武士道とは、日本の武士階級が持った特有の倫理観・思想のことであり、新渡戸稲造『武士道』で広く知られるようになった思想です。
武士道という言葉は誰でも聞いたことがあると思いますが、「昔の侍が持った潔い徳・倫理観」と肯定的に捉える人もいれば、「古臭い考え方」「現代には必要ない克服すべき思想」とネガティブに捉える方もいると思います。
また、学術的な議論においては「武士道は近代になって『創られた伝統』である」という議論もあります。
歴史上のことですから、「これが正しい武士道だ!」と明確に言うことはできませんが、この記事では一般的な武士道のイメージを超えて理解を深められるように、書物や学術的な議論を整理して紹介します。
この記事では、
- 武士道の意味や新渡戸稲造の『武士道』について
- 武士道について書かれた主な書物について
- 武士道の学術的な議論
などをわかりやすく解説します。
関心のある所から読んでみてください。
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1章:武士道とは
繰り返しになりますが、武士道とは、日本の武士階級が持った特有の倫理観・思想のことです。
高い自律性、責任感、主君との関係の重視、死を厭わない態度などをイメージされる方が多いと思いますが、なぜこのような倫理観が生まれたのでしょうか?このようなイメージは正しいのでしょうか?
実は、武士道(また、広い意味での武士の持った倫理観)は、時代によって変遷していったものであるため、一言でまとめることは難しいです。歴史学者の見解からきわめて簡単にまとめれば、以下のようになると考えられます。
- 中世:「一騎打ち」「名乗り」「討ち死に」などの特有の慣習と共に生まれた、正々堂々と戦う倫理観(ただし逸脱も多かったよう)
- 17世紀(江戸初期):戦国的な精神性(勇猛さ)
- 18世紀(江戸中期):治者、官僚的な階級としての徳義(神道や儒教と合体)
- 19世紀(江戸後期):儒教と融合して「士道」として知られるようになる
歴史を追って説明していきますが、まずは先に、武士という存在から説明していきます。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:そもそも武士とは
そもそも武士とは?という問いに対しても様々な学説があるのですが、ここでは教科書的な説明で確認しましょう。
1-1-1:武士の歴史
もともと日本は古代から、大和朝廷の天皇家・貴族中心の国家支配が続きました(→天皇制について)。しかし、中世には武士が成長し、やがて武士が政治的な実権を握る幕府が生まれ、江戸時代が終わるまでは武士を中心とした政治が行われていった、というのが日本史の大まかな流れです。
武士が成長したのは、10世紀頃です。大まかには、以下の2つの流れで武士が生まれたというのが定説です。
- 地方の国司の子孫、地方豪族らが勢力を拡大するために武装し、戦うようになる→「兵(つわもの)」と呼ばれる
- 畿内近国、つまり当時の政治的中心地域で成長した豪族が、朝廷の武官になり、貴族に仕えるようになる→武士と呼ばれる
つまり、地方と畿内の政治的中心の両方で、武装した戦闘的な勢力が生まれ、それが武士の起源となったということです。
研究者によってどちらの武士の方が強い勢力を持ったのか、と言う点は分かれているのですが、例えば網野善彦氏は、東国(今の関東)の武士、つまり当時の地方の武士が強い勢力を持つようになったことを強調する議論をしています。
現代では関東は首都東京のある中心的な地域ですが、当時は関東は地方でした。そして、その地方から「東国の武士」と呼ばれる武士勢力が台頭し、大きな力を持つようになりました。大きな力を持った東国の武士らは朝廷に対抗し、鎌倉幕府を打ち立てるほどの力を持つようになった、というのが網野氏の説明です。詳しくは下記の本を参照してください。
一方、高橋昌明は畿内地方の「上方武士」の方が強く、東国武士を「野武士」と置づける久米邦武の説を支持しています。詳しくは下記の本を参照してください。
前置きが長くなりましたが、いずれにしろ10世紀頃に自然発生的に武士的な存在が生まれていったのでした。
