社会思想

【開発主義とは】時代背景から現在までの歴史までわかりやすく解説

開発主義とは

開発主義(developmentalism)とは、国家が主導となって経済発展や工業化を推進し、国民や地域社会よりも国家の発展を優先する思想です。

第二次世界大戦後、東アジアを中心に経済発展を遂げてきた裏には、開発主義的な体制をしいてきた国家の思想・政策がありました。

しかし、強烈なリーダーシップを用いて国民を率いた開発主義体制は、「権威主義体制」ともしばしば呼ばれ、急激な経済発展と引き換えにさまざまな弊害ももたらしました。

この記事では、

  • 開発主義の意味
  • 開発主義の問題点
  • 開発主義の歴史

について解説していきます。

好きな箇所から読み進めてください。

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1章:開発主義とは

1章では、開発主義の意味、開発主義と開発独裁の違い、開発主義の問題点を解説していきます。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:開発主義の意味

冒頭の確認となりますが、開発主義とは、

国家が主導となって経済発展や工業化を推進し、国民や地域社会よりも国家の発展を優先する思想のこと

です。

ここで言う「開発」とは世界に存在する貧困を解決するために経済介入することを指します。

開発という考え方が定着した背景には、第二次世界大戦後の世界情勢があります。戦争によってボロボロになった世界経済をもう一度復興させるため、世界は援助をする側の先進国と、援助を受ける側の開発途上国に分けられました。

それは先進国を中心に、世界の秩序を守るためには開発を進めていく必要があると考えられていたからです。

開発援助のために作られた機関に世界銀行があります。詳しくは以下の記事をごらんください。

→世界銀行について詳しくはこちら

またそれまで植民地だった開発途上国にとっても、独立後の経済発展のために、国民を一つにする必要がありました。

このような背景から「開発」という思想が生まれていきます。この「開発」という思想を基にして作られた国家の政策を「開発主義」と呼び、主に開発途上国と呼ばれる国がそのような政策を採用していきました。

末廣(1998)は、開発主義を以下のように定義しています2「発展途上国の開発主義」東京大学社会科学研究所 編『20世紀システム 4開発主義』東京大学出版会

工業化の推進を軸に、個人や家族や地域社会でなく、国家や民族などの利害を優先させ、そのために物的人的資源の集中的動員と管理を図ろうとするイデオロギー

つまり、開発を行う対象は個人や地域ではなく国家であり、国家の経済成長・工業化の推進を目的に国家が主導となって開発を行い、そのイデオロギーを国民にも定着させていくものです。

また、末廣(1998)は、開発主義の特徴を以下の3つにまとめています。

  1. 途上国の開発主義は、国家や政府の経済介入が大きな特徴だが、私的所有制度の廃止は目指していない
  2. 開発主義を掲げる政治指導者は、社会主義政権のように特定の階級ではなく、国民や民族の用語を使って呼びかけ、国民(民族)全般の支持をその正統性の根拠にすえようとした
  3. 権力の集中を伴う開発主義の導入を正当化しているのは、先進国へのキャッチアップ志向や、共産主義勢力への対抗という危機管理意識だけではなく、経済成長を国家と国民が共に第一義の目標に設定するという、「成長イデオロギーの地域格差の解消」である

ちなみに、①の私的所有制度とは、個人や法人は自分がもつ財産を自由に取得・保持・売買・廃棄できるという私的所有権を認める制度です。

共産主義国家などではこの私的所有権が認められていない国家もあったため、開発主義は共産主義とは一線を画す考え方であることが分かります。

開発主義のなかでとくに強調しておかなければならないのが、「国家が主導」という点です。中には、行政だけでなく、警察や軍を利用して国家が強烈に社会に介入し、変革を推進する国も現れるようになりました。

第二次世界大戦後の開発途上国の多くは、この「開発主義」の思想を掲げた国家でした。このような国家の体制を、「権威主義体制」とも言います。



1-2:開発主義と開発独裁

開発主義を国家の権威を振りかざす権威主義体制で進める国は、アジアの国々を中心に広がりました。とくに、独裁的政権によって開発主義を推進した国は、しばしば「開発独裁」と呼ばれました。

この開発独裁と呼ばれた国は経済成長のために政治的安定が不可欠と主張し、国民の政治体制への参加を強く制限しました。そして、一部の権力者のみが独裁的に国家の開発を推進していきました。

