作品のうちの一つで、1866年に発表されました。

作者のドストエフスキーに関して、簡単に触れておきましょう。

  • 作者のドストエフスキー(1821〜1881)は、19世紀に活躍したロシア文学者で、世界的な作家として知られている
  • 現在でも世界中で読み継がれ、日本においても影響を受けた作家は多い(大江健三郎、村上春樹、平野啓一郎など)
  • ドストエフスキーの文学は、トルストイの文学とともに、19世紀のロシア・リアリズム文学の最高峰である

そんなドストエフスキーが『罪と罰』の執筆を開始したのは、1865年です。当時の帝政ロシアでは、1861年に農奴解放令が出されるなど、近代国家へと脱皮する社会変動の時期でした。またこの時期、ペテルブルクでは風紀が乱れ、犯罪や自殺が増加していたといいます。

ドストエフスキーは同作品を執筆までに、次のような経験をしました。

  • 政治犯としてシベリアで流刑生活
  • 執筆の一年ほど前には妻と兄がなくなる
  • その兄が残した借金とその遺族の扶養とで生活がとても苦しい状況になる

このような生活苦に見舞われながら書かれた『罪と罰』には、当時のペテルブルクの社会の様子が書き込まれているとともに、ドストエフスキー自身のこれまでの経験や彼の女性関係が反映されています2詳しくは、亀山郁夫『『罪と罰』ノート』(平凡社, 2009年)

『罪と罰』はこうしたさまざまな経験や創作上の試行錯誤を経た上でのドストエフスキーの後期の仕事にあたり、よく知られている長編五大作品のうちで最初に書かれたものです。



1-2:ドストエフスキーの『罪と罰』のあらすじ

前置きはここまでにして、ドストエフスキーの『罪と罰』の大まかなあらすじを紹介しましょう。以下のあらすじは、『罪と罰』上・下(新潮社、1987年)を参照しています。

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ラスコーリニコフ

  • ペテルブルクに住む元大学生のラスコーリニコフは、貧しく、着ている物もボロボロで、その日の生活にも困るような状態であった。そんななか、彼はある時から、あることをしようと企てる
  • 彼は高利貸しをしている強欲な老婆を殺し、さらに、偶然居合わせた老婆の妹も殺す。完全犯罪を成功させたのであった。ラスコーリニコフは、明確な何かのために殺人をしたわけではない、ただ彼は意識的・無意識的に、自分のために二人を殺したのである
  • その時以来、彼は自らの行為に思い悩み、彼を取り巻く周りの状況に孤独を感じ、ある時は人に憤怒し、ある時は人を憎悪し、身体と精神をボロボロにしてしまうのであった

ソーニャの登場

  • そうしたある時、ラスコーリニコフはソーニャという女性に自らの行為を打ち明けることになった。信心深いソーニャは、ラスコーリニコフを愛し、自首をすすめる
  • 彼は、苦悩に囚われ、なおもそのまま生きようとするが、ソーニャ、そして、彼の妹のドゥーニャの愛によって、自首へと導かれるようになり、ついに、シベリヤへと送られた

新たな物語へ

  • 長い間、ラスコーリニコフは、普通の人が感じるであろう良心の呵責を感じず、自らの行為を法律的な罪であるとは考えていなかった。無感覚となり、誰にも心をひらくことはなかったのだ
  • だがある時、ラスコーリニコフはソーニャの愛を悟るようになる。シベリヤまで彼を追ってきていたソーニャもまた、彼の愛を悟り、もう疑うことはなかった……
  • 彼らは残り七年という刑期をその愛で乗り越えていくだろう。そうして、彼は生まれ変わり、新たな物語が始まっていく……

大まかに物語の展開をつかむことはできたでしょうか?

1章のまとめ
  • ドストエフスキーの『罪と罰』は後期代表作のうちの一つで、1866年に発表されたものである
  • 当時の帝政ロシアが近代国家へと脱皮する社会変動の時期に書かれた
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2章:ドストエフスキー『罪と罰』の考察

『罪と罰』はいろんな要素を持つ作品です。たとえば、以下のような要素を内包しています。

  • 推理小説的な要素・・・犯人でもあり主人公でもあるラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリィとの緊迫した腹のさぐり合いが繰り広げられる
  • 社会風俗画的な要素・・・作品の舞台である1860年代の夏のペテルブルクに住む人々の様子が克明に描かれる
  • 愛の小説の要素・・・主人公ラスコーリニコフを取り巻く女性たちとの愛と心理的葛藤の物語

上記に挙げた三つの要素は『罪と罰』上・下(新潮社、1987年)の翻訳者である工藤精一郎が見出した要素ですが、これまでに世界中の読者によっていろいろな読み方がなされています。