1-1-2:武士の特徴
しかし、単に武装した勢力=武士というわけではありません。武士は、特有の特徴を持っていました。
簡単に整理すれば、下記のような特徴を持ったのでした。
- 弓術、馬術、剣術など高度な技能を、世襲的に伝授していった→「家」の形成に繋がる
- 領地を持って農民を支配し、開発した領地をベースに武士団を発展させた→一子相続、長子単独相続の慣習の形成
- 所領を守るために、貴族や大寺社に寄進し保護を求め、忠誠を誓う関係を築いた
「これが武士道に関係ある?」と思われるかもしれませんが、こういった武士の特徴の中から、その特有の倫理観=武士道が生まれていったということが大事です。
1-2:武士道の特徴
武士道がどのように変質していったのか、ということは後ほど詳しく見ていきますが、ここでは武士道に共通するという特徴を整理します。
笠谷2『武士道の精神史』(ちくま新書)11章では、武士道にはさまざまな面があるため統一的な把握は難しいものの、共通するものを整理すれば、以下の「七則」があると説明しています。
- 忠:主君への忠誠
- 義:正義、善の観念、約束を守ること
- 勇:勇気、勇敢、勇猛
- 誠心:誠、意地、恥といった倫理観
- 証拠:根拠に基づいて主張すること(主君にも間違ったことは主張する)
- 礼:礼儀
- 普(あまねく):武士の男性だけでなく女性、庶民にも普遍的なものとして浸透
後に紹介するように、この笠谷の見方は他の武士道に関する諸見解の中では、やや武士道に肯定的で、武士の持った姿勢や倫理観を広く「武士道」としてまとめる立場です。
こうした特有の姿勢、倫理観は、「家」「領地」「主従関係」といった武士を規定するさまざまな要因から形成されたのであろう、ということをここでは簡単に押さえておきましょう。
とはいえ、これから説明するように武士持つ精神、倫理観は時代によって大きく変化していきました。
そこで2章では、武士道の変遷の歴史を時代ごとに説明していきます。
- そもそも武士は、畿内や地方の武装しら豪族らとして自然発生的に生まれた
- 武士は、「家」「領地」「主君との主従関係」といった要素に規定され、独自の姿勢を持つようになった
2章:武士道の特徴と変遷
中世から武士がいたのだから、武士道も中世からあったのかと言うと実はそうとは言えません。武士特有の倫理観はあったと考えられるのですが、それが「武士道」という名で呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからだったのです。
笠谷の研究3「武士道概念の史的展開」『日本研究』35号231-274頁をもとにまとめると、「武士道」は以下のような変遷があったと考えられます。
- 17世紀(江戸初期):戦国的な精神性
- 18世紀(江戸中期):治者、官僚的な階級としての徳義(神道や儒教と合体)
- 19世紀(江戸後期):一般的には武士道が知られなくなっていくに従い、儒教と融合して「士道」として知られるようになる
さらに広く捉えれば、こうした江戸時代の武士道に繋がった倫理観が、中世から存在していたと考えることもできます。そして中世に生まれた武士の倫理観は、前述の武士という存在の「家」「所領」をベースとした存在であるという特徴から規定されたのです。
その中世の武士の倫理観を「武士道」と呼ぶのは誤りかもしれませんが、ここでは広く「武士の倫理観」としてその変遷を概観してみましょう。
2-1:中世の武士の倫理観
中世の武士の倫理観の特徴については、
- 勝敗だけでなく、正々堂々と戦うこと、戦いの作法(例えば一騎打ち)を守ることを重視した
- 武士は生死をかけた戦いと隣り合わせであったため、勝敗を重視し卑怯な手段を採ることもいとわなかった
という見解があります。
戦いの作法の重視
①の見解が、多くの方にとっての武士道のイメージに近いのではないでしょうか。
笠谷4『武士道の精神史』(ちくま新書)によれば、中世の武士たちは、下記のように独特の慣習や倫理観を身に付けていきました。
「やあやあ我こそは~!」と名乗って戦うのは、現代人からすれば非合理的にも見えますが、自分の戦場での振る舞いによって「家」全体の名誉に影響する、という当時の社会では、こうした振る舞いにも合理性があったことが分かります。