その代わりに、開発によって得た恩恵を国民に還元することで、政治体制の正当化させ、国民の理解を半ば強制的に促していました。

つまり、開発独裁とは、

急速な開発の実現のためにはやむをえないとして、国民が政治に参加するという民主主義的な考えを否定し、「独裁国家」という政治体制を正当化するもの

と言えるでしょう。

開発独裁を推進した国家には、フィリピンのマルコス政権やインドネシアのスハルト政権、タイのサリット政権などがあります。これら開発独裁国家では、軍の出身者や国家官僚など、少数のエリートたちが権力を独占し、国家運営が行われていました。

また、言論の自由などが抑圧され、秘密警察や治安警察によって社会が監視されました。多くの国では共産党が強い影響力を持っており、民主主義政党は厳しく弾圧されていました。

しかし、完全に民主主義を否定していたわけではなく、さまざまな条件・制約はあるものの、政党や議会、選挙などの民主的な制度は存続していました。なぜなら、これらの国々はアメリカなどの民主主義国から援助を受ける必要があったからです。

そのため、内部では共産主義に近い政治体制をとっているにもかかわらず、国内外に政党の民主的な側面をアピールする必要がありました。



1-3:開発主義で得られた点と問題点

開発主義によって得られる最大のメリットは、工業化の速度を速めることができる点にあります。その理由は2つあります。

  1. 後発国の優位性(※後発国とは、先進諸国と比べ、開発が遅れている、いわゆる開発途上国のことを指します)
  2. 政府の積極的な介入

後発国の優位性とは、先進諸国ですでに開発された技術を導入することによって、スムーズに工業化を推進していくことができることです。しかし実際は、この技術を効果的に導入するには、限られた人的資源を集中的・効率的に動員し、監理する必要があります。

この点で、開発主義国家の場合は、政府が積極的に市場に介入することができるため、工業化をスムーズに進めるための法整備や組織の改編していくことで解決することが可能となります。これによって、開発主義国家は工業化を急速に進めることができました。

一方で、開発主義には問題点もあります。開発主義を進める国のほとんどは工業部門にばかり資金や人員を注ぐため、農業部門などの開発は後回しにされることがありました。途上国の国民の多くが農業に従事しているという事実を無視してです。

  • 多くの農地が工業化のために整地され、開発が進むのは都市部やその周辺のみ
  • それによって恩恵に手にする者は、起業家や資本家、官僚や政治家など一部の人々だけであった
  • その結果、農地を失った農民や単純労働者が増加し、国民の格差が拡大することになる

もともと民主主義を掲げて出発したはずの脱植民地国家は、格差の拡大により、社会不安に直面していきました。この社会不安を抑制するため、一部の国家は中央集権型の開発独裁の性質をさらに強めていきます。

こうなると政策の形成や実施の決定権がある者は一部の有力な官僚や軍関係者に限られます。そして、国会や政党、議会のような民主的構造は、たとえ維持されたとしても形骸化します。結果として、内部的には民主主義が崩壊してしまうという問題も出ました。

1章のまとめ
  • 開発主義とは、国家が主導となって経済発展や工業化を推進し、国民や地域社会よりも国家の発展を優先する思想のことである
  • 開発独裁とは、急速な開発の実現のためにはやむをえないとして、国民が政治に参加するという民主主義的な考えを否定し、「独裁国家」という政治体制を正当化するものである
  • 内部的には民主主義が崩壊してしまうという問題もある

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2章:開発主義の歴史

さて、2章では開発主義の歴史について、東アジアを中心とした開発主義国家、経済成長に伴って発生した民主化運動、現代の開発主義に関する議論という観点からそれぞれ解説していきます。

2-1:東アジアを中心とした開発主義的な国家運営

第二次世界大戦後、東アジア諸国は開発主義を中心に掲げ、経済発展を成し遂げていきました。ここでは、そのうちのいくつかの国家運営について具体的に説明します。

2-1-1: 韓国

韓国の開発主義は、1961年の朴正煕政権に始まったとされています。韓国は、独立後すぐに朝鮮戦争が勃発するなどの混乱が続き、経済もアメリカの援助に依存する状態でした。