つまり、『罪と罰』は一つの読み方が許されるような作品ではなく、読むたびにさまざまな発見がある作品です。言い換えると、『罪と罰』に関する研究は日本だけでも膨大な量があり、それらすべてをここで扱うことはもちろんできません。

そのため、この章では『罪と罰』に対するアプローチの一例として、以下の論を取り上げ、特に重要な部分のみを抜粋して解説していきます。

  • 著名な日本の文芸評論家である小林秀雄による『罪と罰』論
  • 世界的に知られているドストエフスキー論の代表的なもの(ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』)

2-1:小林秀雄「『罪と罰』についてⅠ・Ⅱ」

まず、簡単に小林の経歴などを紹介します。

  • 小林秀雄(1902〜1983)は、戦前から戦後にかけて活躍した日本の文芸評論家で、日本における文芸評論の第一人者として知られている
  • 多くの作家・研究者を筆頭に、小林の評論はこれまでによく読まれてきており、近代の日本文学を考える上でも重要な人物の一人である
  • 生涯多くの論考を発表したが、ドストエフスキーに関する論考が一定程度あり、小林がドストエフスキーに深い関心を寄せていたことは明らかである
  • 現在でも『ドストエフスキイの生活』(新潮文庫、1964年)などがあり、気軽に読むことができる(以下、解説する論考も同書に収録)
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さて、『罪と罰』に関していえば、小林は2つの『罪と罰』論を書いています。この2つの論考では『罪と罰』が最初から最後まで丁寧に読み解かれており、特にラスコーリニコフの心理描写の内実についての解釈が展開されています。

2-1-1: 『罪と罰』についてⅠ

最初の論考「『罪と罰』についてⅠ」は、戦前の1934年に書かれたものです。ここでは特に、作者・ドストエフスキーによって生み出されたラスコーリニコフという人物の心理描写を以下のように称賛しています。

小林の見解

  • 『罪と罰』では「ラスコーリニコフ的」という存在様式が示された
  • 特に作者が作品において心を傾けているのは、人間の孤独を再現することである
  • ラスコーリニコフとは孤独の化身である(孤独という肉体である)

2-1-2: 罪と罰』についてⅡ

その後、小林は「『罪と罰』についてⅡ」を1948年に発表しました。この論考では、前回の論考の考察をより深めた形で小林の考えが示されています。

小林は『罪と罰』の前作にあたる『地下生活者の手記』(1864年)3日本語訳は、新潮文庫(1970年)、光文社古典新訳文庫(2007年)など。に同作を読み解くヒントを探り当てています。そして、ラスコーリニコフの心理的葛藤の様子を作者の内的な葛藤の反映であるように読んでいます。

小林の見解

  • ラスコーリニコフは作者の徹底的な人間批判の力によって生きている
  • 人間とは何か、言い換えると、自分とは何かという問いが貫かれており、そうした問いにおいて人間を観察してきた作者の洞察力が、主人公が作中においてさまざまな忍耐を経験することになった所以である



2-2:ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』

そして、ロシアの文学者であるミハイル・バフチン(1895〜1975)についても簡単にみていきましょう。

  • バフチンは「ポリフォニー理論」の創始者として知られている(※理論については、下記で詳しく説明)。
  • 彼は『ドストエフスキーの詩学』4バフチンは二つの『ドストエフスキーの詩学』を出版している。今回使用したテクストは『ドストエフスキーの詩学』第二版で、出版は1963年(その日本語訳がちくま学芸文庫で出ている(『ドストエフスキーの詩学』)。第二版は初版(1929年)の改訂版であり、初版での議論をより深めたもの。初版の日本語訳は平凡社より出ている(『ドストエフスキーの創作の問題』)。第一版では第二版のものよりも、「ポリフォニー理論」がより直截に論じられている。という著作で、独自のドストエフスキー論を展開した

独自のドストエフスキー論とは、これまでの心理学的な観点などから登場人物たちの心理的な特徴を明らかにするとか、どのように作者の認識が反映されているかといったものに注目する研究から一線を画すことを意味します。

バフチンはそのような点にではなく、ドストエフスキーの創作態度に注目し、その特殊性を明らかにしていったのです。

2-2-1: ドストエフスキーと彼以前の作家たちの作品の違い

具体的に、バフチンによれば、ドストエフスキーは彼以前の作家たちとは全くちがった芸術思想を打ち立てました。そのように考えたバフチンは、ドストエフスキーと彼以前の作家たちの作品の違いを次のように定義しています。

ドストエフスキーの作品

  • 「ポリフォニー小説」である。ドストエフスキーの文学は従来のヨーロッパ小説に適用してきた文学史上の図式のいずれにも当てはまらない
  • 彼の作品に登場する人物たちは、それぞれの「声」をもち、作者と同じ目線で肩を並べる。それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれていく
  • そうした多くの「声」と意識たちが互いに独立した価値を持ち、対話していく様を、バフチンは「ポリフォニー」と呼ぶ。そこでは作者もまた主人公たちと対話している(ポリフォニー的立場