また、主君を守って討ち死にするというのも、領地に紐づいた主君との関係や、名誉が個人ではなく「家」単位で考えられるという、当時の社会だからこそ生まれたものだと考えられます。
ただし、中世の武士が持った倫理観に関する研究は「生死と直結する戦場においても作法が重視された」という見解だけではありません。戦場では、卑怯な手段も当たり前のように使われたのだと考える見解もあります。
だまし討ち・ルールからの逸脱
佐伯真一の研究8『戦場の精神史』(NHK BOOKS)によると、
- 戦場では武士らの中で形成されたルールがあったが、そこからの「ルールからの逸脱行為」「だまし討ち」といった行為も、非常に多く行われた
- 当初の「武士道」は、こうしたルールの逸脱行為を肯定するような思想を持っていた
ということが明らかにされています。
武士たちの間に特有の私的な作法・ルールがあったであろうことは共通していますが、そこからの逸脱行為も多かったのだということです。そのため、中世は謀略やだまし討ちが多く、しかもそれが肯定されていたと考えられるということです9佐伯、前掲書28-29頁等。
ここまでをまとめれば、中世の武士は特有の特徴から戦場で「作法」を重視するようになっていったものの、その作法は逸脱されることも多く、それを肯定する向きもあったということです。
中世、特に戦国時代の武士たちは生死と隣り合わせの生き方をしていたのですから、やはり作法だけにのっとって行動していただけではなかったと考えた方が自然だと思われます。
こうした思想があったため、戦国末期~江戸初期ごろの武士の倫理観は、戦場で役立つ勇猛さが強調されたものだったようです。これから説明します。
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2-2:江戸時代の武士道
それでは次に、江戸時代の武士道を中心にその変遷を説明します。
『甲陽軍鑑』
繰り返しになりますが、武士特有の倫理観が「武士道」と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
結論から言えば、江戸初期の武士道は戦国的な勇猛さを武士のあるべき姿と捉えたもので、その代表作が『甲陽軍鑑』です。『甲陽軍鑑』とは、1577年以降に書かれたと言われ、武田信玄のことや武田軍の行動、武士としてのあるべき姿や武士が行ってはならない行為などについて書かれた書物です。
『甲陽軍鑑』は、江戸時代に広く読まれたもので、武士道という言葉が広まるきっかけになった書物です。
※『甲陽軍鑑』は当時の時代・思想を知る上でとても良い書物ですので、ぜひ読んでみてください。
『甲陽軍鑑』に書かれた、武士のあるべき姿=武士道は、下記のようなものでした。
- 勇猛果敢にふるまうこと
- 槍働き(戦場での戦闘の成果)の重視
- 卑怯未練ないこと
- 主君に忠誠を誓うこと
- 侮辱されたら反撃すること
戦国時代の記憶が色濃い時代においては、いつでも戦場で戦えるように心構えを作っておかなければならない、そのために上記のような姿が武士のあるべき姿である、と考えられたようです。
このような姿勢は、戦国時代末期に生まれ関ヶ原に参戦し、江戸初期の時代を生きた剣豪、宮本武蔵の『五輪書』にも見られます。『五輪書』を読めば、武蔵が勝負に勝つことをいかに合理的に追及しているか分かります。
武士なのだから勇猛さや戦闘を重視することは当たり前ではないか、と思われるかもしれませんが、江戸時代になると武士は戦闘集団から官僚的な存在へと変化していき、『甲陽軍鑑』的な武士道は変質していくことになるのです。
徳義論的武士道
笠谷10『武士道の精神史』(ちくま新書)6章は、戦国末期~江戸初期ごろの『甲陽軍鑑』的な武士道は、武士が官僚的になるにつれて「徳義論的武士道」と言うべきものに変化していったと説明します。
この時代の「武士道」は、
- 「意地」という内面的な信念の強さ
- 約束の遵守
- 信頼・信用を守ること