腐敗した政権運営に紛糾した市民は学生運動やクーデターを起こし、その結果樹立されたのが朴政権でした。朴政権は「政治の安定=反共体制の強化」と考え、力による反共体制勢力の封じ込めを行いました。また、国民の望む貧困問題の解決も推進しました。

しかし、開発の実績を急ぐあまり、過激な開発主義を貫くことになります。たとえば、

  • 私有財産の侵害
  • 強引な土地の収用による工業団地や高速道路の建設
  • 浦項製鉄所などの国営企業による基幹産業育成

を積極的に行いました。

その結果としてある程度の経済発展はしたものの、再びクーデターが起こり、その後民主化への道を歩むことになります。

2-1-2: 中国

中国の開発主義は、1978年に鄧小平政権が「改革開放路線」に転換し、権威主義体制に移行したことが始まりとされています。

それまで中国共産党の全体主義体制のもと、国民生活はあらゆるものに対して統制が行われていましたが、権威主義体制に変わりその統制は緩やかになりました。権力を握っていたのは依然として中国共産党でしたが、その政策は対外開放政策を実施するなど、積極的にグローバル化を進めました。

政府は、議会に制約されることなく、半ば強制的に資源や労働力を動員することができたため、経済発展の基盤となる空港、高速道路、ダムなどのインフラ整備を積極的に行いました。

中国は現在も依然として権威主義体制を敷いていますが、権力の腐敗や貧富の格差といった問題が顕在化するといった問題を抱えています。



2-2:民主化運動・革命

開発主義を行った国の多くは、工業化による経済成長を手にしていきます。しかしその一方で、権力の集中による政治の腐敗や、国民への政治への参加機会の欠如、貧富の格差の拡大など、さまざまな問題が顕在化していくことになります。

結果として、国民の怒りは頂点に達し、やがて反対運動や民主化運動、革命運動へと発展していきました。つまり、政権が打倒され民主化へと移行していく道をたどる国家が次々と出ました。

ここでは、開発主義に反発して起こった民主化運動や革命運動について、いくつか具体例をあげて見ていきます。

2-2-1: 韓国 6月民主抗争

開発主義への転換を果たした朴政権を引き継ぐ形で就任した全斗煥政権は、その後さらに過激な形で開発独裁を推進していきました。

しかし、日に日に国民の反発が強くなり、とうとう1987年6月に民主化を要求する市民による大規模なデモが行われます。これは「6月民主抗争」と呼ばれます。

大まかにいえば、6月民主抗争とは、

  • 1987年6月10日から約20日間にわたって行われたこの民主化運動
  • 毎日各地で20万人以上もの市民がデモ行進を行った
  • それに対して警察は武装し催涙弾などを使用して鎮圧を図ろうとし、市民と警官の間で大きな暴動へと発展していった
  • 警察署や市庁舎などの建物や警察車などは破壊され、市民にも大勢の逮捕者や怪我人、死者まで出た
  • その事態を重く見た政府は、1987年6月29日、ついに民主化を宣言することになる

といったものです。

この民主化宣言では、大統領の直接選挙による公正な選挙の実施や言論の自由、基本的人権の強化などが約束されました。その後、韓国は民主主義国家としての歩みを進めることになります。

2-2-2: フィリピン エドゥサ革命

フィリピンでは1965年に大統領に就任したマルコス政権により開発独裁体制がとられていました。しかし、やはり国民からの反発の声が増していき、反対運動の中心として活動していたベニグノ・アキノが暗殺されてしまいます。

これによって国民の反体制の流れは急速に加速していきます。そして大統領選挙では、現職のマルコス大統領に対抗して、暗殺されたアキノの妻のコリーが出馬し、民主化を争う総選挙が行われました。

一度はマルコス氏が再選されるものの、その後マルコス側によるあからさまな開票操作や不正が発覚し、国民による大規模なデモに発展しました。

多くの市民によってマルコスの住む宮殿が取り囲まれる中、マルコスはアメリカへ亡命し、20年以上続いた独裁政治は終わりをつげました。

2-3:現代の開発主義に関する議論

現代においてもなお開発主義体制をとっている国家は存在しますが、過去の開発主義が全盛だった時代とは少し状況が変わっています。

2-3-1: 世界経済情勢の変化

第一に、世界経済情勢の変化です。そもそも開発主義は、先進国の知識や技術を活用して、後発国が先進国を追いかけて工業化をすすめていくものでした。

ここには、先進国が常に後発国の先を走るという経済発展が継続していくという前提があります。しかし、世界経済は当時の先進国が順調に発展してきたわけではなく、景気の落ち込みなどにより、後発国だった国が以前の先進国に追いつき、中には追い越してしまった例もあります。