従来の作家たちの作品

  • 作者の構想の中で主人公たちが物のように造形され、その人物像がその作者によって形作られたある単一の世界で、結び合わされ、組み合わされている
  • 作者は登場人物と対話するのではなく、登場人物について語っている。作者の言葉は登場人物と同じ目線ではなく、一つ高いところから語られる。そこには唯一無二の作者の立場があり、登場人物は客体でしかない(モノローグ的立場

2-2-2: トルストイとの比較

こうしたドストエフスキーの独創性をより明白にするために、バフチンはトルストイと彼の作品を比較して説明しています。

  • トルストイはドストエフスキーと同時期に活躍した、19世紀ロシア文学における代表的な作家
  • 代表作として『戦争と平和』(1869年)、『アンナ・カレーニナ』(1877年)がある

バフチンによれば、トルストイはこれまでの作家たちの例にもれず、従来の仕方で作品を造形しているとする。

トルストイの短編『三つの死』

  • この作品には三つの死が描かれている。地主貴族夫人、御者、樹木の死である。それら三つの死は、それぞれ十分に完結したものであり、お互いがお互いを知らない状態に置かれている。死んでいく地主貴族婦人は、御者と木の生と死を知らない。それは逆もそうである
  • こうした三人の登場人物の生と死は、作者・トルストイが造形した作者の世界のうちに並べられて、外面的には関係を持つこともあるが、彼ら自身はお互いのことを知らず、お互いがお互いの心に映ることがない。対話関係がないのである
  • 作者・トルストイだけが彼らそれぞれのことを彼ら自身が知らないことも含めて全て知っていて、唯一無二の作者の立場から、包括的に彼らの生と死の意味などが語られているのだ
  • こうした作者が全知全能の位置で登場人物=客体たちについて語る形式(モノローグ的立場)をとるのが、トルストイの作品の特徴である

ドストエフスキー『罪と罰』

  • 一方、ドストエフスキー『罪と罰』では、トルストイの作品のように、登場人物が知らず、作者だけが知っているような<真実>というものがない
  • ドストエフスキーは少しでも重要な事柄があれば、それを自分のものとして取っておくのではなく、すべて登場人物の視野の中に導入する。そうして、主人公たちをそうした事柄と対話的に接触させるのである

これはたとえば次のようなことを想像するとわかりやすいです。普段私たちが生きていく中である人と対話しようとするとき、それぞれが知り得る範囲で対話する相手の情報をもっていて、その情報をもとに相手と会話をします。相手もまた同じです。

そのような世界を作者ドストエフスキーは描こうとしたのです。つまり、それは以下のような世界です。

  • 作者・ドストエフスキーの意識は客体たちの世界をではなく、それぞれの世界を持った他者の意識を反映し、再現する
  • 主人公たちはお互いにお互いのことをそれぞれが知り得る範囲で知っていて対話を開始する
  • そして対話していく中で、自分の生き方を考えたり、悩んだり、選択していく。実際の人間がそうであるように、主人公たちの内部は決して完結せず、対話的な関係の中で生きていく
  • また、作者・ドストエフスキーも彼らの生の意味などについて総括的な定義を下すことなく、自分の前に自分と対等な権利を持った、自分と同じく無限で内部的に完結することのない他者の意識を感じ、その主人公たちに問いかけていくことで対話的な関係に入っていく

このような世界からドストエフスキーは彼の作品において、人間の生と思考につきものの対話的本性を反映しようとしているのです。そうした、作者も含めて対話的に人間たちが関わっていくありようを示そうとする立場がポリフォニー的立場です。

2章のまとめ
  • 小林はラスコーリニコフの心理描写の内実についての解釈を展開した
  • バフチンはドストエフスキーの創作態度に注目し、その特殊性を明らかにしていった
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3章:ドストエフスキー『罪と罰』関連のおすすめ本

ドストエフスキー『罪と罰』に関して理解を深めることはできましたか?ぜひ、この記事をきっかけに原著に挑戦してみてください。以下、参考書物です。

作品の日本語訳

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江川卓訳『罪と罰』上・中・下(岩波書店、1999〜2000年)

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亀山郁夫訳『罪と罰』1・2・3(光文社、2008〜2009年)

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『罪と罰』についてのおすすめ書籍

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『罪と罰』には色々な仕掛けがあると気づかせてくれる一冊です。より深く読みたい人に、特におすすめです。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • ドストエフスキーの『罪と罰』は後期代表作のうちの一つで、1866年に発表されたものである
  • 小林はラスコーリニコフの心理描写の内実についての解釈を展開した
  • バフチンはドストエフスキーの創作態度に注目し、その特殊性を明らかにしていった

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