が重視されるものだったようです。つまり、戦場の働きより官僚的な役割の中で信頼を得ることが武士のあるべき姿とされたのでした。
こうした「武士道」はさらに儒教の影響などを受けて変質し、明治期には大きく違う思想になっていきました。
2-3:江戸後期~明治期の武士道
江戸後期~明治期になると、武士道の意味が大きく変化していきます。この点は多くの歴史学者が共通の見解を持っています。
簡単に説明すると、以下の通りです。
- 儒教的な教説が武士道にも浸透し、「士道」という言葉が使われるようになる
- 明治国家による近代国家建設を追求する国家主義と結びついた
- 武士道は主君に対する忠義を一つの特徴としていたが、忠義の対象が天皇一人になる
- 武士と言うアイデンティティを失った武士がキリスト教(プロテスタント)を信仰するようになり、武士道もキリスト教に結びつく11『武士道の精神史』(ちくま新書)10章
こうした変化があったために、武士道は近代に入って国家によって「創られた」ものである、明治政府が創った架空の思想である、という非難も多く行われてきました。
こうした議論について詳しくは3章で紹介しますが、こうした批判に必ずと言って良いほど取り上げられるのが、新渡戸稲造の『武士道』です。
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2-4:新渡戸稲造『武士道』の登場
非常に有名な著作であり、今でも教養書として読まれることも多い新渡戸稲造の『武士道』ですが、なぜ批判の対象になるのでしょうか?
その前に、『武士道』について簡単に説明します。
そもそも、新渡戸稲造の『武士道』は、1900年にアメリカ合衆国で「Bushido: The Soul of Japan」というタイトルで出版されたものです。つまり、新渡戸は日本向けではなく、海外向けに『武士道』を出版したのでした。
また、『武士道』は、
- 新渡戸が海外の人々に対して日本を理解してもらうことを目的に執筆したもの
- 西洋の哲学・思想と結びつけて武士道について説明し、武士道が普遍的な精神であると説明した
という特徴があります。
つまり、日本独自の精神性を語りつつも、それが欧米人に受け入れられやすいように「あなた方の国の思想と変わらないものなのですよ」という姿勢で書かれているのです。
実際の内容は『武士道』をぜひ読んで解釈していただきたいですが、以下に簡単に紹介します。
- 武士道は仏教、神道、儒教を淵源としており、実践を重視する道徳体系である
- 義=正義、卑怯や不正をしないこと
- 勇気=勇敢さ、忍耐強さ
- 仁=仁愛、哀れみ、同情など最高の徳
- 礼=敬意、思いやり
- 誠=誠実さ、正直さ、言葉の重み
- 名誉=武士という特権的階級や「家」と結びついた精神(ノーブレス・オブリージュ)
- 忠義=主君に対する忠誠
こうした徳目の解説を中心に、武士特有の「切腹」「仇討ち」「刀」といったものについても、論じられています。
後にも触れますが、このような新渡戸『武士道』は武士道の実態を正しく書いたものではありませんでした。そして、新渡戸がナショナリズム的な思想を持ってまとめあげた、実態とは異なる武士道だったと批判されるようになります。この点は、武士道は近代になって「創られた」ものなのだという大きな論点から議論されるようになります。
3章では、武士道が「創られた」ものなのかという点について、詳しく説明します。
たとえ、新渡戸稲造の『武士道』で描かれた武士道が、実態を正しく反映したものではなかったとしても、現代人が読んでも学べることが多い名著であることに変わりはありません。
下記の本は『武士道』の内容が非常に分かりやすく解説されているためおすすめです。
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この記事では触れていませんが、「死ぬことと見つけたり」で有名な(ほぼそこしか知られていない)『葉隠』も武士道について知るために避けられない書物です。
『葉隠れ』も非常に誤解されている書物ですので、ぜひ確かめてみてください。
- 中世:「一騎打ち」「名乗り」「討ち死に」などの特有の慣習と共に生まれた、正々堂々と戦う倫理観(ただし逸脱も多かったよう)