したがって、開発途上国にしてみれば、その先進国の後ろを走るのか、そしてどこまで追いかけ続けるのかという新たな視点が必要となってきました。

2-3-2: 時代遅れの考えとしての開発主義

また、近年の民主主義の広がりにより、開発主義という体制自体が取りにくくなっている現状もあります。

開発主義は、あくまで工業化による経済発展を第一に考え、そのためであれば人々の行動は制限しても仕方がないという考え方でした。

しかし、民主化運動の過熱化や人権に対する人々の意識の向上、そしてインターネットの普及もそれを助け、今や開発主義体制、権威主義体制は時代にそぐわない考え方になりつつあります。

2-3-3: 産業の多様化とグローバル化

さらには、産業の多様化とグローバル化についても言及する必要があります。企業のグローバル化が進み、国家の経済にとって重要な多国籍企業の参入はもはや止めることはできません。

佐藤(2012)によると、「国際分業の構造が緻密になり、サプライチェーンはより細分化されるとともに、多国籍企業がコントロールする領域はより広がっている3「キャッチアップ型工業化論の再検討と開発主義国家論の現段階」『キャッチアップ再考』調査研究報告書,アジア経済研究所 36頁ため、もはや自国の政府だけで経済を完全にコントロールすることは難しい時代となっています。

その中で、開発主義体制を今もなお続けている中国やマレーシアなどが、今後どのような政策や方針をとっていくか注目してみていく必要がありそうです。

2章のまとめ
  • 第二次世界大戦後、東アジア諸国は開発主義を中心に掲げ、経済発展を成し遂げていった
  • 開発主義に反発して起こった民主化運動や革命運動がある
  • 現代では、開発主義体制、権威主義体制は時代にそぐわない考え方になりつつある

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3章:開発主義に関するおすすめ本

開発主義について、理解できましたか?さらに深く知りたいという方は、以下のような本をご覧ください。

おすすめ書籍

岩崎育夫『アジア政治を見る眼―開発独裁から市民社会へ』(中公新書)

アジア諸国を中心に展開されてきた開発独裁による政治がどのように始まり、そしてどのように終焉を迎えたのか。歴史を通して開発独裁の課題を知ることができる一冊です。

三重野文晴・深川由起子『現代東アジア経済論』(ミネルヴァ書房)

戦後の奇跡と称された東アジアの経済発展の過程とその要因について詳しく解説している一冊です。

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唐亮『現代中国の政治――「開発独裁」とそのゆくえ』(岩波新書)

今もなお開発主義をつらぬく中国の政治体制や、課題、今後の民主化への動きについて書かれた一冊です。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 開発主義とは、国家が主導となって経済発展や工業化を推進し、国民や地域社会よりも国家の発展を優先する思想のことである
  • 開発独裁とは、急速な開発の実現のためにはやむをえないとして、国民が政治に参加するという民主主義的な考えを否定し、「独裁国家」という政治体制を正当化するものである
  • 現代では、開発主義体制、権威主義体制は時代にそぐわない考え方になりつつある

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引用・参考文献

  • 末廣昭(1998)「発展途上国の開発主義」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム 4開発主義』東京大学出版会
  • 堀金由美(2004)「『開発主義』の系譜―開発独裁,development state,開発主義―」『政経論叢』第73巻第1・2号,pp141-171(明治大学政治経済研究所)
  • 内田智大(2009)「アジア諸国における権威主義開発体制と人権問題」『関西外国語大学人権教育思想研究』(12) pp2-21
  • 寺尾忠能(2014)「後発国における『開発主義』と環境政策に関する考察」『東アジアの社会変動と国家乗りスケーリング』調査研究報告書, アジア経済研究
  • 瀬田史彦・金昶基・頼深江・大西隆(2004)「開発主義に特徴づけられたアジア諸国の国土政策の形成に関する一考察」『都市計画論文集』No.39-1,日本都市計画学会
  • 佐藤幸人(2012)「キャッチアップ型工業化論の再検討と開発主義国家論の現段階」『キャッチアップ再考』調査研究報告書,アジア経済研究所