- 17世紀(江戸初期):戦国的な精神性(勇猛さ)
- 18世紀(江戸中期):治者、官僚的な階級としての徳義(神道や儒教と合体)
- 19世紀(江戸後期):儒教と融合して「士道」として知られるようになる
3章:武士道は近代になって創られたものなのか
武士道に関する議論には、「武士道は近代になって創出されたものなのか否か」という点で対立があります。
歴史学の問題であるため、「どちらが正しい」とは言いにくいものですが、それぞれがどのように主張しているのかを整理して紹介します。
3-1:武士道は近代になって創出されたとする説
「武士道は近代に入って創出されたものである」という説を紹介する前に、歴史学における一つの見方である「創られた伝統」について簡単に説明します。
創られた伝統という議論
「創られた伝統」とは、伝統が古来から続いてきた文化や思想ではなく、近代に入ってから「創られた」「発明された」ものとして捉える考え方です。
イギリスの歴史家のホブズボームとレンジャーが『創られた伝統』(1983)という編著書で示し、広まった考え方です。極めて簡単に言えば、下記の理由から多くの伝統が近代化と共に「創られた」のだ、とする議論です。
- 現代「伝統」として考えられている様々なものが、実は近代になって(主に国家によって)創られたものだった
- 国家が「伝統」を創る必要があったのは、近代化という急速な社会変化によって、旧来の伝統と現実社会の整合性がなくなり、過去との関係性を新たに作る必要性があったため
例えば日本では、近代化に伴って天皇を中心とした秩序が形成されましたが、その過程で多くの皇室祭祀が「創られた」とされています。
→創られた伝統について詳しくはこちら
このように伝統が創られる必要があった理由の一つは、急速に国民統合を進める必要があったからです。簡単に言えば、伝統を使って日本人という「われわれ意識」を強化する必要があったということです。
→国民統合について詳しくはこちら
3-1-2:武士道は創られた伝統なのか
武士道をホブズボームの議論と結びつけて、「創られた」ものであるとする研究は多く存在します。古いものでは、日本研究者バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)が、武士道は明治の造語であり、それ以前には存在しないものである、と主張しました。
また、近年の研究にも、鈴木康史12「明治期日本における武士道の創出」『筑波大学体育科学系紀要』24, 47-55, 2001-03があります。
鈴木は、
- 『武士道』を書いた新渡戸稲造は、のちの回想で「武士道という言葉は当時あまり使われていなかった」と言っており、武士道は「復活」させなければならないものだった
- 武家から大政奉還によって権力を取り戻した明治国家は、軍事国家体制を作るためにイデオロギーとして「武士道」を創出する必要があった
といった議論をしています。
明治期において創出された「武士道論」は、あらゆる過去に自らの痕跡を見出し、自らの歴史を創出してゆくという操作によって、あたかも自明な一直線の歴史を獲得することとなったのである。(鈴木、前掲書)
同様の見解は他にもあり、例えば高橋昌明『武士の成立 武士像の創出』もこれに近い、武士道を近代のナショナリズムと結びつけた議論がなされています。
こういった議論を極めて簡単にまとめると、
- 実は近代以前には武士道と言えるほどまとまった武士の思想はなかった(特に新渡戸の時代は忘れられた思想であった)
- 武士道は近代になってから発見・再構成され、ナショナリスティックに国家から利用されたものだった
という説があるということです。
こうした、ホブズボームの議論と結び付けられた「武士道」の議論は、これだけ見れば正しく否定できないものであるようにも見えます。また、程度の差はあれ、武士道が近代になって創出された面がある、ということは共通の見解になっていると思われます。
ただ、近代になって変質したとしても、まったくの断絶があるわけではない、それ前近代にも武士道はあり連続性を持っていたのだ、という研究もあります。
それが、2章でも紹介した笠谷に代表されるものです。
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3-2:武士道は近代以前から連続性があったとする説
笠谷13「武士道概念の史的展開」(2007)35号231-274頁「は、従来の研究では、
- 本来の武士道と儒教的教説に影響を受けた「士道」を区別して議論している
- このように武士道の流れを区別してきたため、近代になって武士道が「創られた」という点を強調しすぎている
といった説明をしています。
専門儒者による儒学的教説ではなくて、当時の武士たち一般が身に付けていた儒教的教養をベースにした通俗道徳としてのそれなのである。かれらはそれによって武士道から離れていくのではなくて、そのような儒教的教養を援用しながら武士道を持続的平和の状況に適合的なものに進化・改造させるべく、困難な思想的営為に取り組んでいたということなのである14「武士道概念の史的展開」35号231-274頁。
そして、儒教的な士道と武士道は「近世後期になると武士道論が士道論の中に併合され、「『武士道』という言葉は儒教的な『士道』という言葉に置き換えられるようになっていった15「武士道概念の史的展開」『日本研究』35号231-274頁」と論じています。
そのため、確かに武士道という言葉は幕末のころ、日常的な用語としては使われなくなっていったものの、書物レベルでは広く存在していたし、儒教的な「士道」に武士道は組み込まれ、幕末にいたっても生き続けていたと主張しています。
このように、武士道をめぐる議論には、「創られた伝統」を強調するものと、前近代からの連続性を主張するものがあるのです。
詳しくは、各著作からぜひ学んでみてください。
- 新渡戸『武士道』に代表される、明治期に現れた武士道論は、ナショナリズムと結びついて「創られた」ものであったという議論がある
- 一方、明治期に異なる意味を持つようになったとしても、前近代から「武士道」と言える思想は連続性を持って継承されてきたとする議論もある
4章:武士道に関するおすすめ本
武士道論の議論は分かれていますが、より詳しくは自身で様々な研究や「武士道」が扱われている古典的な書物にあたって、自ら解釈することをおすすめします。
オススメ度★★★笠谷和比古『武士道の精神史』(ちくま新書)
この本は、武士道の歴史や特徴について網羅的に取り上げた分かりやすい本です。新書なのですぐ読み終わりますし、武士道の歴史について知りたい方におすすめです。
オススメ度★★★佐伯真一『戦場の精神史―武士道という幻影ー』(NHKブックス)
武士道が一般的にイメージされる「正々堂々」「卑怯を否定する」といったイメージとは異なるものだったことを主張する本です。戦場で生まれた生々しい武士の精神性を知ることができます。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 武士道とは武士特有の倫理観、思想のことであり、「家」「所領」「主君との関係」などに規定されて生まれた
- 武士道は中世から近世、近代にかけて変質しており、それを「武士道」という連続性をもった思想と捉えるか、近代になって「創られた」ものと考えるか、という点で議論がある
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
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参考文献
- 笠谷和比古「武士道概念の史的展開」『日本研究』(国際日本文化センター)
- 笠谷和比古『武士道の精神史』(ちくま新書)
- 佐伯真一『戦場の精神史ー武士道という幻影ー』(NHKブックス)
- 鈴木康史「明治期日本における武士道の創出」『筑波大学体育科学系紀要』(筑波大学)
- 宗川恒夫『日本武道と東洋思想』(平凡社)
- 高橋昌明『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会)
- 新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫)